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男と女の力の比較

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月刊ボディビルディング1976年4月号
掲載日:2018.07.15
国立競技場トレーニング・センター主任
矢野雅知
近年、女性の「力」がとみに強くなったという。

「ボク食べる人」に対する「ワタシ作る人」はあいならん、女性蔑視の思想に通ずるのでケシカランではないかと言って、CM放送を中止させて物議をかもしたことは我々にも耳新しいものである。

「70年代こそは女性解放の時代である」とばかりに、各国でウーマン・パワーが爆発中である。「たかが女ごとき・・・・・・」とでも言おうものなら、首根っこをつかまれてグイグイと締めあげられそうなご時世になってきた。このままではカマキリのように男性は女性に食い殺されてしまうのでは・・・・・・という一抹の不安がなきにしもあらず。いやはや、イヤーナ時代がやって来たものである。

そこで今回は、このカヨワク、オトナシイものと思われていた女性の「力」について考えてみたい。

古代においては土偶にみられるように母系社会であり、女性の地位というものは決っして低くはみなされていなかったようである。だがしょせん男の強大な力に敵するものではない。やはり歴史を作りあげ、その活動の中心となってきたのは常に男性であり、男性あっての女性であったと言えるかもしれないのである。ことに封建時代の女性は虐げられており、貝原益軒などは“女大学”で「女は夫をして天となすべし」とまで論じている。しかし、時代は移り変わっている。もしこの貝原益軒が現代に登場してきたら、たちまちウーマン・リブの女闘士によって血マツリにあげられてしまうだろう。

彼女らに「人類の先祖はアダムとイブであるが、女性の先祖たるイブはアダムの肋骨から生まれたものではないか。だから人類誕生からして女性は男性に頭があがらないように運命づけられているのである」と説教しても、たちまちにして「わが日本帝国をお作りになった天照大神は女性ですゾ」と反論されよう。

ともあれカヨワキはずの女性が、時の流れと共に男女平等の権利を確保し今や男性の「牙城」まで脅やかさんと勢力を拡大しつつある。「歴史は繰り返す」――今また邪馬台国の卑弥呼のごとき女帝が出現するかもしれない危機をはらんでいるのだ。まさに男性にとってはユユシキ一大事である。これははたして女性が強くなったのであろうか、それとも男性が弱くなってきたので、女性がのさばっているのであろうか。

“葉隠”の中で「太平の世が続いているためなのか、男の脈が女の脈のようになってきており、漢方を処方するにも男にも女性用の処方でなくては効かないようになってきた・・・・・・」という一節がある。このことから三島由紀夫は腰抜け男性はすでにこの時代からはじまっているのだろうと推察している。三島氏もまた、常に男は強くあるべきで女性はしとやかであるべきものとしているのであろう。だから男性が女性化することを嘆いていたのに違いない。ということは“葉隠”を座右の書としていたという三島氏は、山本常朝の男尊女卑的傾向も寛容していたかもしれないのである。

それに対して実存主義の大御所サルトルも、かつては男性より女性の方が劣っているものとみなしていたのだが、“第二の性”でそんなことはありゃしないと主張するボーヴォワール女史によって、その考え方は間違っていることを認識させられている。

ではボーヴォワール女史の云うように、女性は決っして男性に劣るものではないのだろうか。女性の能力の限界は男性と同じレベルに達するのであろうか。もしその能力が男性に等しいものならば、女性の本分はただしとやかさに徹するだけでなく、もっと社会の第一線に立って活躍してゆくべきなのであろうか。

この疑問については哲学的解釈を必要とするであろう。しかしここではムズカシイ問題を抜きにして、単純に優劣を決定できる「筋力」の面から考察してみたいと思う。この筋力こそ最も端的に強弱を現わしているものといってよかろう。自然界には弱肉強食の鉄則があるように、強弱は純然たる「力」によって決まることが多い。このような生物の生存においての基本的な問題を検討することは、決っして無駄なことにはならないであろう。

これに関しては米国のデービッド・ウィロビーの論説があるので引用してみたい。

ウィロビーはまず「多くの読者は少なくとも女性のウェイト・トレーニングに興味をもっている。このような読者にとっては、以下のような論説は意義のあるところであり、面白かろう」と述べて、男性に比較した女性の筋力に関しての論理を展開してゆくのである。

はたして女性の筋力は理論的には男性とさして変わらないのであろうか。それともやはり弱いものであり、少なくとも肉体的には男性に劣るものであるから、女性の本分もおのずから限定されてしまうだろうという結論が、ウーマン・パワー勢力の歯止めになるであろうか。以下ウィロビーの論文拙訳

