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西洋と東洋における肉体美観の史的考察

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月刊ボディビルディング1971年3月号
掲載日:2018.02.07
早稻田大学体育局講師 加藤清忠
(ポリクレイトス原作・槍持ちカノンの像)

(ポリクレイトス原作・槍持ちカノンの像)

肉体における美の問題は、人類がまだ衣服らしいものを身につけていなかった古い時代から、常に大きな関心事であった。肉体を美しく見せようとする努力は、原始民族や現在の未開人の間にも見られる、きわめて素朴で、自然な美の欲求であり、人間のすべての美意識への出発点とさえ考えることもできよう。
ところが、衣服の発達によって、それまでのように裸体を露出する機会が少なくなり、また、肉体を厚い布で隠ペいするようにさえなってくると、肉体観そのものにも大きな変化と、影響をもたらしたのである。
文化が進歩するにともない肉体美の概念にもいろいろと変遷がみられ、時代により、民族により、また、思想や宗教の違いによっても、それぞれ肉体文化のとらえ方は異なってくる。

西洋では、古代ギリシァにおいて高められた肉体文化が、その後のキリスト教思想の影響にもかかわらず、常に底流を占め、今日まで伝え残されている。日常生活での裸体主義は、最も非礼で野蛮な行為であるにもかかわらず芸術における裸体美は、常に芸術美の中心として鑑賞されている。
そこで芸術美としての肉体美と、生きた人間の肉体美とが、しばしば混同され、混乱した傾向が見られるとしても、裸体美術の鑑賞によって現実の肉体美に対する意識の向上をもたらしたのは確かであろう。

しかし、東洋においては、ほとんど肉体文化と呼ぶに値するものはない。東洋の民族の肉体的貧弱さにもよるのであろうが、とくに、肉体そのものを否定する儒教思想や、仏教思想の影響によって、肉体そのものを美的対象として鑑賞することはなかったのである
古代ギリシァにみられるように、体育とスポーツが肉体に与える影響は大きい。最近のわが国のように、スポーツが盛んになると、必然的に肉体への関心も高まってくる。わが国をふくめた東洋における肉体美の発達は、比較的近代になってからであり、しかもそれは、西洋文化の影響を受けてはじめて本格的になったといえよう。
そこで、古代ギリシァを発祥の基盤とする西洋的肉体美観と、儒教や仏教思想を背景にしている東洋的肉体美観について、とくに男性肉体美の観点から考察してみたいと思う。

古代ギリシァと青年美

古代ギリシァ人ほど、体育やスポーツを通じて、肉体美を謳歌した民族はいない。古くホメロスの時代から、競技会は儀式や社交の場で催され、そして、強い者、すばらしい肉体の持ち主は人々から尊敬された。
紀元前8世紀からは、古代オリンピックが確立されますます肉体文化の隆盛が見られるようになった。季節的にいっても、決して裸にならなくては暑くてかなわない、といったものではないにもかかわらずのちにはすべての競技を裸体で行なうようになってくるのである。

このことは何を物語っているであろうか。これは彼らの肉体に対する自信であり、肉体美の崇拝以外の何ものでもなかろう
競技場や社交場は、芸術家にとってこの上ない観賞の場となり、生きた人体の自然な運動を観察することによって、彼らは美しい人体像の傑作を完成させたのである。
ギリシァ美術が最も隆盛をきわめたクラシック時代(B・C5世紀)には、人体の完ぺきな比例と、有機的構成による、力強い男性美を生んだ。
しかも体育やスポーツにおける主役が青年であったように、そこでも、ほとんどすべてが美しい青年像であった。その代表が、ポリクレイトスの槍持ち(Doryphoros)の像であり、ミュロンの円板投げ(Diskobolos)の像である。

