フィジーク・オンライン

BIG ★ヒデの新ビジネス“Bodi Cafe” プロティンスムージーはいかが!! Bodi Cafè smoothies & supplements

この記事をシェアする

0
[ 月刊ボディビルディング 2014年8月号 ]
掲載日:2017.09.15
山岸選手と共同経営者のアイリス・カイル

山岸選手と共同経営者のアイリス・カイル

 日本人として唯一のプロボディビルダー山岸秀匡選手。昨年はアーノルド・クラシック直前に手首を骨折したにもかかわらず強行出場し、過去最高の5位に入った。そしてその後アーノルド・ブラジルにも出場したことで、骨折していてもコンテストに出場し続ける日本人としての侍魂を示した。骨折してから3カ月後に手術すると、9月に行なわれたミスター・オリンピア一週間前に全米で封切りされたボディビル映画『ジェネレーション・アイアン』に出演。そして11月にはラスベガスに、ミズ・オリンピアで9度優勝しているアイリス・カイルとともに『ボディ・カフェ』をオープンさせた。

 山岸選手はこれまでミスター・オリンピアでは09年9位、10年10位、11年10位と3年連続でトップ10入りを果たすなど、プロボディビルダーとして輝かしい実績を残しているため、今年早々に212ポンドクラスへの転向を表明したことは〝ヒデ、ついに212ポンドクラスへ転向〞と大きなニュースとなった。もっとも、ボディビル界では「なぜ今まで転向しなかったのか」といった疑問も持たれていたが、山岸選手は「今がちょうど良い時期のタイミングである」と話している。

 転向後はアーノルド・クラシック212ポンドクラスに出場し、サプリメント会社ギャスパリ・ニュートリションと2年間のスポンサー契約を更新。3月に発売されたボディビル誌『マッスルマグ』の表紙にもとり上げられている。

 このようにヒデタダ・ヤマギシは、ボディビル界で絶えず話題となっているトップボディビルダーである。そこで今回は映画出演や212ポンドクラスへの転向のいきさつ、新しいビジネスの話についてなどをラスベガスで伺った。
ボディ・カフェ。サプリメントやウェアも販売している

ボディ・カフェ。サプリメントやウェアも販売している

212ポンドクラスへの転向

 山岸選手はこれまでサイズが小さと言われながらもミスター・オリンピアで大きなサイズの選手たちと闘っていた。ところが212ポンドクラスに転向後はサイズが大きいと言われ、小さな選手たちと闘うことになった。

 今年のアーノルド・クラシックでは、初めて212ポンドクラスのコンテストが開催された。出場選手は昨年ミスター・オリンピア212ポンドクラスで2連勝したばかりのフレックス・ルイス、同2位のデイビッド・ヘンリー、そして山岸選手が出場宣言したことで、フレックスと山岸選手で優勝は争われるものと予想された第1回アーノルド212ポンドクラスは、出場者のレベルという面でも記念大会にふさわしく、大きな話題となった。

 結果は、フレックス・ルイスが初代アーノルド212ポンドクラスチャンピオンとなり、デイビッド・ヘンリーが2位、3位はまったくノーマークであったアーロン・クラーク、そして212ポンド初チャレンジの山岸選手は4位に終わった。

――212ポンドクラスへの転向を表明してから、初めての大会となったアーノルド・クラシック212ポンドクラスに出場して4位に入賞しました。この順位はどのように受け止めていますか?

山岸秀匡(以下HY)自分としては満足できる仕上がりで、今まででいちばん良かったです。順位に関しては優勝を狙っていましたから、4位という順位は納得するしかないのですが、自分の出来としては良かったと思っているのですが…。しかしフレックス・ルイスを倒すためには、もう少しサイズが必要なのではないかと思いました。

―――たしか体重はフレックスと同じ211ポンドでしたね。

HY そうです。検量は211ポンドでパスしましたが、そのあと食べる量が足りませんでした。自分では筋肉に張りがあると思っていましたが、フレックス・ルイスやデイビッド・ヘンリー、アーロン・クラークと比較すると、少し張りがなかったかなと思いました。まあ、212ポンドクラスは初めての経験ですので、良い勉強になりました。

―――オフィシャルのスコア表では単独4位になっていますが、ご自身でもそのくらいの順位だと思いましたか?

