第三話 課題過多。何から手をつけたら良いのやら【CREDO 山門武志】
掲載日:2018.11.28
歓迎されないままひっそりとサポート開始
就任の挨拶が一通り終わると、皆それぞれの練習台へ戻っていき、黙々と球を打ち始めた。
静まり返った体育館にカコン、カコンと乾いた空気に響き渡る一定のリズムのラケット音が、またなんとも言えない眠気すら誘ってくる。
こうして僕のトレーナー再始動は、どこの誰とも分からぬトレーナーとして選手から歓迎されることなくひっそりと始まった。
しかし、いわて国体まで残すところ2年しか残されていない。いや、正確に言えば1年半しかなく、僕に悠長に構えている暇などない。
選手たちの課題を一通り監督から聞いた僕は、早速選手たちのフィジカル面のチェックを行ったのだが、確認すればするほど時間がないという危機感を増していった。
これまで担当していたトレーナーはもちろん存在しない。故に、データや状態を引き継いでもらえる宛もないため、一から情報を収集していく必要に迫られていた。
そして膨大なデータ収集や整理、一人ひとりの状態や性格、おまけに信頼関係を構築していかなければ選手も大切な体を任せようとは思うはずもないといった課題を目の前にプレッシャーで押しつぶされそうになっていた。
静まり返った体育館にカコン、カコンと乾いた空気に響き渡る一定のリズムのラケット音が、またなんとも言えない眠気すら誘ってくる。
こうして僕のトレーナー再始動は、どこの誰とも分からぬトレーナーとして選手から歓迎されることなくひっそりと始まった。
しかし、いわて国体まで残すところ2年しか残されていない。いや、正確に言えば1年半しかなく、僕に悠長に構えている暇などない。
選手たちの課題を一通り監督から聞いた僕は、早速選手たちのフィジカル面のチェックを行ったのだが、確認すればするほど時間がないという危機感を増していった。
これまで担当していたトレーナーはもちろん存在しない。故に、データや状態を引き継いでもらえる宛もないため、一から情報を収集していく必要に迫られていた。
そして膨大なデータ収集や整理、一人ひとりの状態や性格、おまけに信頼関係を構築していかなければ選手も大切な体を任せようとは思うはずもないといった課題を目の前にプレッシャーで押しつぶされそうになっていた。
課題過多、腕立て伏せは一回もできない
さらに追い打ちをかけるように、選手たちのフィジカル面では僕を落胆させる事態が起きた。
それは選手のフィジカル面の課題について監督とやりとりをしている時だった。
「この選手は国体にも選ばれる有望な選手です。でも、腕立て伏せが一回もできないほどに力がない。ほら、ちょっとやってみなさい。ね?姿勢を維持することすらままならない状態です。これ、なんとかなりますかね?」
まさかここまでとは思わなかった。卓球競技がコンタクトスポーツではないことはもちろん分かっていたが、紛れもなくアスリートである。これほどフィジカル面が弱いとは想定すらしていなかった。
しかも「まだ他にも似たようなやつがいるんです。」と監督が続け様に言い始めた。
(これじゃあまるで、アスリートの指導というよりもむしろ、幼児の体操教室と同じような状況じゃないか)
僕は激しく失望し、これから先に不安を抱え始めていた。
「野田先生、果たして何から始めればいいんでしょうね(笑)」
半ば自虐的と言える質問に監督も苦笑いをした。
「まぁ、全てお任せします。私の方で協力できることがあれば何でも言ってください。」
それは選手のフィジカル面の課題について監督とやりとりをしている時だった。
「この選手は国体にも選ばれる有望な選手です。でも、腕立て伏せが一回もできないほどに力がない。ほら、ちょっとやってみなさい。ね?姿勢を維持することすらままならない状態です。これ、なんとかなりますかね?」
まさかここまでとは思わなかった。卓球競技がコンタクトスポーツではないことはもちろん分かっていたが、紛れもなくアスリートである。これほどフィジカル面が弱いとは想定すらしていなかった。
しかも「まだ他にも似たようなやつがいるんです。」と監督が続け様に言い始めた。
(これじゃあまるで、アスリートの指導というよりもむしろ、幼児の体操教室と同じような状況じゃないか)
僕は激しく失望し、これから先に不安を抱え始めていた。
「野田先生、果たして何から始めればいいんでしょうね(笑)」
半ば自虐的と言える質問に監督も苦笑いをした。
「まぁ、全てお任せします。私の方で協力できることがあれば何でも言ってください。」
何から手をつけたら良いのやら
初めて挨拶に行ってから2週間の間、僕は指導し始めるまで何とか今後の計画を練ろうと必死になっていた。
なにせこれまで関わったことがない競技で、おまけに課題は山積み。それに選手の信用すらない状況では、もう何から手をつければいいのか誰も教えてくれない。
そんな中、この時僕は、サラリーマン。
