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★ミスター・ボディビルディング★
アーノルド・シュワルツェネガー 栄光の記録<その3>

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月刊ボディビルディング1978年9月号
掲載日:2018.05.14
国立競技場指導係主任 矢野雅知
 アーノルド・シュワルツェネガーについては、過去に幾度となく紹介されてきた。そして、そのいずれもが、ボディビルダーとして、あらん限りの称賛の言葉でつづられている。コンテストを引退してからは、映画に著作に、あるいはまた、新聞、雑誌、テレビのインタビューを通して、ボディビルディングの普及発展に現役時代以上の活躍をしている。

 今回は、対話形式にして、彼の人となり、考え方なりをもう一度うかがってみたいと思う。
質問―あなたをはじめとして、このところテレビや映画でボディビルダーの活躍が目立っているが、一般の人たちはボディビルをどのような目で見ているのだろうか?

 以前にはスティーブ・リーブスやレジ・パークといったミスター・ユニバースがスクリーンで活躍していたし、デープ・ドレイパーも大きなからだで人気を集めていた。最近では、フランク・ゼーンやスティーブ・デイビスなども役者としてなかなかのキャラクターを持っているようだし、大ヒットした映画「スター・ウォーズ」のダース・ヴェイターもパワーリフティングのチャンピオンであるボディビルダーが演じている。以前のように特定の人物が活躍するだけでなく、今や、あらゆる方面にボディビルダーが顔を出すようになってきた。このようなことをどう考えているか?
アーノルド―以前は、ボディビルダーの筋肉隆々としたからだというものは、一般の人にはすべて同じようなものにしか見えなかった。スティーブ・リーブスだろうがレジ・パークだろうが、ミスター・ユニバースであれば、すべて同じステレオ・タイプのものと映っており、どちらが優れているものか判断さえ下すことができないほど、ボディビルダーに対する認識は低いものであった。

 なかには、ボディビルダー・イコール・ホモとさえ思い込んでいる者もいた。ビルダーすべてがホモだなんて考えられたんでは、たまったものじゃあない。それに、ボディビルディングをやると筋肉の柔軟性が失なわれるといった迷信も依然として根強く残っていた。ウェイト・トレーニングは競技スポーツには不可欠であるにもかかわらず、頭から嫌悪している無知なスポーツマンがかなり多くいた。

 ところが、この5、6年、ボディビルダーが非常に注目され出した。スポーツ・イラストレイテッド誌は巻頭に10ページをさいてボディビルディングの特集を組んだり、また、ワイド・ワールド・オブ・スポーツ誌では、5年間にわたってボディビルダーがカバーとなっていた。それに影響されてか新聞、雑誌でもボディビルディングを大きくとり上げるようになり、フィジーク・コンテストもテレビで放映されるようになって、今では最も発展いちじるしい注目すべきスポーツとなっている。こんなことは、5、6年前にはとても考えられない夢みたいなことだった。
質問―それはアーノルド、あなたの活躍が大きく影響しているのではないだろうか。そういうことからもあなたはボディビルディングの歴史に新たな1ページを開いた功労者といえるだろう。その影響が最も大きかったのは、いうまでもなく映画“パンピング・アイアン”であったし、それによって“史上最も完全に発達したビルダー”ともいわれるが、これは大いに誇るべきものと思う。この点については、あなたも同感であろう?
アーノルド―たしかに、それは私も同感だ。しかし、史上最高といっても、昔とちがってトレーニング法も食事法も、すべて進歩しているのだから、そんなに持ち上げることはない。今後、さらに進歩していけば、私よりもっとすごいヤツが出てくるだろう。だから、歴史的にみて、過去、現在を通じて一番すごい男という形容詞は、未来には当てはまらない。現時点での最高としかいえないのである。つまり、そんなに、いつまでも自慢できるようなものじゃあないのサ。

 [注]参考までに付け加えておこう。すでに述べたようにシュワルツェネガーはレジ・パークを最も偉大なビルダーとして尊敬していた。そのレジ・パークは、「最も偉大なビルダーは?」という質問に対して、「それはジョン・グリメックだ!」と答えている。

