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第12回関東学生ボディビル選手権
大会の印象

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月刊ボディビルディング1972年8月号
掲載日:2018.06.29
――後藤紀久――

<なつかしい思い出>

 6月10日、たしか5年ぶりだと思うが、私はなつかしい学生選手権を、審査員の1人として訪れた。
 当日は、梅雨あけを思わせるような30度を越す暑さであった。大会は12時半に開始され、関東各地の17大学から72名の選手が出場した。
 私が選手として出場した第1回、第2回大会の頃は、出場校はせいぜい5〜6校だった。僅かの年月の間に、加盟校が3倍にも増すとは、当時の私たちには想像もできないことだった。このことは、学生の間にもボディビルが急速に普及してきた証拠だと思う。
 当時は、ポージングも満足にできない人が多く、試合の数日前になって、早稲田大学に行って窪田先生の特訓をうけて大会に臨むという状態だった。それでも最初としては盛大な第1回大会を渋谷公会堂で開催した日のことがいまでもなつかしく、はっきりと記憶に残っている。

<平均的レベルは向上したが>

 こんな思いにふけっているうちに、第12回大会の幕があき、窪田審査委員長、川崎、竹内、遠藤、重村、水上、それに私の合計7名の審査によって試合が開始された。
 出場選手が多いわりに、これといったズバ抜けた選手は見当らない。リラックス・ポーズのときに、比較的目についた選手でも、いざポージングに入るとそれほど強い印象がない。たしかに平均的なレベルは向上しているが、選手間に大して差がなく、また、個性的な選手もいない。まったく審査員泣かせであった。
 この傾向は部分賞を選ぶ際にもあてはまる。みんなが同じような筋肉のつき方をしており、発達の度合にもあまり差がない。とても審査がむずかしく感じられた。

<トレーニングのあまさ?>

 上位にランクされた選手も、初期の頃と大差なく、日進月歩記録が飛躍的に伸びている他のスポーツを見るにつけ、物足りなさを感じないではいられない。
 遠藤氏も指適していたが、素質的にはかなりよいものをもっている人が多いが、それを生かしていない。すなわち、トレーニングの研究と努力にあまさがあるのではないか。
 健康管理が目的だからとか、趣味でやっているんだ、といわれればそれまでであるが、何か物足りない。
 大学の運動部という厳しい環境をさける学生が多くなり、自分の好きなように自由に練習できる一般のジムへと人が集まってしまったためなのか。しかし、加盟校が17校にまで増えた事実にこれでは矛盾する。やっぱりトレーニングにあまさがあるとしか考えられない。
 かつては慶大、早大、日大の選手たちが常に上位を占めていたが、現在はこれらにかわって東海大、東洋大、明大その他の新興勢力の台頭が目についた。とくに、初期の頃はいつも最下位を低迷していた東海大が奮闘していることは素晴らしいことであり、努力のほどがうかがえてうれしく思った。

<社会人との交流の必要性>

 以前、在学中にミスター日本コンテストに石山(慶大)、守、井上(日大)らが出場したことがある。しかし、これは学生代表ということではなく、正しくは個人的な出場であった。これからは学生選手権だけに満足せず、他の一般の大会にも学生諸君が出場することも大いに励みになるものと思う。
 学生が在学中に気楽に出場でき、また、後輩の選手諸君にその出場を勧められるようなボディコンテストの必要性を感じる。このことは、ひいては日本のボディビル界の発展にもつながるものと思う。これは私1人の考えであろうか。
 ゲスト・ポーザーとして登場した遠藤光男氏の凄まじい迫力のポージングだけが強く瞼に残った大会であった。学生選手の中から真のミスター日本が誕生することを願ってやまない。
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月刊ボディビルディング1972年8月号

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