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伝説のボディビルダー
元ミスターユニバース
杉田茂 トレーニングセミナー
2014年5月11日(日)/ミッドブレス初台店

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[ 月刊ボディビルディング 2014年8月号 ]
掲載日:2017.09.15
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セミナーの冒頭、ナビゲーターの桑原弘樹氏による「日本プロ野球界の伝説、王貞治、長嶋茂雄を知らない野球少年が増えてきているように、ボディビル界の伝説、杉田茂を知らない若いボディビルダーが出始めるのではないか。何とかしなければ!!」という言葉に表われているような氏の熱い思いを受けて、今まで大阪を出てメディアの前にその姿を現すことがほとんどなかった1976年NABBAミスター・ユニバース杉田茂氏。東京ミッドブレスにおいてスペシャルセミナーとしてベールを脱ぐ日が遂にやってきた。

 半世紀以上に及ぶ日本のボディビル界の歴史の中で、ミスター・ユニバースという世界一の称号を持つのは、NABBAミスター・ユニバースミディアムクラス2連覇の須藤孝三氏、IFBBミスター・ユニバース末光健一氏、そして、この日のゲストNABBAミスター・ユニバース総合優勝・ショートマンクラス優勝の杉田氏の3氏だけであり(マスターズでは、現役の小沼敏雄選手がおられる)、それぞれに見事な筋肉の発達だけでなく人間的にも魅力に溢れ、まさにレジェンドと呼ぶにふさわしい。杉田氏について言えば、単なる筋肉マンではなく、絵を描く、小説を書く、作曲もやる、歌も歌うと多芸多才なのだ。今のように優れたトレーニングマシン、サプリメント、確立されたトレーニング理論すらなかった時代に、現在のコンテストに出てきても通用するような完成された肉体をいかにして作り上げることができたのか。3人のミスター・ユニバースのひとりである杉田氏のセミナーからその秘密を見つけるべく、大勢のトレイニーがミッドブレスに集結した。

 以下はその時の模様である。この中にトレーニングの真実を見つけていただければ幸いである。

杉田茂の軌跡
多芸多才、負けん気の少年時代

杉田:桑原君にこれだけ持ち上げられたら天にも昇る気分ですが、そんな大した人間やないんで。大阪から出ないのも単に面倒くさいだけなんですわ。マスコミに持ち上げられるのも好きやないんでテレビ出演もほとんど断ってたんですが、良くも悪くも固まった僕のイメージを覆す行動をしたいというか、意外性を発揮したいという方に興味があるんですわ。

桑原:どんな子供だったんですか?
杉田:母親に影響を受けてますよ。「負けん気」が強いというか、褒められて、おだてられて、それに乗るタイプではなく、軽く扱われて「何くそ!」と思うほうでした。

桑原:絵を描くのが上手ですよね。
杉田:絵は好きですけど、算数、国語、社会は嫌いで、そのノートや教科書は絵を描くためのもんでした。

桑原:身体能力は相当高いと思いますが。
杉田:小3の時に腎臓を悪くして、運動は止められてたんですが、「負けん気」は強かったんで、陸上をやってた兄貴、運動が得意な妹には負けへんという思いはありました。でも水泳だけは子供のころのトラウマで苦手。幼稚園の時に近所の兄ちゃんが川に飛び込むのを見て、「自分も出来るやろ」思て飛び込んだら意識失うて。

桑原:運動が解禁になったのは?
杉田:高校生でした。中学の時はコーラス部やった。歌には自信あんねん。

桑原:何で発散してたんですか。
杉田:子供の頃から喧嘩は強かった。ドンゴロスの袋に砂入れて、それを叩いて。

桑原:ボクシングも強かったんですよね。
杉田:大阪市大の市川先生がボクシングの相手を探しててスパーリングしたんです。何も教えられず、ひたすら殴られてました。「目をつぶらず、デコでパンチを受けえ」言われて。徹底してやってると段々パンチを避けられるようになったんですわ。

桑原:相撲は?
杉田:子供の頃、近所の神社の相撲大会で小4、小5、小6と優勝して、兄貴は小6で中学生の部で優勝したんで家系的に下半身は強かったんです。

ウエイトトレーニングへの目覚め

桑原:中学のコーラス部から高校で運動を解禁されウエイトトレーニングですか?
杉田:いや、小5の時に近所の自転車屋の兄ちゃんが砂場の鉄棒で懸垂をやってたんですよ。ワイドグリップ、ビハインドネック、片手首を掴んで片手懸垂をやっているのを見て、その兄ちゃんの腕が凄かったんで、「こんな腕になりたい」と思って、5年、6年の2年間ずっとやって、中学になっても2年、3年とやってたら、高校の身体測定の時「杉田、お前凄い背中しとるな!」と言われて、「俺の背中凄いんや」と思たんです(笑)。(筆者のつぶやき)運動を止められていた間も「負けん気」と「ごつい腕への憧れ」で懸垂はやってたんですね。こんなところに杉田氏の肉体の秘密があるのかもしれません。

