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日本ボディビル史〈その10〉

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月刊ボディビルディング1976年5月号
掲載日:2018.06.26
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日本ボディビル協会副会長 田鶴浜弘

○ー本化後、初の全国総会

昭和42年7月3日、東西両協会の一本化成り、新しい日本ボディビル協会による第1回のミスター日本コンテスト(通算13回)が同年11月5日、東京日比谷公会堂で盛会裡に行われたことは前号に書いた。
 同じく新しい日本ボディビル協会による第1回全国総会は、ミスター日本コンテストの前夜、東京・岸記念体育館会議室において開催され、生まれかわった新協会の進路が、ここで取り決められる。
 この総会にはゲストとして、日本体育協会から近藤天競技力向上委員長が招かれ、日本のスポーツ競技力向上とボディビルの相関と言うテーマについて、はじめて懇談が行われたことは有意義であった。
 また、今後協会が取り組んでいくべきテーマとして、次の6項目があげられる。

①社団法人化の検討
②財源の確立
③組織づくりの推進
④認定制度の確立
⑤ルール統一
⑥医事部の設立など

 以上のうち、③④⑤については、早速着手される。
 総会の議事を終えてからパーティーにうつり、一本化成ってはじめて、全国の関係者が一堂に会したにぎやかな祝宴であった。
 前年度にはじまった功労者表彰は、引続き行われ、本年度は一本化によって関西以西の全日本関係者の顔ぶれが目立った。

○特別功労賞

田鶴浜弘(東京) 松山巌(大阪)

○功労賞

山口寿彦(大阪) 河啓一(大阪)
松本宏夫(板木) 安岡秀久(福岡)
坂本政雄(福岡) 雨森徹次(山口)
石田哲朗(愛知) 大西三男(青森)
早坂春夫(宮城) 田辺竜二(兵庫)
加淵清太郎(東京) 荒木章(大阪)
伊集院明也(大阪) 谷川明(東京)
月影四郎(大阪) 竹松孝一(東京)
小泉信雄(東京) 遠藤英夫(東京)
平井義男(東京) 酒井孝(板木)

○ー本化後の全国組織の実態
~昭和43年~

 昭和42年に、日本ボディビル界の一本化成って、協会がまず着手した組織づくりの進行は、たしかに見るべきものがあった。

 これに取り組んで1年目、昭和43年9月29日、琵琶湖大博覧会々場で開催した異色の第14回ミスター日本コンテストの時点における全国組織の実態は次のとおりであった。

<傘下の地方協会>

地方協会は、まだ全国都道府県の半数に達していないが、それでも下記のように21府県を数えるにいたった。
 全国の普及ぶりは、関東、関西、九州、四国、それに東海はいいが、奥羽北陸、信越、北海道、山陰、中国が非常に弱い
1968年第14回ミスター日本コンテスト

1968年第14回ミスター日本コンテスト

<府県協会の設立された地区>
東京,神奈川,静岡,栃木,大阪,兵庫,滋賀,京都,和歌山,愛知,岐阜,福岡,熊本,佐賀,鹿児島,愛媛,香川,青森,宮城,石川,山口

<全国のボディビル・ジム>

当時、全国のボディビル・ジムの総数は115を数える。その各府県別分布状況は次のとおり。

東京=29 大阪=13 兵庫=6 静岡=5 愛知,福岡,埼玉,長崎=各4 栃木,大分,熊本=各3
京都,山口,石川,滋賀,和歌山,三重,広島,鹿児島,宮城=各2 茨城,岐阜,富山,山梨,愛媛,佐賀,福島,北海道,青森,秋田=各1。
 ボディビル・ジムのある府県総数は30におよび、全国都道府県の66%に達した。

<実業団加盟の状況>
総数62団体(会社および官庁)

◇昭和43年度第14回ミスター日本コンテスト

 出場選手総数62名。
 予選審査員は、本年から選手を出場させたすべての府県から1名ずつ、ただし東京都のみ2名(地方協会未組織の広島、長崎、埼玉の各府県を含む)選任し、公平を期した。

