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ミスター・オリンピア212ポンドクラス2連勝! フレックス・ルイス

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[ 月刊ボディビルディング 2014年6月号 ]
掲載日:2017.09.12
text Sumio Yamaguchi
 ミスター・オリンピアではサイズの小さいボディビルダーのために、2008年に〝202ポンド(約92kg)クラス・ショーダウン〟という部門をミスター・オリンピアに新設した。しかしながら、ミスター・オリンピア(オープンクラス)とのオーバーオール決戦はなく、202ポンドクラス・ミスター・オリンピアという単独のタイトルとなっている。

 2008年の初代チャンピオンはデイビッド・ヘンリーだった。09年から11年まではケビン・イングリッシュが3連勝。この202ポンドクラスではケビンのサイズに匹敵できる対戦相手がいないことから、ケビンは〝キング〟と呼ばれるようになった。

 IFBBプロリーグは2012年から202ポンドクラスを10ポンド(約4.5kg)増量し、212ポンド(約96kg)クラスに改定したが、ケビン・イングリッシュは引き続き優勝候補になっていた。しかし2012年、ケビンは怪我で欠場。そこで前年2位となったイギリス・ウェールズの新鋭フレックス・ルイスとベテランのデイビッド・ヘンリーとの戦いとなった。結果はルイスがヘンリーをおさえて初代212ポンドクラスの新チャンピオンとなった。

 翌13年はケビンがカムバックしてくることから、ルイスとケビンとの新旧チャンピオンの再戦が話題となった。特に11年にケビンに敗れているルイスにとってはリベンジ戦であった。

 オリンピア前の記者会見でケビン・イングリッシュは「去年フレックスが優勝したのは、俺がいなかったからだ」「お前がタイトルを持っているが、俺がキングで、タイトルを奪還する」とフレックスを挑発していた。しかしながら、カムバックしたケビンは往年のフィジークではなく、優勝戦線からは脱落した。優勝争いは再びルイスとヘンリーの戦いとなる。仕上がりでは皮膚の薄いヘンリーがストリエーションを出していたが、ルイスはサイズが大きく、仕上がりもドライでハード。圧倒的なパワーを示し、再びヘンリーを交わしてタイトルを防衛し2連勝を達成。フレックス・ルイスの時代の幕開けを強く印象づけた。
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ウェールズのドラゴン

 ジェームス〝フレックス〟ルイスは、1983年11月15日イギリス南西部ウェールズ生まれの30歳。米国フロリダ州パークランド市在住。身長165cm、体重212ポンド(オン約96kg)、240ポンド(オフ約109kg)。独身だ。〝フレックス〟というのは彼のニックネームである。彼が生まれたウェールズはラグビーが盛んに行なわれている土地で、彼も子どものころはラグビーに熱中していた。そのころ、ラブビーのプレー中に相手をフレキシブルに交わしていたことから〝フレックス〟と呼ばれるようになったのだ。フレックスというニックネームはボディビルではなく、ラガー時代につけられたものである。

 フレックスはラグビーを行なっていたが、身体が小さかったためウェイトトレーニングに興味を持つようになった。ある日、トム・プラッツの本を手にしたフレックスは、そこに掲載されていたプラッツの巨大な脚に憧れて、15歳からトレーニングをスタートした。ただし入会したジムはパワーリフティングが主体のジムだったため、パワーリフティングがフレックスにとってのスタートになっている。その後ボディビルダーと出会ったフレックスは「君にはボディビルダーとしてのポテンシャルがある」と言われ、ボディビルダーとしてのトレーニングの指導を受けるようになったのだ。

 20歳のときに2003年NABBAジュニア・ミスター・ウェールズ優勝、ジュニア・ミスター・ブリテン優勝。順調にボディビルダーとしてのキャリアを踏み出した。彼のフィジークの特徴は脚が大きいということ。ジュニア時代、他の出場者は上体が大きいが脚が弱い人が多い。しかしフレックスは脚では誰にも劣るようなことはなかった。

 このように、フレックスはアマチュア時代からボディビル界では注目される存在であった。彼はカリスマな性格で〝ウェールズのドラゴン〟と呼ばれ、ルックスが良いことから、「将来プロビルダーになればスターになる」と思われていた。

 06年~07年IFBB ブリティッシュ・チャンピオンシップスライトヘビー級&オーバーオールで優勝し、24歳でプロに転向。ウェールズから米国テネシー州に移住した。

 彼がウェールズでトレーニングしていたころは、ジムにはバーベルとダンベルしかなく、マシンなどはほとんどなかった。ウェールズは雨ばかり降っていたため、精神的に塞いでしまうが、テネシーは朝から青空で太陽が燦々と輝いている。テネシーに移ってからはトレーニングの環境が大きく変化している。しかしながらフレックスの身体は他のプロと比較すればサイズが小さいことから、202ポンドクラスでは活躍できるが、オープンクラスのプロコンテストでは成績が揮わなかった。
昨年までギャスパリニュートリションのチームメイトだった山岸選手と

昨年までギャスパリニュートリションのチームメイトだった山岸選手と

俺の土俵は202ポンドクラスだ!