HY 自分ではもう少しいけるかと思いましたが、あとで写真を見るとしょうがないと思いました。

―――212ポンドクラスはオープン(通常のミスター・オリンピア)クラスとは調整は異なっていましたか?

HY コンテストまでの最後の調整では、過去最高のコンディションでした。今も言いましたように、最後の数パウンドの違いで身体の張りが落ちてしまうのだ、と思いました。しかし、それはあとで判ったことで、調整をしている最中は過去最高だと思っていましたし、自分としてもみなさんを驚かせるぞという気持ちでいたのですが…。

ターゲットは優勝のみ

3月に行われたアーノルド212に出場した山岸選手。順位は4位と振るわなかったが、狙うは優勝のみと宣言する

3月に行われたアーノルド212に出場した山岸選手。順位は4位と振るわなかったが、狙うは優勝のみと宣言する

―――アーノルドでは、212ポンドクラスに転向した山岸選手が出場するということが大きな話題となっていました。そのへんのプレッシャーはありましたか?

HY プレッシャーというか、モチベーションになっていました。今回はとにかく調整がものすごくうまくいっていました。ここ2、3年は怪我に悩まされていたので、まあなんとかオリンピアには出ていたけれども、脚の怪我だったり手首の骨折だったりで2010年からは満足のいく調整ができませんでした。それも今ではほぼ完全に回復して問題ないため、「これくらい良い調子でいくのは久しぶりだ」という感じだったのです。そのため、結果が4位だったことは少し残念なのですが、ジャッジから見たらそのようになるのかなあと…。しかしながら、自分としては気分良くできた調整でした。

―――ステージでフレックス・ルイスとデイビッド・ヘンリーの二人と戦ってみてどう感じましたか?

HY デイビッド・ヘンリーは過去にも何回か戦っているので、自分としては勝つ気満々でいたのですけれど…。彼の上半身はフレックスよりも強いですが、脚はそんなに強くないため、私がもっと身体の張りを出していけば問題なく勝てると思っています。しかしフレックス・ルイスを倒すには、もっとサイズが欲しいですね。

―――212ポンドクラスに転向する決断は、〝ミスター・オリンピア212ポンドクラス優勝〞というタイトルが欲しかったからですか?

 それとも、オープンクラスでは苦戦させられているので下のクラスに転向したのですか?

HY オリンピアのタイトルが欲しいためです。それを狙っての転向でしたので、アーノルドで4位になっているぐらいでは…。オリンピアではもっと凄い選手が出てきますから…。このままの状態でいっても絶対に勝てませんから、これからどれだけフィジークをインプルーブできるかですね。

―――オリンピア212ポンドクラスはフレックス・ルイスが優勝してから人気が上昇しています。それと同時に出場者のレベルも上がっています。

HY 212ポンドクラス・オリンピアの賞金額(13年は3000ドル)も上がっています。それも転向した理由のひとつです。

―――オリンピアに出場するためにはクオリファイを取らなければなりませんが、今後のコンテスト出場予定は?

HY 8月のタンパ・プロを予定しています。そして9月のオリンピアです。

〝ボディ・カフェ〞にチャレンジ

シティアスレティッククラブの看板内にもボディ・カフェのサインがある

シティアスレティッククラブの看板内にもボディ・カフェのサインがある

 ラスベガスのストリップ大通りから西に車で20分ほど離れたサハラ・アベニューに面したシティ・アスレチック・クラブは2年前にオープンした高級スポーツクラブであるが、ボディビルダーやフィギュア、そしてビキニやフィジークの選手が多くトレーニングしているジムとしても知られ、ラスベガスでは新たなボディビルのメッカといわれている。

 クラブの玄関を入るとすぐ左にボディ・カフェがあり、山岸選手のスポンサー会社のギャスパリ・ニュートリション社のサプリメントが陳列され、スムージーバーのカウンター前には多くの種類のプロテインバーなどがある。壁にはこれまで訪れた多くのトップボディビルダーたちのサイン入りの写真が飾られている。

――オープンは昨年の11月13日でしたね?

