2015年ジャパンオープン女子優勝 佐藤美由紀
[ 月刊ボディビルディング 2015年12月号 ]
掲載日:2017.05.09
本野コーチ、泣いてたよ…
2015年ジャパンオープン選手権で一番光っていたのは、女子フィジークの佐藤美由紀選手。昨年は3位。今年こそ優勝したいと一大奮起していた競技歴10年のベテランだが、本大会での念願の初優勝を遂げた裏には、悲喜こもごもの裏話がある。佐藤選手の優勝が決まったとき、彼女のパーソナルトレーナーである本野卓士氏のもとへ、SNSなどを通じてか、誰かから誰かを伝っていち早く情報が届いていた。教え子の優勝を知った本野さんは感動の涙をこらえることができなかったらしい。さらに佐藤選手のもとへ「本野さん、泣いてたよ」とすぐに伝わる。「そんなに喜んでくれてる…」感動が感動を呼び、感無量の佐藤選手は、その本野コーチと、スランプ時を支えてくれて、今でもポージングのアドバイスを受けている小沼さんの二人の恩人に感謝したという。
「実はジャパンオープンの前日、本野さんから雷が落ちていたんです。絶対優勝しなきゃって力が入っていましたので、緊張が顔に出ていて、よくない表情だといわれたんです。そんなよくない心の状態じゃダメだって。“挑戦者だろう”そう言われて私は涙、涙になってしまって。泣くだけ泣いたら悪い憑き物が落ちたみたいにすっきりしたんですよ」という。まさにタイミングを逃さない叱咤激励だったのだ。
「実はジャパンオープンの前日、本野さんから雷が落ちていたんです。絶対優勝しなきゃって力が入っていましたので、緊張が顔に出ていて、よくない表情だといわれたんです。そんなよくない心の状態じゃダメだって。“挑戦者だろう”そう言われて私は涙、涙になってしまって。泣くだけ泣いたら悪い憑き物が落ちたみたいにすっきりしたんですよ」という。まさにタイミングを逃さない叱咤激励だったのだ。
苦難も考え方次第で転化できる
明るい性格で笑顔のすてきなムードメーカーでもある佐藤選手だが、人知れず平坦ではない道を歩んできている。子育てのストレス解消にも役立つと思い、スポーツクラブに通い始めたのが今から16年前。エアロビクスなどのスタジオプログラムに参加していたが、腰を痛めてドクターから腹筋背筋を強化する筋トレを勧められたのがトレーニングを始めたきっかけだ。
最初目指したコンテストは「健康美」。その頃知り合った小沼さんからボディビルの方を勧められ、さまざまな大会に楽しみながら参加を続けていたのだが、4年目に、胸のあたりにしこりができ「ガンの疑い」となる。胸の手術を2回受け、その傷の後遺症である激痛にしばらく悩まされ、ダンベルさえ持つことができなくなったという。競技には復帰できないかもしれないという孤独な時期を経てきている。
結局、命にかかわるガンではなく、慢性的に付き合わなければならない別の病気であることが判明。「病気を治したい」というより「病気とうまく付き合いながら競技に戻れたら」「痛みを軽減できるトレーニングは何だろう」というポジティブ思考を身に着ける。
復帰できないかもしれないという頃、一人でトレーニングをしていると、小沼さんがそっとそばについて補助をしてくれたこともあったと佐藤選手は振り返る。無言のやさしさが身に染みたという。そんな中で東京クラス別に出場し、予選を通過することができた。「復帰できた!」このときの喜びは忘れられないという。以後、「私は続けたい。続けるためにはどうすればいいのか」を考えるようになった。自分を知り、ある意味開き直る強さが佐藤選手にはある。加えて少女のような素直さも。
手術後の日浅くしてゲスト出場の任務のとき、当時高校生だった佐藤選手の娘さんは、アトラクション部に所属していた。一人で舞台に立つのは心細かった佐藤選手は娘さんに頼んで、一緒に出場してもらったのも今ではいい思い出。同じ部活の3人の女子高生がルパン三世の曲でポージングする佐藤美由紀選手とともに活躍し、観客はおおいに盛り上がった。
佐藤選手はコンテスト出場10年選手になった今でも“私は挑戦者!”と思いながら笑顔でポーズをとるとき、いつも初心に戻れるのだそうだ。「新人さんには、リラックスできるように声をかけるようにしてます」というが、自分自身もまた、楽しんでコンテストに挑んでいた初心者の頃を忘れたくないという強い思いがある。楽しめば笑顔になり、結果は出るからだ。
「ステージに立ったときの緊張感、終わった後の解放感と充実感が大好きですね。それに競技やトレーニングを通じていろんな素晴らしい方に出会うことができます。言葉をかけあったり、生き様に刺激しあったり。ライバルもまた愛しい仲間である事実がうれしいんです」。
最初目指したコンテストは「健康美」。その頃知り合った小沼さんからボディビルの方を勧められ、さまざまな大会に楽しみながら参加を続けていたのだが、4年目に、胸のあたりにしこりができ「ガンの疑い」となる。胸の手術を2回受け、その傷の後遺症である激痛にしばらく悩まされ、ダンベルさえ持つことができなくなったという。競技には復帰できないかもしれないという孤独な時期を経てきている。
結局、命にかかわるガンではなく、慢性的に付き合わなければならない別の病気であることが判明。「病気を治したい」というより「病気とうまく付き合いながら競技に戻れたら」「痛みを軽減できるトレーニングは何だろう」というポジティブ思考を身に着ける。
