新ナルシスな奴ら! Vol.19
谷澤一矢
[ 月刊ボディビルディング 2013年10月号 ]
掲載日:2017.08.16
たにざわ・かずや/ 1971 年8月27 日生まれ(41 歳)/身長171cm、体重88kg(オフ)76 ~ 73kg(オン)/職業:ジム経営( ヨコハママリントレーニングジム) /趣味:読書/スポーツ経験:空手26 年(芦原会館21 年)/主なコンテスト歴:02 年神奈川県クラス別75kg 級優勝、04 年関東クラス別75kg 級優勝、05 年神奈川県大会優勝、11 年日本クラシック175cm 以下級優勝
今回登場のボディビルダーは、強さを求め、日々スーパーハードなトレーニングをこなす、神奈川県を代表する選手であり、現在ジムの会長としてもボディビル界を盛り上げている谷澤選手です!
ナルシス(以下NY) 早速ですがトレーニングのきっかけを教えて下さい。
谷澤(以下KT) 漠然としているんですけど、中学生の時から「強くなりたい」という思いがあり、また漫画の『北斗の拳』や『魁!男塾』の世代だったこともあり、そういう身体への憧れが当然ありまして。
映画では『ランボー』シリーズや『ターミネーター』が流行っていた時期でした。
シルベスタ・スタローンが『ランボー』で懸垂をしているシーンやハチマキを縛るバックダブルバイのような姿に「カッコイイな~」と思っていました。そこで学校では空手部に入部し、中3の終わりには、上大岡にある芦原会館の空手道場にも通うようになりました。
家にはNEのバーベルセットを買い、ベンチプレスとローイングとミリタリープレスを毎日していました(笑)。
NY 同世代としてそのきっかけ解るな~!
それに谷澤選手の背中が凄いのは、特にスタローンの背中の影響もあった訳なんだね!
KT そうですね。
NY その後はどんなウェイトトレーニングの歩みをしていきましたか?
KT 高校生の時に本屋でたまに月ボを読んでは「パワーリフティングの選手はこの体重でこれくらい挙げているんだ」と意識し、テレビではチャック・ウィルソンが出ている番組を見て「凄いパワーと肉体だ!」と思い、彼のトレーニングバイブルを買い、トレーニングを覚えていきました。
その頃から磯子のスポーツセンターや山下公園の公安労働会館(当時の神奈川県ボディビル連盟加盟ジム)に友達と一緒に月3回程度行きました。当時、磯子スポーツセンターには〝伝説の200㎏カール〟金城まさかずさんがいらっしゃいました。身長167~8㎝で体重110㎏、上腕囲が56㎝ある方ですよ!
自分が150㎏のデッドリフトをしていた目の前でスタンディングのナローフレンチプレスをやられ、また時には「足上げベンチで180㎏を20回やるから」と言って、でも19回で潰れちゃったり(笑)…とにかく、使用重量の基準がそういうところに入りました。
NY ここにも生きる伝説、金城さんを目の当たりにしていた選手がいましたか!
ナルシスは金城さんには一度だけお目にかかりましたが、タンクトップ姿は今までに見たことのない腕の太さ、大きさ、存在感だったことを覚えています!
確かにあの肉体は漫画の世界を現実化したような凄い肉体だから、当時の谷澤少年にとっては憧れであり「やればこうなるんだ!」と思う存在が現実に見られたんだね!
KT そうですね。高校を卒業する頃にはベンチプレスも一回100㎏は挙がるようになり、その後は空手を続けながらスポーツトレーナーの専門学校へ行きました。卒業後には公安労働会館へ週3回はトレーニングに通うようになりました。
NY その頃はどんなルーティンだったの?
KT 脚のトレーニングはまったくやりませんでした。ジムではベンチプレス、ローイング、チンニングをやり、家ではよく相撲中継を見ながら肩や腕のトレーニングをしました。1時間半、取り組み中をインターバルにして合間に鍛えて、という具合で、週に5日ほどトレーニングはやっていました。
NY では本格的にボディビルを意識したトレーニングをスタートしたのはいつ頃ですか?