雇われの身として、朝早くから夕方まで、就業時間内はもちろん業務をこなさなくてはならない。
もう頭がこんがらがるし、パンク寸前に陥っていた状況で思いもよらない話が知り合いのトレーナーから僕に舞い込んできた。
それは仕事が休みの土曜日、せっかくの休日ではあったものの国体のトレーナーに就任した関係で、それらを統括する県の会合に出席しなければならなかった。
そこで久しぶりに会ったトレーナー、彼は唯一岩手県に移住する前から知り合いだった人だ。
「おぉ、山門君久しぶりだね。ちょうど良かった、実は折り入って相談したいことがあるんだ。」
「ご無沙汰しております。どうしたんですか、急に?」
「いや、実は知り合いに女子サッカー部の監督に就任した方がいて、その人がトレーナーを探しているんだよね。時間取れそうな時にでも、一度その人と会ってくれないかな?」
「ハハハ。いや、サラリーマンやりながら、国体のトレーナーになったばかりで、とてももう1チーム見るなんていう時間が取れそうにありません。申し訳ありませんが、率直に難しいですね。」
「まぁ、一度会ってみるだけでもいいからさ。俺の顔を立てると思って、ね!」
なにせこれまで関わったことがない競技で、おまけに課題は山積み。それに選手の信用すらない状況では、もう何から手をつければいいのか誰も教えてくれない。
そんな中、この時僕は、サラリーマン。
雇われの身として、朝早くから夕方まで、就業時間内はもちろん業務をこなさなくてはならない。
もう頭がこんがらがるし、パンク寸前に陥っていた状況で思いもよらない話が知り合いのトレーナーから僕に舞い込んできた。
それは仕事が休みの土曜日、せっかくの休日ではあったものの国体のトレーナーに就任した関係で、それらを統括する県の会合に出席しなければならなかった。
そこで久しぶりに会ったトレーナー、彼は唯一岩手県に移住する前から知り合いだった人だ。
「おぉ、山門君久しぶりだね。ちょうど良かった、実は折り入って相談したいことがあるんだ。」
「ご無沙汰しております。どうしたんですか、急に?」
「いや、実は知り合いに女子サッカー部の監督に就任した方がいて、その人がトレーナーを探しているんだよね。時間取れそうな時にでも、一度その人と会ってくれないかな?」
「ハハハ。いや、サラリーマンやりながら、国体のトレーナーになったばかりで、とてももう1チーム見るなんていう時間が取れそうにありません。申し訳ありませんが、率直に難しいですね。」
「まぁ、一度会ってみるだけでもいいからさ。俺の顔を立てると思って、ね!」
2チーム目、サポート決定
僕は、半ば強引に押し切れるような形で会う約束をしてしまった。ただでさえ卓球競技という未知なる分野に突撃しようとしていた僕にとって「まぁ会ってみるだけなら」と軽薄に振舞ってでもいないと、プレッシャーにすぐにでも押しつぶされそうで怖かったのだと思う。
こうして、僕は奇しくも卓球部と同じ高校である専修大学北上高校女子サッカー部のトレーナーにも就任することになる。
僕自身、岩手県に移住してからまったく想像すらしていなかった方向に人生が舵切られていくのを肌で感じながら、女子サッカー部の佐藤監督との初対面の日、僕は監督に「分かりました。」と言って就任を引き受けてしまっていた。
自分でも、どうなるか先がまったく見えない中で、1ヶ月に一気に2チームも担当することが決まったことになる。
こうして、僕は奇しくも卓球部と同じ高校である専修大学北上高校女子サッカー部のトレーナーにも就任することになる。
僕自身、岩手県に移住してからまったく想像すらしていなかった方向に人生が舵切られていくのを肌で感じながら、女子サッカー部の佐藤監督との初対面の日、僕は監督に「分かりました。」と言って就任を引き受けてしまっていた。
自分でも、どうなるか先がまったく見えない中で、1ヶ月に一気に2チームも担当することが決まったことになる。
【経歴】
東北大学陸上部(2012)
国民体育大会 卓球岩手県代表選手団(2015~)
バレーボール少年男子岩手県代表選手団(2017~)
専修大学北上高校卓球部(2015~)
専修大学北上高校女子サッカー部(2015~)
一関修紅高校男子バレーボール部(2016~)
盛岡大学付属高校硬式野球部(2017~)
その他セミナー・講習会等多数
2005年に最も苦手科目である英語を猛勉強し、奇跡的にアメリカの大学入学試験に合格し、東イリノイ大学に留学。語学力不足から度重なる挫折を繰り返しながらも無事帰国、更なる勉学のため仙台大学体育学部へ。国内最高難度レベルの日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー資格(JSPO-AT)を習得。その後岩手県へ移住し、2016年に起業し、株式会社CREDO設立。岩手県初のプライベートジムをオープンさせると同時に、アスリートたちへのサポート事業にも従事する。