好評連載
TRANGER'S MONTHLY PICK UP!
トレンジャーズの月刊ピックアップ!Vol.4
現役復帰秒読みか!?
天童あゆみ
[ 月刊ボディビルディング 2014年6月号 ]
掲載日:2017.09.12
トレーナー、JBBF 審査委員としてお忙しい天童あゆみさん。現役を引退されていた印象でした。しかし!? 今回は天童あゆみさんの2年間に渡るトレーニング休養後初の記念すべき復帰トレーニングを僭越ながら我々トレンジャーズがご指導させて頂きました。インタビューも交え進行します。
高田 天童さん、ズバリ現役復帰はあり得ますか?
天童 引退したつもりはないので、トレーニング再開すれば大会復帰も考えます。私はムラがあるのかなと思うんです。20代は選手だったのですが、いろいろあってそれから10年間、大会から離れてました。でも、東京を獲っていない事が気掛かりで復帰しました。試合復帰してから東京獲るまで3年かかったんですよ。2010年までは大会に出ていたのですが、後半1年はあまり調子が良くなかったんです。結果的に出なくても良かったかな?というレベルだったのですが、選手でいると調子悪くても関係なく出なくちゃ!という責任感からの衝動に駆られて。結果としては出てもしょうがなかったのかなという状態でした。それから3年経ったのですが、今年はまだ復帰には至らないので、来年以降に考えています。前回は40歳の時に復帰しましたので、では今回は50歳で復帰したら良い区切りになるかと思ってます(笑)。
一同 凄いですね!
天童 戻すのに2年くらいかかると思うんです。2005年の時は3年かかりましたので。復帰当時いちばんの目標が東京だったのですが、もう一つの目標としてアジア選手権に出場したかったんです。たまたま私がアジアと東アジアに選抜された年が、日本クラス別の結果から判断して推薦される最後の年でした。その翌年からは前年の成績からの判断で推薦が決まるようになりましたので、結局、結果があってアジアに出られたのは私が出た時が最後くらいだったんです。
その後、東アジア大会もなくなってしまったので運が良かったというか。東アジア大会は山口県で開催され、アジアは上海での開催で、その時は調整が調子良く進みました。私は絞れるタイプではなかったのですが、きちっと絞ってピークが当日来るように、初めて出来た年だったんです。それが調子良くて、東京とジャパンオープンを獲った年がピークの最後だったんです。
その後は精神的にも肉体的にももたなくて、所謂バーンアウトをしちゃいました。燃え尽き症候群みたいな。なので東京を獲った年のオフは、体重を戻したのに扱う重量が戻らなかったんです、全然力が出なくて。全てにおいてバーンアウトしちゃって、精神的にも。2010年まで引きずってしまって、じゃあもう完全に辞めようと思いました。精神的にもリセットして3年経って、その3年の内の最初の1年はトレーニングをしていたのですが、その後、初めて2年間トレーニングを休んでみました。意外と急激にカラダがだらしなくなる事もななかったので、カラダを休めて細胞も何も普通のレベルに戻してからトレーニングを再開した方が伸びると考えました。今年、午年で年女なので(笑)。
一同 笑笑。
天童 今年は走り出そうかな、と思っていましたので、今回トレンジャーズ取材のお話、タイミング良かったです(笑)。切っ掛けが重要ですよね、指導でもお客様に切っ掛けが大切といつも説明していますし。一回バーンアウトしてしまいましたし、選手としても長いし、年もとっているので、今のような状況でしたので、復帰のタイミングを探してました。
高田 天童さんが一番仕上がった時、具体的に何を変えた事が成功に繋がりましたか?今、丁度大会シーズン直前で減量している選手が多いので、みんな知りたいと思うんです。
野村 知りたいです(笑)!何を食べるんですか?
