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堺部元行のNPC挑戦記

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堺部 元行(さかべ もとゆき) 誕生日:1964年03月19日 フィットネスジムミッドブレス初台 ヘッドパーソナルトレーナー 一般社団法人NPCJ理事 ■資格 保健体育教諭免許(中学1種 高校1種) 日本水泳連盟2級水泳指導員 日本ボディビル連盟2級指導員 加圧トレーニング本部公認 加圧トレーニングインストラクター ■競技歴 小学生より水泳を始め、大学、社会人となるまで競技水泳を実践。全日本選手権、国体等で多数優勝経験あり。26歳よりボディビルを始め、1995年JBBF千葉県ボディビル選手権にて優勝。10年のブランク後、42歳で横田基地で開催された2007年日米フレンドシップボディビル選手権に出場しライトヘビー級で準優勝。2009年横須賀基地ボディビル選手権で優勝。 2009年 JPCジャパンナショナルズボディビル選手権にて優勝。 2012年 ミスターロサンゼルス ライトヘビー級優勝 2014年 ニューヨーク アトランティックステイツ マスターズ優勝 2015年 ニューヨーク アトランティックステイツ マスターズ優勝[ 月刊ボディビルディング 2015年10月号 ]
掲載日:2017.04.25
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2010年から継続して挑戦しているアメリカNPCコンテスト。これまでは渡米のし易さ、環境などを考えてロサンゼルス近郊の西海岸のコンテストに出場してきましたが、昨年、満を持して新しいボディビルのメッカとも言うべき東海岸、ニューヨークに舞台を移し活動を進めてきました。

ニューヨークに主戦場を移した事にはいくつか理由があるのですが、最たるものはコンテスト主催者、規模、レベルの高さにあります。アメリカのアマチュア、プロに限らずボディビルコンテストは、全て個人のプロモーターが主催しています。プロモーターは自身の許諾された地域では絶大な権利を持ち、プロモーターの許可や容認がなければNPCといえど簡単にコンテストを開催する事はできません。

ニューヨークをはじめとする東海岸地区のコンテストを取り仕切るプロモーターは、ミスターオリンピアなどのプロコンテストでヘッドジャッジを務め、IFBBに絶大な影響力を持つパワーハウスジムオーナーのスティーブ・ワインバーガー氏。あのニューヨークプロも手がける敏腕プロモーターです。奥さんは、女子ビルダーの先駆け“レジェンド”ベブ・フランシス。

このワインバーガー氏が主催するアマチュアコンテストの中でも最大規模のコンテストが、『NPC BEV FRANCIS ATLANTIC STATES CHAMPIONSHIPS』
です。参加選手は約500人と非常に多く、更に昨年のゲストポーザーはジェイ・カトラー、カイ・グリーンのビッグネーム。今年のゲストはミスターオリンピア×4のフィル・ヒースと、正に豪華絢爛なコンテストなのです。

私は、どうせチャレンジするならワクワクドキドキする、気持ちが張り裂けんばかりの緊張感溢れるステージで戦いたいと常に思っています。そもそもNPCローカルコンテストはアメリカ人のコンテストで、ナショナルズを始めとした全国大会への出場権獲得から、プロへの転向を目標とするボディビルダー達のスタートの大会です。全国大会への出場権は市民権を得ているアメリカ人に限るので、異国の日本人は出場する権利すら与えられず、最近はローカルコンテストでさえ出場が困難になり、それは正しい審査にも影響してきます。

過去にミスターカリフォルニアにエントリーしながら現地で出場を断られた経験のある私には、今回出場できる確約をもらえること、すなわちスタートラインに立つことが大切な問題でした。IFBBプロの山岸秀匡氏に直接ワインバーガー氏に出場の打診をお願いし、快諾してもらいながらも、さらに自分で出場可否の確認をメールでしたりと、出場申請する事からすでにコンテストの戦いが始まっているといっても過言ではありません。

コンテストの情報は、ほぼ全てプロモーターのホームページにアップされるので、開催日時から参加費、場所に至るまで様々な情報を自ら集めて出場申し込みしなければなりませんが、このホームページの情報に間違いが多く、本当に戸惑う事ばかりでした。

