スポットライト!2011年世界クラシック 168cm以下級準優勝 鎌田優
[ 月刊ボディビルディング 2012年4月号 ]
掲載日:2017.05.11
鎌田優選手は、昨年11月エストニアで行なわれた世界クラシック選手権大会168cm以下級で準優勝を飾った。日本人初の快挙だった。
「とにかく世界の舞台に立ちたかった。昨年はそれだけに的を絞ってトレーニングしてきたからです。念願かなったうえ、好成績を残せて自分のやってきたことが間違いなかったと思いました」
静岡県浜松市出身の鎌田選手は、小学5年生のときテレビで見たアームレスラーの南波勝夫選手の体のカッコよさに憧れて、アームレスラーを夢見て体を自宅で鍛え始め、親に頼みこんでプロテインまで買って飲んでいた筋トレ少年だった。高校入学後に入会したジムがボディビルのジム。そこで月ボを見てボディビルへの興味も湧き、有名ビルダーのほとんどが当時の中野ヘルスクラブ所属であることを知り、大学進学後に上京したらそこへ入ることを決意した。日本大学歯学部へ進むと、早速中野ヘルスクラブへ入会したのは言うまでもない。トレーニングを始めた頃、夢見ていたアームレスラーは将来歯科医師をめざしていたこともあり、腕のケガをおそれ自然の流れでボディビルへと転向した。
「とにかく世界の舞台に立ちたかった。昨年はそれだけに的を絞ってトレーニングしてきたからです。念願かなったうえ、好成績を残せて自分のやってきたことが間違いなかったと思いました」
静岡県浜松市出身の鎌田選手は、小学5年生のときテレビで見たアームレスラーの南波勝夫選手の体のカッコよさに憧れて、アームレスラーを夢見て体を自宅で鍛え始め、親に頼みこんでプロテインまで買って飲んでいた筋トレ少年だった。高校入学後に入会したジムがボディビルのジム。そこで月ボを見てボディビルへの興味も湧き、有名ビルダーのほとんどが当時の中野ヘルスクラブ所属であることを知り、大学進学後に上京したらそこへ入ることを決意した。日本大学歯学部へ進むと、早速中野ヘルスクラブへ入会したのは言うまでもない。トレーニングを始めた頃、夢見ていたアームレスラーは将来歯科医師をめざしていたこともあり、腕のケガをおそれ自然の流れでボディビルへと転向した。
大会デビューの1997年東京ジュニアの部。右端が鎌田選手
コンテストデビューは19歳。東京ジュニア2位、全日本ジュニア3位などの成績を残し、21歳で東京オープン優勝、25歳で東京クラス別75㎏級優勝を果たしている。
短時間で効率的がモットー
昨年の世界クラシック
昨年は世界大会へ派遣されるために日本クラシックに的を絞っていた鎌田選手。それは日本クラス別はアジア大会選考で、さらに日本選手権で好成績を残さないと世界へ行けないのに対し、日本クラシックはいきなり世界大会へ派遣されるチャンスが大きいからである。周囲からの「鎌田さんの体は世界で評価されるから」という声にも意を強くしていたからである。
「私はウエストが細く腰が高いためか、アウトラインは日本人には見られないタイプと言われています。筋量を落とさず体重は落とせるので、それを活かして世界で勝負したいという考えは以前からありました」
日本クラシックでは狙いどおりに優勝し、ただ一人世界大会の代表に選ばれた。
世界大会へ向けて、それまで週4回だったトレーニングを5回に増やした。オフの現在もそのままである。鎌田選手のトレーニング内容は細かく複雑だ。2週間単位のトレーニングルーティンで、14分割という。同じ部位でも微妙に効かせる所が違うため、文字にしづらいこともあるが、具体的な内容は言えないそうだ。
取材日は背中のトレーニング。主な種目の流れはチンニング、シーテッド・ハンマーロー、ロープーリーローイング、ワンハンド・ハンマーロー、アンダーグリップ・プルダウン、ダンベル・シュラッグというものだった。時間にすると1時間余りである。とくに急いでやっているわけではなく、セット数が少ないからで、1セットか2セットで次の種目へと移っていく。このスタイルは以前から変わらない。
