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“世界でー番すごいヤツ”
セルジオ・オリバという男

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月刊ボディビルディング1977年7月号
掲載日:2018.07.30
国立競技場指事主任 矢野雅知
十人十色というように、ボディビルダーと一口に言っても、実に様々なタイプがある。脚の筋肉、胸の筋肉、腕の筋肉、どの筋肉ひとつを比べてみてもそれぞれ各人各様の個性が出ており、
それら各筋群の結合したプロポーションとなると、個性はさらに強まって、もはや「これこそベスト」と決定づけることは出来ないであろう。
それでも「君がなりたいと思う理想的な肉体を絵に描いてみよ」といわれたら、ほとんどのビルダー諸兄は、アーノルド・シュワルツェネガー、サージ・ヌブレ、スティーブ・リーブス,ボイヤー・コー…
といったものになるのではないか。今でも「50才の誕生日オメデトウ!」というのが記事になるリーブスなど、その最たるものであろう。
 それでは、「君が想像できる、最も筋肉隆々たるたくましいからだを絵に描いてみよ」といわれたら、恐らく、現在世界最高峰にあるシュワルツェネガー型のビルダーではなく、「セルジオ・オリバ」に最も近い体型となるのではないのだろうか。
セルジオ・オリバ―――遠いギリシャの昔、へラクレスやサムソンが活躍した時代から考えても、このオリバほどものすごい筋肉を持った人間は実存しなかった、といえるだろう。グリメックは芸術的だった。
ラリー・スコットは迫力があった。フランク・ゼーンは美しい。シュワルツェネガーは完壁だ。といっても、何となくそれに近いような肉体は、今後も誰れかが受けついでゆくと思われる。
例えばグリメックはジャック・デリンジャーへ、シュワルツェネガーはルイス・フェリーノへというようにである。
 彼らはいかに素晴らしい肉体を持っていても人間らしさがある。どんなに強い個性を持っていても、努力しだいでは他の誰れかがああいった肉体を造りあげることも出来るだろうという気がする。
しかしながら、オリバのからだだけは、何かこう人間らしさを感じさせないほどの強烈なものを持っている。どんなに努力しても、素質にめぐまれていても、まずああいった体型にはなりえない、
とさえ思えるほど、ムチャクチャに迫力あるからだを持っている。ヘチの様に細くくびれたウエスト、顔よりも太い腕、ぶ厚い胸...すべてにおいてオリバのからだは別格である。
 ある老紳士にオリベの写真を見せたところ、「ホウ、こりやすごいですなァ。こういったのも面白いものです」と言っただけで、さしたる感動を示さなかった。
そんなものかと思って、少しこのオリバについて説明したところ、「なに!こりゃ本物ですか?絵じやないんですか!」とビックリした顔をして、あらためてまじまじと見つめ入っていたのを想い出す。
 まったくのシロウトには、オリバのからだはノーマルなものには映らないだろう。それだからこそ、フィジーク・コンテストに興味を持つものにとっては、畏敬の念さえひき起させる男である。オリバとは、かようにスゴイ奴だ。
 このオリバに親しみをもって「オリバ君」と呼ぶと、人間か猿かで話題をよんだ「オリバー君」と間違えられやすい。それでなくても、人間よりもゴリラによりいっそう類似しているセルジオ・オリバ君である。こんな彼が私は好きだ。
尊大で自信に満ちあふれたポーズをとり、仁王様を彷彿とさせる彼が好きである。
「形あるもの減びるは人の世の常」とはいっても、まだまだオリバの発達を望みたい。人類史上唯一のアブ・ノーマルな肉体を、今後もファンの前に見せ続けてほしいと願っている。
では、彼の人柄やトレーニング法についてノーマン・ゼール氏に語ってもらおう。これが読者のトレーニングの参考になれば幸いである。

