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ニュース 1983年1月号

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月刊ボディビルディング1983年1月号
掲載日:2020.10.01

■NBBF公認第1回ミスター鹿児島コンテスト 鮫島康夫選手が完全勝利

 コンテストは10月17日、川内市市民会館ホールに約500人の観客を集めて盛大に開催された。鹿児島県のボディビル連盟がNBBFに加盟してはじめての大会で、県内から18名の選手が出場。ゲストには1974年度ミスター・ユニバース3位の宇戸信一選手と1981年度ミス健康美沖縄優勝の平良美佐子さんを招き、観客から何度もアンコールがでて大会は最高に盛りあがった。

 コンテストの結果は、15kgのしぼりこみで出場した鮫島選手が、バルク、デフィニション、肌の色、プロポーションともにすぐれ、審査員全員から満点を獲得し、文句ない優勝をかざった。入賞者は次のとおり[写真下]
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■第1回山口県パワーリフティング選手権大会 10月13日 於・防府スポーツセンター体育館

(記録=山口県パワーリフティング協会・島岡克己)

(記録=山口県パワーリフティング協会・島岡克己)

■第1回関西学生秋季パワーリフティング選手権 57年10月24日 於・京都大学体育館

(記録=関西学生ボディビル連盟広報部長・屋鋪秀成)

(記録=関西学生ボディビル連盟広報部長・屋鋪秀成)

■第4回埼玉県パワーリフティング選手権大会 昭和57年11月14日 於・志木市民体育館

(埼玉県パワーリフティング協会事務局=溝畑貞横)

(埼玉県パワーリフティング協会事務局=溝畑貞横)

■第12回東北学生ボディビル選手権大会兼第7回新人戦――高橋純選手が本戦、新人戦とも制覇

 大会は10月30日、東北学院大学90周年記念館大ホールで行われ、東北学院大学の高橋純選手がキレのよさと抜群のポージングで他者をよせつけず、本戦、新人戦とも制覇した。2位には、1年生ながらかなりバルクをもった東北大の加藤裕史選手が入り、3位には東北学院大の諏訪正幸選手が入った。また、団体戦では、10位以内に4人を入賞させた東北大学が久々に団体優勝をかちとった。

 本戦、新人戦の上位入賞者は次のとおり。
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優勝・高橋純選手

優勝・高橋純選手

2位・加藤裕史選手

2位・加藤裕史選手

3位・諏訪正幸選手

3位・諏訪正幸選手

■第1回茨城県パワーリフティング選手権大会 57年11月23日 於・岩井トレーニングセンター

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■第1回広島県パワーリフティング選手権大会 57年11月21日 ) 於・海上自衛隊呉集会場

(広島県パワーリフティング協会理事長・片岡篤憲)

(広島県パワーリフティング協会理事長・片岡篤憲)

■1982年度世界パワーリフティング選手権大会 1982年11月4日~7日 於・西ドイツ・ミュンヘン

 大会前、アメリカ52kg級の2選手、ダンバーとクンハが全米選手権で552.5kgの好記録を出したと聞いた因幡選手は、それに刺激されてか非常に好調であったらしい。しかし残念なことに世界選手権に出場する前日になってゲリと高熱を出してしまうという最悪の事態となり、優勝したとはいえ、彼にとって近年にない厳しい試合展開となってしまった。だが、アメリカ勢は確実に強くなってきている。詳細は記録を見ていただくとして、因幡選手とダンバーの最後のデッド・リフトにまでもつれこんだせり合いで、次のようなエピソードがあったという。

 ダンバーがこの種目を182.5kgで終わり、トータル550kgをマークした時点で、因幡選手の調子から見て、優勝したつもりのダンバーは、コーチのパシフィコと抱き合って嬉しさのあまり涙をこぼさんばかりであったらしい。そこへ因幡選手がイッパツ逆転を狙って217.5kgに挑み、それを成功させると、今度はくやし泣きの涙をこぼしてしまったというのである。

 来年はまた、どこまで記録を伸ばしていくるかわからないアメリカ勢であるから、因幡選手にとって、10年連続優勝という大記録のかかった来年は、まったく気のゆるせない大会になるであろう。

 56kg級は、日本の伊差川選手が大会前に腰をいためたため不参加となり、アメリカのガントが楽勝。ついでにベスト・リフターも獲得して意気を上げた。

 60kg級は、アメリカの世界記録保持者、プレデリーが全米選手権で体重オーバーで失格、他の選手の記録があまりよくないのでアメリカ選手は不参加であった。結果としてあまり有名でないフィンランドのランペラが優勝したのであるが、この記録ならば、日本の伊藤長吉選手が参加していれば優勝できたのではないかと悔やまれる(ただし、過日、南アフリカで会ったプレデリーは、やはりまだまだ元気で、1クラス上の67.5kg級の体重でスクワット295kg、ベンチ190kgを成功させたのを
私は目のあたりにして、度肝をぬかされたばかりである)

