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●バーベル放談⑦
日系アメリカ人

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月刊ボディビルディング1969年2月号
掲載日:2018.01.17
アサヒ太郎

「ヤマトダマシイ」はにせもの?

 「ヤマトダマシイ」のセリフで知られたプロ・ボクシングの世界ジュニア・ウエルター級チャンピオン藤猛が先日,挑戦者のニコリノ・ローチェというアルゼンチンのボクサーにさんざんほんろうされたあげく,むざんな負け方をしたね。昔の武蔵坊弁慶もかくやと思われるアゴヒゲ,坊主頭の勇ましい格好だったが,あれじゃ勝てるわけがないやね。まるで大学生にぶつかって行く中学生,いやクロウト相手にケンカする素人のぶざまさだった。
 大体,こんどのタイトル・マッチは,藤にとってむりな試合だった。前年の9月に自動車事故で負ったケガの痛みが再発し入院,そして出て来たら80㌔近いぶくぶくの体。ジュニア・ウェルター級の体重制限は63.5㌔だから16~17㌔ものオーバーだね。それをハワイのキャンプでむりやり64㌔前後に落したわけだが,たった40日間そこそこでそんなに落して「むりがない」というのがどだい〝むり〟な話。
 試合前日の報道陣との会見でも,どことなく影が薄かったし,あたしにゃ〝あっ,こりゃいかん,負けるナ〟と思ったね。ところが,近所のすし屋の若大将は,「ダンナ,あっしゃあ,せったい藤が勝つと思う」といい張るものだから,そんなら1000円賭けようかということになった。結局,こっちの勝ちでおさまった。
 いや,こりゃとんだ横道へそれたが藤というボクサーは元々日本人の根性を持ったボクサーじゃないね。2,3年前,大阪でフィリピンの選手と10回戦をやったが,このときも減量失敗とかで途中棄権のKO負けさ。日本人ボクサーなら,たとえ目がつぶれても,意識を失っても,ファイティング・ポーズを構えているところだが,コーナーにへたへたと坐り込み,両手を左右に振って〝オー・ノー・ノー〟と情ない顔つきだった。
 ところが,その後ハンマー・パンチとか呼ばれる左右フックの強打で相手をつぎつぎ倒し,世界チャンピオンになってしまうと,周りはまるで〝無敵将軍〟の扱い。本人も,おそらく「オレは強いんだ」と思い込んでいたろう。しかしあたしは,決して藤の心の中には真の大和魂は宿っておらないと考えていたね。
 何故かといえば,弱い相手には徹底的にカサにかかって打って出るが,いったんモロサを突かれると逆上してめちゃくちゃな精神状態に落込むクセがあったからさ。それが,こんどのタイトル・マッチで出たね。ローチェはほとんど右が使えないボクサーで,左1本に頼っていたが,その左パンチをさんざん浴びてあっけないKO敗。「本人はあくまで死ぬまでやるんだ」といっていたとトレーナーの話だが,あれは藤をかばうためのカモフラージュだったと思うね。
 勝負が決って,ローチェの両手があがったとき,藤はコーナーにうずくまって泣いていた。その頭上に,「バカヤロー,泣いてどうなる。なんだ,そのザマはー」と観客のバ声が飛んだ。見ていて,なんともいいようのない情景だったが,あれは「何故,倒れるまでたたかわなかった。世界のチャンピオンとしてはずかしくないか」という日本人ファンの抗議の声だね。負けたっていいさ,しかし堂々と負けろ!というわけだね。が,日系3世のボクサーにもともとヤマトダマシイを求めるのがムリなんだ。

