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JBBAボディビル・テキスト㉗
指導者のためのからだづくりの科学
各論Ⅱ(栄養について)

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月刊ボディビルディング1975年12月号
掲載日:2018.07.26
日本ボディビル協会指導員審査会委員長 佐野 匡宣

2 消化と吸収

 食物としてとりこまれた食品が第一に受ける過程は消化である。
 消化の目的は、炭水化物・脂肪・蛋白質等の高分子を加水分解して、これらの構成単位である小分子として消化管壁を通過、すなわち吸収を容易にし体内でのこれらの物質代謝をスムーズに行わせるための第一段階である。
 吸収された物質は、一連の化学反応である代謝を受けて、その分子内の化学エネルギーを身体に与えたり、または構造の変化を受けて体成分となる。
 この一連の化学反応による消化や代謝も、その過程で触媒として働く酵素蛋白質が必要である。
 代謝によって生成される産物は非常に特異的で、個体内でもその組織によって違いがある。
 消化活動は、消化器系のその場所によって分泌する消化液や消化活動の様式、あるいは液性等に違いがあるが、結局は消化された栄養物は、おもに小腸から吸収され、毛細血管やリンパ管に入る。
 栄養素で、そのまま消化管から吸収されるものは、ブドウ糖、無機質、ビタミン、水、アルコール、その他、脂肪やリポイドの一部で、他の栄養素は吸収され易い形になってから吸収される。このように、消化管内で吸収され易い形にすることが消化である。
 俗に「この食べ物は消化が良い、消化が悪い」とか、私たちは消化という言葉をふだん何げなく使っているが、これは間違った使い方である。
 食物は胃の中に入るとドロドロになるまでこねられて、やがて小腸の方へ少しずつ移って、胃からすっかりなくなってしまうが、食物の種類によってその時間にはかなりの差がある。この時間を胃滞留時間といっている。胃でこねられた食物が小腸に入り、腸液、スイ液、または胆汁等の作用で、その後も盛んに消化が行われ、消化最後の仕上げをされて、初めて腸壁から吸収され体の養分となる。
 食物によってほとんど吸収されるものと、残カスが多くて一部分しか吸収されないものとがある。この吸収される程度を消化吸収率という。
 胃の中での滞留時間の短いことと、消化吸収される度合が高いことと、どちらが大切なことであろうか。胃の中でこねられる時間がどうであろうと、食べたものが、どれだけ血となり肉となるかということの方が重要なことは明らかであろう。
 私たちが消化が良いというときは、ふつう胃滞留時間の短さを考えているようである。これに関連して「お腹がすく」とか「お腹がすきにくい」あるいは、「腹持ちが良い」「腹持ちが悪い」等々に表現されるのは食欲や空腹感のことであるが、このことにつき少し考えてみよう。
 食事をしたばかりなのに、直ぐ空腹を訴える人、同じ献立で同じ量の食事をとりながら、次の食事までにひどくお腹をすかす人と、それほどでない人があるように、人様々であるが、「すぐ腹をすかせよく食べるのは健康な証拠だ」とか「胃が丈夫な証拠だ」とか良くいうが、健康な人は時間がくれば空腹を感じ、食事時には腹いっぱいになるまでおいしく食べることができるのはもちろんであるが、しかし、「空腹感イコール胃が丈夫」という考え方は早計である。
 お腹がよくすくということは、必ずしも胃の消化がすぐれているということばかりとは限らない。それでは、お腹のすき易い人と、なかなかすかない人の差はなぜあるのだろうか。これは基礎代謝の如何が1つの原因である。
 基礎代謝とは、人が生きていくために最低必要なエネルギー(これについては後で述べる)のことで、すなわち全く動かないでいても、体温を維持したり、呼吸したり、血液は体内循環をして新陳代謝を行なっている。そのために必要なエネルギーで、じっとしているだけでも年齢、性別、気温、体格の大小等によって相違がある。
 体格の大きい人は小さい人より代謝量が大きく、カロリーもより多く必要とする。まして、話したり、歩いたりの日常動作や作業に伴って、それぞれにカロリーを必要とする(これを作業代謝とかエネルギー代謝といっているが、これに関しては別項で述べる)。同じ体格の人が、同じ内容と量の食事をとり、同じ仕事をした場合、お腹のすき具合も同じということに理屈の上ではなるが、実際には全く同じということはあり得ないことであろう。
 もう1つの原因は、食事の内容の違いや、間食等の違いである。たとえば食事の直前や、食事と食事の間に、砂糖入りコーヒーやジュース等を飲んだり、菓子類を食べたりしていると、血糖値が上がり、他に何も腹の中に入っていなくても、なかなか空腹感がおこらないし、前回の食事で胃滞留時間の長いものを食べた場合も同様である。これらのことを考えずに、お腹がすかないのは、胃や腸の消化力が弱く、いつも胃の中に未消化物が残っているからだと考えることは間違いである。
 食品それぞれによって胃滞留時間が違うのだから、お腹がすかないのは胃自体の責任ではなく、食品のためなのである。
 お腹がすく、すかないは胃の消化力と関係があるというよりは、食物の胃滞留時間との関連である。胃滞留時間が短くて消化吸収率の低い食事ばかり摂っていたら、決して健康にはよくないことが理解できよう。
 消化が良いとか悪いとかいうことは食べた物が胃から腸に運ばれて、そこでどれだけ完全に吸収されるか、すなわち、消化吸収率を基準にして考えるべきで、消化吸収率の高いものほど消化がよく、低いものほど消化が悪いと考えるべきである。
[註] 胃滞留時間および消化吸収率に関して、詳しくは食品成分表(女子栄養大学出版部)118ページを参照されたい。