 67.5kg級は、クレインが1クラス上っったため、スターがおらず、スウェーデンのネンティスが優勝。英国のベテラン、ペングリーは不調で2位であった。当のクレインは75kg級でもダントツに強く、772.5kgの好記録で楽勝。

 しかし、ここから上の重量級では、有名選手が優勝してはいるものの、その記録が大きい者は100kgも落ちている事に気づかれるであろう。これは私の想像の域を出ないが今年から行われたステロイドの検査のため、何ヶ月かその服用を止めたからではないかと思われる。これを裏書きするように、フィンランドは、世界選手権へ選手を送り出すに先立ち、国内でステロイド検査を実施し、それにひっかかった何人かの有名選手を失格にして、今回は西ドイツへはつれて来なかったのである。


 そのあたりの事情を反映してか、100kg級の新しいスーパー・スター、、ジム・キャッシュ(ジャン・トッドがシュワルツェネガーよりコナンらしいと評した選手)も、ベストより90kgも低い850kg台で2位となってしまった。

 こうした中で、中尾達文選手の6位は立派である。惜しむらくは、彼が肘の故障なしで参加していれば、ベスト770kgで3位だったのだが。

 こうして、記録的にはめぐまれなかったが、ステロイドと縁を切った健全なリアル・スポーツとしてのパワーリフティングは、また確実に前進の歩みを踏み出しているといえるであろう。(JPA国際部長・吉田進)
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■広島トレーニング・センターからポパイ倉本昌弘選手につづき、プロ選手続々誕生!!

 いまやポパイのニックネームで知られるプロゴルファー倉本昌弘選手につづき、またまた広島トレーニング・センター(金沢利翼会長)のホープ、吉野展弘選手(26才)がデビューした。吉野選手は今年の第9回マルマン・アシスタント・プロゴルフ・トーナメントで昨年に引きつづき優勝。そして10月のプロ・テストに合格。日毎の筋力トレーニングを生かして第二の倉本選手として大いにその活躍が期待されている。

 なお、広島トレーニング・センターからは多くのプロ・スポーツマンが輩出されているが、最近ではプロ競輪選手としてデビューした井田正年選手、出田正年選手、昭和57年のアマチュア世界自転車選手権日本代表の斉藤勝(法大)、岡田晴光(シマノ)の両選手。プロ・テストに合格し、競輪学校に在学中の前田徹、槌井毅、河名尚法、岩田直樹選手等、いずれも当センターの金沢会長の指導でウェイト・トレーニングをつんできた選手たちであった。

■第14回神奈川県パワーリフティング選手権大会 10月31日 於・県立神之木台青少年会館

◆56kg級             S B・P D・L T
①松井 英隆(東京ケーシング) 180.0 115.0 180.0 475.0
②西本 宏(リコー厚木)    150.0 90.0 180.0 420.0
③佐藤 実(厚木自動車部品)  130.0 70.0 170.0 370.0
◆60kg級
①渡辺 勝宏(山九海陸)   200.0 140.0 195.0 535.0
②鈴木 正男(車体工業)   150.0 105.0 177.5 432.5
③近藤 達夫(湘南高校)   160.0 70.0 150.0 380.0
◆67.5kg級
①桑原隆次郎(日産工業)   192.5 127.5 200.0 520.0
②細谷 幸雄(新日本電気)  175.0 130.0 200.0 505.0
③三宅 秀一(アコーダー)  185.0 125.0 190.0 500.0
◆75kg級
①斉藤 文夫(山九海陸)   217.5 147.5 242.5 607.5
②金井 正(神之木台)    165.0 110.0 185.0 460.0
③飯田 譲治(リコー厚木)  125.0 90.0 172.5 387.5
◆82.5kg級
①末永 春美(海洋興業)  250.0 162.5 247.5 660.0
②中村友三郎(東海大学)  155.0 135.0 205.0 495.0
③倉持 寿明(港和実業)  175.0 90.0 190.0 455.0
◆82.5kg超級
①青田 正順(新栄工機)   260.0 180.0 247.5 687.5
②桑原 広美(港栄作業)   245.0 177.5 240.0 662.5
③岩間 勧(神奈川大学)  177.5 155.0 222.5 555.0
【註】82.5kg超級岩間勧選手のスクワット177.5kgとデット・リフト222.5kgはジュニア日本新記録。またオープン参加の吉田寿子選手が女子48kg級デット・リフトで135kgの日本新記録を出した。 
[記録=神奈川県パワーリフティング協会・飯島忠一]
月刊ボディビルディング1983年1月号

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