マッスルな奴ら!マスキュラーが様になるバルキーな女子ビルダー 相馬貴子
マスキュラーが様になるバルキーな女子ビルダー 相馬貴子
99年のミス日本。決勝には残れなかったが、バルクとアウトラインには秀でたものが窺える
小学生の頃には幅跳びで県大会に出場するなど、幼い頃から身体能力が高かったという相馬選手。しかし、高い身体能力をコントロールする能力が着いて行けずに怪我をすることが多かった。中学時代はバレーボール部でさんざん足首を捻挫していたという。
高校卒業後は25歳ぐらいまでバスガイドとして全国を巡る日々を送っていた。辞めるきっかけとなったのは、仕事中に酔っ払った客に絡まれ、ぶつかられたはずみで転び、膝を壊してしまったことにある。
「労災は労災だけど…労災で保険が下りても、膝が治るわけじゃない!」
「こんな危ない仕事を続けていたら身体に悪い!」と、さっさと退職し、怪我のリハビリを始めた相馬選手。赤血球のサイズが普通の人より小さく、中学の頃から貧血持ちなので、医者からは「マラソンとか、心臓がバクバクするものはやめるように」と言われていたのだが、「なにくそ!私の身体は私がいちばん判っているんだよっ!医者に勝つ!!」と思い、膝の構造から徹底的に勉強することに。そこで採用したのが、プールでのエクササイズとウェイトトレーニングだった。
槍投げ選手だった高校時代に、見よう見真似でトレーニングをしていたことも、もしかしたらマッスルメモリーとなっていたのかもしれないが、とにかく本格的に始めると、わりと早く筋肉がつきはじめた。その姿を見た人から「ボディビルの大会に出たらたぶん優勝する」と言われた相馬選手は、「優勝できるんだったら出る」と思い、コンテストに出場した。それが25歳の夏、1992年のミス長野だった。
相馬選手はボディビルコンテストに出場するようになると、しばらくは地元・長野県から日本クラス別や北陸甲信越などの大会に精力的に出場していたのだが、その後、5年以上もコンテストシーンから姿を消した。コンテストに出ようと思っていたシーズンの直前に環境の変化があり、断念したのだという。深刻な怪我を負ったわけではないので、ずっとトレーニングを続けており、さいたまスーパーアリーナにゴールドジムがオープンした当初から通っていたという。ただし当時通っていたのは週末ぐらい。「小沼(敏雄)さんに教われるなんてラッキー!」という程度の気持ちで、チョコチョコとする程度だった。
気持ちを入れ替え、再びコンテストへの出場を目指しだしたのは2006年のことだった。長野県内にある松本トレーニングセンターに行った際、鶴田和一さん(88年日本3位)に「ミス東京は取っておけ。地方大会と東京大会は全然レベルが違う。出る価値があるよ」と言われたのがきっかけとなった。自身もトップビルダーでありながら、かつては中野ヘルスクラブでも指導し、数多くのボディビルダーを育ててきた鶴田さんの言葉ゆえに、説得力があった。「コンテストに出る」という目標があれば、それに向けて頑張れる。それに、「勝ちたい」という気持ちよりも、自分がやっていることを審査結果や雑誌を通して客観的に見られるのもいいな、と思った。何より、「今ちょっと頑張れば、また元に戻せるかな」という実験的な気持ちもあった。
そして2007年、ステージへと舞い戻ったのだった。
自分の体重は知らない
守備範囲が広い相馬選手。かつてはマウンテンバイクやバイクのロードレースにも出ていたし、洋服も作っていた。ちょっと前はビーズ手芸に凝っていたし、編み物も得意。料理だって“主婦のルーテインワーク”をはるかに超えている。この料理こそが、今の相馬選手のデカさを造り上げている
続く2008年は、ミス東京で4位に入った。サイズでは上位を圧倒していたが、前年同様、コンディションに問題があった。2週間後の東日本選手権では50kg超級で2位に。そして日本選手権では6位入賞を果たした。
このように列挙していると、相馬選手は毎年、尻上がりに調子を上げていると思えるが、昨年と一昨年では、コンデョショニングに大きな差があったようだ。
相馬選手は大会の4ヶ月前から減量を始める。2008年は当初、8月初旬のジャパンオープンに出場する予定だったので、逆算して減量をスタートさせたものの、古傷の膝を傷めたため、出場を断念するとともに、減量も中断してしまったのだ。身体もオフに戻りつつあった。それでも減量を再開したのは、小沼さんに「ミス東京に出ておきなよ」と言われたからだった。「日本選手権に出てトップを狙うなら、場数を踏んでおいた方がいい。全然違うから」と説得され、申し込み締め切りの当日に滑り込んだのだ。
「最後までスイッチが入らなかった」という東京選手権に比べると、日本選手権は体調が良く、何の不安もなかったという。ボディビル用語で言うところの“絞り”も完璧。臀部にはロニー・コールマンなみのアゲハ蝶のようなストリエーションまで走っていた。
そんな過去最高の身体ならば、気になるのは相馬選手の体重だ。オンもオフも知りたいし、減量幅がどれくらいあるのかも興味津々。しかし相馬選手は「大会での仕上がり体重どころか、オフの体重も知りません」という。唯一の例外は、クラス別大会だった東日本選手権。検量があったので、57kgと判ったという。この時は「そんなもんか、もっと増やせるな」と思ったそうだ。
体重計に乗らない理由について、相馬選手はこう語った。
「だって、自分で判るじゃないですか。重いものを挙げていれば筋量がついてくるし、サイズも判るし」これはかつて、摂取カロリーを全部記録して減量した際、カロリーに振り回された挙げ句、体重は落ちないのに代謝は落ちて身体が萎んでしまった苦い経験を糧にした結果だ。そんなわけで減量中も、仕上がり体重という目安は設けず、鏡を見ながら自分の身体と相談し、バランスの良い食生活を送っているという。