 今やグリメックの名は、なかば伝説的にさえなっているような気がする。

 私が以前、窪田早大教授とパリに住む写真家のアラックスを訪ねて、いくつかのコンテストのスナップを見せてもらったことがあったが、リーブスの写真などはゆっくり見せてくれたが、グリメックの写真となると、まるで宝物のように、チラッと見せるだけで、すぐにしまい込んでしまった。それだけ貴重な写真なのだろう。

 ところで、「最も偉大なビルダーは?」という質問をラリー・スコットにしてみると、やはりレジ・パークよりだいぶ若いだけに「オリバ、シュワルツェネガー、それにビル・パール」と、今のボディビル・ファンなら誰でも知っている3人のボディビルダーを挙げている。

 スコットよりさらに新しい現代のビルダーなら、恐らくほとんどのものが同じ質問に対して「シュワルツェネガー!」と即座に答えよう。そして、たぶん、グリメックの名は出てこないだろう。

 こうなると、一世を風靡したシュワルツェネガーでさえも、いずれは過去の人となる日がやってくるかもしれない……。
記事画像1
質問―一般にスポーツ選手の競技力は、25才頃に頂点に達するといわれている。だが、水泳のように10代でピークに達するものもあれば、マラソン競技のように30才前後にピークを迎えるものもある。

 ボディビルダーにおいては―たとえばミスター日本優勝者の平均年令は25、6才であり、我が国のビルダーでは、35才を越えてバリバリの現役で活躍している人はほんの2、3人にすぎない。ところが、ミスター・オリンピアに出場するような世界のトップ・ビルダーたちは、ほとんど30才以上であり、しかも彼らのコンディションは、年々向上している。

 そこで、アーノルド、あなたは、ボディビルディングのピークとは、いったい何才頃になるだろうと考えるか?
アーノルド―ボディビルディングは40才になってもまだ限界ではないだろう。たとえば、エド・コーニーなどはとうに40才を過ぎているが、今がベストのシャープとなっており、コンディションも最高である。ビル・パールにしたって、4度目のNABBAミスター・ユニバースになったのは、彼が41才のときであった。

 こうみてくると、ボディビルディングのピークとは、40~45才頃になるといえるのじゃあないかナ。
質問―なるほど。その言葉は、コンテスト・ビルダーとして、年令的に限界だと感じている人々を、ふるい立たせるものだ。日本では、ボディビルディングの歴史が浅いということもあるが、いままでのミスター日本優勝者の最高年令は31才だが、これからは、外国のトップ・ビルダーたちに刺激されて、40才を越えてから自分のピークに達する人も出てくるだろう。

 ところで、コンテストでは、スティーブ・リーブスのようなハンサムなビルダーは、全体のフィーリングをアップするので有利だといわれるが、オーバー・オールのジャッジングに、ハンサムなフェースも大切な要素となるのだろうか?
アーノルド―今までに何人ものミスター・ユニバースが誕生してきた。中には「えッ!!これでも人間?」と疑いたくなるような、ものすごいブ男もいる。我々はミスター・ビューティ・コンテストをやっているんじゃあない。ボディビルディングのコンテストとは、ベストの体格を決めるスポーツのようなものだ。顔の良し悪しが影響するわけがない。

 だが、ポージングでしかめっ面をしたり、リキんだ顔つきをしてはダメ。できるだけリラックスした表情でのぞまなくてはならない。ポージングは、体格の良さを表現するものだが、顔でもそれなりの雰囲気をかもし出すように表現しなくてはならないだろう。顔の造作はともかく、表情は大切なものである。
質問―あなたは、すでに10年近くもアメリカに住んでいるが、ボディビルディングを専門にやっていくにはやはりアメリカにいることが良いのだろうか?
アーノルド―もちろん!映画スターになれたのはボディビルディングのおかげであるが、それもアメリカに住んで十分にトレーニングできたからである。ヨーロッパでもスポーツは盛んだが、アメリカほどではない。だから、プロとして成り立っているスポーツは多くない。ましてやボディビルディングでメシを食おうとしてもヨーロッパではとても満足できるものではなかった。