――まず男性と比較した女性の筋力について考察する方法の一つには、大学生を対象とした体力テストの平均成績を調べることがあげられる。

このテストは(1)握力(左・右)(2)背筋力(3)脚力(ヒップと大腿部)の筋力を測定する筋力計を用いて行われる。だが、この他にもバーベルや他の重量物を用いたテストや、重量物を用いないテスト(たとえばジャンプのような)などもある。

このような一連のテストの結果を男性と女性の間で比較してみると、全身の筋肉や部分的な筋肉の強さの相異がはっきりする。しかし、こんな比較では男性と女性の最大能力や潜在的能力を示せないではないか、と反論されるのだったら、男性も女性も等量のトレーニングを行なって、その結果両性が等しい筋力の増大効果を得るときにのみ、そのようなことがいえると推定できるのである。そのためには、男性と同じくらい激しい筋力トレーニングに打ち込んだ沢山の女性がでてこなければ、その点について論ずることは出来ない。

<表1>男子と女子の体カの比較

(注)なお、腕立て伏せの運動で女子はヒザつき腕立て伏せを実施したもの。また、チンニングでは女子の上体の体重を考慮して修正している。

(注)なお、腕立て伏せの運動で女子はヒザつき腕立て伏せを実施したもの。また、チンニングでは女子の上体の体重を考慮して修正している。

<表1>は男女の新入大学生について行なった体力テストの平均成績を示したものである。数値はさきの大学生を対象としたテストの資料と、私が数年間にわたっていろいろの体育館でウェイト・リフティングや徒手運動のテストを行なって得たものである。

被験者である男性の平均身長は177.2cmで、平均体重は69.8kgである。女性は平均身長162.6cmで平均体重54.8kgである。年令層は大学生を対象としたテストが18~22才であり、私が調査した体育館テストは17~40才である。

テストの結果は、どれも体重を考慮して捉えるべきである。このテストでは上体の体重が考慮されている。すなわち、69.8kgの体重の若い男性は、上体の体重が平均35.6kgであり、体重54.8kgの女性は平均26.1kgである。これらは自分でも持ち上げられなくてはならない体重でもある。

このような良い資料があるにもかかわらず、今だに一部の読者やトレーニングの専門雑誌では「体重対体重で比較したときには、女性が男性ほど強くなくてもよいという根拠はない」と信じて疑わないのである。彼らの見解が正しくないといえることの一つは、女性の体重が男性と同じ筋肉と骨の割合で構成されているものとみなしての、「体重対体重」という立場をとっていることである(しかも、筋力は身体の各部位によって異なるということをなおその上に無視しているのだ)。この見解が認められないというのは、筋力テストで得られた女性の記録によっても、また男性と比較しての解剖学的な構造上の違いによってでも証明されることである。

典型的、あるいは平均的な男性や女性と考えられる形態を調べてみると次のようになる。すなわち筋肉は男性では全体重の48%で女性38.2%、骨は男性15%で女性14.3%、皮下脂肪は男性11.1%で女性は11.9%、内臓諸器官が男性で22.5%、女性で32%、その他の構成組織が男性3.4%で女性3.6%、計100%となる。これが筋力にはどのような比率となってあらわれてくるかを調べるには、ベンチ・プレスのような筋力テストがはっきりさせてくれる。

この場合、男性・女性の体重を共に同じ145ポンド(65.3kg)として計算をしてみると、男性の「有効な」体重は筋肉の重さ65.3kg×0.48、つまり31.3kgとなり、これに骨格の重さ65.3kg×0.15、つまり9.8kgをプラスすると41.1kgとなる。これが筋力を生む有効な体重ということになるのである。

同じようにして得られた女性の有効体重は、筋肉の重さ23.9kgで、骨格の重さ9.3kgの合計33.2kgとなろう。したがって、男性の筋力を100としたら同じ体重での女性の相対的な筋力は100にならない。なぜならば、筋肉と骨の割合がすでに述べてきたように違っているからである。男性の41.1kgに対して女性は33.2kg、つまり男性の筋力と比較して女性は83.3%の力しかないことになる。

しかしながら、実際には女性のベンチ・プレスにおける筋力は男性の83%よりもはるかに少ない。これは女性がベンチ・プレスを行う時に使われる相対的に弱い筋肉(肩・上腕三頭筋・胸)が、いく分か原因となっている。それに単位あたりの横断面積で、女性の筋肉は明らかに男性よりも劣っていることが影響している。