泣く子もだまる「442部隊」

 若い人はご存じないかも知れないが,第2次大戦で「442部隊」というアメリカの勇敢な部隊がヨーロッパ戦線で活躍し,世界的に知られた。これはアメリカ本土内の強制収容所からはせ参じた日系米人の部隊なんだ。「われわれだってアメリカ人,祖国のために働らいてみせる」との意気を見せたわけだが,彼等はひごろ〝ジャップ〟とさげすまれる日系人のためにみずから死を求めて戦線へでかけた。強いわけだ。ドイツ戦線では,「フォー・フォー・ツー・バターリアン」と聞けば泣く子も黙るといった存在だった。
 戦後,さっそくハリウッドの映画にもなって賞讃されたね。これで日系米人の地位はいっペんにアップし,なかには日系のハンサム青年を求めて結婚したヤンキー娘もかなりあった。あたしの知っている男にも,そうしたヤツがいたが,家庭はやはり〝カカア天下〟の様子があったね。と,いうわけで,このころの日系米人はりっぱだったよ。しかし〝唐様で書く3代目〟という文句もある。つまり,3代目あたりになるとおちぶれて,祖先の家,屋敷を「売家」と支那文字で書いて売り飛ばしてしまうというわけだ。酷ないい方だが,藤もその口としか思えないね。
 もっとも,終戦後まもないころの話だが,ある日系のGI(兵隊)が,白人兵の群れとケンカし「カモン」と構えて,みごとなストレート・パンチを相手の数人にたたきこみ,胸のすくような場面を展開したのをみて,こっちの方の胸がすーっとしたとある作家が書いていたが……。こんなのは,個人差の問題で,ヤマトダマシイとはちょっと別のもんだよ。そこで,日系アメリカ人とはどんな連中なのか,ここでちょっぴり紹介してみたい。
 白人社会のなかにあって,日系人はまだまだ差別されているというのが,あたしの実感だが,個人によってまちまちだ。
 まず,歯切れのいいヤツから登場させよう。
記事画像1

日系GIのサムライ

 名前は忘れた。小柄で,ヤセっぽちだが,すばらしい気質の日系3世だった。知合ったのは,昭和23,4年ごろ。ある米軍キャンプでだった。このチビは米陸軍曹長だったが,白人下士官と猛烈なケンカをし,前歯をくだかれ,なぐられたあげく二等兵に降等されてしまっていた。ハワイ出身ということだったが,彼は猛烈な日本人びいきだった。当然じゃないか,とおっしゃるだろうか,そうではないんだ。日系米人のなかには,白人気取りで,同じ同胞の日本人を小バカにするヤツもたくさんいるんだ。
 ところが,この男は違ったね,寒中日本人労務者が辛い仕事をしていると手招きして事務所内に呼入れ,ストーブに当らせてカタコトの日本語で冗談話をかわした。それを見て,白人下士官がおそろしい顔で「なんだ,こいつらなまけている」と怒鳴り込んでくることがあったが,彼は負けずにやり返し「バカヤロー,いま休憩だ」と日本人をかばった。私も,当時そこで通訳まがいのアルバイトをやっていたので,この男にはすっかりほれ込んだ。ただ,気の毒に思ったのは,ある中佐の姿をみると,キャンプ内を逃げ回り「あいつはひどいヤツだ。みつかるとえらい目にあう」ととびくびしていたことだ。あらゆる人種的な差別にも耐え,日本人を〝わが兄弟〟と思うその心情を考えて,あたしは感心したものだ。
 もう1人の日系GIは,気の優しい男だった。戦時中,日本の上空で撃墜されたアメリカ人パイロットの遺骨探しの調査でいっしょだった。ところが軍用列車ででかける途中,彼はタチの悪い白人中尉にからまれた。このときの調査団は,白人将校1人に兵隊2人それに日本人通訳1人の計4人で1チームを作り,ざっと20チームぐらいが一団となってアメリカ駐留軍の専用列車に乗込んでいた。あたしは,これまたインチキくさい通訳役。
 はじめ車内はなごやかだった。若いヤンキー兵どもは,久方ぶりに堅苦しい軍務から解放され,まるでピクニックにでもでかけるように浮き浮きしていた。が,さきほどの白人中尉の出現で空気は一変した。なんでも,南の島で日本兵にさんざん苦しめられ,やっと日本へやってきたというヤツらしく,腹の底では極度に日本人をおそれ,にくんでいたようだ。こいつが,日本酒の1升ビンをラッパ香みして大トラと化した。青い顔で車内をにらみすえ,まず日本人の老通訳に悪ふざけした。
 敗戦国の国民とはいえ,老通訳はおそれず,おくせず適当にさばいて中尉のキゲンを取った。そのあとだ。ギャング中尉はふらふらと立上がると車内中央で白人兵の仲間とワイワイ騒いでいた日系2世の兵隊をとらえ,実に残酷なイヤがらせをはじめた。日系兵が着ていたジャンパーが将校用に似ている。それを兵隊のきさまが着ているのはけしからんというのだ。胸ぐらをつかみ,悪態をつく。
 日系兵は真っ青な顔で「ジャスト・ミニツ・サー」「ジャスト・ミニツ・サー」とその手を押えて弁明に努める。いまのいままでワイワイいっていた白人兵どもはそっぽを向いてそ知らぬ顔。コンチクショウ! とあたしは思った。日系兵とはいえ,アメリカの軍人,お前らの仲間じゃないか。なぜその同じ仲間をつかまえてリンチまがいのいじわるをしやがるんだ。あたしの腹の底は怒りで煮えたぎった。延々2時間,中尉は酔いが回って,結局酔いつぶれてしまった。

