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肉体美の基本

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月刊ボディビルディング1971年4月号
掲載日:2018.07.09
早稲田大学体育局講師 加藤清忠
 美しい肉体の持主でありたいという気持は、いつも我々は潜在的にもっているが、具体的に肉体の美しさは何かという問題や、実際に、それを実現するとなるとなかなかむずかしい。

 美しさが固定的なものではなく、しかも、肉体が動的な有機体であるので生の肉体の美しさという問題になるときわめて困難になる。しかし、困難だからといって、素通りしていたのではいつまでも解明へのカギが見つからない。そこで、まず美についての理解を深めることが重要であるが、誌面の都合で、まことに残念であるが割愛しなければならない。

肉体美と裸体美

 まず、われわれのからだの美について、具体的に考えてみたい。

 普通、よく肉体美という言葉が用いられているが、そこからすぐ官能的な裸体を想像する人がいるかもしれない 人間の裸体は、本質的にわれわれの目に喜びを与えると、クラークがいっているように、西洋には伝統的に裸体美を賛美する思想がある。

 オペラが17世紀イタリアで生まれたように、裸体美(ヌード)も紀元前5世紀の古代ギリシャで生まれた。しかし、ここで用いる肉体美の意味は、からだの美しさということであって、裸体美とは基本的に異なるのである。

 われわれ人間は、生きた有機体として、毎日の生活を営み、活発な活動をしている。そのような生きたからだの美しさを肉体美(physical beauty)という。衣服をまとわない、素肌のからだから発せられる裸体美(beauty of the nude)とは異なるのである。したがって、肉体美を身体美といってもよいと思うが、肉体が必ずしも直接露出していなくても、肉体そのものの持つ美しさが、被服を通してでも、充分に感じられる場合がある。如何にきれいに着飾っていても、ひ弱そうな病身くさい人では、肉体美の持主であるとはいえない。

 われわれの生きる姿、その中における肉体を基本とした美しさが、肉体美であり、したがって、その美しさの中には数々の要素がある。たとえば、ただ単に静止している時、走っている時仕事をしている時、あるいは裸の時もあるであろう。そのように、われわれの生きる姿における肉体の美しさがすなわち肉体美であると思う。

 数年前であったが、筆者が中里スキー場でスキーを楽しんでいた折、そのゲレンデの片隅で、小さな女の子が滑っているのをジッと眺めていた母親を実に美しいと感じたことがある。女の子はころびながら苦労をして何回も試みていたが、その若い母親は、ほとんど手をかさないで、見守って立っているだけであった。近くに住む母子であろうが、ガッチリとした胸と肩、ふっくらとした臀、スラリと伸びた脚、それは実に力強い、美しい母親の姿だと感じた。色とりどりに着飾った外来のスキーヤーなど及びもつかないような気がしたものである。
肉体美は、肉体が直接露出していなくても、被服を通して感ぜられる

肉体美は、肉体が直接露出していなくても、被服を通して感ぜられる

肉体美の基本

 このような生のからだの美しさという肉体美の考え方から、まず第1に強調しなければならないのが、からだの有用性である。
 有機体として生き、そして活動していくには、内的にも外的にも有用でなくてはならない。内的には健康性であり、外的には活動性(機能性)である。しかも、活動性の基礎はからだの健康であるから、健康性が肉体美の出発点になるのである。

 しかし、中にはからだの健康を害してまでも、美しさを追求しようとした例もあるのである。

 例えば、わが国においても、ナヨナヨとした線病質な女性が賛美された時代があったし、大きくて重い日本髪や帯を胸高に強く締めつける和服では、まったく健康を無視している。また,西洋においても、コルセットで内臓を圧迫してまでも腹部を細くすることはもう何百年も前から行なわれている。そして、現在でも、女性がウェストとヒップを蜂型に改造し、足をハイヒールで纏足(てんそく)化しているなどがこの例であろう。

 さらに、ただ服飾におけるだけでなく、身体装飾といった、からだを美しく見せるための方法はまだいろいろある。現代のように、衛生や医学的知識が普及していなかった時代には、平気でからだの健康を無視するようなことが行なわれたのである。美に対するわれわれ人間の願望の強さの1つの証明にもなろうが、それがまた、逆に美の危険性でもある。要するに健康を無視した美は、真の美とはいえないのである。

肉体美と健康

 古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、からだの美しさにとって「健康であること」はその前提条件になるものであり、秩序や均斉を保った、立派な体格の持主でも、健康でなければ、真の肉体美とはいえない、と述べている。

 男性美を謳歌した時代に、健康を肉体美の前提条件とした、このアリストテレスの考え方は有意義であり、また現在にも生きていると思う。

 しかし、健康だからといって、それが必ずしも美しいとはかぎらないのである。もし、健康と美が等しいならば問題はいたって簡単である。毎日病気にならないように注意して、健康であることに留意さえしていれば、それだけで肉体が美と結ばれるというほど単純ではない。健康は肉体美にとって、前提条件であるが、絶対条件ではないのである。

真の肉体美とは

 医師の精密な検査によって、内臓器官が正常であることを確かめなくてもからだに衰弱、疾病、不具等がないかぎり、美的意義は失われない。したがって、肉体が美的であるためには「健康であること」より、「健康らしく見えること」が必要なのである。健康が形態や機能を通して、外面的に健康らしく見えること、それが広い意味での「健康美」である。

 結局、生理的、医学的に健康であることは、肉体の出発点であり、肉体美の基本的前提条件ではあるが、生きた有機体として真の肉体美は、シンメトリーをそなえ、ほどよいプロポーションを保っている健康体が、充分な機能を発揮し、活発な生命力を示すところに成立するといえるだろう。
今月のカバービルダーフェルナンド・ド・ミグエル

今月のカバービルダーフェルナンド・ド・ミグエル

 今月の表紙はメキシコ一の腕の太さを誇るミグエル選手(31才)である この写真はシーズン・オフに撮影したものなのでデフィニションに欠けるが、ベルクは超ド級。メキシコのボディビル雑誌「Culture Fisica」は、彼が、20インチ(約51cm)の上腕囲を獲得する唯一のメキシコ人ビルダーであろう、と報じている。ちなみに彼の体位は、身長170cm、上腕囲48.9cm、前腕囲38cm、首囲43.8cm、胸囲122cm、腹囲76.2cmである。
月刊ボディビルディング1971年4月号

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