~~熱狂する観衆~~

記事画像1
「セルジオ!セルジオ!」
観衆は再度にわたって、オリバをポージング台に呼びもどそうと声をかぎりに叫び続けた。場内に反響する「セルジオ!」の大合唱に促されて、
大きなこのキューバ人はこの日三度目のポージング台に立った。
 彼のヒタイと巨大な肩には、汗がキラリと光っている。今だかって出現したことがないと思えるほど、人間の限界まで筋肉が発達したこの男を、
少しでも近くで観ようとして、観衆はどっと舞台の方へ押しよせてきた。
 彼はポージング台上で、ゆっくりとライティングを見ながらポジションを決める。みんな息を殺した様に静かになる。
まるで観客席には人っこ一人いないようにシーンと静まりかえってしまった。ライトに照らし出された大きな男は、左脚を外側に伸ばしてしゃがむと、太い両腕をゆっくりと持ち上げる――決まった。
静寂がいっきに破れて、ウォーという叫び、どよめき、うなり声が場内に反響する。カメラのフラッシュがバチバチたかれる。ステージに近いイスは、人波の中で次々と倒されてゆく。
それでもかまわずに、人々はさらに前の方へ近づこうとしている。
 彼は今、全ての観衆の心をガッチリとつかんでいるかのように、手の指をググッと握りしめる。この共産主義社会からの亡命者は、第二の故郷アメリカを心から愛しているのだ。
オリバはポージングを続ける。右脚でバランスをとって、観客に背中を向けた。だれもこれだけ迫力あるバックには今だかってお目にかかったことはないだろう。
両腕を横に伸ばして上腕三頭筋を動かす。そのまま前腕部をグーッと曲げてくると、二頭筋が膨れあがってくる。観衆は、ただそのあまりのすごさにあきれるばかりだ。
 次にからだの向きを変えると、彼はスーパーワイドの広背筋を拡張するポーズをとった。信じられないほどの迫力である。
観衆はさらに少しでも近づいて、実際に目のあたりにするその筋肉をたしかめようと、ステージの方へからだを乗り出してくる。
 オリバしかできない、といわれる両腕を頭上に持ち上げるポーズをとったあと、ゆっくりと両腕が床と平行になるところまで降ろしてくる。
そして、肩と上背部の小さな筋肉を交互にグリグリッと動かしながら、ガッチリとポーズを決めた。あたかも汗にぬれた皮膚の上を、へビがうねうねとはいづり回っているかのように筋肉が波打って見える。
 観衆はその超ド級の肉体に、完全に魅了されてしまっている。これを見んがために、入場料を払ってやってきたのだ。たしかにミスター○○コンテストというのは、いくらでもある。
素晴らしいボディビルダーが何人もいる。だがしかし、観衆のタマシイを、実に15分間にもわたってゆさぶり続けられるものが、他にいるだろうか。
15分間、900秒の間で、「彼こそ、今だかって誰れも見たことのない、世界で最も筋肉を発達させた偉大な男である」と全観衆が信じ込んだであろう。
 彼はゆっくりとポージング台から下りた。そして観客に向ってかるく一礼し、ポージングの終りを告げた。
観客の一人が足踏みして「もっと!もっと!」と叫ぶと、二人、三人……ついにはみんなで足を踏み鳴らして「もっと!もっと!」と連呼する。
彼は異常とも思えるほど発達した腕を持ち上げる。もはや観客は総立ちとなってウォーというどよめきが場内をつつんでいる。彼の頭からも腕からも汗がひたたり落ちているのを見て、観客の一人が彼にタオルを投げた。
「サンキュー・ベリーマッチ」
 オリバは低く力づよいスペイン語なまりのある英語で言った。
「私はもっとあなたがたのために、ここに居たいのだが、シカゴにいる家族のもとへ帰るために、飛行機に乗らなくてはならない……」
 彼は「さようなら」を告げるとバック・ステージへ消えていった。
シャツの下から盛り上がって見える大胸筋、袖口からニョッキリ出た太い腕。これがオリバの魅力なのだ。

シャツの下から盛り上がって見える大胸筋、袖口からニョッキリ出た太い腕。これがオリバの魅力なのだ。

~~初めてのコンテスト~~

オリバも初めからこのように、いつも人々の称賛を浴びていたわけではなかった。
オリバが初めてフィジーク・コンテストの世界に足を踏み入れたのは、1965年のミスター・シカゴYMCAコンテストであった。
彼が控室でウォーム・アップしていると「こいつはスゴイ奴だ」というささやきが他の出場者たちの間からもれた。彼は大きい。ゆうに86kgはある。
そして、なによりも筋肉のキレがものすごかった。彼の腕はこの頃からすでに目立っており、
カールやプレスをやると一段とデッカクなったように思われた。この当時は英語をしゃべれなかったので、他の出場者とは話しなどせずに、
すみっこのほうで一人でウォーム・アップをやっていた。
 彼の名前が呼ばれると、サーッとポージング台上にのぼり、明るい笑顔を見せて、ポージングを始めた。左にジャンプして右にホップする。左手を空中に突き出す。
右腕の上腕二頭筋を収縮させると、彼は背中を見せて回転した。そしてクルリと向き直ってオジギをして台を降りた。観客は驚いてガヤガヤとさわぎ出した。
「今のは一体何だ!新しいダンスのステップなのか?それとも背中でも痒かったのか?」場内にはあきらかに嘲笑ともいえる笑いが起った。
 彼のポージングは、たぶん10秒間もなかっただろう。だから、ジャッジが彼のからだをちゃんと評価する前に、すでにステージを降りてしまっていた。
 このため、オリバがはじめて出場したこのローカル・コンテストでは、期待されながらもダメだった。このときはスティーブ・コーティスが優勝している。
彼はまた、この年のミスター・イリノイでもセルジオを破っており、ティーン・エイジ・ミスター・アメリカ・コンテストではモースト・マスキュラーを獲得している。