KT 23歳の頃にはスポーツジムにてトレーナーをしながら公安労働会館にも通い、どちらのジムでもボディビル大会へ向け日々トレーニングしているボディビルダーを目のあたりにしていていました。
1972年ミスター日本2位の小沢幸夫さんが後に1997年ミス神奈川になる竹内美千代さんの指導をしていたので、公安の仲間と応援しに大会を観戦しましたら、その仲間と盛り上がり、みんなで「大会を目指すか!」という気運が高まったのです。
またちょうどその頃ジムで、神奈川県大会に向けて調整していた高木昇選手(97年神奈川県優勝)に会ったこともきっかけになっています。
自分の先輩が高木選手と知り合いだったので紹介してもらい高木選手と話す機会があったのですが、あとで先輩から「ボディビルを意識しないでトレーニングしているお前の体格なら、意識してやれば高木選手のようになれるよ」と言われたのです。
「自分もあんな凄い肉体になれるの!?」と思いましたが、高木選手は同い年だったのもあり、それからはスプリットルーティンをやるようになり、脚のトレーニングも始め、ボディビルに必要な部位別トレーニングにも重点を置くようになりました。
これらのトレーニングテクニックは、もともと知識としては持っていましたが、その後は「筋出力が高くあれば良い」と思っていたトレーニング感覚を変え、フライやレイズなども入れて行なうようになりました。その頃(98年)にプロフィット(現在のゴールドジム横浜馬車道)に入会しました。
NY その頃にナルシスと出会ったんだ!
KT そうですね。山本さんが事故を起こす半年前あたりでした。挨拶して「山本さん凄いな~」と思っていたら、ジムからいなくなっちゃって(笑)。
NY そうだったね(笑)。ナルシスはバイク事故で脚の骨を粉砕し、その後遺症がありつつも2000年から復活に向けトレーニングをスタートしていきました。2001年にはプロフィットがゴールドジムのフランチャイズになり、ハードコアジムが増設され、谷澤選手とはよく夜に時間が合えばパートナーを組んでヘビートレーニングをしていたよね!
時には大日本プロレスの関本選手やミノワマンも交じってね。誰か一人が「何㎏を何回」挙げたら、次にやる人はさらに上回る回数をやったり。ハードで楽しい時期だったね(笑)。
KT みんな170㎝前後の身長で肉体もパワーも近く、レベルの高いトレーニングでした。ちょうどその時期にあたる2000年に大会に初出場したのですが、山本さんに「優勝できるよ」といわれたものの、神奈川県クラス別で3位になりまして…。この結果が悔しくて!
でも、もし優勝か、箸にも棒にも掛からない結果だったら、そこでボディビルはやめていました。もともとトレーニングの意識が見せるためでなくパワーや強さにあったし、トレーナーとして指導するには〝「ボディビルもやっていたよ」と言えるぐらいであればいいじゃん〟ぐらいでしたから。
NY その悔しいと思った気持ちが今の谷澤選手を作っていったんだね。そうだ、ベンチ大会なども出場しているよね?
KT そうですね。何にでも挑戦してみようという意識で、ベンチプレス大会にも2003年に関東大会に出場し3位になりました。
NY 最近はどう?
KT 最近は肩を痛めていますが、縁があって昨年ノーギアのパワーリフティング83㎏級に出場しました。記録はベンチプレス130㎏、スクワット195㎏、デッドリフト230㎏でした。
NY 見事な記録です。痛めていなければもっと挙がるのは知っているからね。
KT 今はまた原点回帰して〝パワーが強くて凄い身体〟を目指してトレーニングしています。
NY ナルシスも同感だね。脊髄麻痺とその後遺症から重さにビビって肉体が情けなく縮んでしまったので、原点回帰して取り組んでいますよ。
KT パワーのノーギアでチャンピオンになり、ボディビルダーとしてもチャンピオンになっている朝生照雄選手や須江正尋選手を見て学んできてもいますから。
NY 確かにね。
KT 一般の人には「ベンチプレス何㎏挙げられるの?」なんてよく聞かれるじゃないですか。
NY そうだね! 素人は怖い(笑)。見た目より挙がらないと「なぁ~んだ」って軽く言われちゃうよね。そうならないようにするためにも基本種目はパワーをつけないと。では最近のトレーニングルーティンは?