HY それはオープニングパーティの日で、実際にはその2、3週間前からオープンしていました。おかげさまで人気を得て、どんどん良くなっています。

――ボディ・カフェを始めるきっかけはどのようなことでしたか?

HY プロ生活10年目になり、そろそろ選手寿命も見えてきました。さすがにあと20年やれるわけはないでしょう。ただ、せっかくこのボディビルの世界で名前を売ってきて、いろんなコネクションもできてきましたので、コンテストボディビルダーだけではなく他の収入を得るためには他のビジネスをやっていかなければならないと思っていました。そんな2012年にミズ・オリンピアのアイリス・カイルからトレーニングとニュートリションの指導を受けたのですが、自分では初めて「仕上がった!」という感じがありました。それ以来、アイリスとトレーニングするようになってよくラスベガスに来るようになり、アイリスと一緒にこのシティ・アスレチック・クラブでトレーニングしていていました。そんなとき、クラブのフロントの横に空きスペースがあったので、クラブのオーナーに聞いたところ、誰かがスムージーバーを経営することになっていたけれど、その人が諦めたという話でした。「それじゃあサプリメントストアをやりたい」とアイリスに話をしたら、「せっかくジムの中にあるのだから、サプリメントショップと一緒にスムージーバーもやろう」ということになり、「それはいいアイデアだ」と決めました。本来ならば昨年の夏ぐらいにオープンできるようになっていたのですが工事が遅れて、そのためオープンが11月なってしまいました。でも、ビジネスは今のところすべて順調にいっています。

―――ボディ・カフェは山岸選手とアイリス・カイル、そしてもうひとりの3人で経営しているということですね。

HY そうです。クリスという人で、彼は昔サプリメントストアを自分で経営していた経験があります。私とアイリスはビジネスは初めてですが、クリスがビジネスのノウハウや書類関係などを担当してくれ、またカフェの方は3人でシフトを回しています。私は月の半分ぐらいはロサンゼルスにいるので、2週間ぐらいラスベガスに滞在して、その間は毎日朝から夕方までカフェにいます。

―――ロスとラスベガスは東京〜大阪間くらいの距離がありますので、通うのは大変ではないですか?

HY いつも飛行機を使っていますが、往復で80ドルぐらいですので、ガソリン代よりも安いんです。

―――山岸選手とアイリスは初めてのビジネスということで、スムージーを作ったりしたことはなかったですよね?

HY はい。でもスムージーは普段から作っていますから、やっているうちにすぐに慣れましたけれど…。最初はサプリメントなどの品揃えも全然なかったのですが、だいぶそろってきました。

―――サプリメントの販売は、やはり山岸選手のスポンサー会社のギャスパリ・ニュートリション社のものですか?

HY ギャスパリがメインで、他にも各ブランドのサプリメントを揃えていますが、基本的には我々が試して良いと思ったものしか置いていません。その他にトレーニングのアクセサリーとしてストラップやTシャツなども販売しています。ジムに来たのに何かを忘れた、という場合でも全部ここで揃うという感じです(ショップでは山岸選手とアイリス・カイルのオリジナルTシャツも販売されている)。
記事画像5
ボディ・カフェのメニュー。トレーニング前に〝ヒデズ・ドラゴン〞トレーニング後にプロティンが40g入った〝ミスオリンピアエナジーボム〞なんていかがかな?

〝ミズ・オリンピアエネジー・ボム〞

―――スムージー以外にフードも販売しているのですか?