今年は、昨年より日程が大幅に前倒しになっていたり、開催場所がニューヨークではなく遠く離れたピッツバーグになっていたり…。直接パワーハウスに問い合わせたら「ウェブは間違い。開催はニューヨークだ!」と返答はもらうも、昨年の場所から変更になっていたりと、何が本当かわからなくなってしまいます。しかし、時期的に6月開催は間違いないようであり、逆算し、ダイエット期間を4ヶ月前からに設定しました。

私は、非常にありがたい事に、年間を通じ山岸秀匡プロに、トレーニングからニュートリションに至るまで様々なアドバイスを受けています。 昨年のこのコンテストには、わざわざあのミスオリンピアのアイリス・カイルと一緒に来てくれ、トレーニングから最終調整、ステージに上がるまでつきっきりでフォローしてくれました。そのおかげもあり、昨年はマスターズ優勝、ライトヘビー級準優勝と、自分なりに手ごたえを感じたコンテストでした。

昨年このコンテストに出場して痛感したのは、さらなる脚の充実と腹筋のセパレーションでした。他にも背中、肩と、全てを改善しなければならないのですが、今年のトレーニングのテーマは“徹底的に脚のトレーニングを実施し、隙のない下半身を作り上げる”ということでした。私は今年で51歳と、現役としては非常に高齢であり、さらなるバルクアップや改善は難しい年齢である事は深く自覚しています。特にオープンクラスでは、20歳代の若手に混じってステージに上がるのは大きなハンデとも言えます。

年齢が上がれば上がるほど下半身のハードなトレーニングが出来なくなり、よってバルクやボリュームがなくなると私は思います。また、欧米のバルクタイプの選手の多くは素晴らしい上半身を持ちながらも、明らかに下半身の細く見える選手が多いと思えます。下半身のボリュームがないと全体的な安定感に欠け、バルクを全面に押し出す身体にはならないので、我々日本人がつけ込む隙は下半身の充実でしょう。

トレーニングと食事

私のトレーニングルーティーンは、年間を通じ休みを設定していません。1日1部位で毎日トレーニングを行います。胸、肩、腕、脚、背中と5分割し、休みの日を設定せずに繰り返しトレーニングしていきます。従って、6日後には再度同じ部位が来る事になります。よほどの事がない限りトレーニングは欠かさず、昨年からはホームのミッドブレス初台以外に、24時間営業のジムを含む2ヶ所のメンバーとなり、朝から深夜まで必ず1日に一度はトレーニングする様に心がけています。私自身パーソナルトレーナーという立場から、神経系の疲労や怪我、オーバーユースには特段な配慮を持ったトレーニングにしているので、この年齢でも慢性化した腰痛以外は、トレーニングに支障をきたす怪我は全くありません。

また、私はセットやレップ数という概念を持っていません。全ての部位で、筋肉が収縮・伸展しなくなってからが本当のトレーニングだと考えており、1種目に最低20~30回行い、それを少なくとも4~5種目は連続で行なうジャイアントセットが基本です。セット間の休憩時間はないので、トレーニング中は常に動かし続けるイメージです。

このトレーニング内容に変えてから怪我がなくなり、身体が一番変わって来たと実感します。全ては山岸プロに触発されたジャイアントセットを基本としたハードトレーニングですが、乳酸をいかに貯められ、いかにその苦しい状態でトレーニングするかがカギになります。その結果、心肺機能が高まり、有酸素運動時に非常に効率の高い変化を見せ、ダイエットしやすい身体に変化してきているようです。ですから、巷で言われる加齢による代謝の鈍りやダイエットの停滞は感じた事がありません。

私のダイエットの考え方も非常にシンプルです。コンテスト体重には最低でもコンテストの1ヶ月前には到達しておき、そこから体重を減らさない様な食生活、トレーニングを心がけます。正しい食生活があれば、その期間、体重が減らずに体脂肪が減少し、ベストなコンディションに近づくはずです。すなわち、ダイエット中でも筋肉が作られ、積極的に体脂肪が減少し、代謝も上がるアナボリックな状態にあるという事です。ですから、私は3月の時点でコンテストコンディションの目処である91kgに到達しており、現状維持から減らさない努力をしました。

また、私生活においては会社を設立し、3月からミッドブレス初台を買い取り、代表としてジム運営やマネジメント、更には新設したフィットネス団体「NPCJ」を含め様々な新しい業務が増え、本来抱えてはならないストレスを山ほど感じることになりました。これも宿命と受け止めつつ、トレーニング環境が整ったと気持ちも新たに切り替えていく事も出来ました。

いざニューヨークへ!