現代のミロ?
杉田流漸進性向上

杉田:僕が始めた頃は、ベースボールマガジン社の雑誌がありました。それと柔道部にあった60㎏のバーベルと木の長椅子を改造したベンチを使って「ボディビルやるもん集まれ!」と声掛けしたら20人集まったけど、1週間でほとんど辞め、半年で3人に、あとは自分ひとりでやってました。ベンチはないんで、ベリートスですわ。段々と重いのが出来るようになって、135㎏までベリートス。スクワットも135㎏をクリーンしてスクワット。俺って凄いと思た(笑)。重量は、アルバイト代1日500円でプレートを買って1日3㎏増やしていきました。

桑原:座右の銘として「漸進的向上」を上げられていますが、古代ギリシャのミロの行と似てますね。トレーニングの情報はどうしたんですか。
杉田: 外国の雑誌『Strength & Health』を買ってきて、英語の授業でも開いたことのない辞書を開いてやな(笑)。それで柔道をやったことないのに友達に昇段試験申し込ませて、そこで皆が60㎏のバーベルを挙げてる時に105㎏でやってたら「あいつ何者や!」言われて、試合では相撲の技で5人抜きしたんやが、型を知らんかったから免状はもらえんかった(笑)。

桑原:ジムに通うようになったのは?
杉田:19歳。

コンテストデビュー
杉田茂のユニバースへの軌跡

桑原:最初のコンテストは?
杉田:服部緑地でのミスター全日本に出て予選落ち。僕はベンチは強かったけど、胸がぼやけとったからな。

桑原:どうやって改善したんですか?
杉田:ディップスや。僕の場合、ベンチで三角筋と三頭筋はよう発達したんやけど、大胸筋はあまり発達せんかった。それでたまたま見た体操選手の平行棒をやってみたら大胸筋によう効くわと。それからやな。

桑原:胸のトレーニングのベースは、ベンチプレスですか、ディップスですか?
杉田:ディップス。強い負荷をかけてやる。

桑原:次のコンテストは?
杉田:20歳の時、ミスター大阪やけど10位に残れず。翌年、アベノプールでのトニー谷司会の「アベック歌合戦」といっしょにやったミスターアベノプールで4位。選手は近畿一円から来て、1位重村尚さん、2位吉村太一さん、3位京都の中尾尚志さん、4位が僕、5位が宮畑豊さんやったな。その後、プールオータニでの大会で初めての優勝。
(筆者のつぶやき)ミスターアベノプールって超ローカルな名前だけれど、選手はその後の日本のボディビル界を背負った錚々たる顔ぶれではないですか!

桑原:ミスター大阪はそのあとですか?
杉田:なんでか6位やった。それで「何くそ!」と思って出たミスター日本で7位。ミスター日本はそのあと5位、3位、2位、1位やった。その後ユニバースになるまで順位が下がったことがないから、挫折を知らんのよ。順位がガタッと落ちてたら折れてたかもなあ(笑)。

桑原:ミスター日本を獲ったのは何歳ですか?
杉田:25歳。当時、スポーツは若い者がやるんやという感じやったんで、金沢さんが38歳やったんで「えらい歳まで頑張ってはるなあ」と思てました。50代も珍しくない今から思えば、38歳は青二才やけどな(笑)。

桑原:ミスター日本を獲ったら次は世界ですね。
杉田:次の年から、ミスター・ユニバース選抜大会に出て、三重の長島温泉であった大会で優勝して、晴れて日本代表になったんやな。

桑原:ミスター日本からミスター・ユニバースまでは何年ですか。
杉田:4年。29歳の時やった。初めてのミスター・ユニバースはショートマン2位、オーバーオール5位で初めてにしては満足やったけど上があるからな。それでモチベーションを高めるためには、ライバルの存在が重要なんやけど、周りにはそんな人間がおらんかったんでアメリカへ行ったんや。
1971年に来日したクリス・ディカーソン、 末光健一氏と

1971年に来日したクリス・ディカーソン、 末光健一氏と

1972年ミスター日本優勝。左隣が金澤利翼選手、右が石神日出喜選手

1972年ミスター日本優勝。左隣が金澤利翼選手、右が石神日出喜選手

トレーニングの基本は
フリーウエイト・自重にあり!