KT 昨年からマリンに通っているパワーリフターの女子選手とパートナーを組み、週に6日トレーニングをしています。
月曜日 背中
火曜日 胸
水曜日 腕
木曜日 脚
金曜日 肩
土曜日 胸や脚を細かく違うタイプで補強的に
時間は2時間強でセットは細かい場所までやる場合は50 セットほどです。ちなみに腹はシーズンのみしかやりません!
これは昔からです。
NY 谷澤選手といえば昆虫のように発達した腹筋が印象的だけど、トレーニングしているのはシーズンのみなんだ!
KT シーズンに入ったら週に3回ほどやります。
NY やはりスタンディングのローラー!?
KT はい。腰に20㎏プレートを乗せ押さえてもらい、1セット15回を何セットもやります。
NY 昔も一緒にやっていたし、今も見ているけど、きっちりフルレンジでやるよね!凄い!
KT ここ1年以上は全体的にフォースドレップは使わずドロップセットなど多用し、刺激が逃げないように工夫しています。以前はネガティブならベンチで200㎏までやっていましたが、正直リスキーですからね。
NY まぁトレーニングは常に終わりなき研究と実践だよね。さてそろそろ大詰めの質問ですが、今後の谷澤〝選手〟また谷澤〝会長〟として、それぞれの目標を聞きたいのですが。
KT まだまだ発達、進化していける余地があると思うので、続けていきます。また神奈川県連盟副理事としての立場ですが、選手目線から見えてくる部分を活かしていきたいです。
一般の方からはまだボディビルの敷居が高くとらえられているところがありますが、知識やメソッドなどを理解してもらうようにすれば、ボディビルに限らずベストボディのような肉体は誰にでも作れるんだということをもっと広めていければと思っています。
NY とてもいい話が聞けました。本日はお忙しい中ありがとうございました。
選手として、またジムの会長として、今後もボディビルをさらに盛り上げてくれること間違いないと感じる取材でした。
文/山本昌弘
ナルシス(以下NY) 早速ですがトレーニングのきっかけを教えて下さい。
谷澤(以下KT) 漠然としているんですけど、中学生の時から「強くなりたい」という思いがあり、また漫画の『北斗の拳』や『魁!男塾』の世代だったこともあり、そういう身体への憧れが当然ありまして。
映画では『ランボー』シリーズや『ターミネーター』が流行っていた時期でした。
シルベスタ・スタローンが『ランボー』で懸垂をしているシーンやハチマキを縛るバックダブルバイのような姿に「カッコイイな~」と思っていました。そこで学校では空手部に入部し、中3の終わりには、上大岡にある芦原会館の空手道場にも通うようになりました。
家にはNEのバーベルセットを買い、ベンチプレスとローイングとミリタリープレスを毎日していました(笑)。
NY 同世代としてそのきっかけ解るな~!
それに谷澤選手の背中が凄いのは、特にスタローンの背中の影響もあった訳なんだね!
KT そうですね。
NY その後はどんなウェイトトレーニングの歩みをしていきましたか?
KT 高校生の時に本屋でたまに月ボを読んでは「パワーリフティングの選手はこの体重でこれくらい挙げているんだ」と意識し、テレビではチャック・ウィルソンが出ている番組を見て「凄いパワーと肉体だ!」と思い、彼のトレーニングバイブルを買い、トレーニングを覚えていきました。
その頃から磯子のスポーツセンターや山下公園の公安労働会館(当時の神奈川県ボディビル連盟加盟ジム)に友達と一緒に月3回程度行きました。当時、磯子スポーツセンターには〝伝説の200㎏カール〟金城まさかずさんがいらっしゃいました。身長167~8㎝で体重110㎏、上腕囲が56㎝ある方ですよ!
自分が150㎏のデッドリフトをしていた目の前でスタンディングのナローフレンチプレスをやられ、また時には「足上げベンチで180㎏を20回やるから」と言って、でも19回で潰れちゃったり(笑)…とにかく、使用重量の基準がそういうところに入りました。
NY ここにも生きる伝説、金城さんを目の当たりにしていた選手がいましたか!