 フレックスはプロで戦っていくためにはサイズが小さいことから、08年に新設された202ポンドクラスにフォーカスした。まずエウロパ・スーパーショー202クラスで優勝して、202クラス・オリンピアへのクオリファイを得た。

 第1回目の202ポンドクラス・オリンピアではデイビッド・ヘンリーが優勝し、ケビン・イングリッシュが2位。フレックスは健闘して3位に入賞している。サイズが小さくてもプロの世界で戦っていける土俵を見つけたフレックスは、その後202ポンドクラスにフォーカスする。09年のオリンピアでは5位に後退。翌10年はオフを取り、サイズを増やすことにフォーカスした。ただ、サイズを増やすことで腹部が大きくなりシンメトリーを崩すようなフィジークにはしたくない、ボディビルの芸術性と筋肉の美しさを失いたくないというのが彼のポリシーであった。212ポンドクラスでは、サイズの大きさにはそれほど違いがないことから、仕上がりが勝負の決め手となる。11年フレックスはサイズを増やし、しかも仕上がりはドライで筋密度がある、大きくインプルーブしたフィジークで202ポンドクラスにカムバックした。フレックスはプレジャジではチャンピオン、ケビン・イングリッシュよりも良いスコアであったが、ファイナルでケビンに逆転優勝され、ケビンは3連勝した。

 フレックスにとって、12年は前年の雪辱を果たすためにもケビン・イングリシュと勝負の年となった。打倒ケビンに燃え、トレーニングに励んだ。しかし、ケビンは怪我のために欠場。フレックスはこのニュースに大きく落胆したのだった。

202から212ポンドクラスへ

 202ポンドクラスは12年から体重を10ポンド増量した212ポンドクラスに変更された。ベストコンディションでの仕上がり体重を1年間に10ポンド増量させることは易しいことではない。特にサイズの小さいクラスの人にとってはなおさらである。しかしながら、フレックスは前年よりもサイズを増やしながらもシンメトリーをキープし、ハードなコンディションでデイビッド・ヘンリーを破り、初代212ポンドクラス・ミスター・オリンピアで優勝した。

 この時フレックスは29歳。表彰式では優勝オリンピアメダルを両手で拝むように、ありがたくしっかり手にしていたのが印象的だった。オリンピア後、ブリティッシュ・グランプリとプラハ・プロでもともに212ポンドクラスで優勝している。212ポンドクラスになり、フレックスは勝利街道を進んだ。しかし、フレックスの頭の中にはケビン・イングリッシュが居座り続けた。

 13年はケビンがカムバックしてくることから、フレックスは宿敵との戦いに闘志が湧いた。かつてショーン・レイは「コンテストはウォー(戦争)だ」と言っていたが、フレックスは「コンテストはビジネスだ」と言う。11年はケビンに敗れた。13年はその借りを返すことが自分のビジネスであるという。だが、オリンピアがスタートすると、ケビンのフィジークにはネガティブなサプライスを与えられた。フレックスとまったく優勝争いするものではなかったからである。

 結局、フレックスがフロントからバックまでサイズ、仕上がり、バランスとパーフェクトなフィジークで、難なく212ポンドクラスのタイトルの防衛を果たし2連勝した。そしてプラハ・プロ212クラスでも優勝し2連勝している。フレックスは「タイトル防衛へのプレッシャーで、夜は眠れないこともある。しかし朝、目を覚ましたときには、タイトル防衛のためにハングリーになっている」という。
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スクワットは好きでない

 フレックスのフィジークで真っ先に目につくのは彼の大きな脚である。フロントはもとより、特にバックはヒップからハムストリングスへのカットとストリエーション、そして大きなカーフがインパクトを強めている。

 通常、大きな脚を作り上げるためにはスクワットが良いといわれている。しかしながらフレックスはスクワットはあまり好きなエクササイズではないという。彼はそもそもパワーリフターであったことから、もちろんスクワットを多く行なったが、別にスクワットによってメリットがあったとは感じていない。彼の好みはレッグプレス・マシンだという。

 15歳からトレーニングをスタートし、脚のトレーニングが好きなこともあるが、彼の脚はどんどん大きく発達していった。フレックスはそもそも脚が大きいことから、アマチュア時代からボトムヘビーなシンメトリーが指摘されていた。そこでプロ転向後は上体の大きさと調和させるために脚のトレーニングをストップし、デッドリフトやベンチプレスを行ない、上体のサイズを増やすことにフォーカスした。具体的には発達の遅れている部分(上体)のトレーニングを週2回行った。ただ身体の反応を確かめながら一日1回だけでなく、一日2回トレーニングしたりもした。その結果、最近では上体のサイズは脚とのバランスが合ってきて、シンメトリーが優れたフィジークとなっている。
今年の第1回212アーノルドクラシック で優勝しアービルドに祝福される

