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特別寄稿 マイク宮本 マッスルマニアプロへの道〜2012年マッスルマニアワールド参戦手記〜

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[ 月刊ボディビルディング 2013年9月号 ]
掲載日:2017.08.14
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宮本 充(みやもと・みつる)
プロボディビルダー名:マイク宮本/昭和49 年6月4日生まれ/ 39 歳/神奈川県相模原市出身/カルフォニア州ロサンゼルス在住/趣味:愛車のベンツSLKをオープンにしてカルフォニアの海岸沿いをドライブする事/職業:プロフェショナルボディビルダー、フィットネスコンサルタント
ブログ:http://ameblo.jp/miyamotopro/
FB:https://www.facebook.com/mmiyamoto

コンテスト歴
2012 年マッスルマニアワールド世界選手権ライト級1位
2011 年マッスルマニアワールド世界選手権ライト級4位
2010 年マッスルマニアワールド世界選手権ライト級7位
2009 年NPC カルフォルニア選手権大会ウエルター級8位
2008 年NPC カルフォルニア選手権大会ウエルター級5位
2007 年NPC ロサンゼルス選手権大会ライト級5位
2006 年NPC カルフォニア選手権大会ウエルター級6位
    NPC ロサンゼルス選手権大会ライト級4位
2004 年マッスルマニアスーパーボディノービス2位
2002 年 東京クラス別8位
2001 年 東日本クラス別4位
2000 年 東京オープン65kg 級8位
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マッスルマニアは1991年、全米一のスポーツ専門チャンネルESPNが創設した、アメリカ最大のナチュラルボディビル団体です。メディアを上手く使い、アメリカだけでなく、世界各国で人気を呼んでおり、またボディビルを基盤とし、フィットネス、ビキニ等、様々な競技を生み出し今回のラスベガスで行われた世界選手権、マッスルマニアワールドでも、世界中から600人近くの選手が集まりました。
今回、私の師匠の宮野成夫プロは、プロ部門に、私宮本はアマチュア部門のライト級(70㎏以下)への出場となりました。私と宮野さんとの師弟関係は、13年前までさかのぼります。当時ボディビル雑誌の表紙になっていた宮野さんを、ゴールドジムで見かけた私が、思い切って「雑誌の表紙になっていた宮野成夫さんですか?」と声をかけたのが始まりでした。10年前から、私はアメリカに移り住みましたが、宮野さんは、毎年アメリカの大会に出られるので、アメリカ移住後も、必ず一年に一回は会って指導してもらっていました。
2010年から、私もようやくマッスルマニアワールドという宮野さんが出場している権威ある大会に出られるようになり、今回が3回目の挑戦となりました。師匠の宮野さんは若き時から、数々のタイトルを取り、今なお世界と戦う日本ボディビル界の生きる伝説のような存在。一方、弟子の私は過去13年で、東京オープンからはじまり、東京クラス別、ミスターカルフォルニアと日本とアメリカで通算17 回のコンテストに出場し、今まで全く勝利の女神と縁の無い選手生活。「いつか自分も宮野さんのようにかっこいいチャンピオンになってやる」という野望は、年齢を重ねると共に焦りとなって行きました。20代からはじめたボディビルも気づけば、もうすぐ4代。どんなコンテストもそこそこの順位をつけるが、なぜか勝てない。今回勝てなかったらボディビルを辞めるという瀕死の思いでコンテストに備えました。
今回の戦いの準備で、常に思った事は、〝克己〟自分に勝つということを常に考えトレーニングに取り組みました。以前、師匠の宮野さんに指導を受けている時に、「宮本、血液型A型だろ」と言われた事がありました。「どうしてわかったんですか?」と聞くと「トレーニングする時、計算しているんだよ、怪我したらどうしようとか、次の日歩けなくなるとか」「ボディビルは自分の殻を打ち破らないと、勝てないないぞ」その時は、「実際怪我したら、トレーニングできなくなるじゃん」と軽く思っていましたが、今回、常に考えたのが師匠が教えてくれた「自分の殻を打ち破る」ということでした。
それと同時に2010年、2011年と世界選手権を経験し、日本人の私が世界と戦う為には、信じられない位のコンディションにしないと骨格、バルクで上回る外人には勝てないと痛感していました。

