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LIFTING CORNER 1971年3月号

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月刊ボディビルディング1971年3月号
掲載日:2018.04.22
ウェイトリフティング

第6回アジア競技大会
ウェイトリフティング記録表
1970年12月9日~20日 バンコック市

※表中、日=日本、イ=イラン、イ・ネ=インドネシア、韓=韓国、ビ=ビルマ、タ=タイ国、台=台湾、フ=フィリピン、印=インド、パ=パキスタン

※表中、日=日本、イ=イラン、イ・ネ=インドネシア、韓=韓国、ビ=ビルマ、タ=タイ国、台=台湾、フ=フィリピン、印=インド、パ=パキスタン

イギリス連邦重量あげ競技大会
1970年7月 エジンバラ市

※オ=オーストラリア、パ=パキスタン、ス=スコットラインド、マ=マレーシア、モ=モーリシャス、イ=イギリス、バ=バーバドス、シ=シンガポール、カ=カナダ、イ=インド、ウ=ウェールス、ニ=ニュージランド、ト=トリニダッド、ギ=ギヤナ、ビ=ビンセント、ニ・ア=ニューアイルランド、ザ=ザンビア。

※オ=オーストラリア、パ=パキスタン、ス=スコットラインド、マ=マレーシア、モ=モーリシャス、イ=イギリス、バ=バーバドス、シ=シンガポール、カ=カナダ、イ=インド、ウ=ウェールス、ニ=ニュージランド、ト=トリニダッド、ギ=ギヤナ、ビ=ビンセント、ニ・ア=ニューアイルランド、ザ=ザンビア。

◇最近樹立された世界新記録
記事画像3
パワーリフティング

1970東ドイツ選手権大会

昨年、東ドイツでリフティング能力、立幅とび、けん垂およびポージングの競技会が行なわれた。以下はパワーリフトの記録である。通常の体重制と異なり、一部疑問点があるが、そのまま記載する。
記事画像4

第6回アジア競技大会
ウェイトリフティング競技レポート

1970年12月10日から17日まで、バンコック市文化会館で行なわれたウェイトリフティング競技は、さきにコロンバスで行なわれた、世界選手権大会同様、勢力争いの場と化し、終始一貫、フィリピンのドロセオ、イギリスのオスカー・ステート、それにイランの役員団のペースで進められた。
4年に1度の、アジア民族の友好の祭典であるというのに、フライ級などは、8人中5人も失格するというメチャクチャぶりで、まったく、あと味の悪い大会になってしまった。そして、それはまるで選手による競技ではなく、まったく審判戦の様相を呈した。
とくに、イランの審判は、日本の選手に対して、ほとんど赤ランプをつけたのが印象に残っている。
陪審員は、イラン、フィリピン、日本の3名で構成され、日本、韓国、台湾の選手が成功すると、白ランプをつけた審判をそのたびに呼びつけ、今のは失敗であると抗議し、3度注意を受けた審判は交代させられるというまさに、政治的争いであった。
こんな状況のなかで、どうしたことか、わが国の国際審判員や陪審は、何らなすことなく、公正な判定を要求しなかったが、まことに、なさけないことであると痛感した。
ライト級の小野選手の失格は、このような背景の中でのできごとで、まったく本人には気の毒であった。しかしながら、小野選手が3回目の試技で、途中であきらめた態度は、彼の気持もわかるが、最後まで堂々とやってもらいたかった。
オスカー・ステートも、日本選手のプレスを終始マークしていたが、彼の弁によると「ジャパニーズ・スタイルは、ヒザの反動で、ノーグー。ロシア・スタイルは上半身の反動でベリーグー」ということだった。
たしかに、日本選手のプレスは、一般に、ステートのいうように、ヒザの反動が主体なので、あまりよいプレスだとは思えない。もう少し、腕力をつけ、地力で押しあげるプレスに変えていかなければ、今後また、このような結果はまぬがれそうもない。
それには、日本協会の幹部がしっかりして、コーチ会議を開き、統一見解をもって、指導すべきであると考える。
それにつけてもかつて、オリンピックや、世界選手権で活躍したことのある選手が多数いるにもかかわらず、現在の日本重量あげ協会のコーチや、役員の中に、そういった優秀な技術と見識をもった人達が見あたらないのは、実に不可思議なことである。
月刊ボディビルディング1971年3月号

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