桑原:ユニバースの写真を見ると今でも凄いと思うんですが、いったいどんなトレーニングをやったんですか?当時はスミスマシンなど設備もなかったわけでしょ。
杉田:スミスマシンは、ビル・パールのジムにはあったな。

桑原:日本ではどんなトレーニングをやってたんですか?
杉田:フリーウエイトばっかりやな。

桑原:例えば脚は?
杉田: ジムではスクワット。スクワット以外にはレッグエクステンションはあったけど、芯が変なところにあったんで、膝を痛めるからやらんかった。大腿四頭筋と内転筋はスクワットでだいたい15セットはやっとった。スティッフレッグドデッドリフトで後ろ。時々、天気の良い日曜日には淀川の河川敷で50mダッシュを50本。ワールドジムでは、スクワットを200㎏で10回、180㎏で20回やってたな。

桑原:そうそう、スクワットやってる時に会長の視野に入ると「浅い!」って言われましたよね。
杉田:僕はよくウエイトリフターとトレーニングしてたんやけど、彼らのスクワットは、スナッチ、クリーンから立ち上がるためのものやから一番深いやつで立つから、僕もいつも「浅い! 浅い!」言われとったからな(笑)。あと、フロントスクワットもようやったな。

桑原:背中はどんなトレーニングですか?
杉田:南海トレーニングセンターでラットマシンはあったんやけど、プレートを乗せていくやつで物凄い面倒くさいし、人と一緒に出来んから、それで懸垂で錘をつけて。

桑原:ジムでも基本背中はチンニングですか?
杉田:チンニングやディップスは自重とさらに負荷を下げてやれるからごっつうええ種目やな。

NABBAミスター・ユニバース

桑原:ところで当時の世界大会はどんなものだったんですか?
杉田:アメリカには当時IFBBとAUUがあった。IFBBのウイダーはプロモーションがうまいからIFBBのミスター・アメリカは物凄いレベルの高い大会に見えるんやが、AUUのミスター・アメリカはプロモーションはやらんけど組織がしっかりしてて各州の選手層も厚く、はるかにレベルが高かったんや。そのAUU のミスター・アメリカがNABBAミスター・ユニバースに行っとった。

桑原:杉田会長は、ポージングが上手いのですが、どうやってポージングテクニックを磨いたのですか。
杉田:子供の頃、横綱千代の山が筋肉質やったんやけど、千代の山だけが、立っているときに広背筋が出てるのが不思議やったんや。とにかく真似しようと思ってやってたら、広背筋が意識出来るようになったんやな。真似をすることや。ポーズをとるときには、二等辺三角形の組み合わせで考える。フリーポーズでは、フロント、サイド、バックをうまく組み合わせる。蜘蛛の糸ポーズは、ポーズにもストーリー性があったほうがええやろということで考えたんや。
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1976年NABBAミスターユニバース優勝時の杉田氏。頭のてっぺんからつま先まで研ぎすまされた、非常に隙のないポージングを見せる。現在のボディビルダーの中でここまでムーブマンを表現できる者はいないだろう

サプリメントと食事

桑原:サプリメントは飲んでましたか?
杉田:僕が始めた頃にはそんなもんなかったから、栄養のことを知らなあかんと言うことで栄養の本を買うたんやが、タンパク質を摂らなあかんと知って、タンパク質を簡単に摂れるものを探してたどり着いたんが金魚のエサやったんや。食べてみたら結構香ばしかったんで、学生服のポケットに入れて持ち歩いてたんや。

桑原:知らず知らずのうちにカタボリックを防いでいたんでしょうね。食事は、どんな感じでしたか?
杉田:あの時代に食事に注文つけたらえらい怒られたから母親の作ったもんを食べてたな。ダイエットをやったのは、25歳のミスター日本の時。それまでは脂肪がつきにくい筋肉質やったんやけど、親父の病気なんかも重なって練習不足で24歳の時のミスター日本は2位やったけど「甘い!」とか言われて。減量法は炭水化物を抜く方法やったんやけど、ボクシングの市川先生から「ちょっとは炭水化物を摂らんと脳の栄養が不足するぞ」と言われて、2口くらい食べるようにしたな。それまでは、食事は変えずにトレーニングの量を増やしてただけや。ミスター・ユニバースの時は、3か月前から牛肉を1日に2㎏食べとった。炭水化物はほとんど摂らなかったな。