「仕事も神経の細かさが要求されるため、仕事を終えてトレーニングする最初はなかなかテンションが上がりませんが、それでも集中力を持続することで1セット1セットが充実したものになっていきます」
インターバル中は冗談も話すなどリラックスするが、トレーニングに入ると表情がグッと引き締まる、その集中力には感心させられた。
「人それぞれ骨格が違いますから、本を読んだりアドバイスを受けたものを工夫しながらアジャストしていけば、きっと自分に合ったトレーニングを見つけ出すことができると思います。その過程においては失敗もあるでしょうが、成功のための失敗と思えばいい。また、真似から入るのも大事ですが、自分に合ったものでないとブラッシュアップできませんから」
そうして鎌田選手が自分自身に適したものとして編み出したのが、現在のトレーニング法なのである。限られた余暇の時間をトレーニングに充てているだけで、その限られた時間でいかに効率的に筋肉に刺激を与えられるかを第一に考えた結果であった。
「私はウエストが細く腰が高いためか、アウトラインは日本人には見られないタイプと言われています。筋量を落とさず体重は落とせるので、それを活かして世界で勝負したいという考えは以前からありました」
日本クラシックでは狙いどおりに優勝し、ただ一人世界大会の代表に選ばれた。
世界大会へ向けて、それまで週4回だったトレーニングを5回に増やした。オフの現在もそのままである。鎌田選手のトレーニング内容は細かく複雑だ。2週間単位のトレーニングルーティンで、14分割という。同じ部位でも微妙に効かせる所が違うため、文字にしづらいこともあるが、具体的な内容は言えないそうだ。
取材日は背中のトレーニング。主な種目の流れはチンニング、シーテッド・ハンマーロー、ロープーリーローイング、ワンハンド・ハンマーロー、アンダーグリップ・プルダウン、ダンベル・シュラッグというものだった。時間にすると1時間余りである。とくに急いでやっているわけではなく、セット数が少ないからで、1セットか2セットで次の種目へと移っていく。このスタイルは以前から変わらない。
「仕事も神経の細かさが要求されるため、仕事を終えてトレーニングする最初はなかなかテンションが上がりませんが、それでも集中力を持続することで1セット1セットが充実したものになっていきます」
インターバル中は冗談も話すなどリラックスするが、トレーニングに入ると表情がグッと引き締まる、その集中力には感心させられた。
「人それぞれ骨格が違いますから、本を読んだりアドバイスを受けたものを工夫しながらアジャストしていけば、きっと自分に合ったトレーニングを見つけ出すことができると思います。その過程においては失敗もあるでしょうが、成功のための失敗と思えばいい。また、真似から入るのも大事ですが、自分に合ったものでないとブラッシュアップできませんから」
そうして鎌田選手が自分自身に適したものとして編み出したのが、現在のトレーニング法なのである。限られた余暇の時間をトレーニングに充てているだけで、その限られた時間でいかに効率的に筋肉に刺激を与えられるかを第一に考えた結果であった。
撮影協力:ゴールドジムウエスト東京
トレーニングは限られた時間でいかに効率的に行なうかを第一に考えている。つらくてもつらく見せないことも彼のポリシー
一日のスケジュールは次のようなもの(仕事の場合=オン・オフ共通)。
午前6時半 起床
午前7時 朝食、弁当作り、英語の勉強
午前9時半 診療開始(合間をみて昼食)
午後7時半 診療終了・後片付け
午後8時半 トレーニング(1時間から1時間半)
午後10時半 夕食、勉強
午前零時 就寝
午前7時 朝食、弁当作り、英語の勉強
午前9時半 診療開始(合間をみて昼食)
午後7時半 診療終了・後片付け
午後8時半 トレーニング(1時間から1時間半)
午後10時半 夕食、勉強
午前零時 就寝