ニューヨーク到着後、早速ジムで汗を流す筆者

ニューヨーク到着後、早速ジムで汗を流す筆者

さて、6月6日のコンテストに向けて3日の水曜日に成田を発ち、同日にニューヨークに到着、早速カーボアップに務める計画でした。5月31日にNPCJの初戦、『Blaze OPEN』が開催され、その辺りはカーボディプリート(炭水化物を摂取しない時期)の最高潮の時期に当たっていましたが、逆に振り回される事で空腹も、不調な感覚もなくなっていました。その時期は、朝、晩に有酸素運動を60分、日中にウェイトトレーニングを実施するというトレーニングボリュームの高い時期となりますが、なかなかゆっくりと調整だけに気持ちを集中する事は出来にくい環境でもありました。

約13時間のフライトでは、さすがに下半身はパンパンにむくんで棒の様な状態。しかし逆にテンションは上がって、今にもステージに上がっても良い雰囲気です。このむくみを取りつつ、最終調整を進めていきます。

私が今回拠点にしたのは、マンハッタンから北に上がったセントラルパークの北側にあるハーレム地区。昔からハーレムと言うと非常に危険なイメージがありますが、ハドソン川付近のハーレムは再開発が進み、非常に住みやすい場所のようです。

ニューヨークには昨年一緒にトレーニングしたニューヨーク在住のダンサーがいて、トレーニングジム『マンハッタンクランチ』を紹介してくれて、1週間の特別メンバーにしてくれていました。このクランチは昔はゴールドだった場所で、マシン、ウェイトも非常に充実して何の問題もありません。早速このマンハッタンのクランチでトレーニングしながら身体をほぐし、時差にも慣れる準備をしていきます。

私は毎日2~3回体重を計測し、自分のiPhoneアプリに書き込み、数値化しています。今回も昨年からの体重の変化を見ながら調整を進めていましたが、2日前くらいから体重を91kgに乗せても身体は水分が抜けきったベストなコンディションになっていました。ここで無理に水分を抜く事も可能ですが、当日の朝にこのコンディションで体重が91kgを超えていたらヘビー級にチャレンジしてみよう、と決意したのです。これまでにも日本では93kgでコンテストに出場し、悪くはないコンディションで勝つ事も出来ているので、せっかくアメリカにチャレンジしているならいつかはヘビー級という思いもあり、今回それに賭けてみる事にしてみました。ライトヘビー級なら優勝を賭けて戦える自信はあるのですが、元来のドンキホーテ体質なので、無理ながらもワクワクするチャレンジがしたいという欲求を抑える事が出来ませんでした。これまで日本人でヘビー級に出場し、好成績をあげた方もいないので、無謀なチャレンジとは知りつつ、悔いのない戦いだけはしたいと感じています。

いよいよ当日。5時に起きた時点で体重は91kg。塩分や水分に気を配り、スケジュール通りのカーボアップで、皮下からは血管がこれまで以上に映えるバスキュラティを作る事が出来ました。見た目の印象をあげる皮膚のドライ感もあり、コンディションは良好です。

カーボアップの基本食材は、私の場合、食べやすく大好物という事もあり、お餅が主となります。日本から3kgパックを持参しましたが、現地のスーパーで2kgほど買い足しお餅5kg、ピーナッツバター1瓶、はちみつ1瓶を食べたようです。これだけの量を食べこなすには、きちんとしたスケジュールにのっとり食べる事になりますが、この調整がきちんと出来たら当日のバックステージでは全くパンプアップをする必要はありません。ストレッチを軽くするだけで、すぐにステージに上がれる万全の体制になります。

本来のカーボアップとは、この状態にする事が目的なので、バックステージでパンプアップを普段のトレーニング以上にする選手は、うまくコンディションが作れていないと思います。こうした調整や取り組みは、私もパーソナルトレーナーとして多くの皆さんにご指導している以上、自分自身で実験台となって試しています。

マスターズ楽々優勝!!

