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山口澄郎の突撃インタビュー☆ブレンド・バンガーナー

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[ 月刊ボディビルディング 2013年2月号 ]
掲載日:2017.07.26
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ブレントは19歳の時に初めて出場したコンテストでオーバーオール優勝してセンセーショナルなデビューを果たし、将来を大きく有望されつつボディビルダーとしての道を歩むことになる。またその間、彼は日本語を勉強するために日本に留学し、日本で仕事をし、そしてトレーニングを積んでコンテストに出場した経験もある。日本人がアメリカのNPCに挑戦するのとは逆の行動を取っているということだ。そしてアメリカに戻ってからもコンテスト出場を続けていたが、昨年は男子ボディビル界に新しくスタートしたフィジーク部門にチャレンジするとともに、本誌昨年10月号『読者の広場』にはマスキュラーな写真とともに投稿した。
 今回はこのブレントにスポットを当て、アメリカのコンテスト事情や日本での体験、そして新しくスタートしたフィジーク部門などについて聞いてみた。
――トレーニングをスタートしたきっかけは?
ブレント・バンガーナー(以下BB) 私は高校生の時にベースールを行なっていましたが、その補強トレーニングのために16歳からウェイトトレーニングを始めました。私の父親は私が大学に進学してもベースボールを続けてゆくものと思っていました。その理由は、私の高校時代のポジションはライトやレフトなどの外野手でしたが、スイッチヒッターで打率も良かったため、大学から奨学金を出してもらえるほどだったのです。しかし私はそのころすでにボディビルの魅力に取りつかれており、ベースボールよりもボディビルコンテストに出場することに興味を持っていました。
――「ベースボールではなくボディビルをやりたい」と言ったら、お父さんは何とおっしゃいましたか?
BB 私はベースボールで奨学金を貰うことを諦めてノースカロライナ大学シャーレット校に進学しましたが、父親は当然ながら私がそこのベースボールチームにテスト入部できるものと思っていました。しかしながら、私はそのテストにも行きませんでした。私は5歳のころからずっとベースボールをさんざんプレーしてきてもう十分だという気持ちがありましたので、大学に行ってまでベースボールを続けていく気持ちはありませんでした。その気持ちを父親に伝えた時、それはそれはとてもがっかりしていました。私が初めて出場したボディビルコンテストに父は見に来てくれませんでした。ただ、母親は私が行なっていることに対しては理解を示し、サポートしてくれました。
――高校生のころからトレーニングをスタートしていますが、大学に進学するころには身体はどのように変化していましたか?
BB トレーニングをスタートした16歳の時の体重は68㎏でしたが、大学生になった19歳の時には77㎏でした。ベースボールの補強のためにトレーニングを始めたわけですが、それまではシングルヒットしか打てなかったのに、筋肉がついてからは二塁打のような長距離打も打てるようになりました。当時はトレーニングをすればするだけ身体が良く反応してくれたため、なおさらボディビルのとりこになっていました。初めてのコンテストで優勝し、ジャッジからボディビルダーとしてのポテンシャルがあると言われたことが大きな励みとなり、ベースボールよりもボディビルを続けてゆくことを決めていたのです。父親もボディビルのことをだんだん理解してくれるようになり、コンテストも見に来てくれるようになりました。
写真上は母親と祖父とブレント

写真上は母親と祖父とブレント

幼少時代のブレント(写真右)

幼少時代のブレント(写真右)