HY ここで調理はできないですけれども、真空パックになったサーモンやチキンなど、電子レンジでチンすれば食べられる形になっています。あとは、ヘルシーデザートなんかもあります(フードはほとんどがオーガニックで、山岸選手やアイリスが実際に食べているフードと同じものを提供している)。

―――現在の売れ筋商品はどのようなものですか?

HY ほとんどの売り上げはスムージーになっています。その中でも特に〝ミズ・オリンピア・エナジー・ボム〞というアイリス・カイルのオリジナルシェイクで、これが7割ぐらいを占めています。アイリスはいつも午前中から夕方までここにいるため、彼女を目当てのお客さんが来てくれます。ミズ・オリンピア・エネジー・ボムはタンパク質40gのほか、炭水化物、食物繊維、ビタミンやアミノ酸などが含まれたアイリスのスペシャルシェイク。値段はSサイズ6ドル25セント、Lサイズ8ドル49セント。山岸選手のスペシャルシェイクは、トレーニング前に飲む〝ヒデズ・ドラゴン〞。その他、子ども用にはオーガニックの豆乳を使った〝キッズシェイク〞などもあります。

―――まだオープンしたばかりですが、今後このカフェビジネスの展開は考えていますか?

HY ええ、考えています。もうだいぶこのカフェのオペレーションに慣れてきたので、他の店舗をオープンしたいのですけれども、やはりロケーションの善し悪しで決まると思います。このシティ・アスレチック・クラブは利用者がたくさんいますが、やはりこのように人の出入りが多い所でないとスムージー・バーやサプリメントショップは成功しないと思います。ですから、ここと似たようなロケーションがあれば、ラスベガスに限ることなくロスでもどこでもやりたいですね。また、レストラン経営にも興味があります。ジム内で経営するレストランです。ボディ・カフェのレストランバージョンというようなものを、良い場所があれば…。

―――従業員は何人いますか?

HY レギュラーで入っているのは二人。その他に、自分達に何かあったときにカバーしてくれる人があと二人います。基本的には3人のオーナーのうち一人は入るようにしています。自分とアイリスがコンテストの調整に入るとなかなか出てこられなくなりますが(ボディ・カフェの営業時間は月〜金は8〜20時、土は9〜13時、日は定休日)。
真空パックになったチキンやサーモンの他、デザート等もある。

真空パックになったチキンやサーモンの他、デザート等もある。

カフェを訪れたトップビルダーの写真。

カフェを訪れたトップビルダーの写真。

ギャスパリのサプリメントを始め、ヒデのTシャツもある

ギャスパリのサプリメントを始め、ヒデのTシャツもある

リタイア

 山岸選手は2005年にプロ転向後、多くのコンテスト活動を続けている。07年に日本人としては初めてミスター・オリンピアに出場すると、いきなり13位とトップ15入りを果たしている。そして2010年にはエウロパ・ショー・オブ・チャンピオンでプロ初優勝した。冒頭でも触れたように、その後もオリンピアでは09年から12年まで大活躍。13年アーノルド・クラシックでは5位に入賞、と、輝かしいプロキャリアを達成している。

―――先ほど「そろそろ先が見えてきた」とおっしゃっていましたが、今年41歳になります。コンテストからの引退を考えたことはありますか?

HY う~ん…、いつ引退ということはないですが、伸びている間は出たいですね。今のところ自分では伸びていると思っています。まあ、大きな怪我をしないかぎりですね。以前のように多くのコンテストには出られないですね。2、3年前までは多くのコンテストに出ていましたが、あのようなことはもうできないですね、体力がもたないから。一つのコンテストごとに集中したいと思っています。