食事の内容は、
朝食 ベーグル、チキン、サラダ
昼食 ライス、魚の缶詰、サラダ
夕食 ヨーグルト、果物
昼食 ライス、魚の缶詰、サラダ
夕食 ヨーグルト、果物
というもので、昼食後は食べられる時にスナックなどの軽いものを食べてからトレーニングに入る。
「セット数の多い人は、きちんと食べてからやらないと無理だと思いますが、私の場合はセット数が少ないためということもありますが、なにも食べていなくてもやれると思えばできる、という気持ちで臨んでいる。実際に使用重量は上がり、回数もできるようになったので制限しているほどですから」
気持ちの持ち方次第で壁はぶちやぶれるものなのだ。
「セット数の多い人は、きちんと食べてからやらないと無理だと思いますが、私の場合はセット数が少ないためということもありますが、なにも食べていなくてもやれると思えばできる、という気持ちで臨んでいる。実際に使用重量は上がり、回数もできるようになったので制限しているほどですから」
気持ちの持ち方次第で壁はぶちやぶれるものなのだ。
手応え掴んだ世界クラシック
世界の舞台でも特に緊張することなく、堂々たる姿勢・態度で存在感を発揮した。
国際大会は初めての鎌田選手だが、世界を意識してそれに出場できたときのことを想定し、以前からアイパッドに世界大会上位選手の写真を入れて時間があると見るように心がけて、その仕上がりに近づくことをイメージしながらトレーニングに励んでいたという。いよいよそれが現実のものとなったのである。
世界大会代表に決まった後、鎌田選手は長年やってきたトレーニング内容に刺激を与えないと世界で勝負できないと思い、大学院院生時代に指導を受けたトレーナーに連絡をとり、アドバイスを仰いだ。そのトレーナーも鎌田選手のことを指導はしていなくとも気にかけており、連絡を待っていたかのようにメニューを作成してくれたのであった。
世界大会代表に決まった後、鎌田選手は長年やってきたトレーニング内容に刺激を与えないと世界で勝負できないと思い、大学院院生時代に指導を受けたトレーナーに連絡をとり、アドバイスを仰いだ。そのトレーナーも鎌田選手のことを指導はしていなくとも気にかけており、連絡を待っていたかのようにメニューを作成してくれたのであった。
時間があると観光へ出かけて気分転換を心がけた
エストニアの首都タリンで開催された2011年世界クラシック選手権大会には朝生照雄監督、鎌田選手と奥さんの3人で参加した。
検量時に朝生監督にチェックしてもらったとき朝生監督が「いける、いける」と、鎌田選手の気持ちを喚起させた。後で鎌田選手が知ったことだが、朝生さんの奥様だけには「優勝か3位だろう」とメールしていたそうだ。
鎌田選手は168㎝以下級にエントリーしていたが、なぜか185㎝級にエントリーされていた。検量3時間前にリストを受け取った際に気づき、ミスを指摘したものの検量直前でも直っておらず、ようやく修正してもらったという。そんなトラブルにも鎌田選手は動ずることなかった。
「仲良くなろうと思い、周りの選手に盛んに話しかけて、しまいにはみんないなくなってしまった」
と笑いながら振り返る。この物怖じしない性格もまた国際舞台で活躍するには必要といえよう。
168㎝以下級には9人がエントリー。予選で全員が舞台上に立った際、鎌田選手がストリエーションを見せるポーズをとりながら各選手に視線を向けると、ほとんどの選手が目をそらしたので「これはいける」と思ったそうだ。ピックアップのやり方が日本と異なり、日本だと3位以下の呼ばれ方に戸惑いを覚えたものの、決勝の6人に選ばれた。
決勝のフリーポーズでは、ドイツ人のウォルフ作曲の「カルミラブラーナ」というオペラ風のものを選曲。その曲は長年使っていたが、日本クラシックでは違うものにした。しかし、トレーナーから元に戻したほうがいいと言われ、それに従ったのである。
検量時に朝生監督にチェックしてもらったとき朝生監督が「いける、いける」と、鎌田選手の気持ちを喚起させた。後で鎌田選手が知ったことだが、朝生さんの奥様だけには「優勝か3位だろう」とメールしていたそうだ。
