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13年ジャパンオープン男子優勝者
小松慎吾

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[ 月刊ボディビルディング 2014年1月号 ]
掲載日:2017.08.26
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こまつ・しんご/1985年12 月20 日生まれ、27 歳/ボ歴7年/長野県出身/職業=トレーナー/身長169cm、体重87kg(オフ=2013年4月)/好きなポーズ=マスキュラー/トレーニングスタジオフィジーズ所属/主な戦績=2007年全日本学生選手権優勝、2009年長野優勝/ジャパンオープンの戦績:2010年(初出場)予選落ち、2011年6位、2012年6位
「ジャパンオープンは絶対に優勝したいと思っていた」という小松慎吾選手。その理由を尋ねたら「優勝すると月刊ボディビルディングの表紙を飾れるのもモチベーションのひとつだった」と嬉しいことを言ってくれた。実際にカバーモデルになった2013年11月号については「家族も喜びましたし、3冊買いました」と笑って振り返っている。

 今から思えば、前年の苦い経験が今年の小松選手を頂点へと立たせるきっかけになった。

 6位だった2012年の結果については「仕方なかった」と納得しています。なにしろ大会の前の週の水曜日から、つまり大会の4日前から減量を始めたのだから。

 それまで?ずっとキレ食いしていました。だから最終手段として、水曜日からカーボを抜き、水抜きも始めたんです。でも大会当日は張りは出ないし、カットはイマイチ。ボディビルの大会に出場するようになって7年経つけれど、まだ〝調整〞には慣れません。減量に入ってから体重を計っていると、その数値に縛られることと、「食べられない」というダブルのストレスで、なおさら食欲が駆り立てられて…。オフにはまったく食べない菓子パンを口にしてしまうくらいです。

 そこで、2013年のシーズンは10月上旬の日本選手権までずっと、体重計に乗ることをやめました。ジャパンオープン4カ月前の4月上旬、減量をスタートした時に87㎏だったことしか判りません。これが良かったのかマズかったのかは、まだ判らないけれど。でも体重計に乗っていなくても絞れている感覚はあったし、大会が近づくにつれ、周りからは「頬がこけたね」とは言われていました。

 いわゆる〝バルク派〞というカテゴリーに分類される小松選手のことだから、オフには20㎏ぐらい増量しているのではと想像していたのだが、実際には「おそらく減量幅は4㎏程度」という。

 オフシーズンは「増量するぞ!」という食生活を心がけているわけではありません。増やさないようにしているのもあるけれど、オフシーズンは「いつでも食べられる」と思うと安心して、かえって食べなくなっちゃう。菓子パンなどを食べないぶん、オフの方がコンディションが良いくらいかもしれません(笑)。

 減量に入ってまず変えたのは食事です。前年のシーズン中は朝と昼だけでしたが、今回は「ちゃんと絞ろう」と思って、夜も含めてすべて減量食にしようと計画しました。でも減量してはキレ食いを繰り返してしまい、うまく行かなかった。あまり減量幅がないこともあるかもしれませんが、僕、のんびり屋なもので…。「まだ大会まで時間があるから大丈夫、もうちょっと経ってから真剣に減量しても間に合うんじゃないか」と考えてしまうんです。それで週に1回設けていたチートデーを2日も3日も続けてしまう。大会の1カ月前になって、やっと本気になって調整ができるようになって。

 結果として、今回のジャパンオープンでの仕上がりはすごく厳しいものではありませんでした。でも、そこまで甘いわけでもなかったと思います。自分では大会当日には「これなら行けるな」と思っていました。
ジャパンオープンに出場していたある選手が「小松くんだけひときわデカかった」と 言っていた

ジャパンオープンに出場していたある選手が「小松くんだけひときわデカかった」と 言っていた

 小松選手は2013年、脚のトレーニングをたくさんこなしたという。そもそも全身バランス良く発達している小松選手にとって、脚は弱点とはいえないし、小松選手自身も「脚は長所だと思っている」という。では、なぜ…?

 減量に入るといちばん影響が出るのはトレーニング。中でも最もハードな脚のトレーニングは、減量に入るとまったくできなくなる。そして昨年はそこから逃げちゃったのです。 でも、それがイヤだった。「逃げていたら、ジャパンオープンで勝てない!」と思ったのです。

 そこで大会の2カ月前からは脚のトレーニングの頻度を増やしました。カーフとハムストリングスは1日おき、大腿四頭筋は2〜3日に1回に。大腿四頭筋に関しては毎回種目を変えました。この理由は、いろんな角度から攻めるためではありません。フルスクワットは高重量が扱える半面、いちばんキツい種目だからこそ挑戦し甲斐があるので好きですが、腰に残った疲労は、すぐには回復できない。脚のトレーニングは高頻度で行ないたいけれど、毎回フルスクワットをするのは危険です。だから腰のダメージが回復するまではスクワットは封印して、他の種目を行なったのです。

 脚はカーフも含め全部しっかりと発達して太いのが理想です。海外のボディビルダーはカーフまでデカい人が多い中、デニス・ウルフはカーフが細くて格好悪い。あれじゃダメじゃないかなと思うんですけど…。