また、古代ギリシァにおいては、人体の理想像の完成が神への道であってイデア(Idea)という究極のものに到達するには、肉体美の門を通らなければならなかった。若々しい、力と勇気に溢れた青年美こそが彼らの理想であり、腹部がひきしまり、胸から肩がよく発達し、筋肉隆々とした肉体を最高のものとして愛したのである。
アリストテレスは、魅力的ではあるが、臆病である小さな女性の肉体よりも、勇敢で、大きくて逞しく、よく発達した男性の肉体の方が一層美しいと男性美を人体美の中心に置いているのである。

そして、ずんぐりとした肥満タイプは鈍感な人の特徴であり、腹のひきしまった、胸の広いスポーツマン・タイプを勇敢な人の特徴にあげている。
また、青年美については「競走やカわざを行なうのに耐えうるだけの身体を有すること。しかも、その身体は見る人にとって快感を与えるものでなければならない。したがって、各種の競技に長じた青年が、力と速さを共に発揮する点において、最高の美しさがみられる」(竹内敏雄著「アリストテレスの芸術理論」)と述べ、
運動選手の中では、五種競技の選手を最も完全な人であるとし、オールラウンドな競技者を理想としていたのである。

このような古代ギリシァに発する青年美謳歌の思想は、その後の西洋文化に大きな影響を与えたのである。
長命は、老年期を長引かすのではなく青年を延長させなければ意味がないという考えであった。そして、青年の血液には、老いた肉体を若がえらせる力があると信じていた。
3人の若人の血を輸血して死んだ、法王イノサン8世の話も、そのような若さへの限りなき希望と要求からなのである。

東洋の尊老性と精神性

こうした、古代ギリシァに基盤を置く西洋的肉体美観に対して、古来よりインドや中国を中心とした、いわゆる東洋文化の中には、明確な体育活動と肉体美の関係はみられず、また肉体美謳歌の思想もなかった。肉体そのものに対する意識さえ低く、また肉体美を適切に表現する概念も充分形成されていなかった。
古代中国の哲学者たちも精神や徳操のことは驚くほど強烈な関心を示し、その修養とか涵養についても相当な努力と苦心のほどが感ぜられるにもかかわらず、身体を強健に育てることの意味や方法については、意外なほど無感心だったようである。(水野忠文著「体育思想史序說」)
感覚的肉体を否定する仏教思想と、裸体を非礼とする需教的道徳規範の影響によって、肉体美と正面から取り組むことは、当時としては非常に困難なことでもあった。

われわれの祖先たちが考えた肉体美は、女性に対しては容姿の美であり、衣服の美であって、また、男性に対しては、精神的な美を重んじ、男が威厳を発揮するには、それを誇示する衣装によって肉体が包まれていなければならなかったのである。
そして一般には青年層は〝未熟な人間〟として、青年美を謳歌せず、思慮深い年令層や達道した「尊老性」を重んじた。わが国の伝統芸術である舞踊においても、「翁」という老翁の舞に、最も神聖な理想の美を求めたのである。

この尊老性を肉体的に表現すれば腹部が比較的大きくて、もの静かで、安定感のある豊かなタイプといえるであろう。仏教芸術の絵画や彫刻に見られる美の表現も、まさにこのようなタイプであり、なかには相当な肥満型とさえ思われるものさえ発見できるのである。
そして、それらは若々しくて活動力に溢れた青年美ではなく、思慮深く、安定性のある壮年美なのである。このことは、肉体そのものの健康性や活動性からくる美しさよりも、精神の充実と、完成を理想とした、いわゆる精神の顕在相ということに美の重点がおかれたからであろう。
精神性の重視は、わが国古来からの武道においても同様である。武道における技術の錬磨は、精神的な価値の追求であり、肉体そのものを造ることより、はるかに重要であった。その道の極意とか、奥義をきわめることは、すなわち精神の完全を意味していたのである。
(ギリシァのつぼ絵の若者)

(ギリシァのつぼ絵の若者)