鎌田選手は168㎝以下級にエントリーしていたが、なぜか185㎝級にエントリーされていた。検量3時間前にリストを受け取った際に気づき、ミスを指摘したものの検量直前でも直っておらず、ようやく修正してもらったという。そんなトラブルにも鎌田選手は動ずることなかった。
「仲良くなろうと思い、周りの選手に盛んに話しかけて、しまいにはみんないなくなってしまった」
と笑いながら振り返る。この物怖じしない性格もまた国際舞台で活躍するには必要といえよう。
168㎝以下級には9人がエントリー。予選で全員が舞台上に立った際、鎌田選手がストリエーションを見せるポーズをとりながら各選手に視線を向けると、ほとんどの選手が目をそらしたので「これはいける」と思ったそうだ。ピックアップのやり方が日本と異なり、日本だと3位以下の呼ばれ方に戸惑いを覚えたものの、決勝の6人に選ばれた。
決勝のフリーポーズでは、ドイツ人のウォルフ作曲の「カルミラブラーナ」というオペラ風のものを選曲。その曲は長年使っていたが、日本クラシックでは違うものにした。しかし、トレーナーから元に戻したほうがいいと言われ、それに従ったのである。
彼の売りの大腿部のセパレーション
フリーポーズが終わると、会場から大きな歓声が上がり、外国人は芸術的な曲を好むことを実感したのだった。採点の結果、優勝はチェコのトーマス・ルーカス選手に譲ったものの、僅差で準優勝に輝いた。決勝だけの採点なら堂々の1位だった。表彰式の後、数名の観客が「おまえがナンバーワン」と言ってくれたときは、とても嬉しかったという。
「私はよく絞りすぎだと言われていましたが、そんなことはありません。世界レベルをナマで見、肌で感じて絞ることは当たり前だと確信しました。トップ選手の皮膚はものすごく薄く、本当に皮一枚という感じでここまで絞って仕上げられるのかと驚嘆しました。私より一つ上のクラスの人は次元が違うと感じ、オーバーオールでも優勝でした。
今回自分でも納得のいく仕上がりで臨むことができましたが、検量のとき、目がうつろでふらふらな人が多く、そこまで追い込まないといけないと思いました。でも悔いはありません。まだ塩と水を抜けば、もう1キロくらい筋量を増やすことは可能ですし、そうすれば頂点に立てるのではないかという確かな手応えを掴めたと思っています」
と頼もしい言葉を発したのであった。
「私はよく絞りすぎだと言われていましたが、そんなことはありません。世界レベルをナマで見、肌で感じて絞ることは当たり前だと確信しました。トップ選手の皮膚はものすごく薄く、本当に皮一枚という感じでここまで絞って仕上げられるのかと驚嘆しました。私より一つ上のクラスの人は次元が違うと感じ、オーバーオールでも優勝でした。
今回自分でも納得のいく仕上がりで臨むことができましたが、検量のとき、目がうつろでふらふらな人が多く、そこまで追い込まないといけないと思いました。でも悔いはありません。まだ塩と水を抜けば、もう1キロくらい筋量を増やすことは可能ですし、そうすれば頂点に立てるのではないかという確かな手応えを掴めたと思っています」
と頼もしい言葉を発したのであった。
35歳でひと区切り
2012年は鎌田選手にとって集大成の年である。腕をいかに太くするかが鍵である(撮影協力:成増トレーニングセンター)
鎌田選手は今年35歳になるが、今年が最後のコンテスト出場になる。35歳でひと区切りはコンテストに出始めた頃から決めていた。ベストな状態のままサッと引くことを男の美学と考えているのだ。おとろえた姿を自分で見たくないし、見せたくないこともある。それにもう一つトライすべき夢があるため。
「本当は一年早めて昨年でやめるつもりでしたが、朝生さんと嫁さんの二人から『来年チャンスだから』と言われて背中を押されたこともあります。コンテスト出場をやめたからといっても、トレーニングは好きですから続けますよ。これなしの生活は考えられません。ただ、将来マスターズに出るかも知れませんが…」