さて朝の時点でこのコンディションならヘビー級でも十分に戦えると、意を決して検量に向かいました。今回もゼッケンナンバーだけで450以上が揃えられ、私のようにマスターズとオープンに重複して参加する選手を考えると、参加数は500をはるかに超えます。当日の受付開始は午前6時30分から。終了予定時刻は深夜2時と、日本では考えられない凄まじいスケジュールとなり、肉体的にも精神的にも図太い神経が必要になります。

私も6時には会場にて受付をし、選手登録から検量、ゼッケン受け取り、ミュージックCD提出が完了したのが8時を過ぎた辺り。選手ミーティングが終わり、一通りのスケジュールが説明され、控え室に案内されますが、おおよそ控え室とは言えないただの廊下にスタンバイさせられます。感心するのは、ビキニをはじめとする女子選手はだいたいが姿見鏡を持参している事です。楽屋が用意されていないことを理解しているので、メイクやステージ前に必要な姿見鏡を持ってコンテストに臨んでいる、ある種プロ魂をみた思いです。もしかしたら、日本人が海外で様々なスポーツを含め活躍しにくいのは、こうしたハングリーな環境に対する戸惑いからかも知れませんし、何事にも恵まれすぎなのかもしれません。
選手は、控室とは呼べぬ廊下にてスタンバイさせられる

選手は、控室とは呼べぬ廊下にてスタンバイさせられる

開始時刻を30分過ぎた11時半からコンテストがいよいよスタートしました。日本のコンテストでは、なかなか審査員が見てくれないとか審査が簡易だという声がありますが、こちらの審査員は見るとか見ないというレベルではなく、選手がいかにアピールするかにかかっています。もちろん参加数が莫大で、スケジュールを早くこなさなければならないのは理解していますが、オロオロしていたらすぐに審査は終了してしまいます。しかもポージングをする時間やステージに並ぶ間もほんのわずかです。袖からステージに並ぶ時からすでに順位をつけているのではないかと思うくらいあっと言う間に審査が終了するので、ファーストインパクトを与えてステージに立つ必要があるのです。いかに少ない時間で自分の身体をアピールするか、良い身体を見せられるかにかかっているサバイバルなコンテスト、それがアメリカなんです。

まずは手始めにマスターズからスタート。日本に限らず世界的にマスターズのレベルは高く、アメリカでもコンディションが良い100kg近い選手がゴロゴロいる環境です。ただ、マスターズだなぁ…と感じるのは肌の質感。年齢がいくと肌のみずみずしさがなくなり、ドライを通り越した枯れた肌になりがちです。それは筋肉の張りを失わせ、コンディションを良く見せてくれません。私も例外ではなく、普段から肌のコンディションには気をつけています。その対策としては、できるだけサウナに入り、水風呂との繰り返しで、肌に収縮と刺激、弛緩を与えて、よりみずみずしい身体を作る様に心がけています。水分の摂取も積極的に行い、ボディクリームを塗るなどケアも欠かさないようにしています。日焼けもシミが残りやすい直射日光は極力浴びない様にしています。手軽とか、安価だという理由で弊害がある直射日光を浴びることは、避けた方が賢明だと言えるでしょう。

このマスターズでの手ごたえはラインナップの時から十分感じましたし、言い換えればマスターズはオープンクラスのウォーミングアップとして出場しています。ここで勝ち負けの戦いになるなら、わざわざニューヨークまで来る必要はありませんし、全力を注ぐステージでもありません。順調にファーストコールからセンターポジション確保と順位に心配もなく、ポージングによる筋肉の痙攣や麻痺を感じる事がなく、自信を持ってヘビー級のステージに上がれると確信しました。事前にステージでポージングをできる時は、呼吸を整え、チェックポイントを見直し、本番によりチカラの配分に気を配る理想的なポージングが出来やすい状態を作れるので、このマスターズに参加するのは非常に意義があると思っています。

今回のこのコンテストには、わざわざ日本からNPCJの庄司会長が応援しにニューヨークに駆けつけてくれました。物を言わずともステージ下で見守り、ポージングの修正をしてくれる人がいることは大きなチカラになりますし、応援に駆けつけてくれるそのハートに心から感謝しています。昨年は、山岸プロやアイリスがそのサポートをしてくれていましたが、アイリスから盛んに指示をされた事は、意外にも「口角を上げて歯を見せて笑顔を作れ!」と言う事でした。これまでの私のボディビルのステージに上がる時の気持ちは、常に闘争心をむき出しにして“闘う!”という気持ちだけでした。しかし、あのレジェンドがステージ下からくれるアドバイスは笑顔だけ!いかにボディビルダーといえど、笑顔で好印象を与える事が大切かを思い知らされました。ですから、今回もできるだけ、あのアイリスの教えを忠実に守ったと自分では思っていますが、どうでしょう…。