現住所のある群馬県から、週に1、2回埼玉県内のゴールドジムまで通っている相馬選手。移動だけでも時間を取られているはずだが、睡眠時間はしっかり取れているという。「午前中は家のことをやったり、身体を休めたり。そうじゃないと指導もトレーニングもよくできないですからね」
減量中にピザを食べる
「よく食うから?減量中も、最後の最後までごはんを食べるし、ピザも食べます。朝からケーキを食べた後に、丼めしを2杯食べたりも。そうそう、日本選手権の前日は、油を使った焼き餃子を食べましたよ!」
しかしここだけ読んで同じことをしても、残念ながら期待するような身体にはなれない。重要なのは、これらが全て相馬選手の手作りということだ。ケーキにはごぼうを入れたり、パンケーキはそば粉を使ったり。ピザや餃子の皮は生地から手作りだし、うどんの麺やパスタもお手製だ。
「自分で作れば無添加だし、安く上がるし、油だって、オリーブオイルやエゴマなどのいいものを使えば、少量でも身体は喜ぶし、人に見られずたくさん食べられるしね。言うことないでしょ」
相馬選手のオススメは「完璧な食事」と呼ぶ餃子だ。赤身の肉に、野菜と薬味をたっぷり。それに皮で炭水化物を摂る。ピザも同じような考え方で、野菜をたくさんトッピングし、チーズは使わないが、オリーブオイルは使うという。このように“粉使い”を憶えると、料理は楽しいし、減量中であっても、バリエーション豊かに食べられるという。大会前々日までは塩分をガンガン摂っているし、力を出すために絶対的に必要な炭水化物は、白米や玄米、白米と玄米のミックスの他、黒米やきびを混ぜることもあり、朝はお腹いっぱい、ガッツリ食べている。だから大会直前になっても気分がピリピリすることもないし、性格もまったく変わらない。おまけに身体の調子はすこぶる良い。身体を苛めなくてもダイエットは可能なのだ。
ただし、毎食このような食事をしているわけではない。減量中、一定期間ごとにチートデーを設けている選手は多いだろうが、相馬選手の場合は、それに近い形を毎日繰り返しているのだ(「近い」というのは、いわゆるジャンクフードは食べていない、という意味)。つまり、朝食のボリュームが最大で、夜までに帳尻合わせをする。朝食を身体にガツンと入れて、昼と夜で微調整し、摂取カロリーをマイナスにする。そうすれば脳は満足し、飢餓状態にならないから、キレ食いをすることもない、というわけ。この方法の成果のほどは、相馬選手の身体を見れば一目瞭然だ。
まだまだサイズを増やせる
トレーニング前に足裏をモミモミする相馬選手
このような、局地的な対処療法ではなく、全体的に身体を良くしていこう、という考え方ゆえに、ホリスティック・コンディショニングは「コンディショニングの禅」とも言われているという。ちなみに日本ホリスティック・コンディショニング協会の会長は窪田登先生が、理事長は矢野雅知さんがされている。小誌でも連載を多数持たれてきた先生方だ。
相馬選手のトレーニングを見ていて気になったことがある。高校時代からのヘルニア持ちだというのに、ウェイトベルトをしていないのだ。しかも「よっぽどのことがない限り支えられているので甘やかさない。ベルトをするのはスクワットとデッドリフトの時だけ」と言う。さらに「どこのポジションにすればいちばん力が入るのか」を身体に聞くため、スクワットの脚幅やベンチプレスの手幅は日によって変えている。ベンチプレスの場合は、指1本分も違う。おまけにトレーニングノートもつけていないという。「過去のデータは参考にはなるけど、毎回毎回、自分は違う。『先週できたから今週もできるはず』っていう思い込みが危ないんです。必要なことは身体が全部憶えているから」これらこそが、その日その時の全身の力を出し切る、つまりホリスティック・コンディショニングの考え方だ。
ホリスティック・コンディショニングと出会ってから変わったこととして、相馬選手はトレーニングのセットごとの、「まだできる」という感覚についても挙げた。その種目、そのセット、その一瞬が全てで、その時にやり切る!そのため、気づいたら20レップスやっていることもあるそうだ。このような以前よりセット数は減ったものの、レップ数は増えたという。また、「短くして失敗するくらいだったら」と、インターバルは長く取り、回復するまで待つ。減量中であっても、だ。トレーニングが週3回しかできていない今でも、どんどん身体は変わっている。「まだまだ行ける、デカくなれる!」という気持ちを抱くのも当然だ。
相馬選手が参考とする『ホリスティック・コンディショニング』
表彰台のどこかに上がる!
「この目標が達成できる頃には(日本選手権で)表彰台のどこかに上っているんじゃないかな」と思っている。
ただし、コンテストは観客に楽しんでもらうことがなによりだという。歯車がガッチリ組み合った今の相馬選手なら、楽しいステージングも表彰台に上ることも、両方手に入れられる日は近いだろう。軸がぶれず、芯のしっかりした女は強い。今年は台風の目になること必至だ。
- 相馬 貴子(そうま・たかこ)
1967年6月13日生まれ・41歳/長野県出身
身長165cm 体重57kg/ボ歴12年
東京・ゴールドジムイーストトーキョー所属
職業=パーソナルトレーナー
趣味=料理全般、編み物などの洋裁
過去の戦績
07年 ジャパンオープン4位、日本選手権12位
08年 東京選手権4位、日本選手権6位
- 相馬 貴子(そうま・たかこ)
- 撮影協力:
- ゴールドジム大宮さいたま