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特別インタビュー 大澤直子 NAOKO OSAWA

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月刊ボディビルディング
掲載日:2017.09.05
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おおさわ・なおこ/ 1969年5月14日生まれ/東京都出身/身長153㎝、体重47㎏(2013 年シーズン)/趣味:写真撮影、沖縄旅行、三線演奏/主な戦績:98 年関東優勝・東京クラス別46㎏級優勝、00年北陸甲信越優勝、05年日本クラス別49㎏級優勝・東京優勝、06年ジャパンオープン優勝、07年アジア46㎏級5位/日本選手権での戦績:01年(初出場)・03年予選敗退、04年11位、05年5位、06年3位、08年7位、09年10位、13年3位

進化した身体で復活!

――復活してくれて嬉しいです。大澤直子というボディビルダーが〝過去の名選手〟として埋もれてしまうのは、日本ボディビル界にとって大きな損失だと思っていました。
大澤 大恥だけはかきたくなかったので良かったです(笑)。

――コンテストに復帰したのは、吉田真人さんの誘いがきっかけだとか。
大澤 2012年のグアム親善大会に出た相川浩一さんの写真を見ていたら楽しそうで。そのころ身体の調子も良くなってきていたのですが、いきなり日本選手権に出るよりはグアム大会の方が出やすいかなと思っていたところ「2013年は女子の部も作るから出ない?」と誘われて。

――大会に出よう、という気持ちになれたのは、椎間板ヘルニアで苦しんだ腰の調子が良くなったからですか?
大澤 そうです。2009年に悪化していましたが、2011年の終わりごろからトレーニングがコンスタントにできるようになり、2012年の終わりごろには内容的にもほぼ万全に近い状態になっていました。腰に近い箇所にも厚みが出てきたのは嬉しかったです。
 当初、2013年のグアム大会は11月に開催されるとのことだったので、そこに向けてトレーニングメニューと食事をボディビル的なものに組み変えましたが、そのころは日本クラス別に出ようかなと考えていたんです。グアム大会の前に何らかのコンテストに出るとしても、日本選手権はまだダメだろう、と思って。出ていない間も日本選手権は毎年見に行っていたのですが、みなさんを見ていたらかなりレベルの差がついているから「気楽に出たらただ恥をかくだけになっちゃう、それはいけない!」と。とはいえグアム大会の2週間前に日本選手権があるというのはずっと頭にありました。目標があれば、それに向けてやっていけますから、日本選手権への出場を決めたんです。

――その日本選手権のあとに書かれたブログについてお伺いしたいのですが…。

 2013年10月20日
 大きな声で胸を張って「復帰します」とは言えず静かに出場しようとしてました 今回の復帰は簡単に頑張るとか試合を楽しむとか悔いのないようにとか全く思わず 自分と向き合い自分との戦いでした 逃げ道は作らず進化した大澤直子を披露するのみ (原文ママ)

 〝逃げ道は作らず〟って、どういうことですか?
大澤 もう「調子が悪かった」という言い訳をしたくなかったんです。あとには退けない、自分で決めたことだから責任を持っていこうと。

――〝大きな声で胸を張って「復帰します」とは言えず〟ということですが、グアム大会に出ると発表された時点で日本選手権にも出るのでは、と考えた人も少なからずいたはずです。
大澤 それは知りませんでした。以前のようにガンガンとトレーニングするようになった様子を見た方々から「復帰するの?」としょっちゅう言われていたんですけど、グアム大会に出ることが公になったあとも「日本選手権にも出れば?」とはいっさい言われませんでした。

――4年ぶりに出場した日本選手権。順位は過去最高タイでしたが、身体的にはどうだったのでしょうか。
大澤 過去最高とか言っちゃうとアレなんですけど、以前に成績が伸びていた時と比べても調子は良い方でした。昔の写真を見て「ここまでには持っていこう。でも本当はそれ以上にしないとダメだ」と思ってやってきました。だから2006年より少しは進化しているかな、って。

――以前よりバルキーになった印象があります。
大澤 たぶん最後の2008、9年の印象ですよね。あのころはトレーニングがほとんどできなくて、仕上がり体重が2㎏ほど落ちていたんです。女子選手で仕上がり体重が2㎏も落ちるって相当ですよね。今回は2006年から比べると、バルク的なものはそんなに変わっていないはずです。