「442部隊」の栄光いずこ

 このとき思ったねえ。白人社会ではイザとなってもだれも助けてくれる者はいない。頼るのは日本人われ1人だと。しかし,えらいもんだ。翌日になると日系兵はいつもの顔で仲間の白人どもと軽口をたたき合っている。生れてこのかた,何十回,何百回,こんな目にあっているのか知らんが,さらりと忘れて白人の仲間入りをしている。この〝負け犬〟の姿に,いい知れぬ同情と勇気を感じた。
 あたしら純粋の日本人だったら,とっくの昔に自殺しているか,ヤミ夜に乗じて,相手をブッ殺しているところだね。それを,この日系兵はがまんした。いつか,きっとと胸中に決意していることだろうが,その屈折した心境は知るべくもなかった。あれも2世,これも2世である。あたしは,このとき,あの〝フォー・フォー・ツー・バターリアン〟の栄光はどこに行ったと腹で叫んだものだ。
 ついでにいうが,442部隊がニューヨークにがいせんした日,大殊勲を樹てたこの日系部隊を迎えて町中には紙フブキが舞った。が,その部隊の先頭に立ったのは,彼等の偉大な功績にはなんの関係もない白人少佐だったんだ。その少佐とも,私は日本で会った。おとなしい。静かな男だったが,あたしゃツバをひっかけてやりたい気持だった。日本人だったら,「私などその資格はない」と強く辞退していたところだろう。
 チャンピオン・ベルトを奪われたポール藤も,そうした日系兵の1人だ。アメリカ海兵隊の憲兵をつとめ,日本で除隊してからプロ・ボクシング界にデビューしている。しかし,日本人ボクサーとはどこか違う。あのファイティング原田のように,倒れても起き上がり,打たれても打ち返し,最後までたたかい抜く根性が見当たらない。またアメリカからチャンピオン・ベルトを持帰った西城正三(フェザー級世界チャンピオン)のように,4たび倒れて,4たび相手をたたきのめし,最後に勝ち名乗りをあげる不屈の精神は持ち合わせておらない,とあたしは考えている。
 藤は再起を期して新春早々からトレーニングをはじめ,ふたたび世界のチャンピオンをめざすという。果してどうかね。あたしはとてもムリと考えますが,みなさんはいかが。日系2世,3世に〝ヤマトダマシイ〟ありと思いますか。
 藤が仮りに世界チャンピオンに返り咲けば,こんな結構なことはないが……。それでも,あたしはファイティング原田に肩入れし,西城を応援するね。どうしてって,あの歯切れのいい,倒れるまでたたかう姿は余りにも美しいからだ。
月刊ボディビルディング1969年2月号

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