ラ・コアからのアドバイス

今までのやり方では、今までの結果しか出ないと思い、思い切ってチームユニバースで6回勝っているアメリカ人のスキップ・ラ・コアをアドバイザーとして雇いました。通常コンテストモードになると、回数やセットを増やし、トレーニングの量を増やしますが、アドバイザーのスキップの指示は、「セットは可能な限り少なくし、低回数(4から6レップス)で、高重量を使えとのことでした」当然典型的A型の私は、「低カロリーダイエットでそんな事をしたら関節や筋肉に負担をかけ怪我するじゃないか」と文句を言うと、「1セットたかだか10秒位、怪我しねえよ」と冷たい返答。
また有酸素運動に関しては、1回16分だけで、バイクを使い、16分間死ぬほどこげと言われました。「16分だけの有酸素運動で脂肪をどうして燃やすんですか?」とキレ気味に聞いた所、「脂肪は有酸素運動をしている時に燃えているのではなく、した後に燃えているんだよ」とまた冷たい一言。とにかく今までと同じ事をしていたら、今までと同じ結果と考え、素直に低回数、高重量トレーニング、16分の強度の高い有酸素運動を取り入れることにしました。
最初は半信半疑でしたが、徐々に筋量が残りつつ、絞れて行く体を見て、信頼関係が出来上げっていきました。ただコンテスト最終日まで信頼できなかったのが、ソディウム&カリウムローディング。ソディウムローディングとは、コンテスト2ヶ月位前から徐々に塩分の摂取を増やして行き、それと同時に水分摂取も増やす。塩辛い乾き物と一緒にお酒を飲んだ翌日は顔や体が浮腫んでいるというのは皆さんも経験あるかと思いますが、塩分を摂ると塩分に水が含み体を浮腫ませる。ただ毎日塩分と水分を大量に摂ることで、体は塩分と水分に慣れ、汗や尿と共に塩分と水分を排出できるようになり、ちょっとぐらいの塩分を摂っても浮腫みにくい体質になる。その塩漬け水漬けの体に2ヶ月かけて仕込んでおき、ある日突然、塩分の摂取を止め、水分の量を減らすと、大量の塩分に慣れた体は水分を保持出来なくなり、体から水分がどんどん抜けるというわけだ。
そして、追い討ちをかけるがごとくカリウムを摂る( カリウムローディング)。塩分をたくさん含んだ食事をした時、果物などのカリウムがたくさん含んでいる食べ物を摂ると塩分がそのカリウムに相殺され、浮腫みが解消されるのと同じ理論。ただでさえ塩分が突然なくなり、水分が保持できない体にカリウムを摂ることで、完全に体から塩分がなくなり水分が全く保持出来なくなり、水が抜けた皮一枚のコンディションになるというシナリオ。シナリオどうりに働けば、骨格、筋量で上回る外人に、日本人である私が勝てる唯一の作戦となる。
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過去最高の仕上がり

火曜日、日本から来た宮野さんとベニスのゴールドジムで合同トレーニング。塩分を大量に摂っているので、水は含でいるが仕上がりは間違いなく過去最高。逆に仕上がった体に、いい感じに水が乗り、筋肉が丸みを帯び体重以上にデカくみえる。宮野式は、今良く見えるんだったら、極端なカーボアップや塩分カットはしないでそのまま試合に出る。宮野さんにローディングの話をすると案の定いい顔をしなかった。
水曜日、宮野さんはロスから飛行機で会場のラスベガスに飛び、ロス在住の私は、車でラスベガスへ向かう。ローディングを決行するなら今日からやらなければ間に合わない。13年間常に自分の才能を信じてくれ育ててくれた師匠の宮野さんの言う事を聞くべきか、高いお金を払って3ヶ月前アドバイザーとして雇ったスキップの言う事を聞くべきか心の中で葛藤が走る。悩んだ末に、以前宮野さんから言われた「ボディビルは自分の殻を打ち破らないと、勝てないぞ」と言う言葉が思い浮かんできた。今までやった事のないカリウムローディングを決行することにした。
木曜日、選手登録、検量、尿検査を行う。マッスルマニアの場合、公共の電波に、大会が放映される関係上、反社会的な薬物使用に関しては断固たる態度及び制裁をとっている。参加選手は例外なく全員尿検査を強いられる。世界大会の検量は、事実上の前哨戦、世界各国から集まった選手一堂が初めてお互い顔を合わし、体をチェックする場。皆笑顔で握手を交わしながら、心理戦では、激しいバトルが繰り広げられる。選手達は、可能な限りライバル達に威圧をかけ、舞台に上がる前に心理戦で有利なポジションに着こうとする。
戦地ラスベガスに向けてロスから出発

戦地ラスベガスに向けてロスから出発

選手ミーティングにて師匠の宮野さんと

選手ミーティングにて師匠の宮野さんと

宮野さんとゴールドジムベニスで合同練習後。塩分を大量摂取しているが、かなり仕上がりが良い

宮野さんとゴールドジムベニスで合同練習後。塩分を大量摂取しているが、かなり仕上がりが良い

屈折13年目の勝利!