わが国において男性の肉体美が賞揚されるようになったのは、儒教や仏教思想の影響の少なかった江戸時代の庶民階級の間からであるが、その代表的なのが相撲であろう。相撲力士の最高位にあたる横綱については、とくに、心・技・体の三大要素が要求されているのである。
これは度量・品位・風格といった精神的要素とともに、体格、力、技術という逞しい肉体的な要素も加味されているのである。そして、横綱の手数入姿には、厚味・深味・重味・威厳といったような、精神的、肉体的なすべての要素が完備されていなければならないのである。(彦山光三著「橫綱伝」)
このような尊老性と精神性を重視した、豊かなボリュームのある壮年美を東洋的肉体美観ということができると思うが、筋肉の発達した、行動的な逞しい青年美を求める西洋的タイプとはまったく対照的であることがわかる。

腹部の大小による肉体美観の相違

肉体美観の相違について、最も大きなポイントは腹部にあるといえよう。西洋においては、腹部が大きいことは肉体美の敵として極端に嫌い、細くひきしまって、しかも腹筋がよく発達していることが条件であった。
これに対して東洋においては、腹部の大きい。ボリュームに満ちた、どちらかといえば肥満タイプを賞美したのである。どっしりとした重量感と安定感、そして人間としての威厳とか風格に重きをおいたからであろう。

腹部を肉体の中心と考え、重視する思想は、東洋における座位の習慣、とくに正座からの影響も考えられるが、「腹」という文字の意味を比較してみると、英語の(Belly)とか「Stomack」には、腹部とか、胃・食欲といった意味しかないことがわかる。
これに対して、漢字の「腹」には、腹部のほかに、心とか度量とかの意味もあり、「腹黒い」とか「太っ腹」、「腹のすわった」というように精神的な意味の語としてしばしば用いられることがある。
また、西田正秋氏が指摘するように西洋的肉体美観は、食肉類に共通の呼吸器大、腹部小にみられる体型であり、西洋人はその理想型に類型化する傾向があるといえよう(シェパード、サラブレッド等)これに対して呼吸器小、腹部大の体型は、草食類や有蹄類に見られ、東洋、とくに日本人にはこの体型を好む傾向があるようだ。(犬はりこ、ほてい人形等)要するに、西洋における腹部小の体型と、東洋における腹部大の体型は、単に人体美のみにかぎらず、広く肉体文化として生活の中へ滲透しているのである。

ボクサー・タイプと力士タイプ

腹部が小であることは、胸部を中心として上体を強調することであり、力動的な美的効果を求めたものであり、反対に、腹部が大きい場合には、下体を中心とした、安定した量感美が特徴となっている。
このような、腹部小で上体中心と、腹部大で下体中心の肉体美観の相違は力感表現の上からもいえることである
たとえば、「なぐる」とか「投げる」「持ち上げる」といった上体中心の力感表現は、古来より西洋に多くみられる特徴であり、これは腹部が引きしまっていて、しかも腹筋がよく発達しており、胸や肩、腕が強く、いわばボクサー・タイプといえよう。
これに対して、東洋的な力感表現は、「踏みつける」とか「踏まえる」ことによって、他を威圧するという下体中心の表現であり、脚が非常によく発達し、腹部のどっしりと大きいいわば相撲力士タイプなのである。
(綿絵における力士の表現)

(綿絵における力士の表現)

ボクサーは、動的に、しかも敏捷に移動しながら、腕力で相手を倒す、下から上への力感表現であるが、力士はお互にがっちりと組み合って、脚を踏張ることによって相手を動かす上から下への力感表現ともいえる。
筋肉美を求めて、腹部をひきしめ、しかも胸部を強調するボディビルダーの肉体美は、若々しい青年美を求めてやまない西洋的肉体美観から生まれたものであり、どちらかといえば、ボクサー・タイプであると思う。
以上、男性美について、主として史的観点から、西洋的肉体美観と東洋的肉体美観について略述してみたが、これはあくまで史的考察であることを念のためつけ加えておく。最後に以上のことをまとめてみると次のようになる。
記事画像4
月刊ボディビルディング1971年3月号

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