鎌田選手のトレーニングは短時間で効率的をモットーにしていると前述したが、じつはもう一つこだわっていることがある。それはトレーニングがつらくてもつらいと見せないことである。江戸っ子が熱い湯に入っても決して熱いと言わないようなもの。「あいつは1時間しかやらず、しかもつらそうにやっていない。でもいい体をしている」と言われることが、好きなのだという。
今年はいよいよ集大成の年として、勝負をかける。そのためにこれまで重点を置いて取り組んでいた脚と背中のほかに、腕を追加した。世界クラシックで強豪選手の腕の太さを見せつけられて、そこに最低限追いつかなければならないと思ったからである。
「どの部位もアベレージに持っていき、トータルで発達させていかなければ、高い評価はしてくれません。良い部分はさらにより良く発達させ、欠点と思われる部位は欠点と見せないように平均点に持っていけばいい。そうすれば欠点と見なされなくなると思うのです。これからはそこを意識していきたいと考えています」
世界をしっかりと視野に捉えた鎌田選手。試合に出るからには勝たないと意味がない。世界クラシックで学んでことを活かして、勝つ身体をつくるために始動したところだ。自分に克ってどんな身体に仕上がってくるのだろうか。きっと昨年以上の仕上がりで日本クラシックの舞台に立つにちがいない。そして世界の舞台でも……。
「本当は一年早めて昨年でやめるつもりでしたが、朝生さんと嫁さんの二人から『来年チャンスだから』と言われて背中を押されたこともあります。コンテスト出場をやめたからといっても、トレーニングは好きですから続けますよ。これなしの生活は考えられません。ただ、将来マスターズに出るかも知れませんが…」
鎌田選手のトレーニングは短時間で効率的をモットーにしていると前述したが、じつはもう一つこだわっていることがある。それはトレーニングがつらくてもつらいと見せないことである。江戸っ子が熱い湯に入っても決して熱いと言わないようなもの。「あいつは1時間しかやらず、しかもつらそうにやっていない。でもいい体をしている」と言われることが、好きなのだという。
今年はいよいよ集大成の年として、勝負をかける。そのためにこれまで重点を置いて取り組んでいた脚と背中のほかに、腕を追加した。世界クラシックで強豪選手の腕の太さを見せつけられて、そこに最低限追いつかなければならないと思ったからである。
「どの部位もアベレージに持っていき、トータルで発達させていかなければ、高い評価はしてくれません。良い部分はさらにより良く発達させ、欠点と思われる部位は欠点と見せないように平均点に持っていけばいい。そうすれば欠点と見なされなくなると思うのです。これからはそこを意識していきたいと考えています」
世界をしっかりと視野に捉えた鎌田選手。試合に出るからには勝たないと意味がない。世界クラシックで学んでことを活かして、勝つ身体をつくるために始動したところだ。自分に克ってどんな身体に仕上がってくるのだろうか。きっと昨年以上の仕上がりで日本クラシックの舞台に立つにちがいない。そして世界の舞台でも……。
- 鎌田優(かまだ・すぐる)
職業:歯科医(池袋アゼリア通り歯科医院院長)
成増トレーニングセンター所属
誕生日:1977年11月6日(34歳)
出身地:静岡県
身長:166㎝
体重:50㎏(日本クラシック検量時)、68.0㎏(同大会当日朝)
85㎏(オフシーズンのピーク)、2012年2月10日現在、73㎏
トレーニング歴:20年
コンテスト歴:14年
<主なタイトル>
98年 東京オープン優勝
02年 東京クラス別75kg級優勝
11年 日本クラシック170㎝以下級優勝
- Text by
- Yukinari Ito
- 撮影協力:
- ゴールドジムウエスト東京、成増トレーニングセンター
[ 月刊ボディビルディング 2012年4月号 ]