ナルシスは金城さんには一度だけお目にかかりましたが、タンクトップ姿は今までに見たことのない腕の太さ、大きさ、存在感だったことを覚えています!
確かにあの肉体は漫画の世界を現実化したような凄い肉体だから、当時の谷澤少年にとっては憧れであり「やればこうなるんだ!」と思う存在が現実に見られたんだね!
KT そうですね。高校を卒業する頃にはベンチプレスも一回100㎏は挙がるようになり、その後は空手を続けながらスポーツトレーナーの専門学校へ行きました。卒業後には公安労働会館へ週3回はトレーニングに通うようになりました。
NY その頃はどんなルーティンだったの?
KT 脚のトレーニングはまったくやりませんでした。ジムではベンチプレス、ローイング、チンニングをやり、家ではよく相撲中継を見ながら肩や腕のトレーニングをしました。1時間半、取り組み中をインターバルにして合間に鍛えて、という具合で、週に5日ほどトレーニングはやっていました。
NY では本格的にボディビルを意識したトレーニングをスタートしたのはいつ頃ですか?
KT 23歳の頃にはスポーツジムにてトレーナーをしながら公安労働会館にも通い、どちらのジムでもボディビル大会へ向け日々トレーニングしているボディビルダーを目のあたりにしていていました。
1972年ミスター日本2位の小沢幸夫さんが後に1997年ミス神奈川になる竹内美千代さんの指導をしていたので、公安の仲間と応援しに大会を観戦しましたら、その仲間と盛り上がり、みんなで「大会を目指すか!」という気運が高まったのです。
またちょうどその頃ジムで、神奈川県大会に向けて調整していた高木昇選手(97年神奈川県優勝)に会ったこともきっかけになっています。
自分の先輩が高木選手と知り合いだったので紹介してもらい高木選手と話す機会があったのですが、あとで先輩から「ボディビルを意識しないでトレーニングしているお前の体格なら、意識してやれば高木選手のようになれるよ」と言われたのです。
「自分もあんな凄い肉体になれるの!?」と思いましたが、高木選手は同い年だったのもあり、それからはスプリットルーティンをやるようになり、脚のトレーニングも始め、ボディビルに必要な部位別トレーニングにも重点を置くようになりました。
これらのトレーニングテクニックは、もともと知識としては持っていましたが、その後は「筋出力が高くあれば良い」と思っていたトレーニング感覚を変え、フライやレイズなども入れて行なうようになりました。その頃(98年)にプロフィット(現在のゴールドジム横浜馬車道)に入会しました。
NY その頃にナルシスと出会ったんだ!
KT そうですね。山本さんが事故を起こす半年前あたりでした。挨拶して「山本さん凄いな~」と思っていたら、ジムからいなくなっちゃって(笑)。
NY そうだったね(笑)。ナルシスはバイク事故で脚の骨を粉砕し、その後遺症がありつつも2000年から復活に向けトレーニングをスタートしていきました。2001年にはプロフィットがゴールドジムのフランチャイズになり、ハードコアジムが増設され、谷澤選手とはよく夜に時間が合えばパートナーを組んでヘビートレーニングをしていたよね!
時には大日本プロレスの関本選手やミノワマンも交じってね。誰か一人が「何㎏を何回」挙げたら、次にやる人はさらに上回る回数をやったり。ハードで楽しい時期だったね(笑)。
KT みんな170㎝前後の身長で肉体もパワーも近く、レベルの高いトレーニングでした。ちょうどその時期にあたる2000年に大会に初出場したのですが、山本さんに「優勝できるよ」といわれたものの、神奈川県クラス別で3位になりまして…。この結果が悔しくて!
でも、もし優勝か、箸にも棒にも掛からない結果だったら、そこでボディビルはやめていました。もともとトレーニングの意識が見せるためでなくパワーや強さにあったし、トレーナーとして指導するには〝「ボディビルもやっていたよ」と言えるぐらいであればいいじゃん〟ぐらいでしたから。
NY その悔しいと思った気持ちが今の谷澤選手を作っていったんだね。そうだ、ベンチ大会なども出場しているよね?
