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三島由紀夫氏の死によせて

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月刊ボディビルディング1971年2月号
掲載日:2018.07.28
JBBA理事長 玉利 斉
 この一文を書くにあたり、まずボディビルの最もよき理解者であり、かつ実践者であった三島氏に心から弔意を表したい。
 昨年11月25日真昼の三島氏の壮絶な死は、私にとってまさに青天の霹靂(へきれき)であったとともに、言葉をもって言い表わすことのできないほど強い衝撃と感銘をおぼえた。
 三島氏の死については、すでに、多くの識者たちが賛否こもごもに語っているので、今さら私がその死について論ずる必要はないが、ただ、私は三島氏とボディビルによって知り合い、それ以来16年、必ずしもボディビルのみによる交わりではなかったが、やはりボディビルを軸としたおつきあいであっただけに、三島氏のボディビルに対する考え方、とり組み方について改めて述べてみたい。
 おもえば昭和30年の夏、ボディビルをやりたいといってこられた三島氏と初めてお会いしたときの印象が、きのうのようにうかんでくる。
---私は子供の頃から虚弱だった。頭脳は学生時代から作家になった現在まで、いつも鍛えているから、外遊のときなど世界の文化人と話しても少しもコンプレックスを感ずることはないが肉体に関しては、見かけの貧弱さはもちろん、体力においても、健康という点においても、まったく自信がない。作家は机に向ってする仕事だけに、どうしても不健康になりやすい。何とか人並以上の健康と、逞しさを獲得したいと常々思っているが、私でもボディビルをやれば力強い逞しい肉体の持主になれるだろうか---
 と、いうような問いかけを、目を輝かせながら語っていたのを記憶している。
 それ以後の三島氏のボディビルの実践については、すでに説明の必要のないほどに世に知られている。三島氏のボディビルは、筋肉の美しさと、形態的な見事さだけを求めたナルシズムだと批判する人がいるが、私は、そのような表面的なとらえ方ではなかったと確信している。
 たしかに、三島氏の貧弱だった肉体が逞しくなるにつれて、彼はその逞しさを誇るかのような写真をいろんな雑誌等に発表した。しかし、三島氏にとって、その肉体の誇示は、あくまで高い精神の輝きと、雄々しい行動のための、男性的な宣言であったにちがいない。
---日本の作家は、どうしてみんな青白くて、ひ弱で、そのくせルーズで不節制な生活をしているのだろう。アメリカの作家、ヘミングウェーなんか若い時はプロボクサーとスパーリングをするほど強かったというし、年老いてからも、相当な体力を必要とするマグロ釣をやっていたそうだ。だから、激戦の中でも、革命の嵐の中でも、平気でとび込んで行き、どんな冒険にも挑戦することができたのだ。その結果があの男性的な雄大なスケールの小説となったのだと思う---
 と、語っていたことがある。この言葉からみても、三島氏がまず第一に追ったのは、健康で力強い肉体であり、次に、その力強い肉体からほとばしるエネルギーに満ちた行動であったと思う。三島氏にとっては精神と行動のともなわない肉体の見事さは、全く無意味であり、肉体を鍛えることが同時に逞しい精神力と行動力を獲得することに直接つながらなければならないのだ。
 したがって、肉体を鍛える手段としてのボディビルは大いに必要であり、また鍛えあげられた逞しい肉体の美しさは認めるが、それが形態的な美しさだけに止る限り、三島氏は複製の芸術作品を見るような冷い目で見ていたのだと思う。三島氏が求めた真の男性の美しさは、肉体と、精神と、行動が三位一体となって燃える姿であった。いいかえるならば、肉体の強さや美しさを精神と結びつけ、自分が価値ありと信ずる何物かに自分の全存在を燃焼させた人だったといえるだろう。
月刊ボディビルディング1971年2月号

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