今年の第1回212アーノルドクラシック で優勝しアービルドに祝福される

Photo Mike Miyamoto

ドリアン・イエーツの教え

 フレックスは以前から、同じウェールズ出身の元プロビルダーのニール・ヒルからコーチを受けている。ニール・ヒルはボディビル界では〝グル〟として知られているひとりである。

 フレックスの最近のトレーニングは2日トレーニングして1日オフを取る2オン1オフのスケジュールで、以前よりもっとオフの日を増やしている。以前はオフを取らずに10日間続けてトレーニングを行なっていた。ボディビルダーはもっとヘビーウェイトで、もっとトレーニングを多く行なえばという考えもあるが、身体は疲労してくるために、トレーニング量を減らして、オフの日を多くする方が身体の成長には効果的である。これは同じイギリス人のミスター・オリンピア6連勝のドリアン・イエーツから学んだものである。

 フレックスは大きな脚が特徴であるが、ハードな仕上がりにも定評がある。オフシーズンに入ってもほとんど羽目を外すことなく、年間を通してストリクトな食事をしているフレックス。彼の食事でのポリシーは「クオリティの高いカロリーを食べていれば、クオリティの高い成長が得られる」ということである。そのため、オフシーズンに体重を増加させるにしても、クオリティの高い体重増加を目指している。

 2012年にオリンピアに優勝してからは、ゲストポーズやセミナーなどを世界中で行なうため、なかなかストリクトな食事をキープし、体重を維持することが困難になっている。しかしコンテスト15週間前からは身体の写真を撮りながら調整に入り、どのように身体が変化していくかを見ている。そしてコンテスト後のリバウンドしていくプロセスも確認するためである。
プロデビュー 08年タンパプロ

プロデビュー 08年タンパプロ

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Photo Raymond

スター誕生

 これまで202ポンドクラスのオリンピアは、プレジャッジはエキスポ会場で行われ、ファイナルはミスター・オリンピアと同じステージで実施されている。しかし202ポンドクラスはサイズが小さいこともあり、スター選手もおらず、あまり見応えのあるものではなかった。そのため、202ポンドクラス部門を実施するプロコンテストは少ない。当然ながら202ポンドクラスのオリンピアの話題はほとんどなく、雑誌に登場する機会も少ない。しかしながら202ポンドから212ポンドクラスに変わり、フレックスがタイトルを取ってから、212ポンドクラスはボディビル界でも注目されるようになっている。特にフレックスは雑誌やネット上に取り上げられることが多く、212ポンドクラスでのスター誕生となった。今年からアーノルド・クラシックでも212ポンドクラスがスタートし、メジャーなコンテストの仲間入りをしている。もちろん、この記念すべき第1回アーノルド・クラシックにフレックスもチャレンジした。そして、14年からはプロコンテストでも212ポンドクラスを開催するプロコンテストが増えている。
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James Flex Lewis
2014 IFBB Arnold Classic1stview
2013 IFBB EVLs Prague Pro1st
2013 IFBB Olympia Weekend1st
2012 IFBB Prague Pro 1st
2012 IFBB British Grand Prix1st
2012 IFBB Olympia Weekend1st
2011 IFBB Arnold Classic Europe5th
2011 IFBB Olympia2nd
2011 IFBB New York Pro2nd
2011 IFBB Mr.Europe Grand Prix3rd
2011 IFBB British Grand Prix1st
2009 IFBB Olympia5th
2009 IFBB Atlantic 1st
2008 IFBB Olympia3rd
2008 IFBB Europa 202 lbs 1st
2008 IFBB Europa Open 7th
2008 Tampa Pro 202 lbs 2nd
2008 Tampa Pro Open 7th
2007 IFBB British Championships1st
2006 IFBB British Championships1st
2004 NABBA Junior Mr. Britain1st
2004 NABBA Junior Mr. Wales1st
2003 EFBB Junior Mr Britain1st
2003 WFBB Junior Mr. Wales1st

〝ウェールズのドラゴン〟の野望は?

 フレックスは現在、米国フロリダ州に住んでいるが、生まれ故郷のウェールズを愛している。ウェールズの国旗をタトウーに入れているほどだ。ただ、ボディビルダーとして成功するために、住むには、アメリカがもっとも都合が良い。ウェールズやイギリスでは米国のようにボディビルダーとして活躍する環境が整っていないのだ。ただしフレックスは「米国のようにボディビルを行なう上での環境が整っている所であっても、成功するためのドアを開けるには誰も手伝ってくれない。自分で努力してドアを開けなければならないのだ」と言う。彼の現在の目標は、212ポンドクラスで優勝したことで、オープンクラスのオリンピアにチャレンジすることーーいや、ミスター・オリンピアで優勝することである。
[ 月刊ボディビルディング 2014年6月号 ]

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