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ニュース 1983年4月号

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月刊ボディビルディング1983年4月号
掲載日:2020.10.13
悲報を知った私は
急な坂を曲ってのぼり 君の前に座る
号泣する私に
老いたる父や母や 兄たちは
深く頭をたれて それは涙の川となった

これほどまでに悲しい無念の涙があるのか
通夜のよるが......時を重ねて流れてゆく
夜があけると潮の匂いのする細い道を
無言の長い列が君のあとを追う
さようなら 野辺の送り

私の脳裡にあの京都の夏がよみがえる
君はフランク・ゼーンに似ているといわれ
26才でオールジャパンのチャンピオンとなった
生涯でもっとも楽しかった夜
そうだろう
黒木寿よ
27才 宮崎空港の中で君の白い背広がゆれる
フィリピン・マニラへの門出
アジア選手権2位のトロフィーは延岡のジムにある
その栄光の写真は君の里にある

あのやけついた伊勢ヶ浜の砂の上に
汗がおちる
走って 走って 走りぬいた
君のボディビルへの青春 私は忘れない

南国のジムの片隅に夕陽が落ちて また昇る
鬼神のような君のトレーニング姿は
もう どこにもいない
淋しい流れが 私を限りなく幽愁の世界へ誘う

君は歩いてくる
やさしく微笑み バーベルを握る
おお! 寿よ 君はよみがえってきたのか
君は不死鳥だったのか
私はかけよる 君は夕闇の彼方へ消える

ことしは“まつり宮崎”にでて
アポロに ミスター日本にと夢をつないだのに.........
不吉な影は魂を奪い
鍛えあげた筋肉までも つれていってしまった

鞭をうち 疾走する黒木寿よ
今となってはせんないけれど
ステージのスポットの光の中で
よみがえれ! もう一度
せめてもう一度 君のポージングを......
(波岡嘉里)

■JPA国際部ニュース......国際部長・吉田進

①ベンチプレスの大型新人、テッド・アーシディー(アメリカ)

 現在の世界最強ベンチ・プレッサーは、いわずと知れたスーパーヘビー級のカズマイヤーである。しかし、一昨年のワールド・ストロンゲストマン・コンテストで大胸筋を切った彼は、今でもベンチプレスは完全には復調せず、時間の問題と思われた700ポンド(317.5kg)の壁を破る者は当分の間だれもいないように思われた。
 しかし、そこはアメリカ。近い将来700ポンドを狙える新人が現われた。彼の名前はデッド・アーシディー。身長175cm、体重125kg、年令24才、キャリア5年。公式のベスト記録は125kg級での285kg。これが彼のプロフィルである。
 彼の記録の伸びがいかに早いものかは、次の例を見るとよくわかる。始めてバーベルを握ったのが1978年、19才の時で、きっかけとなったのは、冬の間、雪にうもれて何もする事がなかったからとか。
 この時の体重が77kg。2年後の1980年生まれて始めてパワーリフティングの試合に100kg級で出て、その時のベンチプレスが207.5kg。次に1981年11月に110kg級でベンチプレス247.5kg、そして1982年6月に125kg級で275kg。その半年後、ニューハンプシャー大会で同じく125kg級に出て285kg。以上が彼の出た試合すべてである。現在彼は4月のハワイ国際招待試合で300kg以上を挙げるべくトレーニング中である。
 次に彼の代表的ベンチプレスのトレーニング・メニューを記しておこう。非常に重い重量を扱っているが、この何パーセントかの重さを使えば、我々の参考になると思う。
記事画像1

②全米YMCAパワーリフティング選手権大会
1983年1月8日 オハイオ州コロンバス

 現在、アメリカで全国規模のパワーリフティング大会といえば、7月の全米選手権6月のジュニア選手権4月のハワイ招待大会、そしてここに紹介する1月のYMCA選手権大会の4つがあげられる。
 このYMCA選手権大会とは、全世界に支部をもっYMCAでトレーニングをしている者の大会ということになっているのだが、実際には若手の登龍門となっている。
 毎年毎年、この大会を足がかりとして全米選手権世界選手権へと羽を伸ばしている有望なリフターが登場するのであるが、今年の大会で目についた選手としては、67.5kg級のフィンチ、75kg級のコーンの2人がいる。また、今年もっとも層の厚かったのは100kg級で、1位から5位までが17.5kg差(897.5kg~880kg)、12位までの選手が800kg以上という接戦であった。
 次号では全米女子選手権大会、そしてさらに次々号では日本の因幡選手が4年ぶりに招待されるハワイ国際招待大会の結果を紹介する予定です。
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JPAパワーリフティング日本男子十傑、女子五傑
(昭和58年1月1日現在)

記事画像3
月刊ボディビルディング1983年4月号

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