日本に留学

――大学生になってから日本に行っていますが、これはどのようないきさつからですか?
BB 2003年、21歳の時に、交換留学生として、東京の町田市にある桜美林大学に1年間留学しました。桜美林大学は、私が通っていたノースカロライナ大学と姉妹校になっていたためです。私の母親は日本人ですが、母から日本語を教わったことはありませんし、それ以外でもまったく勉強したことがありませんでした。そこで大学2年生の時に日本語の講義を初めて受け、交換留学生として桜美林大学に通ってからも一生懸命に日本語の勉強をしました。
――留学中にもトレーニングをしていたそうですね。
BB 最初は大学にあるウェイトルームでトレーニングしていましたが、狭いし、設備もあまり整っていませんでした。その後、本厚木にあるゴールドジムに入会しました。
その時、私は日本のコンテストに出場したかったのですが、選手登録などの件で出場することができませんでした。しかしゴールドジムでプロボディビルダーの山岸秀匡さんと会いました。山岸さんからはボディビルダーとしてのポテンシャルがあると言われ、一緒にトレーニングしない? とも声をかけてもらいました。残念ながら私が住んでいた所から山岸さんがトレーニングしている東京のジムまでは遠かったために実現しませんでしたが…。ただ、その後アーノルドクラシックやオリンピアで山岸さんと再会した時にも、彼は私のことを覚えていてくれました。
――留学後はどうしましたか?
BB アメリカに戻って、ノースカロライナ大学を2年後に卒業しました。その後、福井県の会社で1年間仕事をしました。
――その時に、日本のコンテストに出場していますね?
BB 2006年に新潟県で行なわれた北陸甲信越ボディビル大会に出場し、7位に入賞しました。当時は地元のスポーツクラブでトレーニングしていましたが、友人が大会に出場する手続きをするからと、ついて行くことになりました。そうしたら、友人は「君も一緒に出場しない限り、私は大会に出場しないと」言い出しました。それで仕方なく、私も出場することにしました。しかし大会までは1週間しかなく、私はダイエットも何も準備することができないまま出場することになりました。大会には確か30人以上が出場していましたが、アメリカと違ってタンニングカラーが使えないのが驚きでした。
――福井からアメリカに戻り、再びコンテスト活動を再開したわけですね?
BB 日本で大会に出場した時の体重は77㎏でしたが、日本滞在中、私は身体には何が必要であるかを学びました。プロテインシェイクなどのサプリメントよりも、刺身やチキンなどをたくさん食べました。そこでアメリカに戻ってからもサプリメントよりも食事を多く摂るようにしました。ただ、サプリメントを使う場合でも、炭水化物が多く含まれたシェイクをトレーニングの前と最中、そしてトレーニング後に、だいたい1日150g摂るようにしました。日本にいた時に、当時山岸さんのコーチをしていたミロス・シャシブさんが名古屋で開いたセミナーに参加しました。その時ミロスは炭水化物がいかに重要であるかを言っていましたので、私もその後は炭水化物をより重視するようになりました。ライスは一年中食べています。特にお茶漬けが大好きです。またコンテスト前は炭水化物の摂取をローテーションさせています。日によって低炭水化物の日と中炭水化物の日、そして高炭水化物の日と分けているのです。タンパク質はだいたい1日に300g摂取しました。アメリカでのコンテスト復帰は、日本から帰ってきた翌年の2007年NPCノースカロライナ・ステート・ジュニアです。ミドル級とオーバーオールで優勝しました。
――日本から戻ってきて、トレーニングは変化しましたか?
BB 日本人とアメリカ人のトレーニングはちょっと違います。日本人は長時間ヘビーウェイトでハードなトレーニングを行ない、しかもフルレンジよりもショートレンジモーションで行なっている人が多いなと思いました。しかし多くのアメリカ人はヘビーウェイトではないもののフルレンジモーションで行ないます。私のトレーニングは基本的にヘビーウェイトで、5〜8レップスで行なっています。ただしコンテスト前は4週間ごとにヘビーウェイトと、ウェイトを減らす代わりにトレーニングの量を増加させるなど変化をつけています。
――ブレントさんのフィジークを見ると、やはりアメリカ人の血が流れていると感じます。特に胸と肩、そして僧帽筋がよく発達していますが、これらの部分はどのようにトレーニングしていますか?
BB ベーシックなエクササイズを多く行なっています。胸でしたらベンチプレスを行ないますが、実際にはインクラインベンチプレスの方が好きです。肩はよく反応してくれますが、ちょっと変わったトレーニングを行なっています。使用重量はヘビーなものよりやや減らし、セット数と回数を増やしてトレーニング量を増加させています。例えばサイドラテラルレイズは、ヘビーウェイトを使ってスイングしながら行なうのではなく、やや軽いウェイトを扱うことで、肩とエクササイズにフォーカスします。また、スタンディングとシーテッドでプレスのエクササイズを交互に行ないます。僧帽筋は特別に僧帽筋だけのエクササイズは行なわず、ヘビーウェイトでのデッドリフトを行ない、あとはコンテスト前などに僧帽筋のシェイプを整えるためにシュラッグを少し行なうだけです。脚はヘビーウェイトでのスクワットを行ないます。このように私のトレーニングはごくベーシックな種目をヘビーウェイトで行なっていまして、年間を通して変化することはありません。
フィジーク転向前は、ボディビルダーとしてコンテストに出場していた

