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◎ ボディビルと私 ◎ ~ 筋肉礼賛 ~

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月刊ボディビルディング
掲載日:2017.12.06
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藤 原 勤 也
宮城県ボディビル協会理事長
 私は筋肉が大好きである。

 ボディビルと関係があるから好きなのだろうと思われがちだがそれだけではない。ボディビルのボの字も知らない小学3年の頃から大好きだった。近所の筋肉労働者の隆々と盛り上った上腕背筋は強烈な印象で幼な心の自分をすっかりとりこにしていた。彼は筋肉に比例した力を備えていたこともよく記憶に残っている。現代の若者はバーベル等によってボディビルを行なっているが、彼は大きなぶ厚い亜炭を背中と腰のあたりにのっけて背負って馬車から積みおろしする肉体労働がボディビルになっていたのだ。筋肉に関心をもつようになったのも彼の影響だ。

 それから10年余り過ぎた昭和31年1月14日早大バーベルクラブを発火点に全国にボディビル・ブームが巻き起った。が、仙台に於いては全国のボディビルに先きがけ、当時東北大学で教鞭をとっておられたバートン・E・マーチン氏が自宅の2室を開放しボディビルを教えている写真が新聞で紹介された。

 そのニュースを見た瞬間これだ!と手を叩いた。それ迄やってた書道を一時中止してマーチン邸を早速訪ねた初めて見るバーベル・ダンベル。この道具であの素晴らしい筋肉がつくられるかと思うと胸をはづませて一寸持ちあげてみた。だが危険だから触れないようにと注意された。先ず正しい基本を教わってからと山田さん(マーチン氏秘書)が出て来た。その第1歩が厳しかったが、毛筆を捨ててバーベルを握る決心をしたのもその時だ。
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ボディビルを始めて1カ月目(1955.11.30)。バートン先生といっしよに。
 その晩マーチン先生の日本間に通され畳の上に正座されてる先生へ挨拶した時は正座も出来なかった自分はどちらが日本人なのか一時とまどった。それ程先生は親日家であり礼儀の正しいエトランジェであった。初めて聞くボディビルの話、一言も聞きもらすまいと真剣に聞いたり質問したり外国雑誌で説明もして頂いた。そのカバー写真がクラーレンス・ロスやジャック・デリンジャーでありジョン・グレメックであった。もうその晩は逆三角型の夢を見ていた。今思うと20才の夢多き世代だったので当然かも知れぬ。

 禁酒を実行していた当時はスポーツと仕事をやる以外なんにも楽しみはなかった。そのスポーツは一応なんでもやったが、ボディビルを始めてからは今迄求めてたものは野球、体操…でもない、自分が今やってるボディビルだとつくづく思った。ヨシ、これこそ生涯続けるんだと心に誓った。そして将来いくら小さなジムでもよいからジムを設立しなければと決心していたのもボディビルを始めて間もない頃だった。

 あれから14年以上もたった今日なおトレーニングが続行出来るのは最初の決心だけでは永続きは出来なかったと思う。私の場合ボディビルを通じて得たであろう信念と希望を持つことだ。現在経営している藤原ジムを創設する迄は紅余曲折し初志貫徹するに10年はかかっている。

 私は高校、大学と夜間に通った。昼は仕事、夜は勉学、昼の学生と違って時間はいくらあっても足りず、1日が30時間位あればと何度思ったことか、こうして時間を大切にしボディビルをやってた頃は毎日が非常に充実していた。少々苦労話めいたが苦労を決して苦労と思わなくなったのもボディビルをやったお蔭と感謝している。

 ボディビルこれだけは他人の勧めでは水続出来ない。自分がよくこれを理解し、好きになることだ。だがそれだけでも駄目だ。それに伴って筋肉量が増さなければ、若い人の場合はなおさらそうだ。最初は健康になるだけでと云っておっても内面的な精神、健康が叶ってくると表面的な筋肉と力が欲しくなる。この両者が伴ったビルダーはもうやめることを知らなくなるだろう。私に自信と信念の契機を与えてくれた人はマーチン先生の一言だった。