―――プロである以上、コンテストに出場することは、人気商売でもあり、ビジネスでもあるわけですが。

HY まあ、ちょっときついですね(笑)。よくやったなあと思いますよ、自分でも。もうプロ生活を10年やっていて、毎年平均で4、5つのコンテストに出ていますので、たぶんトータルでは50試合ぐらい出ているのではないですかね。一年で8つのコンテストに出たこともありましたし。前はちょっと甘い状態で出場しても良かったのですが、最近のジャッジの求める仕上がりは、だんだん厳しくなってきています。そのため、みんな厳しい仕上がりで出るようになってきていますので、このごろは仕上がりのレベルが上がっています。私はアイリス・カイルからコーチを受けるようになって以来、仕上がりに関しては最後の詰めが格段に良くなりました。

―――オープンクラスでは仕上がりにプラス、サイズも要求されます。山岸選手はどうしてもサイズでハンデがありますね。

HY 212ポンドクラスができる前は、ジャッジは身長の低い選手も見ていたのですけれど、212クラスができてからは、ジャッジは身長の低い選手を見なくなりました。そういうことはあるのですが、これはジャッジの方針だから仕方がないことです。

ヒデ・クラシック?

―――仮にリタイアしても、アメリカで、あるいは日本で何かやりたいといった計画はありますか?

HY いまのところはどっちか判らないですけれども、私としてはこっち(米国)でいろいろやっていきたいです。ボディ・カフェとか…。あと、来年は自分のコンテスト(ヒデ・クラシック?)もやりたいですね。それもあって、もう少しビジネスを広げられれば。アメリカでも日本でも何かやれればいいなと考えています。

―――アメリカでも〝ヒデ〞の名前は定着しています。アメリカで知られるということは世界中で知られることですね。

HY せっかく知名度があるので、それを使ってできればと思っています。

―――話は変わりますが、山岸選手は以前より英語が上達していますね。

HY そうですか? もうずいぶんいますからね。別に英語の勉強はしていないんですけど、たぶん慣れですね。ボディビルについては別に難しいことを言わないので、ボディビルのインタビューに関してはぜんぜん問題ないですが、政治の話題は話せないですよ(実際、山岸選手は映画出演、ネットでのビデオインタビューやラジオ出演などすべて英語でこなしている)。

ジェネレーション・アイアン

 映画『パンピング・アイアン』から35年、待望のボディビル映画『ジェネレーション・アイアン』が昨年上映された。映画は7人のボディビルダーの2012年のミスター・オリンピアまでのトレーニングシーンなどを撮影したドキュメンタリーで、その7人のひとりに山岸選手が選ばれて出演している。映画に出演するまでのいきさつや撮影中の裏話などを語っていただいた。

―――『ジェネレーション・アイアン』に出演したいきさつはどのようなことでしたか?

HY 『ジェネレーション・アイアン』は凄く良い経験になりましたね。監督のブラッドは私に最初に電話してきました。彼は私やデニス・ウルフ(ドイツ)、ローリー・ウインクラー(オランダ)など、いろいろな国から来ている外国人選手を入れて撮影したかったみたいで、私はピックアップされた最初の候補でした。ただ、電話してきたときは、まだIFBBと何も話を通してなくて、私が彼に「IFBBに連絡電話しないと駄目だよ」と言って。最初はB級映画ではないかと思っていましたが、物凄く大規模で完成したので、ビックリしましたが、とても光栄なことですね。

―――映画は何回か見ましたか?

HY 2回見ました。映画はアカデミー賞(ドキュメンタリー部門)の候補ぐらいにもなっていましたので、凄く良い経験になりました(メディアによる『ジェネレーション・アイアン』の評論としては、カメラワークなどでドキュメンタリーフィルムとして良い評価を受け、今年は各国で開催される映画祭などにも参加が予定されている)。

――撮影は何日ぐらいかかったのですか?

HY 私の家に来たのは2日間ですが、コンテストシーンとかは、多くの時間をかけて撮っていました。ボディビルダーというのはコンテスト前には結構神経質になります。私もそうなのですが、そのため撮影クルーのみんなに悪いなあと思って撮影中に言いました。そうしたら「ヒデは良いほうだ、他の人はもっと大変だった」ということでした。私で良いほうだったら、他の人たちはヤバいなあと思って(笑)。

―――4月の上旬はに映画のDVDが販売になっていますが、DVDの販売はするのですか?