フィジーク転向前は、ボディビルダーとしてコンテストに出場していた

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ボディビルからフィジークへ

――なぜフィジークへ転向したのですか?
BB 2010年のボディビルコンテストでは体重を85㎏まで増加してライトヘビー級に出場しましたが2 位になりました。2008年に出場した時にはミドル級でしたので、体重は約5㎏増加しています。私にとって5㎏もの筋肉を増加させることはとても大変でした。しかしジャッジからは、私がボディビルコンテストに出場していくためにはあと10㎏ぐらい体重を増加させなければならないと言われました。アメリカのボディビルはサイズが重要視されるのです。しかし筋肉で体重をそんなに増加させるのはとても難しいことで…。そこで、昨年から男子でもスタートしたフィジーク部門ならばそれほどサイズが必要ではないのではないかと思いトライしたのです。実際にフィジークに出場してみたら、今度はサイズが大きすぎるとジャッジから言われましたけどね。
――フィジークは身長別に3つのクラスに分かれていますね。
BB ショートクラスは身長173cm以下、ミドルクラスは173〜178cm、トールクラスは178cm以上です。
――着用するのはビルパンではなくボードショーツですが、これはどうですか?
BB フィジークはボディビルと異なり、一般の人にアピールできるようにと、膝の上まである丈の長いボードショーツを履きます。アメリカではブーメランパンツはイメージが良くないんですよ…ボードショーツでは大腿部が全部隠れてしまうんですけどね。また、ステージではポージングがなく1/4ターンのみですので、ボディビル出身者にとってはただ立っている状態で、物足りなさは感じます。註:NPCでは女子のフィジーク部門もスタートしているが、女子はボディビルとフィギュアの中間的なものでポージングもあるため、男子のフィジーク競技とは異なっている。
――審査員は男子フィジークをどのように捉えていると思いますか?
BB ジャッジは〝もうひとつのボディビル〟を望んでいないようです。ボディビルはシンメトリー、マスキュラリティ、バランスなどのカテゴリーごとにジャッジの基準がありますが、フィジークでは極端なバスキュラリティはいけないし、マスキュラーすぎるのも良くないなど、「○○はいけない」と言っています。でも、だからと言って「ではどのようなフィジークを求めているのか」については明らかにしていません。ジャッジそれぞれの解釈にばらつきが出ていますね。現にコンテストごとに評価されるフィジークが異なっています。私も昨年3つのフィジークコンテストに出場しましたが、最初は体重が88㎏あったので「腕が太く背中が大きすぎる」と言われました。そこで次のコンテストでは5㎏減量し、サイズを落として出場しましたが10位でした。そこで3回目はジャッジに何と言われようと、自分が納得したフィジークで出場しましたが、これも評価されませんでした。ジャッジには理解に苦しみます。註:NPCはホームページで男子フィジークのルールとして次のように説明している。「筋肉があり全体的な仕上がりが良く、シェイプが整いシンメトリーが良いこと。フィジークコンテストはボディビルではないため、極端なマスキュラーな身体は減点される」
――フィジークでもプロ部門がスタートしていますね。
BB プロに転向した人の中には、良いフィジークの人もいれば、そうではない人もいます。これでは戸惑ってしまいますよ。コンテストごとにジャッジの基準が統一されていないのがいけないのです。しかし今年はプロコンテストもありますので、より明確なジャジの基準ができることを期待しています。
――女子のフィギュアは成功しています。男子のフィジークも女子のように人気が出ると思いますか?
BB 男子のフィジークも人気があります。上体は良くても脚の細い人や、ボディビルダーほどの筋量はない人でもフィジークなら出場できるわけですので、すでにたくさんの人がコンテストに出場しています。昨年私が出場したクラスのナショナルズでは65人もの出場者がいました。今年は昨年以上の人が出場してくると思います(註:昨年のNPCナショナルズの各部門の出場者数は、男女ボディビル、フィギュア、ビキニ、男女フィジーク部門を合わせて943人と過去最多の出場者数)。ナショナルズの出場料はひとり175ドルですので、今後フィジークなどで出場者が増加していけば、NPCでは大きな収入源になるでしょう。
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日本人としてのアイデンティティ