 私はアメリカに渡って、ジョー・ワイダーと契約してサラリーをもらっていたので、心ゆくまでトレーニングすることが出来た。
質問―プロビルダーとなって、さらに一段と自覚が高まったと思うが、プロビルダーとしてのトレーニングは、どれくらいやらなくてはならないだろうか?むろん、個人差はあるだろうが、あなたの意見は?
アーノルド―プロビルダーとなってコンテストを狙うというならば、コンテスト2カ月前は、1日24時間すべてが勝負となる。トレーニングや食事だけでなく、睡眠も十分にとる必要があろう。そして、1日に4時間はトレーニングしなくてはなるまい。まあ、あとの残り10カ月間は、コンテストがないのだから、1日2時間のトレーニングでいいのではないかな。プロビルダーでなければ、これよりもっと少なくともよい。

 私は現在、コンテストから身を引いているので、1日1時間のトレーニングをやっているだけだ。
質問―エアロビック・スポーツは何かやっているのか?
アーノルド―私はいつも筋肉に強い刺激を与えているから、1週間に3~4回、およそ3kmほど砂浜を走っている。
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質問―フランコ・コロンブとは、アメリカに来てからもズーッと一緒にトレーニングをしていたというが、彼はやはりよいパートナーだったのか?
アーノルド―そう、コロンブはパートナーとして申し分なかった。トレーニングだけじゃあなく、食事も旅行もコンテストも、いつも一緒だった。まるで夫婦みたいだった。これはコロンブが結婚するまで続いていた。ヤツは本当にいい嫁さんをみつけたものだ。
質問―セルジオ・オリバについてはどう思う?以前、トム・スナイダー・ショーに一緒に出演して仲の悪さをみせたということだが……。
アーノルド―そう。我々はかつて、ミスター・オリンピアで雌雄を決した世界のナンバー・ワン同士であったが、これをジョー・ワイダーが演出して、白人対黒人、“キューバの核弾頭”対“オーストリアン・オーク”の対決と、雑誌などであおったものだ。これを、オリバはそのままクソまじめに受けとったから、ついには私を避けるようになってしまった。それに、彼はやや人間ができていなかった。ものすごい劣等コンプレックスを持っていた。

 そんなこともあって、私も彼を好きになれなかった。しかし、私は、彼こそボディビル史上、最も偉大なビルダーであると思っている。彼がもう少しシャープなからだになっていたら、ミスター・オリンピアで彼は私を破っていただろう。とくに1974、75年のミスター・オリンピアのときは、彼は明らかにオーバー・ウェイトだった。だいたい240ポンド(約109kg)以上の体重では、私より重いのだから、身長において私より低いオリバには、シャープさが消えてしまうのは当り前だろう。
質問―1971年度のNABBAミスター・ユニバースは、レジ・パーク、ビル・パール、セルジオ・オリバの3人が3つどもえになった歴史に残るコンテストであったが、なぜあなたは参加しなかったのか?
アーノルド―いや、私はコンテストの2週間前までは出場するつもりでトレーニングしていた。ところが、ジョー・ワイダーが「IFBBのルールでNABBAに出場してはあいならん」といってチョンになってしまった。私はそれまで順調な仕上りで、しかも、かなり意欲的だった。というのは、尊敬する偉大なビルダーであるビル・パールと、ぜひ対決したかったからである。それが一転して出場できなくなり、今では残念でならない。出場を止められた理由は、多分、もしものことがあると、IFBBの権威が落ちるとでも考えたのであろう。

 もし、このコンテストに出場していれば、私はビル・パールを破っていたと思う。なぜなら、彼は私よりデフィニションに乏しかったからである。(註:この言葉の裏には、他の要素、つまり、バルク、プロポーションについては、始めから自分にブがあると、シュワルツェネガー自身も確信していたのだろう)

 オリバはまったく問題なかった。なぜなら、彼はアブラぎっていたからだ。(註:このコンテストは、結局、ビル・パールが優勝した。そのときのジャッジをめぐって、物議をかもしたが、シュワルツェネガーの意見としては、やはりオリバよりビル・パールの方がよかった、とジャッジの正しさを認めている)
質問―最後に、あなたのフィアンセは、なかなかの美人と評判ですが、結婚はいつ頃ですか?
アーノルド―……!?
[どこへ行っても人気のあるシュワルツェネガー。工事現場の作業員にせがまれてちょっと腕を見せる]

[どこへ行っても人気のあるシュワルツェネガー。工事現場の作業員にせがまれてちょっと腕を見せる]

月刊ボディビルディング1978年9月号

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