杉田流マックスロード

桑原:杉田会長のトレーニングの基本はフリーウエイトと負けん気というのがエッセンスと思いますが、実はほかにも筋力トレーニング器具だけでなく、リハビリトレーニング器具の考案・製作、京橋プレス、マックスロードなどトレーニングメソッドの引き出しを多く持っておられます。その中で代表的なマックスロードについて伺います。
杉田:ヘビーデューティーが原則的に補助者は必要なんやけど、人とトレーニングするのが好きでないんで、一人でヘビーデューティーと同じように出来たらなと考え、ポジティブ3秒、スティッキングポイント2秒、ネガティブ4秒でやったらかなり強烈に筋肉を刺激できることが分かったんや。これはフリーウエイトでもマシントレーニングでも使えるし、一般の人からボディビルダーまで幅広く使えると思うな。

桑原:レッグプレスとレッグエクステンションが最強ですね。レッグエクステンションで言うと、3秒で上げる、2秒止める、4秒で下す。10レップス終わったら、さらにパートナーが負荷をかけて15秒で下すが加わるのをマックスドライブというのですが、トレーニングのマンネリ打破に取り入れると最強です。
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ボディビル界の伝説となっている二大世界チャンピオンの競演。1989年に鳥取で開催されたミスターアジアでのデュアルゲストポージング

参加者からの質問に答えて

【オーバーワークは嘘や】
Q:トレーニングの頻度、サイクルについて教えてください。
A:「トレーニングは毎日やってもいいのでしょうか?」という質問がよくあるんやけど、トレーニングの超回復理論があって、部位によって48時間とか72時間とかあけな筋肉は発達せんとか言うんやけど、僕なんか16歳の時からボディビル始めて日曜日以外は毎日やって休憩をはさんでないんで、理屈では僕の体は発達してないはずなんやけど、そんなことあらへん。昔はみんな毎日やってそれでも大きくなっとった。ありもせんことをそうなるかのように言葉が独り歩きしてトレーニング量をセーブしすぎている。僕がミスター日本を獲ったときは1日100セットをノルマでやってたし、末光さんも、須藤君も100セットやった。今の考えで言うと、完全なオーバーワークになってるはずやし、ほとんどの人たちは、僕らよりトレーニング量は少なかったはずやから、僕らより大きくなってミスター日本になってなあかんはずやろ。
 そやけど現実はそうやない。須藤君も言うとるが、いきなり100セットやるわけやなく、徐々に増えて100セットになったんや。オーバートレーニングになると翌日トレーニングをする気にならないそうだが、長距離走とかならあるかもしれんが、ウエイトトレーニングではないんちゃうかな。僕自身はなかったよ。オーバワークは嘘やな。

【常に筋肉を大きくするトレーニングを!】
Q:調整時のトレーニング法を教えてください。
A:コンテストに向けてインターバルは変えたけど、使用重量は変えなかった。1gでも筋肉を落としたらあかん。皆、使用重量を落としてやるのは、減量で筋肉は落ちるもんやという前提でやっているからやな。使用重量は軽くせんほうがいい。ビルダーは常に筋肉を大きくしようというトレーニングをせなあかん。
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セミナー参加者の皆さんと杉田茂氏(前列中央)。見慣れた顔が結構いる。杉田氏の左隣が、セミナーのナビゲーターを務めた桑原氏、2列目左端がミッドブレス代表の水戸川氏
セミナーのすべてを読者の皆さんに紹介したいところであるが、誌面の関係上、掲載しきれないことが多々あることをお許しいただきたい。伝説のミスター・ユニバース杉田茂氏のセミナーは今後も開催される予定だという。『温故知新』という言葉があるが、故き事の中にウエイトトレーニングの真実はあるのではないだろうか。杉田氏の経験と実績を踏まえたボディビル発展、メジャー化への益々の活躍を期待したい。


レポート/ BIG TOE
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〜杉田 茂( すぎた しげる) 〜
1947年大阪生まれ
1972年JBBF 日本ボディビル選手権優勝(第18 代ミスター日本)
1976年NABBA ミスター・ユニバース優勝
1981年IFBB ミスター・インターナショナル(ミドル級)優勝
現在はKING GYM 顧問及び特別パーソナルトレーナー、桑原塾名誉塾頭
[ 月刊ボディビルディング 2014年8月号 ]

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