金曜日、遂に13年間のボディビル人生においての総決算の日。ソディウム、カリウムローディングは見事に成功し、すでに仕上がっていた2日前から更に2割ぐらい良く見えている。「よしこれなら勝てる」と鏡に映る過去最高に仕上がった我を見て確信する。師匠宮野さんといざ出陣。選手控え室に入り、ライバル達の体を見ると先ほどまでの絶対勝てるという自信は微塵もなくなり、一気に不安が襲う。落胆した私を感じとったのか、突然、宮野さんが「宮本背中デカくなったなぁ」と私の背中を叩いた。この4日間一度も私の体を褒めてくれなかった師匠の一言は、自信喪失していた心に火を付けてくれた。
ライト級選手集合と呼び出しがかかる。いつもステージに上がる前は、恐怖心や過剰なまでの闘志を見せていたが、今回は、悟りを開いた心境のように冷静だった。参加選手全員の比較審査が終わり、上位5人を決めるファーストコール。緊張が走る。まずはファーストコールに呼ばれる、審査の流れから、自分は上位3 人に入っているのが感じられる。優勝する為には、右隣のオーストラリアのサンレイ。左隣のフランスのロメオに勝たなければならない。東南アジア系オーストラリア人のサンレイは今シーズン、オーストラリアで負けなし。ミスターシドニーではライト級ながらオーバーオールでも勝っている。左隣のアフリカ系フランス人のロミオは、黒人に良く見られる細いウエストから翼のように広がる広背筋、また細い関節が、ただでさえデカイ筋肉が更にデカく見える。
オーストラリアで負けなしのサンレイは、明らかに勝たなければというプレシャーからポーズが硬くなっている。恐らくオーストラリアでは、自分中心の審査をされていたのだろ。今回は、私中心の審査となっているので焦りが見られる。またフランスのロミオは、スタイル、遺伝子的には、私とサンレイを上回っているが、厳しいダイエットしてきた形跡が見られない為、ポーズを取っても迫力が出てこない。焦るサンレイに対しては、余裕の笑みを見せ、ロミオに対しては、皮一枚まで絞ってきたハードな体を見せ、審査員にアピールする。
土曜日、フリーポーズ及び表彰。マッスルマニアの場合フリーポーズもスコアー全体の10%を占めるため、フリーで順位の入れ替えが起こるので、侮れない。フリーは、規定ポーズはもちろん、世界各国に流されるテレビ受けも考えた要素も取り入れなければならない。剣道の経験がある私は、日本刀を持ち込みさらに、サングラスを付け、ノリの良いダンスミュージックと共に近未来型サムライを演じながらポーズをとった。予想以上に観客に受け、場内からカメラのフラッシュが絶え間なく続く、舞台を下りてからも写真をせがまれ、ちょっとしたスター気分になる。
いよいよフリーが終わり順位発表。予想どうり上位3人は、サンレイ、ロミオそして私となった。3位は、仕上がりが若干甘いロミオが呼ばれた。残るのは、私とサンレイ。オーストラリアで負け無しのサンレイは、自分の勝利を確定したかのように私に近づき、握手をしてきた。第2位は…サンレイ。勝利を確信していたサンレイは、信じられないという態度でトロフィーを受け取ろうとしない。観客、選手に気まづい空気が流れる。今度は私から、サンレイに近づき、お互いの健闘を称える握手をすようやくサンレイが気を取り直しトロフィーを受け取った。
ボディビル歴13年、18戦目で初めての勝利がマッスルマニア世界大会、おまけにこの勝利からプロカードも手にすることになった。13年間、常に温かく見守ってくれていた師匠の宮野さんにこの場を借りて心からお礼を申し上げたいと思います。
また今後、マッスルマニアプロ、マイク宮本として世界のプロのステージで戦うと同時に、月刊ボディビルディングに『マッスルマニアプロ、マイク宮本のアメリカ便り!!』と題して、アメリカの最新のボディビル&フィットネスの最新情報をお届けさせていただく事になりました。これからも皆様の変わらぬご支援のほどよろしくお願い申し上げます。
ライト級トップ3の比較)左から2位、宮本、3位。

ライト級トップ3の比較)左から2位、宮本、3位。

日本からビキニに出場していたリナ・ウルフ選手と

日本からビキニに出場していたリナ・ウルフ選手と

[ 月刊ボディビルディング 2013年9月号 ]

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