――体重的には?
大澤 2006年と同じですね。当時クラス別では46㎏級に出ていましたが、オーバーオールではもうちょっと大きくしていました。それに比べると2008、9年の身体はガリガリで…。封印したいくらいです。
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日本選手権ではベストアーティスティック賞を受賞した。以前は好きなフリーポーズの練習はたくさんしていた一方、規定ポーズの練習はあまりしていなかったのだが、久々にポーズをとってみたら「あれっ、と驚くぐらいできなくなっていた」という。そこで復帰に際しては規定ポーズから徹底的に練習した。左右対称の王道ポージングを身体に叩き込んだことは、結果的にはフリーポーズでも活かされたという
写真提供:Beltz

写真提供:Beltz

バッタの脚のようなハムストリングスの厚みも復活した。腰の痛みが消え、スクワットができるようになったことが奏功したそうだ

バッタの脚のようなハムストリングスの厚みも復活した。腰の痛みが消え、スクワットができるようになったことが奏功したそうだ

「2009年は背中が全然ダメだった」ぶん、今回は背中がアピールできるようなポーズにこだわったという

「2009年は背中が全然ダメだった」ぶん、今回は背中がアピールできるようなポーズにこだわったという

悪夢を乗り越えて

――椎間板ヘルニアはいつごろ発症したのですか?
大澤 兆候があったのは2008年になったぐらい。何となく「腰が痛いな」と思い始めて。その後しばらくは一進一退の状態が続きました。この年、世界選手権出場を推薦していただいた時にはまだ調子が良かったんです。結局は日程が重なった日本選手権に出たかったので辞退しましたが、そのころから悪化して。減量中だったのも関係したと思います。

――手術したのですか?
大澤 していないです。それも考えたのですが、いろいろな人に相談したところ「メスを入れれば治る場合もあるけど、治らない場合もある。それにメスを入れることで他の部分が弱くなる可能性もある」と言われて。いちばん症状が深刻だった時には「ボディビルはもう引退」と決めていたから、だったらわざわざ手術せずにゆっくり治していけばいい、トレーニングは支障のない程度にできれば、と。

――ヘルニアの原因は強度の高いトレーニングをしていたからでしょうか。05年の東京選手権優勝直後、日本選手権を控えている時期にトレーニング風景を見せていただいたら、ジャンピングヒンズースクワットをされていました。細いウエストなのに…と心配になった記憶があります。
大澤 やっていましたね! トレーニングの内容はあのころとは強度も含めてずいぶん変えました。それから、姿勢が悪かったのも原因だと思うので、そこも改善しました。

――今回は痛みは出ませんでしたか?
大澤 コンテストに出ていない間にもフィットネス関連誌の写真撮影などがあったのであまり体重は増やしていませんでした。だから50~51㎏から減量を始めたので、減量は3、4㎏で済みました。以前は10㎏ぐらい減量していましたから、それも腰を痛める原因になっていたんでしょうね。今回の減量期間はヘルニア的な痛みは感じませんでした。
 学生時代に打ち込んでいたフェンシングの時も含めて、今までケガ知らずだったんです。どんな競技でも、最終的には身体の強い人が残りますよね。たとえケガをしても、それを克服して戻ってくる人も強い。だから今後も痛いところは出てくるかもしれないけど、気をつけていかないと。

――今後も減量幅を大きくしないように、オフの間もあまり増量しないようにするのでしょうか。
大澤 以前ほど食欲がなくなったので増えないと思いますが、ヘルニアで悪夢を見たので、もうあの状態にはなりたくないです。
 寝られなかったんですよ。仰向けでも横向きでも辛くて。何とか寝られても、目が覚めてから起き上がるまで、身体が温まってからでないと1時間ぐらいかかる。いちばん楽なのは立っている時でした。自宅では立ってごはんを食べていたくらいです。タクシーの乗り降りやバスのドアステップの段差で片足に体重をかけるのも辛かった。常に手すりに掴まっていないといけない状態だったので、自重を支え続けた腕だけは太くなりました(笑)。このように日常生活すらままならない状況が2カ月ほど続き、ボディビルどころじゃなくなったので「引退します」ということになったのです。