――昨年の本誌10月号『読者の広場』に投稿されましたが、これはどのような理由からですか?
BB 私にとって日本はいつも特別な所です。私の母親は日本人ですから、私のルーツでもあります。そのため、日本で自分の存在をアピールすることが夢でした。そんな中で山岸秀匡さんから月ボのことを教えてもらい、投稿したのです。
――あなたはパーソナルトレーナー活躍していますが、現在のアメリカのフィットネス界のトレンドはどのようなものですか?
BB 最も大きなフィットネスのトレンドは、ホームDVDトレーニングです。例えば90日で身体改造ができると広告している『T90X』や『INSANITY』などのエクササイズDVDを使ったトレーニングは、多くの一般人が行なっています。これらのエクササイズは器具を使わず、プッシュアップやスクワットなどのストレングストレーニングとエアロビクストレーニングなどを組み合わせたもので、とてもハードなエクササイズですが、DVDを見ながら家でできることから人気を得ています。註:アメリカでは現在これらのDVDを使ったエクササイズがテレビCMでよく放送されている。
――あなたの将来のプランはどのようなものですか?
BB 引き続きコンテストに出場していきたいと思っていますが、それがボディビルなのかフィジークなのかはまだ決めかねています。特にボディビルに戻るためにはサイズを大きく増やさなければなりませんので、どちらを選ぶかの選択に迫られています。それと、パーソナルトレーナーの仕事をもっと伸ばしていきたいですね。
――ところでブレントさんは日本に住んでいたのでよくご存知だと思いますが、日本人は英語が苦手です。どのようにしたら英語が上達するようになりますか?
BB 実は日本にいる時に英語を教えたこともあるのですが、まず日本語と英語の文法が大きく違っていることが苦手になる要因なのでしょうね。そこで、テキストを使って英語の勉強をするのも良いのですが、英語を話す友人などがいれば彼らから習ったり、あるいは、英語のテレビや映画を何回も繰り返し見たりするのが良いと思います。別に英会話学校などに行かなくても良いと思います。
――ブレントさんはとても日本語が上手ですが、アメリカにいながらどのようにしてキープしていますか?
BB 日本のテレビ番組のDVDをレンタルして見るのが好きです。最近見たバラエティの『うぬぼれ刑事』など、時間がある時によく見ています。ただ私の住んでいる界隈にはあまり日本人が住んでいないので、会話をする機会はあまりありません。
――最後に、日本のボディビルダーに何かメッセージをいただけますか?
BB 日本のボディビルダーのみなさんは一生懸命にトレーニングに励んでいらっしゃると思います。私は、日本人のフィジークはアメリカ人よりも優れていると思っています。アメリカ人は単に身体を大きくすることだけに関心があるだけですから…。日本人はトレーニングをハードに行なっていますが、それは武士道的なメンタリティを持っているからなのでしょうね。でも、確かにこのようなメンタリティはボディビルでは必要ですが、時にはやり過ぎてしまう恐れがありますので気をつけて下さい。私は日本でボディビルだけでなく、いろいろなことを学んで体験しました。本当に感謝しています。もし機会があれば、もう一度日本のコンテストに出場したいと思っています。

◆インタビューを終えて

外国語を習うのはできるだけ幼い頃からの方が良いという意見もあるが、ブレントさんはスロースターターだ。しかし、彼の日本語能力は短期間で上達した。会話はもちろん、文章を書くこともできる。外国語を習うために必要なのは若さではなく、やる気が一番重要なようである。そしてそれはもちろん、トレーニングに関しても当てはまる。
女子フィギュアがスタートした時も、どのようなフィジークが求められているのかという論争が巻き起こったくらいだから、まだスタートしたばかりの男子フィジークでも統一されるまでにはまだ時間が掛かるかもしれない。ダルビッシュはアメリカで真価が問われている真っ最中だが、ブレントさんも同じようにNPCでチャレンジしていかなければならない。日本人の血を引く二人のアスリートが、それぞれの分野のメジャーリーグで活躍することを期待したい。
なお、ブレントさんの動画はYouTube で映像を見ることができます。BrentABumgarner で検索してください。またブレントさんにコンタクトを希望する人は、brentabumgamer@gmail.com まで。
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