[註] 胃滞留時間および消化吸収率に関して、詳しくは食品成分表(女子栄養大学出版部)118ページを参照されたい。

3 食品についての栄養的考え方

 蛋白質を例にとって考えてみると、これはすぐに血となり肉となるのではなく、まず最少単位のアミノ酸まで分解されて腸から吸収され、それからその人に必要な蛋白質へと再合成されるもので、その分解や再合成の仕組みは非常に微妙なもので、他の人の蛋白質を借りてきても自分の体の血や肉にはならない。臓器移植における拒否反応といわれるものは、蛋白質がそれぞれ人により異なるために起こるもので、同じ蛋白質でも他の人や、他の動物とは違っており、その人だけに、また自分だけに通用する蛋白質として再合成されているのである。
 赤ん坊に対しての母乳以外、食品として単品ですべての栄養素を充分なだけそなえているようなものはない。
 肉にしても、魚の肉、牛の肉、豚の肉等、それぞれ蛋白質を構成するアミノ酸の比率が異なっている。故に、いろいろな食物をとって、アミノ酸を補足し合うようにすべきである。そうすれば体内に吸収されてから、蛋白質合成に全体として高い効率をあげることができる。
 栄養素について考えると、栄養素には単独所要量はあり得ないということである。
 栄養素の代謝については、生理化学や栄養生化学において学ばなければならない重要な事項であるが、代謝相関の上で密接な関係をもっている栄養素の所要量は、常に他の栄養素が適当量摂取されているという前提の上に成り立っていることを認識いただきたい。
 人間は雑食動物であるから、その本性にさからわず、肉だけとか、野菜だけというように限定した考えでなく、栄養素を必要に応じてバランス良くとれるように食物をとるべきである。
 すなわち、栄養をよくするには、食物を意識的に、また選択的に摂らなければならないということになる。各栄養素の体内におけるそれぞれの働きや特徴、さらに各食品に含まれている栄養素等を知らなければ、意識的、選択的には摂れない。広く、深く知れば知るほど選択がうまくなり、成分のバランスも整って効果があがってくる。栄養について勉強するのもこのためである。
 体をじっとしている場合は、1/3の毛細血管が休んでいる状態で、血液も充分全身に回っていない。栄養分を全身に配するためにも、適当に全身を動かすこと、すなわち、運動によって血行を良くし、栄養分を全身に配ることも大切である。この意味で、運動ということも栄養を良くすることの一つの重要な条件である。
 よく体質という言葉を使い、「それは体質だから」というが、体質は改善することができる。日常生活を単なる惰性でなく、適当な栄養と、適当な運動、適当な休養の3つをバランスよく保ち、一定の軌道修正を実行するならば、正常で頑健な身体をつくることができ、自然と体質も改善されるものである。
 このようにいうと、至極簡単のようだが、栄養・運動・休養の3つをいかにバランスよく保ち、実行するかということになると、頭の中でそれらが必要であることは理解していても実行は仲々むずかしい。
 まず「どのようになろう」または、「何をしよう」と決心することが先決で、次いで食生活や日常生活をいままでとは違った一定の軌道修正をする計画をたて、実行可能な事項から順次実行していくことである。いっきに革命的に成果を得ようとしても無理である。

