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メタボもロコモもHi!タックル!
レスリング元世界チャンピオン、元Ms.日本ファイナリストがご推薦する。第1回 レッスサイズ(Wrestle-cise)とは何か!?

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[ 月刊ボディビルディング 2012年5月号 ]
掲載日:2017.05.01
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はじめに

ヒトは誰でも年をとり、肉体は年齢を重ねるごとに衰えていきます。個人差はあるものの30代前半頃までは、20代と比べてもそれほど肉体的な衰えを感じないようです。せいぜい、”運動不足が気になる”程度ではないでしょうか?ところが、35歳くらいになると体のさまざまな部分に衰えを感じるようになります。これについては、東京大学大学院教授・石井直方先生の著書などで詳しく解説されていますので、ここでは省略させていただきます。

私は怪我や出産による休止期間があったものの、28歳までレスリングの現役選手を続けました。しかし、引退してからは、選手の育成(当時は自宅のマンションでレスリング部の大学生や高校生とともに寝食を共にし、食事も作っていました。当時のいわゆる下宿生の中には、後に世界チャンピオンになった青森県出身の伊調馨や坂本日登美がいました。)、大学助手の仕事、子育てなど公私ともに忙しく、また、”昔取った杵柄で体力だけは自信があり、まだまだ大丈夫”などと高をくくっていたことも手伝って、レスリングとトレーニングをパタリとやめてしまいました。それでも、32~33歳ごろまでは、体重や体のライン、体力もさほど変わらなかったこともあって、その気になればいつでも現役に復帰できるとさえ考えていました。しかし、その勘違いが命取り。その後、徐々に体重が増え始め、”これが中年太り…?”と内心あわてたものの、”ダ~イエットは明日から♪”とまたまたトレーニングを後回し。そして、引退後7年ほどたった35歳ごろには体脂肪量の増加と筋肉量の低下による体のラインの崩れ、筋力や柔軟性の低下などの”肉体の衰え”が現実化してしまいました。”体力的な衰え”よりも、”見た目の衰え”いわゆる”おばさん体系”になってしまったのです。

ちょうどその頃、勤務していた中京女子大学(現・至学館大学)で筋力トレーニングの実技と講義を担当することになりました。その昔、レスリングの現役選手をしていたころは”筋トレ好きな涼子ちゃん”とチームメイトに呼ばれていたこと。世界選手権でオフシーズンにはボディビルに取り組んでいるアメリカ、フランス、ウクライナなどの選手と対戦する度に”カッコ良いな~”と心密かに憧れていたこと。また、当時は早稲田大学教授であられた窪田登先生や前述の石井直方先生の著書を筋トレのバイブルにしていたことを思い出し、”筋力トレーニングを勉強するならボディビルだ”と、その後5年間を目途にボディビルの実践的な勉強(トレーニング)をしつつ、ボディビル大会にもチャレンジすることを心に決めたのです。

話しは逸れましたが、5年間、真面目に(?)トレーニングに取り組んだお陰で、”おばさん体系”から脱することができ、体重・体脂肪量減、体力面の回復、レスリングの古傷であった腰痛や膝痛の改善など、さまざまなプラスの連鎖が起こっていきました。これらのトレーニングによる効果は、最初の1~2年で目覚ましく、筋力トレーニングは何歳から始めても効果があることを身をもって経験したのです。

いつまでも、健康で若々しくいるためにはどの年代でもトレーニングが欠かせないことを学んだ私は、次のステップとして、気軽に幅広い年齢層の皆さんにレスリングに親しんでもらいたいという願いをこめて、レスリングとトレーニング(エクササイズ)の良いところを合わせたレスリング体操、名付けて”レッスサイズ(Wrestlecise)”を考案することにしました。