復帰できないかもしれないという頃、一人でトレーニングをしていると、小沼さんがそっとそばについて補助をしてくれたこともあったと佐藤選手は振り返る。無言のやさしさが身に染みたという。そんな中で東京クラス別に出場し、予選を通過することができた。「復帰できた!」このときの喜びは忘れられないという。以後、「私は続けたい。続けるためにはどうすればいいのか」を考えるようになった。自分を知り、ある意味開き直る強さが佐藤選手にはある。加えて少女のような素直さも。
手術後の日浅くしてゲスト出場の任務のとき、当時高校生だった佐藤選手の娘さんは、アトラクション部に所属していた。一人で舞台に立つのは心細かった佐藤選手は娘さんに頼んで、一緒に出場してもらったのも今ではいい思い出。同じ部活の3人の女子高生がルパン三世の曲でポージングする佐藤美由紀選手とともに活躍し、観客はおおいに盛り上がった。
佐藤選手はコンテスト出場10年選手になった今でも“私は挑戦者!”と思いながら笑顔でポーズをとるとき、いつも初心に戻れるのだそうだ。「新人さんには、リラックスできるように声をかけるようにしてます」というが、自分自身もまた、楽しんでコンテストに挑んでいた初心者の頃を忘れたくないという強い思いがある。楽しめば笑顔になり、結果は出るからだ。
「ステージに立ったときの緊張感、終わった後の解放感と充実感が大好きですね。それに競技やトレーニングを通じていろんな素晴らしい方に出会うことができます。言葉をかけあったり、生き様に刺激しあったり。ライバルもまた愛しい仲間である事実がうれしいんです」。
力強さに、優しさ柔らかさを味付けしたフィジーク
さて今回のフィジーク出場にあたり、ボディビル時代から工夫を凝らしている、女性らしさがポイントの一つになるということで、メイクは今までのブルー系からピンク系に変更。ネイルもサロンで施術してもらった。イヤリングは少し揺れるタイプのものを選んで着用した。水着は一目ぼれしたという、白地にピンクのゼブラ柄。ヘアはアップにし、本野さんのパーソナルトレーニングを受けて以来、長所と言われる背中の筋肉がよく見えるように気を配ったという。
食事は基本的に年間通じてそれほど変えない。オートミールは多く取り入れていて、昆布や海苔で和風の味付けにしたり、豆乳珈琲味でヘルシーにまとめたり。オフシーズンにはナッツやベリー類、はちみつを多めにとるようにしている。もちろん食事では肉類や魚介類など、良質なたんぱく質を十分にとるなど、オーソドックスな栄養学が語られた。「どちらかといえば、食事も普通ですね」という佐藤選手のオンとオフの体重差はそれほどない。
ところで佐藤選手のまわりでは、これからコンテストに出場してみたいという人が増えている模様だというので、その人たちへのメッセージを語ってもらった。
「自分に合うパーソナルトレーナーに出会うことは競技者にとってとても重要だと思います。まだ出会っていない人で出会いたいと思う人は、積極的にいろんなところに出かけて行ってほしい。願えば必ず自分にあった人に出会えます」
駆け出しの頃、小沼さんの現れるジムに“追っ掛け”のようにして行ってさまざまなアドバイスを受けていた頃を今、しみじみと懐かしく思い出すという佐藤選手だ。
「うまくいかないことは誰にもある。でも、描いた夢って、いつかは叶う。目標ではなく、夢と私は言いたいですね」苦労を重ねてたどり着いた地点に立つ充実感が、彼女の身体全体から沸き上がり、取材したゴールドジムさいたまスーパーアリーナのガラス張りの窓から、午後の太陽を受けて光を放つ佐藤選手は、とりわけ美しかった。
食事は基本的に年間通じてそれほど変えない。オートミールは多く取り入れていて、昆布や海苔で和風の味付けにしたり、豆乳珈琲味でヘルシーにまとめたり。オフシーズンにはナッツやベリー類、はちみつを多めにとるようにしている。もちろん食事では肉類や魚介類など、良質なたんぱく質を十分にとるなど、オーソドックスな栄養学が語られた。「どちらかといえば、食事も普通ですね」という佐藤選手のオンとオフの体重差はそれほどない。
ところで佐藤選手のまわりでは、これからコンテストに出場してみたいという人が増えている模様だというので、その人たちへのメッセージを語ってもらった。
「自分に合うパーソナルトレーナーに出会うことは競技者にとってとても重要だと思います。まだ出会っていない人で出会いたいと思う人は、積極的にいろんなところに出かけて行ってほしい。願えば必ず自分にあった人に出会えます」
駆け出しの頃、小沼さんの現れるジムに“追っ掛け”のようにして行ってさまざまなアドバイスを受けていた頃を今、しみじみと懐かしく思い出すという佐藤選手だ。
「うまくいかないことは誰にもある。でも、描いた夢って、いつかは叶う。目標ではなく、夢と私は言いたいですね」苦労を重ねてたどり着いた地点に立つ充実感が、彼女の身体全体から沸き上がり、取材したゴールドジムさいたまスーパーアリーナのガラス張りの窓から、午後の太陽を受けて光を放つ佐藤選手は、とりわけ美しかった。
念願のジャパンオープンの頂点に立った
- 佐藤美由紀(さとう・みゆき)
1961年7月3日生まれ(54歳)
身長154cm、体重 オン46kg・オフ52kg
トレーニング歴16年 コンテスト歴10年
職業:会社員 血液型:A型
主なタイトル:
06年東京クラス別46kg以下級優勝
07年東京ボディビル選手権優勝
12 年日本クラス別49kg級優勝
- 佐藤美由紀(さとう・みゆき)
- text:
- 佐藤麻由子
- Photo:
- 徳江正之
- 撮影協力:
- ゴールドジムさいたまスーパーアリーナ
[ 月刊ボディビルディング 2015年12月号 ]