4 腹八分目とは

 私たちは日常の食事から

 ①体成分(筋肉や血液等)の生成に必要な蛋白質
 ②主として熱量素としての脂質
 ③主として熱量素としての糖質
 ④機能調節や一部体成分としての無機質
 ⑤機能調節としてのビタミン

 以上の五大栄養素を摂取して生活を営んでいるが、「これらの栄養素がからだの中でどのような役割を果たしているのかというようなことを今更」とか、「長年月にわたる経験的に知り得た知識を活用しているのだから」とか「現在の栄養学に対する効果の判断のしかたは、まだ未知成分がすべて解明できていないから、あくまで未知成分を無視すればという前提において、学問の上でだけ役立っており実際的ではない」等々、反論も、また疑問も多いことと思う。
 また、「何々のための食事法」とか「何とか食の健康法」、あるいは「栄養何々」等々、数多くの本が本屋の店頭に並んでいる。どの本も、一応ベストセラー級の売れ行きだという。このように数多くの本が刊行され、何十万冊と読まれているということは、栄養に関する関心の高さを示しており、一応、栄養に関しての知識は持たれているはずである。さすれば、栄養的にみて、健康であるべき人が続々と増加しなければならないはずだが、かえって半健康的な人が増加の傾向にあるのはなぜだろうか。
 なるほど、知識としては知っているが、どこかに誤って考えているところや、見落としているところがないかどうか反省していただきたい。いかに良い方法(または理論)があっても、それを誤りなく実行しなければ、目的は達せられない。
 これまでの栄養学というものが、一般には、食品の栄養素についてカロリー中心の考え方が強くあったように感じられる。要するに、栄養=カロリーというような考え方を直していただきたい。そして、私たちの食生活が何を中心に(基準に)組立てられているかをいま一度考えていただきたい。
 たとえば、自動車は走らなければガソリンは必要がない。自動車の走行如何に応じてガソリン消費が異なる。人間もその運動如何によりエネルギー消費が異なるもので、機械文明が発達した今日、身体を動かすことが至極少なくなっている現在、いいかえれば、なるべくガソリンを節約できるような状態の生活をしている現在、なんでもガソリンタンクを大きくしてガソリンを必要以上にためるようなことは無駄なことである。
 私たちは常にエンジンの調子を調整し、新しいオイルを補填し、いつでも必要に応じてガソリンを補給して自動車を走らせるように、身体も、良質の体成分の構成養分を充分にとり、自分自身の行動や運動に応じたエネルギー補給を心がけるべきである。量的に沢山食べていても、栄養的に見た食品のバランスがくずれていては、それは栄養失調である。
 このようにいうと、「人間を車にあてはめ、食べ物をガソリンにおきかえて、人間が意志も意欲もない機械であるというような前提に立った考え方は理論遊戯的で実際的ではない。人は車と違って食べる、食べないは自分の意志で決定するもので、食べたら太るとか悪いとか分っていても減食できなかったり、良いと分っていても食欲のないときには食べられないのが人間である」との反論も考えられるが、人間はいろいろな事を判断し、行動する動物でもある点を忘れてはならない。単に感情や欲望だけでなく、理性ある行動こそ人間の人間たるゆえんではないかと考える。栄養に関しても大いに知性とか理性とかを働かせてこそ意義があるものと信じる。
 糖質や脂肪の必要以上の摂り過ぎは反って障害を起こす原因となる。自動車の場合には、満タンになるとそれ以上はガソリンは入らないが、しかし、人間の場合にはエネルギー源は満タンになることはなく、過剰分は予備タンク的に皮下や腸間膜や細胞の間に脂肪としてどんどん貯め込んでいくので、これが肥満にむすびつくし、また、いろいろの障害を起こす原因ともなる。
 身体の中で余分な熱量素を脂肪にかえて貯めておくことは、万一のときに使わなくてはならないものとして自然の摂理ではあるが、これにも限度がある。蛋白質にしても、体構成成分として必要だからといって必要以上に摂りすぎると、やはり脂肪に変わる。しかも、その過程は糖質等より複雑で、反って身体に負担をかけ、いろいろの障害を生じる。
 俗に「腹八分目」と古くから言われていることは、以上に述べたことを理論ぬきに、経験的にいましめていることではあるが、現在の栄養学より見ても立派に裏づけられるものである。現在の人工的にカロリー・アップされた食品の場合、「腹六分目」でもまだ多すぎるように考える。
 故に身体を使い、筋肉を働かせながらエネルギーを消費することが大切であり、運動不足こそ大敵である。すなわち、栄養・運動・休養のバランスが重要なポイントで、エネルギーを消費すれば必然的に脂肪が沈着しなくなりその程度により余分な脂肪もとれてくる。要は食べすぎないことで、食べすぎない人こそ、健康に対しての現代的な知性があり、理性ある人といえるのであろう。
 私たちの日常生活においても、定収入があれば安定した生活を送ることができるように、栄養においてもなるべくバランス良く、平均して必要量を摂っておれば、身体の方も安心して安定した状態にありながら、しかも丈夫な身体がつくりあげられていくものである。運動にしても食事にしても、「なぜ、どのように、どうして」と、その根拠を尋ねるような態度でのぞむことが大切であり、それが科学的な方法といえる。かくすることによって確固たる基礎が築かれていく。