<予選審査員>

赤井一夫(神奈川) 小寺金四郎(束京) 石田哲朗(愛知) 金沢利翼(広島)
斎藤義勝(青森) 中西春政(滋賀) 田川悟(長崎) 福井統(佐賀) 永江孝嗣(石川)
掘勇(岐阜) 桃山和幸(熊本) 吉田馨(京都) 雨森徹次(山口) 太田実(福岡) 
兼岩元城(静岡) 北原今朝樹(埼玉) 田面広一郎(香川) 中原貞盛(鹿児島) 
継谷洋一(兵庫) 藤原勤也(宮城) 長谷川三郎(京都) 松本宏夫(栃木) 
山口寿彦(大阪)

<決勝審査員>

八田一朗,大橋和孝(地元京都選出|参院議員・ゲスト)、奥村悦造(滋賀県体協会長、参院議員・ゲスト)
田鶴浜弘、谷口勝久、松山巌、バートン・E・マーチン、平松俊男、副田直司,佐野誠之。

<決勝進出者10名の順位・体格>

別表のとおり。また、本年も引続きミスター日本コンテストの会場において功労者表彰を行なった。

○特別功労賞

若木竹丸(東京) 谷口勝久(大阪)

○功労賞

高橋幸男(東京) 佐藤芳哉(東京) 石田国雄(神奈川)
迎明文(大阪) 安藤実績(愛知) 浅見正二(茨城)
小林隆(滋賀) 長谷川三郎(京都) 吉田馨(京都)
掘勇(岐阜) 兼定清明(岐阜) 北原今朝樹(埼玉)
大島遙(佐賀)
昭和43年度第14回ミスター日本コンテスト入賞者。左から2位・吉村、優勝・吉田、3位・中尾の3選手

昭和43年度第14回ミスター日本コンテスト入賞者。左から2位・吉村、優勝・吉田、3位・中尾の3選手

○新しい分野に進出

 昭和43年9月から日本ボディビル協会の一事業として、ボディビルを身体障害者のリハビリテーションとして役立たせようと言う玉利斉理事長の抱負に共鳴した有志役員の協力で、この計画が実行されることとなった。
 これに対する発想から実施1年間の貴重な実績レポート(昭和44年度ミスター日本コンテストのプログラム所載のもの)をつぎに転載する。

“身体障害者を1年間指導して”

 協会が、身体障害者のボディビルにとりくむことになったヒントは"パラリンピックの”種目の中にベンチ・プレスがあったからです。
 厚生省から福祉センターを紹介してもらい、障害者の方たちの生活実態を職員や医師からよく説明していただきいかに障害者の方たちが、より以上の健康、つまり体力や機能の向上を望んでいるかを知り、少しでもプラスになればと思いボディビル指導を開始しました。
 もちろん、トレーニング方法は健康者に実施するようなものであってはなりません。障害者の症状に適応した方法を医師と相談しながら週2回、6時半から8時まで、一歩一歩実施してまいりました。
 1例をあげると、障害者に背骨の損傷者が多かったので、背骨に負担のかかる運動は厳禁にしました。1年後の今日、人により程度の差はありますがそれぞれ体力の向上、機能の進歩などが見られます。
 それより以上に嬉しく思うのは、練習者たちが効果が上がるにつれ、元気発溂と練習にとり組み、その明るい気持が毎日の生活を支配していることです。私たち五体健全な者が逆にボディビルの本当の姿を障害者たちから教えられたといっても過言ではありません。
 皆さんと共に、筋肉だけを誇るボディビルにしないで、人生を明るく生き世の中のためになるボディビルにしていこうではありませんか。
(日本ボディビル協会 玉利斉,竹松孝一,飯塚善行,遠藤光男,福田弘小野里潤次郎)

 以上が担当の6氏名でプログラムの紙面をかりて発表されたリポートで、ヒューマニズムの香り高く、あらためてボディビルの社会性を求めた新分野の開拓であった。
 なお、昭和43年から、従来の協会機関誌“強く逞しく”を休刊し、月刊誌「ボディビルディング」が当分の間、協会機関誌を兼ねることになる。

(つづく)
月刊ボディビルディング1976年5月号

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