「ボディビルダーは身長が高くなければ損ですね」と背の低い自分が質問した。

 先生は首を横に振りながら、「オー・ノー、キンヤさん。ボディビルディングはプロポーションが大切です。…つまり長身の人は各筋肉が大きくなければなりません。低い人はそれなりの筋肉の量があれば充分で各部のサイズが何センチなくてはならぬと云う基準はありません。だからあなたはシンパイない」

 その時迄に自分が抱いていた身長のコンプレックスは一瞬にして消え去った。さあ、一度男が納得して得た自信と勇気は相当なもので仕事の面、対人間関係に於いても対等に決してひけをとったり、尻込みしたりすることなく、人間全ての面で積極性が自然に身についていった。これも男、5尺のからだに筋肉がバランス良くギッシリつまるとこんなに精神面での成長が現われるものかと自画自賛を惜まなかったことだ。

 それ程、消極性から積極性へ転換した自分の性格を或る易者にズバリ当てられた時は人相、手相までもボディビルが変えてくれたなとジーッと我が手を見たら、バーベルで出来たマメがボツボツ潰れていた。今はそのマメがタコになってるので手ざわりの悪い握手だな、百姓の手よりも未だひどいと友人によく云われるが何んとも思わない。こんな手が好きなのだ、そういう手と手が堅く結ばれる時こそ日本の国が発展するのではなかろうか。

 金を借りるのに手を見せてきれいな手の人間には金を貸さず、マメの出てる様な手には働き者故、融資されたという昔話があるが、それ程、マメの価値が担保になった時代は去り、何んときれいな手の多いのは文明の発達の利と喜んでばかりおられない。頭に体が追いついていけない人間が実に多い。運動することによって頭と体が並行すると良いと思う。

 話は横にそれたが、ボディビルによって得た自信は独立して商売を始めるチャンスまでつくった。その仕事も8年たった今日一応軌道に乗りジム経営も併せて順調で、マーチン先生在仙時代の古いビルダーは協会理事として活躍頂いているが私の商売、ジム、のビジネスにも一役願ってるので一筆、紙面をお借りして感謝しておきます。
ボディビルを始めて4年8ヶ月目(1960.6.19)の私

ボディビルを始めて4年8ヶ月目(1960.6.19)の私

 前に毛筆を捨てて、バーベルに変換したとふれたが今の仕事は筆を持つ機会が毎日で、筆が乾くひまがない。よく「書は性格を表わす」とか云われるが、近頃自分の字を見て、ヤッと気付いたことは、積極さが文字に表われるスピードとなり、早いところは早く、力の入るところは、三角筋のように堅く肩でおさえ、力とスピードをリズムに乗せ、丁度コンテスト舞台上で演技するビルダーのポージングとそっくりで文字が構成されて書かれてゆくが、ボディビルで得た全てのものが一ツ一ツの書体に表われている様な気がしてならない。

 又、筆を持った時はよそことを考えながら書いては文字は死んでしまう。バーベルを持つ時も同じだ。最高度に筋肉をビルドアップさせるには。例えばカールの場合、二頭筋に神経をコンセントレーション(集中)してやらなければ発達に支障が出ることは当然である。だからどの部分を鍛えるにもこの「コンセントレーション」が如何に大切であるかは察知出来る。鼻うたまじりのトレーニングはどれ程マイナスか、無駄であるかわかることだ。

 だから神経を筋肉に集中させれば筋肉が熱く燃える。この燃し方が上手か下手かで大部差が出る。鉄と同じ熱いうちに叩かないと遅くなる。筋肉が冷えたころ又やっても、もう遅い。休憩時間を長くおかないとやれない人は栄養と休養も考えなければいけない。休養のとり方は比較的やさしいが、栄養は非常にむづかしい。金がかかるばかりではなく、タンパク質、ビタミン、ミネラル等の摂取の方法で人がそれで成功したからと、自分はそういかないからだ。肉だけ多く食べても良くない野菜をとらなければ。

 この野菜だがその中で一番好きなのは私はピーマンである。大好きなのだ。味と香りだけでなく、栄養でもない。あの青々しい「つや」と「形」だ。バルクとデフィニションの調和美がとても良いピーマンを見ているとリッキー・ウェーンの背筋、特に三角筋が実によく似ているのに驚く。この様に「筋肉」と「ピーマン」が似てる故に筋肉が大好きな私はピーマンも大好きなのだ。

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