~~ガイダとの出会いへ~~

 アメリカにやってくる前のセルジオ・オリバは、キューバのウェイト・リフティングのナショナル・チームの一員であった。彼のチームの誰よりも激しいトレーニングを毎日やっていた。
他のオリンピック・リフターと同じように、3種目のリフティング(現在は2種目)の他に、スクワットやプルアップなど1セットあたり5回のトレーニングを1週間に3回ほどやっていた。
だが、オリバはこの当時からボディビルディングに興味を持っており、トレーニング・オフの日も、ボディビルディング・エクササイズを20回の15セットいつも行なっていた。
 オリバは共産主義社会のキューバでは、市民生活にもいろいろと制限があって、いつも抑圧されていると感じていた。彼は自由の空気を求めていた。
ちょうどそんな時、リフティング・チームがジャマイカに遠征したのである。そこで自由主義社会に触れる機会を持ったのである。オリバは決心した。
とにかくアメリカ大使館に逃げ込もう、そうすれば何とかなる。というのは、アメリカでは、共産主義社会からの亡命者を歓迎すると聞いていたからである。
 こうして彼はフロリダに輸送されシカゴで働くことになった。そこはスペイン語が通じる地区で、近くにYMCAのよく完備しているウェイト・トレーニング・ルームがあった。
そのトレーニング場のインストラクターが、のちのミスター・アメリカ、ボブ・ガイダである。
 二人のジャイアントの間に友情のキズナが結ばれたのは、このときからである。ガイダがそこから2マイル離れたダンカンYMCAに移ったときオリバもそこでトレーニングするようになったのも当然であった。
 ガイダがYMCA全体を、ウェイト・トレーニングのクラブに変えてしまったのはここである。ガイダはウィットに富んだ魅力的な男である。
彼はYMCA総本部に働きかけて、このダンカンのウェイト・トレーニング場の設備を世界で最大の規模にする構想を打ち立てた。そして、それは実現したのである。
 このボディビルディング場は、ダンカンYMCAの中心となり、およそ20m×30mのスペースに全ての種類のトレーニング器具が備えられた。
へビー・リフティング・ルームは、メイン・ルームと少し離れたところにあり、多数のオリンピック・セット、二つのプラットホーム。パワーラックといったものが完備している。
これだけの器具がそろっているのだから評判が高まって、多くのナショナル・クラスのリフターやフィジークのチャンピオン達が集まった。
 例えば、ラス・ニップ、マイク・ハスカ、アラン・ボール、フィル・グリパルディ、ジョー・プレオ、ラリー・スコット、チャック・サイプス、ジョン・ドリスタン、そしてハンク・ザルコといったような人がトレーニングを始めたのである。
 そこでトレーニングするものは、誰れでもガイダの影響を受けた。名インストラクターといえよう。ナショナル・チャンピオン・シップがシカゴで行なわれたが、それもガイダの働きによるものであった。
そんなこともあって、オリバを含む誰れもが以前にもましてハードなトレーニングに打ち込むようになった。
 彼はますますボディビルディングに熱中した。かっては国際級のオリンピック・リフターであったことなど、まるで忘れてしまったかの様に、もはやボディビルディングのルーティンしかやらなかった。
 オリバはこの当時のことを次のように語っている。
「私はその頃トラックに牛肉を積み降ろす仕事をやっていた。よく働いたと思う。
 太陽がのぼる前にはカンズメ工場に到着して仕事の準備にとりかかっていた。トラックに荷物を積んで助手席に座り、配達しに出かける。ふつう、1回トラックで出かけると、それで1日分である。
ところが私は力があまっているので、たちまちのうちに仕事を終えてしまい、午後のまだ陽が高いうちに、工場にもどってきてしまうのである。運転手は『君はもう帰っていい』と言ったのだが、
私はまだろくすっぽ英語ができなかったので、休憩するだけだと思っていた。まだ時間も早いので他のトラックに荷を積むのを手伝ったりした。手伝ったついでに再び助手席に乗って配達に出かけたのである。
 こんなことを2週間ほど続けていたが、給料は1回の配達分しかもらえなかった。私にしてみれば、この程度の仕事ではほとんど疲れなかったのでボスにちやんと2回分働かせてくれるように頼んだのだが、
一人だけそんなことをやっているとトラブルのもとになると断わられた。それで、私一人だけは、ケタはずれに早く仕事を終えてしまい、ジムに行って、たっぷりとトレーニングすることが出来たのである……」
この当時は、もちろんまだオリバが勝利の歓声を上げていないときであった。
月刊ボディビルディング1977年7月号

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