 高頻度で脚のトレーニングをするのはキツくありません。大会の1カ月前までキレ食いを繰り返していたといえども、このようなトレーニングをしていたことで、うまく調整できていたのかもしれません。また脚のトレーニングをメインにすると、かなり追い込んでも上半身のトレーニングは楽なんです。むしろ楽しく感じるくらいです。それにこの高頻度の脚のトレーニングは、脚そのものとともに、精神面の鍛錬にもなったと思います。

 脚以外に背中のトレーニングも頻度を上げました。ダブルスプリットでやったのです。1回のトレーニングで上中下背すべてトレーニングしますが、毎回、種目は変えて。1回のトレーニングのボリュームを増やすと軽い重量しか扱えなくなってしまいますが、ダブルスプリットにしたことで重たい重量が扱えたので調子が良かったです。
撮影協力:ゴールドジムサウス東京

撮影協力:ゴールドジムサウス東京

 減量は嫌いだが、トレーニングは大好きだという。しかし、ジャパンオープン後の1カ月はまったくトレーニングができなかった。

 所属先でもあり勤務先でもあるジムでは店長を務めています。休日はジムの休館日である週1日だけ。でも休日もトレーニングしていますね(笑)。トレーニングのオフ日はとりたてて設けていません。休みたくなったら休みますが、それまでは毎日行なっています。高校1年生まで行なっていた陸上の短距離走でハムストリングスを切り、リハビリを兼ねてウェイトトレーニングを始めて以来、怪我はしていません。骨休めをする日をあえて確保しなくても、怪我が怖いとは思いません。

 でも、ジャパンオープンの大会翌日から1カ月後の9月10日まで、まったくトレーニングできませんでした。ジャパンオープンの日に初めてドーピング検査を受けたのですが、その結果が気になって…。

 摂っているサプリメントはプロテイン、BCAA、グルタミン、クレアチン、エキストラアミノアシッド。オフはプロテインとクレアチン。これらについて自分で片っ端から調べた限りでは陽性になりそうなものはなかったけれど、「もしかしたら成分表に表示されていないものがあって、それが引っかかるのでは」と心配になって、「落ち度はないかな」と気になって…。だって、ジャパンオープンの優勝者が2年連続で引っかかってはシャレにならないでしょ!

 そればかり気になってノイローゼ気味になり、ちょっと参っちゃって。その矛先が食欲に向かい、当日の夜から食べ続け、トレーニングに集中できなくなってしまったのです。ちなみにドーピング検査は陽性の場合のみ検査後3週間〜1カ月でJADAから本人に通知されるとのことですが、ジャパンオープンから1カ月経っても連絡を受けませんでした。

 振り返れば、ジャパンオープンで検査を受けて良かったです。摂取するサプリメントに関してかなり意識してチェックするようになったし、他人からもらったものは摂らないようになりました。本当に徹底するようになりました。今まではそこまで警戒していなかったので…。日本選手権でも検査を受けましたが、もう検査が精神的にキツいとは思わなくなりました。
ジャパンオープンで優勝できたのはなぜ?「自分で言うのもなんだけど、デカさがあってバランスが良いので、勝つ要素は持っていたと思う」

ジャパンオープンで優勝できたのはなぜ?「自分で言うのもなんだけど、デカさがあってバランスが良いので、勝つ要素は持っていたと思う」

 ジャパンオープンは「トレーニングも減量も日焼けも…すべてにおいて良かった」という。それに比べると、日本選手権の結果は悔しいものだった。

 日焼けをすると気持ちが入るんです。皮膚感が変わってくるし、代謝が上がるような気もするし。ジャパンオープン直前の1週間は毎日1時間日焼けマシンに入っていました。おかげで大会の1カ月前には真っ黒でしたよ。

 一方で日本選手権の時は、1週間前でもまだ真っ白でした。今年はもともとジャパンオープン一本に集中していたし、ドーピング検査のこともあって、日本選手権に向けてはなかなか気持ちにスイッチが入らなかったんです。結局、日焼けは直前の水曜日からはじめました。 そうは言っても、今回の日本選手権の結果は悔しかったです。決勝に行けても良かったんじゃないかと思うんですけど…。

 でも、こんなことを言ったらビッグマウスと思われそうですが、昔は上位陣の選手がみんなデカく見えたけど、今年はそうは感じませんでした。「これは絶対に敵わないな」とは思わなかったし、「勝てるんじゃないか」とも思ったのです。

 今、27歳です。30歳という区切りの良い年について、意識している面はあります。

 今年の日本選手権に出るまでは「今年は最低でも決勝進出し、合戸孝二選手を倒して3位までに入ろう、来年は田代誠選手を倒して2位に、そして29歳になる再来年は鈴木雅選手を倒して優勝!」という目標を立てていました。でも、今年の日本選手権を終えてから目標を修正しました。非常に厳しいとは思いますが、来年いきなり鈴木選手を倒して優勝します!そのために来年はしっかり絞って、まずは日本クラス別80㎏級に出場する予定です。
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text = Akane Yamaya
Photo = Ben
[ 月刊ボディビルディング 2014年1月号 ]

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