マスターズが終了して、すぐにオープンクラスがスタートします。軽い体重のクラスでも、ブリブリに詰まった筋肉を纏う選手がたくさん出場しています。オープンクラスで一番出場者の多いクラスは、やはりミドル級、ライトヘビー級の80kg~90kgです。このクラスでは165cm程度の選手がこの体重で出場してくるので、そのレベルもわかるというものです。

私が出場したヘビー級には12人程度がエントリー。人数は少ないのですが、凄まじい選手が3人ほど。その中でも、黒人の選手は一人だけ次元が違うポテンシャルを持っていました。バックステージにいて出番を待つ姿は、まだまだ絞りが甘い…と言う雰囲気ですが、いざ準備を始めて筋肉に力を入れると、別人の様なバスキュラティを見
せます。ウエストの細さが更に際立つ、肩から腕にかけてのアウトラインに筋量の豊富さ。課題の脚は…というと、膝下のカーフに不満があるくらいで、そのバルクとハムの筋量の豊富さは見るものを圧倒しています。

もう一人の強敵は、セパレーションの甘さが残る選手ですが、バックは素晴らしい。私がこの2人に付け入る隙があるとしたら、常に腹筋をアピールしながらコンディションの良さを見せ、カーフを披露するくらいしか手立てがありません。結局、この黒人の選手がクラスからオーバーオールを圧倒的な差をつけて優勝する事になるのですが、負けて納得のレベルでした。

ヘビー級の審査で、私はファーストコールの3人に呼ばれ、優勝候補の隣に常にラインナップされるのですが、正に引き立て役になっている印象でした。ステージから見る審査員の目線もその選手に釘付けです。不動のポジションをキープして、プレジャッジが終了しました。
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トップ3の比較。右端が筆者

トップ3の比較。右端が筆者

悔いの残る3位

コンテストは150名を超える出場者。 当然ゼッケン番号がズラリ

コンテストは150名を超える出場者。 当然ゼッケン番号がズラリ

アメリカのコンテストのバックステージでは、日本では全く考えられない光景があちらこちらで見られます。まず、選手がお互いに称え合い、褒めあう光景です。今から戦う相手に「お前は凄いよ、優勝だね!」とか「凄いコンディションだ、頑張れ!」など、およそバックステージとは思えない雰囲気です。ステージから降りても同じような光景が見られるし、それは控え室でも同じ。いがみ合うよりお互いの健闘を称えあう雰囲気に本当に癒されるし、それは大きな自信にもなります。

また、面識の無い観客からも「お前凄いなぁ!」「素晴らしいコンディションだよ」など盛んに声をかけてくれます。いかに自己顕示欲が強いとされるアメリカ人でも、良いものは良いと相手に敬意を表するその姿勢は素晴らしいし、我々日本人が最も学ぶべきことだと言えるでしょう。

コンテスト前後にニューヨークの街を散策している時も、本当に盛んに声をかけてくれます。「一緒に写真を撮ろう」とか「お前すげーなぁ」とか。コンテストが終わった後に街を歩いていたら、数人の見知らぬ人に声をかけられました。突然のコンタクトに戸惑いますが、一様に皆さん「コンテスト見たぞ! お前が一番だったと思うぞ!」等、街中でも非常にハイテンション。日本では我々ボディビルダーは笑いや中傷の的になりがちですが、アメリカではスポーツ選手としての地位が確立しつつ、それらに対してリスペクトする雰囲気を必ず持ち合わせています。
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午後のファイナルは18時からスタートで、一度帰って身体を休めることが出来ます。気をとりなおし、ファイナルに全力を尽くす覚悟ですが、負け戦と分かる戦いに臨むほど辛い事はありません。私のコンテスト出場の目的は、優勝が全てではありません。最初にNPCに出場したのは、自分の自己満足と、どこまでやれるかのチャレンジ精神でした。しかし、毎回このNPCにチャレンジしていく度に様々な方々の支援、応援をたくさん頂き、この想いにどう応えていけるか?が今の自分の最大の使命になっているし、最大のモチベーションにもなっているのです。大げさでなく、自らプレッシャーを背負う気持ちが私をハードなトレーニングに向けさせ、あきらめない気持ちを継続させてくれています。だからこその失望感かも知れませんし、逆に諦めきれない目標なのかも知れません。