5 水について

 生体の99%は水素・酸素・炭素・窒素の4元素で占められ、その他の元素は1%程度しか存在していないが、この微量元素には多種類の元素が存在しておりながら、今日までに生理的意義が明らかにされているのはそのうち約20種程度である。
 生体の大部分は水素と酸素であり、水以外の物質で生体構成成分として重要な物質のうち、糖と脂質は炭素・水素・酸素の三元素からなり、蛋白質は三元素のほかに窒素・硫黄・燐、核酸は三元素のほかに窒素と燐を含んでいる。以上の炭素・水素・酸素・窒素・燐・硫黄の6種類が生体構成元素として代表的なものである。
 この他のものはいわゆる無機質として、酵素等の機能に影響を及ぼしたりイオンとして存在するなど、化学的な熱量は出さないが、機能調節をつかさどっており、私たちの生存に絶対必要なものである。生体内でたとえその存在量が微量または超微量であっても、生命現象に関している限り、生命維持あるいは健康の維持にとって不可欠である。
 分析技術の発達と、生命現象の精細な観察が、これら超微量物質の意義を解明すると共に、今後さらに発見される可能性も非常に大きい。無機質はこれを含む食物等を燃焼したときに、後に残った灰の中に大部分が見出されるので灰分とか鉱質とかいわれ、最近ではミネラルという言葉で一般に用いられている。
 水は身体の約2/3を含めている。この水分含有量は年齢と共に減少しているが、成人が体重の70%程度、幼児で75%程度を水が占めていることから考えても、生命と不可分の関係にあることは理解できよう。
 体内水分は体重1kg当り600㎖といわれ、このうち細胞内液は体重1kg当り330㎖、細胞外液は体重1kg当り270m㎖といわれている。
 また、水ほど多くの物質を溶かす液体はなく、この水の大きな溶解性をもって非常に多くの物質を取り入れる。血液中に溶けている物質の種類も非常に多く、生体内諸物質の溶媒としての水の意義は非常に大きい。それぞれの物質が水に溶けて反応し、水は生体反応の場を与えており、物質代謝に大きな役割を果たしている。つまり、水の働きは、①諸物質の溶媒 ②輸送(運搬) ③分泌・排泄 ④電解質の平衡維持 ⑤体温の調節、等に分けられ、いずれも重要なものである。
 人体内の水は、体外から摂取される一方、体外に排出されているが、常に動的平衡によって保たれている。
 水の1日当りの摂取と排出は次表のとおりである。
体水分の出納(単位cc)

体水分の出納(単位cc)