HY 販売したいですね。今、値段の交渉をしているところです(月ボのホームページ www.mbb-webmag.com で販売中)。

―――今年はヨーロッパでも上映されるようですが。

HY 世界中でやっているみたいですね、このあいだはオーストラリアでもやっていたし、ブラジルでも今回やるといっていました。日本でもやったらなあと思っています。
映画『ジェネレーション・アイアン』のDVDとBIG★ヒデ

映画『ジェネレーション・アイアン』のDVDとBIG★ヒデ

マッスルマグ誌の表紙

―――いずれにしても、今後は212ポンドクラスでのコンテスト活動とボディ・カフェのビジネスに力を入れるということで。まだ40歳ですからね。

HY そうです、デクスター・ジャクソン(44歳)やトニー・フリーマン(48歳)とかもやっていますからね。さっき言ったように、私も怪我さえなければ、まだ何年かはやっていけると思っています。

―――『マッスルマグ』誌で山岸選手の勇姿が表紙に採用されていますが、何回目ですか?

HY 4回目です。フレックス・マガジン誌やマスキュラー・ディベロップメント誌(以下MDの表紙にはまだなったことがないのですが、212ポンドクラスのオリンピアをとったらなれるかなあ(マッスルマグ誌では212ポンドクラスへの転向にフォーカスしたインタビュー記事が掲載されている)。

―――MD誌とは契約が切れましたが、最近ギャスパリ・ニュートリションと2年間の契約更新をしていますね。

HY ギャスパリは2009年から契約していて、今年また2年契約で更新しました。ギャスパリともずいぶん長く契約しているので、ありがたいですね。

―――ボディビルダーもスポンサー会社と契約しないと生活するのがきついと思いますが?

HY 数年前と比べると、ボディビルの業界自体は伸びているのですが、競争が激しくなってきているので、会社は厳しいですね。いろんな選手が契約をどんどん切られているのを見ているので、恐いといえば恐いですね。

――最後に日本のファンに何かメッセージをいただけますか?

HY 日本には年に1回とか2回帰っているのですが、こちらでいろいろなことをやっていますし、そしてトレーニングはこちらでやっていたほうが良いため、どうしても滞在期間は短くなっています。でも、もちろん、日本を代表している、アジアを代表している、というのは私の支えとなっています。MD誌との契約が切れたことから、これからはもっと月ボに登場します(笑)。応援してください(本誌4月号の、マイク宮本氏のアメリカ便りも参照してください)。

 山岸選手はMD誌の契約が切れたことから、今後は本誌でも彼の近況などをリポートできるようになり、その面では喜ばしいことである。しかしながら、山岸選手にとって契約はビジネスであることから喜ばしいことではない。プロの世界で生き残るためにはできるだけ多くの会社とのスポンサー契約が必要なのだ。

 それを実現させるためには、コンテストでの活躍や話題性のあるキャラクターを持ち合わていなければならないが、山岸選手にはその話題性がある。

 本文中でも質問をしたが、ほとんどのプロボディビルダーは40歳前後でリタイアしている。しかし山岸選手はオープンクラスのミスター・オリンピアからはリタイアしたが、212ポンドクラスでは新たなスタートを切ったばかり。新たなターゲットはもちろんミスター・オリンピア212ポンドクラスで優勝することである。

 日本の、世界のヒデタダ・ヤマギシの話題はこれからも尽きることはない。今後の212ポンドクラスで、そしてビジネスでの活躍を応援したい。

 山岸選手はフェイスブックがあります。
www.facebook.com(HidetadayamagishiIFBBPro)


Report= Sumio Yamaguchi
山岸選手が表紙となったマッスルマグ誌

山岸選手が表紙となったマッスルマグ誌

[ 月刊ボディビルディング 2014年8月号 ]

Recommend