山岸プロからプレジャッジ後に電話連絡をもらい、今やれることを全力でやるように最後の指示をもらい、再びファイナルのステージに立ちました。私は、フリーポージングは曲を聴き、感性のままに取ることが好きで、あらかじめルーティーンを決めたりはしません。一つ一つのポーズはしっかりと練習しますが、フリーはそれをうまく曲に合わせてつなぎ合わせることなので、その時の感性を大切にしています。本来はルーティーンを繰り返し練習する方が良いのですが、感覚もフリーポージングの一つだと思っているので、いつからかルーティーンを決めなくなりました。わずか60秒で自己表現をするのは難しいものですが、普段から繰り返しポーズ練習をし、感性を磨けば、これでも問題はないと感じています。

フリーポージングが終了すると、決勝進出者がステージに並ばされ、淡々と下位より順位が発表されていきます。我々の感覚では、表彰は華やかに、思い出に残るような雰囲気を重視しますが、優勝の発表さえも流して名前をコールするような非常に気の抜けた表彰式です。マスターズでは優勝させていただきましたが、余りにも淡々な事で戸惑います。

マスターズが終わるとオープンクラス。私の本来出場するライトヘビー級の優勝者は、珍しくバルクよりコンディションタイプの選手でした。これなら勝負になるレベルだと、来季にかけて手ごたえを感じつつ、じっくりとステージ横から観戦させてもらいました。いざ、自分の出番のヘビー級がスタート。再びステージにラインナップさせられ、次々と順位が発表されます。
「3rd ! Moto Sakabe!!」

予想より1つ下げた3位で終了。やはり壁は厚かったという思いと、本当に落胆の思い。更には何て顔をしてミッドブレス初台に帰ろうか…ばかり考えていました。控え室でカラーを拭きながら、何に悔しいのか、悲しいのかわかりませんが、流れる涙が止まりませんでした。全力でサポートしてくれた皆さんの恩義に報いることができない悔しさがやはり一番でした。多くの選手が感じることでしょうが、不甲斐ない成績が目の当たりに突きつけられた時に、考えるのはネガティブな事ばかり。もう自分には満足する身体で出場するなんて無理なのではないか、とそればかり考えてしまいます。ため息しか吐かず、帰り支度もままなりません。
左より筆者、プロモーターのワインバーガー、NPCJ会長庄司氏

左より筆者、プロモーターのワインバーガー、NPCJ会長庄司氏

振り返ると、私のボディビル人生は後悔の繰り返しでした。毎回毎回、予選落ちを繰り返し、ポージングさえなく落胆して帰るコンテストばかり。でも、26年諦めないでやり続けたからこそ今の自分がいるんです。たくさんのトップ選手がボディビルをやめても、私は絶対にやめることはありませんし、死ぬまでトレーニングするでしょう。決して自分に満足せず、1日一歩、いや半歩でも歩みを止めないで頑張ろうと再度心に決めた時でもあります。勝つまでやり続けたら、今のこんな悲観した私を笑える時が来るでしょう。

まだまだ私のニューヨークチャレンジ、コンテストチャレンジは続きます。
GM堺部のNPC挑戦はまだまだ続く!

GM堺部のNPC挑戦はまだまだ続く!

  • 堺部 元行(さかべ もとゆき)
    誕生日:1964年03月19日

    フィットネスジムミッドブレス初台
    ヘッドパーソナルトレーナー
    一般社団法人NPCJ理事

    ■資格
    保健体育教諭免許(中学1種 高校1種)
    日本水泳連盟2級水泳指導員
    日本ボディビル連盟2級指導員
    加圧トレーニング本部公認
    加圧トレーニングインストラクター

    ■競技歴
    小学生より水泳を始め、大学、社会人となるまで競技水泳を実践。全日本選手権、国体等で多数優勝経験あり。26歳よりボディビルを始め、1995年JBBF千葉県ボディビル選手権にて優勝。10年のブランク後、42歳で横田基地で開催された2007年日米フレンドシップボディビル選手権に出場しライトヘビー級で準優勝。2009年横須賀基地ボディビル選手権で優勝。
    2009年 JPCジャパンナショナルズボディビル選手権にて優勝。
    2012年 ミスターロサンゼルス ライトヘビー級優勝
    2014年 ニューヨーク アトランティックステイツ マスターズ優勝
    2015年 ニューヨーク アトランティックステイツ マスターズ優勝

[ 月刊ボディビルディング 2015年10月号 ]

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