KT そうですね。何にでも挑戦してみようという意識で、ベンチプレス大会にも2003年に関東大会に出場し3位になりました。
NY 最近はどう?
KT 最近は肩を痛めていますが、縁があって昨年ノーギアのパワーリフティング83㎏級に出場しました。記録はベンチプレス130㎏、スクワット195㎏、デッドリフト230㎏でした。
NY 見事な記録です。痛めていなければもっと挙がるのは知っているからね。
KT 今はまた原点回帰して〝パワーが強くて凄い身体〟を目指してトレーニングしています。
NY ナルシスも同感だね。脊髄麻痺とその後遺症から重さにビビって肉体が情けなく縮んでしまったので、原点回帰して取り組んでいますよ。
KT パワーのノーギアでチャンピオンになり、ボディビルダーとしてもチャンピオンになっている朝生照雄選手や須江正尋選手を見て学んできてもいますから。
NY 確かにね。
KT 一般の人には「ベンチプレス何㎏挙げられるの?」なんてよく聞かれるじゃないですか。
NY そうだね! 素人は怖い(笑)。見た目より挙がらないと「なぁ~んだ」って軽く言われちゃうよね。そうならないようにするためにも基本種目はパワーをつけないと。では最近のトレーニングルーティンは?
KT 昨年からマリンに通っているパワーリフターの女子選手とパートナーを組み、週に6日トレーニングをしています。
月曜日 背中
火曜日 胸
水曜日 腕
木曜日 脚
金曜日 肩
土曜日 胸や脚を細かく違うタイプで補強的に
時間は2時間強でセットは細かい場所までやる場合は50 セットほどです。ちなみに腹はシーズンのみしかやりません!
これは昔からです。
NY 谷澤選手といえば昆虫のように発達した腹筋が印象的だけど、トレーニングしているのはシーズンのみなんだ!
KT シーズンに入ったら週に3回ほどやります。
NY やはりスタンディングのローラー!?
KT はい。腰に20㎏プレートを乗せ押さえてもらい、1セット15回を何セットもやります。
NY 昔も一緒にやっていたし、今も見ているけど、きっちりフルレンジでやるよね!凄い!
KT ここ1年以上は全体的にフォースドレップは使わずドロップセットなど多用し、刺激が逃げないように工夫しています。以前はネガティブならベンチで200㎏までやっていましたが、正直リスキーですからね。
NY まぁトレーニングは常に終わりなき研究と実践だよね。さてそろそろ大詰めの質問ですが、今後の谷澤〝選手〟また谷澤〝会長〟として、それぞれの目標を聞きたいのですが。
KT まだまだ発達、進化していける余地があると思うので、続けていきます。また神奈川県連盟副理事としての立場ですが、選手目線から見えてくる部分を活かしていきたいです。
一般の方からはまだボディビルの敷居が高くとらえられているところがありますが、知識やメソッドなどを理解してもらうようにすれば、ボディビルに限らずベストボディのような肉体は誰にでも作れるんだということをもっと広めていければと思っています。
NY とてもいい話が聞けました。本日はお忙しい中ありがとうございました。
選手として、またジムの会長として、今後もボディビルをさらに盛り上げてくれること間違いないと感じる取材でした。
文/山本昌弘
初優勝の 02 年神奈川クラス別 75 ㎏級
2011年日本クラシック175㎝級で優勝
谷澤選手といえば、昆虫を思わせる腹筋だ!
パワーが強くて凄い身体を目指してトレーニングに励んでいる
著者プロフィール:やまもと・まさひろ(通称ナルシス)/抜群のシェイプと類希なポージングセンス、そして自らをナルシストと公言してはばからない特異なキャラクターで人気を集める元日本選手権ファイナリスト。これまでに東京クラス別70㎏級・75㎏級、日本クラス別75㎏級、東日本選手権、ジャパンオープンを制しているhttp://blogs.yahoo.co.jp/wwrcf122
[ 月刊ボディビルディング 2013年10月号 ]
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