私のレスリング歴

レスリング選手だった頃の筆者

レスリング選手だった頃の筆者

私がレスリング選手として競技生活を送ったのは、1987年から1999年の12年間です。少年少女レスリングの名門、吹田市民教室で基礎を学び、第1回全日本選手権、および第1回全日本女子オープン選手権(現・ジャパンクイーンズカップ)で優勝。現役引退前の数年は、プレイイングコーチとして選手をしつつ母校・中京女子大学で後輩達の育成を始めました。この時点では、女子レスリングがオリンピックの正式種目になることが決まっておらず、後ろ髪を引かれる思いで28歳で引退をしました。
1992年第4回世界女子レスリング選手権で優勝した時。

1992年第4回世界女子レスリング選手権で優勝した時。

全日本選手権大会では1987年から1991年まで連覇を続け、通算8度の優勝を果たしました。この通算記録は、引退数年後に浜口京子さんや吉田沙保里さんに破られることになったのですが、当時、国内の選手の中では最も安定した成績を残していました。しかし、世界選手権では87年5位、89年2位、90年3位とあと一歩が足りませんでした。91年に左膝前十字靭帯の手術で戦列をはなれたものの、リハビリテーションの間、それまで以上に積極的に筋力トレーニングに取り組んだお陰で翌年1992年にカムバック。世界選手権出場5年目にしてようやく57㎏級で初優勝することができました。

筋力トレーニングとの出会い

2008年日本女子ボディビル選手権8位

2008年日本女子ボディビル選手権8位

筋力トレーニングとの出会いは、高校1年生の頃。それまでは、専ら腕立て伏せ(プッシュ・アップ)やヒンズースクワット、腹筋(シット・アップ)などの自重トレーニングやタイヤ投げ、鉄棒、そしてなぜか石塀登り(子供の頃から木や石塀に登るのが得意でした)などで力をつけようと、これらの運動に励みました。高校生になった私に埼玉大学で教鞭をとりつつ、パワーリフティングをしていた松尾の叔父さん(松尾昌文・埼玉大学名誉教授)が、”レスリングで世界チャンピオンになりたかったら筋トレをしっかりやりなさい。君ならベンチプレスで80㎏は挙げられます”というありがたいアドバイスをして下さったことが始まりでした。早速、レスリングの練習で毎日のように通っていた吹田市民体育館(大阪府吹田市)のトレーニング室へレスリングの練習前後に足を運ぶようになり、それから少し遅れて、スパーリング中に負傷した肩の主治医であった故市川宣恭先生(元大阪体育大学教授)の勧めで、先生が所長を勤められていたダイナミックスポーツ医学研究所(大阪府大阪市)で本格的に筋力トレーニングに取り組むことになったのです。

筋力トレーニングを始めた当初は、ベンチプレスで20㎏を挙げるのがやっとで、30㎏は全く持ち挙げることができませんでしたが、それでも続けていくと少しずつ挙上重量が伸びていきました。結局、80㎏を挙げるにはそれから3~4年ほどかかりましたが、当時から、特にチンニングやロウイングなど背中の種目が得意だったことがレスリングに大いに役にだったように思います。

高校1年生か2年生の頃、レスリングの大会に出場するため東京の代々木体育館に行った時に、たまたま、敷地内でボディビルの国際大会が開催されていました。その時、女性のボディビルダーを初めて目の前で見た私は、その筋肉美に釘づけになったのです。そして、「レスリングを引退したらボディビルをやろう」と心に決め、ますます筋力トレーニングに力を入れることになったのでした。

このエクササイズ誕生の経緯~窪田先生の一言から始まった?~

“レッスサイズ(Wrestle-cise)”は、ボクサーのトレーニングを一般の人向けにアレンジした”ボクササイズ”がヒントとなっています。”Wrestling+Exercise”から創った言葉で、レスリングのさまざまな基本動作と、窪田登先生の著書”肉体改造並びに体力増強のしかた”(スキージャーナル、2009)でも述べられている”体力の3S”、すなわち、”筋力(Strength)、柔軟性(Suppleness)、全身持久力(Stamina)の3つの体力因子”で構成された、ボディ・シェイピングやリシェイピングのための新しいエクササイズなのです。