 呼吸に伴なう体内外の温度差による水分の蒸発、および発汗がなくても、皮膚からの蒸発による熱放出は体温調整の重要な機構の1つで、水1㎖の蒸発で0.54カロリーの熱が奪われる。この2つを合わせて不感蒸泄という。故に上表の不感蒸泄は約500〜550カロリーの熱放出である。
 また、代謝水とは、栄養素が体内で酸化燃焼するときに生ずる水分で、蛋白質、糖質、脂質のおのおの1g当りの代謝水は0.41g,0.6~0.55g,1.07gとされている。代謝水は正常の状態ではさほど重要視されないが、水分欠乏の際には重要な問題となる。上表の代謝水は約2000~2300カロリーに対するものである。この水の出納がアンバランスになると機能に異常を生じる。
 アメリカのマックス・ワース博士は「感覚温度が27℃(80°F)を越えると暑さの影響があらわれ、32℃(90°F)では生理的負担もずっと高くなり、16℃(60°F)のときに比べて30%程度作業率が低下する」といっている。また暑さと水分補給の関係についても、アメリカのローチェスター大学のエドルフ教授を中心に研究発表されているがいずれも適当な水分補給がどんなに大切かを示しているものである。
 体温の上昇はそれ自体、脈博数をふやすが、発汗が盛んになると血液が濃縮される。血液が濃縮されると血液の粘度がふえるため、循環系の負担を増す。しかも、血液が濃縮するだけで発熱してくるため、両者の関係は悪循環が生じ疲れを一層はげしいものとする。なお、発汗にともなって、いろいろの栄養素がふだんよりも多く失われる。夏の暑いときに疲れ易いのはこのためである。
 水を補給する場合、体内に入った水は、まず血液にまじって循環していくから、大量の水を一時に飲むと血液中の水分が増えて水血症を起こし、心臓負担を増し、循環系性の疲労を起こすので注意を要する。1時間にコップ2杯以上の水分をとらないことが良いといわれている。したがって、激しい運動や、暑さによる発汗の多いときの水分補給には十分な注意が必要である。
 私たちは極端な飢餓状態におかれても、また、完全な絶食を行なっても十数日は生きのびることができるが、飲料水がないと数日しかもたない。
 酸素についてはエネルギー発現のところで簡単に記したが、酸素がなければ寸時も生きることはできない重要なものであるが、水も酸素に次いで重要なもので、他の栄養素とともに、否、それ以上に生命維持に不可欠なものであることを認識していただきたい。

◇サウナ風呂での減量は要注意

 ここで余談のようであるが、肥満者の脂肪排除、または減量に際して、一般に誤った考えでサウナを利用しているように思われる。サウナでの発汗は体成分としての水分と関係が深いので注意を促す意味でふれておきたい。
 サウナに入り、汗を流し、秤りに乗ると体重がいくらか減っており、確かにやせるような気がある。しかし、サウナに入って汗を出すことと、やせること、すなわち体脂肪を除去(分解)することとは関係のないことで、よほど注意しないとかえって身体をこわしてしまう。
 食事にある程度注意して、月に3~4回の割でサウナに入り、これを半年もつづけると体重は約3~4kg程度減るだろう。しかし、その程度が限度でそれからはいくらサウナにかよってもやせることはない。少しいくのをやめるとまた太ってくる。すなわち、サウナでの減量は素直ではなく、不自然であるからである。つまり、人間が太っているのは脂肪のためで、サウナで出る汗は脂肪を分解した代謝水ではなく単に身体の水分をしぼりとった汗で、運動によって出る汗のように脂肪分解による代謝水とは違うから、決して脂肪が減ったわけではない。
 身体がどんどん太ってくると、すなわち脂肪が増えると、水分の身体全体に対する%は、その肥満に応じて低下し、水分40%、その他60%というように、健康な普通の人とは比率が逆になる。このことは、肥満者はただでさえ水分不足を示しているということで、このような水分不足の人がサウナに入り、必要以上に汗を流すことは、生理学的、医学的にみて脱水現象を起こすことになる。体液の水分が汗となり、ひいては血液中の水分が不足して、血液が粘っこくなり、心臓負担を大きくし、ひどいときには心臓の細い冠状動脈をつまらせ、心臓マヒを起こす原因ともなりかねない。
 体液の循環等、身体の中における代謝のメカニズムは重要なものである。その重要な役目を果たしている水分が減少したら身体の代謝機能に及ぼす影響はたいへんなものであることは多言を要しない。
 生体が体成分の水分の1%の水を失うと機能に異常を生じ、10%の水分を失うと病気になり、15%以上失うと生命が危険になるといわれている。
 太った人がサウナに入り脱水する。そこで水分が欠乏するから身体が本能的に水を飲まなければならなくなり、水分をとる。このようなことを何回もくり返して身体に良いはずがない。サウナの利用法も一考すべきである。
 これはほんの一例にすぎないが、これと同考異曲のことがわれわれの周囲にはたくさんある。いろいろと間違って伝えられたり、あるいはその一部の効用を強調して、それがすべてであるかのような錯覚を起こさせるが如き、誇大宣伝的なことにまどわされないよう注意しなければならない。
 とくに最近は、何々健康法とか、何とか食の健康法とか、または健康食品何々といったものが非常に多いが、これらにまどわされないように確固たる判断力を養うことも大切である。現代人の常識として、最近着実に進歩してきた栄養学や生化学、生理を基礎とした知識をもつように努め、これを活用すべきである。

 以上、2回にわたり栄養について概論的にその大要を述べた。今後各論的に必要と考えられる事項について述べていく。
月刊ボディビルディング1975年12月号

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