また、女性では筋肉への神経の刺激が強くないのである。さらに赤血球の研究によると、男性の平均は1㎣あたりの赤血球数は530万個であるが、女性はわずか460万個でしかない。男性と女性のそれぞれの筋肉の重量でもってその数値を比較してみると、体重に比例した血液の酸素運搬能力では、女性は男性のわずか69%にすぎないと結論されるのである。

では男性と女性の筋力を適切な資料ではっきりと比較してみるとしよう。女性で、体重に相応したものよりもはるかに高いベンチ・プレスの能力をミシガン州のロイス・ボージャーが記録している。ロイスは65.3kgの体重で、90kgのベンチ・プレスを4回挙上している。これは約100kgを1回挙上するのに等しいものである。

これをペンシルバニアのヨーク市で開催された1974年世界パワーリフティング選手権大会の記録と比較してみると、体重60kgクラスのベンチ・プレスのベスト記録は139kgであり、体重67kgクラスのベスト記録は154kgである。彼女の体重65.3kgに相当するベンチ・プレスは、およそ147kgになるだろう。ロイス・ボージャーがベンチ・プレスで約100kgを成功したと見なして、この147kgの記録と照らし合せてみると彼女の記録はその67.6%となる。

つまり、女性の最高に近い筋力の持ち主の好例であるミス・ボージャーは、同じ体重で同じようにバーベルでトレーニングに打ち込んだ男性のおよそ2/3の強さとなるのである。またアーサー・サクソンが行なった力技の記録と、怪力女性のケート・サンドウィナの記録(23人の男性を載せた合計重量3.564ポンド、約1.620kgの台をもちあげた力技で有名)を調べて比較してみると、やはり実際には彼女の強さはサクソンの2/3でしかないことが解る。女性の全体の筋力を同じ体重の男性(もちろん同じような量のトレーニングをするものとする)と厳密に比較すると、一般的な平均値は2/3、つまり、66.7%になる。

ところで、女性の筋力の話では167.6cmの身長ながら体重91.4kgのガッチリした体格を誇るソ連の砲丸投げ選手アントニナ・イバノーバのことを書かないわけにはいかない。彼女はスクワットにおいてなんと225kgというとてつもない記録を作っている(恐らく現代的スタイルであるパラレルのハーフ・スクワットであろう)。この記録だけはいかなる女性であろうと成し得ないと思えるほどだが、現在の体重89kgクラスの男性のスクワット記録337.5kgのまだ2/3(66.7%)にすぎないのである。しかも彼女は筋肉質で巨大な太モモを所有していたにもかかわらず・・・・・・。

ロイス・ボージャーのベンチ・プレスの記録に話をもどそう。

今日の男性(彼女と同じ体格)と比較していくらか高い彼女のベンチ・プレスの記録では、それ以上の説明が必要である。体重を基礎として記録を正しく判定するには、男性は典型的な男らしい体つきをしており、女性も女らしい体つきをしていると見なさなくてはならない。彼者の女らしい体つきでは、体重65.3kgで身長およそ162.6cm(ミス・ボージャーのだいたいの身長と私は推測している)の女性の体型なら上腕屈曲囲は約30.5cmになるだろう。実際には、体重65.3kgのときのミス・ボージャーの腕(数年にわたるウェイト・トレーニングでひじように発達している)は、少なくとも36.8cmはあったにちがいない。だから、筋力比較表の数値が示しているように、ベンチ・プレスにおける女性の平均的筋力は男性の58%であるのだが、彼女の太い腕に比例するとしたならば、ミス・ボージャーの筋力の比率は平均的比率の66.7%ではなくて、男性のほぼ86%となってよい。

しかし実際には彼女の筋力はすでにみてきたように、同じようにトレーニングした男性の66.7%しかない。このように女性の記録について調べた結果のすべてが、トレーニングの程度にかかわりなく同じ体重をもつ男性の筋力の2/3(66.7%)よりも大きいことはめったにない。とくに上体の各部の筋肉の太さ(横断面積)の割合はまだまだ小さいものである。だが、このことを軽んじることは全くない――それは理論的にまるで異なった構造と生理的な違いの結果なのであるからだ。

ついでながら、「テコ作用」に関する相違ではないか?と考えるのはまったくの見当違いである。骨の長さと骨に附着している腱の長さの比率は、男女とも本質的に同一である。筋力の差が生まれるのは、単に筋肉の太さと筋肉への神経の刺激の強さによるのである。(つづく)
月刊ボディビルディング1976年4月号

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