実は、この”レッスサイズ(Wrestle-cise)”は、窪田登先生が生みの親。窪田先生との出会いは、2011年の初夏。ありがたいことに知人を介して、窪田先生ご夫妻にお会いする機会に恵まれました。窪田先生と言えば、私からすると”雲の上の人”。まさかその窪田先生に仕事やトレーニングについて、ご指導をいただけるとは、その時は夢にも思っていませんでした。

ある時、先生が私に「”レスリング体操”というのをやったら面白いと思うね」と仰ったのです。この一言がきっかけでした。さらに、「レスリングの基本動作は、中腰姿勢で前後左右に動くものだから足腰や腹筋にはとても良いトレーニングなのだよ。レスリング(Wrestling)は、レッスル(wrestle)から来ているから、”レッス・サイズ”という言葉を使ったらどうだろう」と大変面白いアドバイスをして下さったのです。このような柔軟な発想は、今まで〝金メダル〟が全てであったガチガチのレスラー頭の私にはなかったのです(大げさな言い方になるかもしれませんが…)。これはレスリング界にとっても新たな可能性を秘めた素晴らしいアイデアだと感じました。

レスリングと言えば、ヨーロッパ発祥の格闘技。2004年のアテネ五輪でオリンピックのレスリング競技史上、初めて女子種目が公式に採用されてからは、吉田沙保里選手などの女子レスラーの活躍が目覚ましく、TVや雑誌などでもすっかりお馴染みのスポーツになったものの、実際にやってみたいスポーツかと言えば、そうでもないようで、”子どもや一般の人には縁遠いスポーツ”というイメージがあるようです。しかし、”競技”や”格闘技”ではなく、”体作り”という視点から見ると、基本動作やレスリング独自のトレーニングには、子どもから一般の人の体力の向上に応用可能なものが数多くあります。

そこで、レスリングのエッセンスを取り入れた、幅広い年齢層の人々が、一人でもグループでも気軽に取り組むことができる新しいエクササイズとして”レッスサイズ(Wrestle-cise)”を紹介したいと考えたわけです。”レッスサイズ(Wrestle-cise)”の詳細については、次回より詳しく説明していくことにしましょう。
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≪レッスサイズ一言メモ≫

サブタイトルの『Hi!タックル』は、英語のHi=『やあ、こんにちは』と、レスリングの『ハイ(high)・クラッチ・タックル』をかけて『ハイ・タックルしましょう!』という意味合いで、『ラジオ体操始めましょう!』のような気軽に始められるイメージに繋がるように、と私なりに考えました。

注1)『ハイクラッチ・タックル』とは、『頭を相手の脚の外側にだす片足タックル』のことです(写真1)。吉田沙保里さんが得意とする『両足タックル』ほどの派手さはないのですが、確実にポイントを決められるため私の得意技のひとつでした。写真2は、1990年全日本オープン選手権の決勝戦で、ハイクラッチ・タックルから両足タックルへ技を展開させた筆者です。
  • 坂本涼子(さかもと・りょうこ)
    1970年4月24日、福岡県北九州市で生まれる。
    16歳のとき吹田市民教室でレスリングを始め、1987年、第1回全日本選手権で優勝、
    1991年まで連覇を続け、通算8度の優勝を果たした。
    世界選手権では1992年に57kg級で優勝をした。
    最近ではボディビル大会にも出場している(2008年全日本ボディビル選手権8位など)。
    1997年に中京女子大学大学院健康科学研究科修了(健康科学修士)。
    同大学健康科学部助手を経て、2002年講師(2007年より「助教」に呼称変更)、
    2010年9月に依願退職した。
    在職中は同大学レスリング部コーチ、部長、JOC日本オリンピック委員会強化スタッフなどを務めた。この間、アテネオリンピックに吉田沙保織、伊調馨・千春の3選手が出場した。

    今後は、これまでの競技歴や筋力トレーニングの経験を生かして、女子レスリング選手の指導、さらには一般人へのレスリング体操『レッスサイズ(Wrestle-cise)』の普及に力を注ぐ。

[ 月刊ボディビルディング 2012年5月号 ]

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