――本誌2010年11月号で引退特集記事を掲載したあと、何か反響はありましたか?
大澤 ヘルニアなら仕方ないよね、って。「無理してでも続けろ」と言われることはありませんでした。でも最近「今だから言えるけど『出てほしい!』と思っていたけど、そうは言えない。でも治ったら必ずまた舞台に、と思っていたんだよ」と言われることが多いです。ありがたいです。ブログに〝胸を張って「復帰します」とは言えず〟と書いたのは、「『引退します』って言っちゃったしな…」という意味もありました。最近、周りからは冗談で「引退したんじゃなかったの?」と茶化されることはありますけどね(笑)。

――引退の理由は燃え尽きたからではありませんでした。不本意ながら…でしたよね。
大澤 健康であればそのまま続けたかった。でも痛みのある中で2年間コンテストに出て、2009年の日本選手権は「これが終わったらやめよう、それまではやれることはやろう」と。この年の会場は東京だったので、応援に来てくださる方も多かった。感謝の気持ちで出ました。

――そして今回、東京から復活しました。
大澤 できれば東京開催の年から復帰した方がみんなに来てもらえる、と思っていました。受け持っているスタジオレッスンの会員さんが20名くらい来てくれたんです。
昨年のグアム親善大会。女子ボディビルで優勝した

昨年のグアム親善大会。女子ボディビルで優勝した

ボディビルが好き!

――結果的にはコンテストに出ない期間があって良かったわけですね。
大澤 引退宣言なんてしないで、たんに〝休んでいる〟ということで良かったんじゃないの、って話ですよね(笑)。

――でも理由なしにステージからスッと消えられるよりはスッキリしていました。嫌いになってやめたわけではないんだ、と納得できたし。だからこそ、治ったから出たんだ、やっぱりボディビルが好きなんだな、と理解できます。
大澤 たしかに好きです!

――ボディビルの何が好きなのですか?
大澤 何ですかね…。見るのも好きなので、日本選手権だけでなく、ブロック大会や東京選手権も必ず見に行っていて。小さい大会も見に行きましたよ。知り合いが出ていたからでもあるけど「ボディビル、いいな」って。

――「みんなコンテストに出られていいな、私は腰が痛いのに」という気持ちではなく…?
大澤 純粋に見ていましたね。ひねくれたことは思わず、いち観客として見ていました。初めて日本選手権を客席から見たのは鈴木雅選手が初優勝した大阪での大会。すっごく面白かったんです、ワクワクドキドキして。「これか、お客さんがハマるのは! だからみんな楽しみに見てくれるんだ」と納得しました。

――本当にボディビルが好きなんですね。
大澤 好きですね。見ていると面白いし勉強になりました。

――今回の日本選手権ではその経験も活かされたのでしょうか?
大澤 客席から見た時にレベルの高さを感じていましたから、試合前は「トップ6に入れれば万々歳」と思っていました。久々だし、下手すればピックアップで呼ばれるかと覚悟していたんです。

――でも実際には決勝ファーストコールで呼ばれました。
大澤 「あれっ、呼ばれちゃった。ピックアップで呼び忘れたから、ここでお試しされるのか~」とちょっとだけ思いました(笑)。でも「これは勝負させてもらえるのかな」と思い直して。

――観客席は「やっぱり」という反応でした。
大澤 応援に来てくれた方々が客席にいっぱいいて、みなさん喜んでくれていたのは見えていました。

――ステージ上で泣いているように見えましたが…。
大澤 泣いていませんよ。つけまつ毛にキラキラしたものがついていたから、それが光って見えたのだと思います。

――赤いネイルも光っていました。2階席のいちばん後ろまで光線が飛んでいましたよ! 身体だけでなくウェアやメイクにまで深くこだわっている女子選手は、大澤選手がいない間はあまりいなかったので、他の女子選手は大変な刺激を受けたのではないでしょうか。
大澤 ははは(笑)。

――2014年からもコンテストに出ますよね?
大澤 そうですね。今回いろんな人から「おかえり!」と言われました。あと、「ここからが本当の勝負だよ」って。みんなに「戻ってきたな」と見られている今、みなさんにより意識してもらえていると思います。だけどそんな中で今回と一緒のままでいたらいけません。もちろん身体もですが、あらゆる面でグレードアップしていかないとね!


文/山谷茜
[ 月刊ボディビルディング 2014年4月号 ]

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