天童 私は「これしか食べない」とかはなくて、鶏肉、豚肉でもマグロでも偏りなく食べます。炭水化物をしっかりコントロールした事がなかったので、大会3週間前までに炭水化物を断ちました。2週間糖質カットでトレーニングをやりこんで、それもアバウトに2週間と決めて。2週間程でエネルギーが切れる事を予想していたので、計画を立てました。トレーニングはいつも午前中にしていたのですが、ある日胸のトレーニングをしていて、起床時から疲労を感じていたのでベンチプレスは避け、チェストプレスのマシンを使用していた時に1セット目の途中でエネルギーが切れてしまって。いつもなら8回出来る重さが全然ビクともしなくなって、眠くなってしまって。2セット目に入った段階で枯渇してしまったんですね、エネルギーが。この時、完全に糖質が切れていると実感しました。その日はトレーニングを中止してタンニングだけにして帰宅後すぐに寝ました。その日の午後から米を大量に食べてみました。完全にエネルギーが切れてたので、いくら食べても体重が戻りませんでした。そのまま大会当日まで米を沢山食べたのはその年が初めてでした。それまでは米の食べ方が中途半端だったので、大会翌日の方が良い状態だったりしました。
高田 炭水化物を抜いた時は野菜などは摂られていたのですか?
天童 野菜も食べませんでした。タンパク質のみで。タンパク質の量は比較的いつも多いです、体重×2gは食べるようにしています。
鵜飼 脂肪は摂りました?
天童 完全に枯渇した後に摂りました。
鵜飼 その前は完全にタンパク質だけだったんですね。
天童 はい、初めてやってみたんですよ。でもトレーニングはギリギリまで出来るし、このままやりこめば!って感じで初めて試してみたんです。もともとお米ってそんなに好きでも嫌いでもなくて、食べなくても大丈夫なんです。減量中に「お米お米」って思う事がなかったのですが、調整の意味であえて食べてみました。白米を摂りすぎると胸焼けするんですよ。だからあまり好まないし、子供の頃から、おかずを全部食べて最後にお米だけを食べる順番でした。
野村 調整中、一日のうちでお米食べるタイミングはいつですか?
天童 時間差で食べていました。先に米を食べて、その間にタンパク質を摂って、また米を食べて…みたいな感じで、分けて食べてました。
玉木 炭水化物、タンパク質の摂り方が分別になると、一日の食事って何回になりますか?
天童 5回くらいでした。2~3時間おきに。復帰するまでは仕事的に休憩時間にしか食事摂れませんでした。長年細かく分けて食事していたのでそれが習慣になっていて、ある時プロテインしか仕事の合間に摂れない時があって、お弁当を夕方にまわしたら具合悪くなってしまったんです。一気に血糖値が上がっちゃって。自分でもその時は、こんなに弱かったっけ?って思いましたが、よく考えたらそれまで細かく食べてたから夕方にまとめて食べた事がカラダにとって負担だったようです。食事量は多い方だと思いますが、一度にまとめて摂ると体調を崩してしまうので、小分けにする方が調子良いです。
鵜飼 ビルダー向きな食べ方ですよね。
玉木 普通、吸収のために5大栄養素を一緒に摂ったりするじゃないですか。そこがちょっと違うって言うか、天童さん風ですよね。僕も同じように考えたことがあるんです。タンパク質、炭水化物、って。まとめて摂るのを細かく分けるように。
天童 あの時、米だけ食べたら逆にどんどんお腹が空いてきたんですよ。エネルギーとしてどんどん使われてしまったようで。タンパク質だけ食べていた方がお腹が空かないでいられました。
玉木 糖質摂取で代謝が上がって…という事ですか?
天童 そうです、凄くお腹空いちゃうんですよね、米だけ食べていると。
高田 プロテインは大会直前まで飲まれますか?
天童 若い頃は散々飲んでたんですよ、体重1㎏に対して3gくらい摂ってました。それがたたって、復帰してからはプロテインが飲めなくなっちゃいました(笑)。
玉木 デリケートですね(笑)。
天童 20代の頃ってホントにトレーニング馬鹿だったんで。寝ても覚めてもトレーニングだし。アメリカに行けばサプリメントをいっぱい買ってくるし。食事も、例えば肉なんかは焼肉行ったら肉だけを12人前食べたり。ご飯は一切食べないで12人前(笑)。
鵜飼 凄い(笑)。
高田 これから復帰するにあたってプロテインが摂れないとタンパク質の摂取に困りますね(笑)。
天童 そうなんですよね。食事で摂っていかないとならないので。アミノ酸は大丈夫なので、うまく使って。
玉木 今はどういった食事をされていますか?
天童 今は普通です。何でも食べる。一回、内臓も普通レベルにしないといけないから。
玉木 炭水化物とタンパク質を一緒に食べるんですか?
天童 そうそう(笑)。お米もね、あんまり量はいらないんですけど、食べる訓練をして。玄米と白米を混合させながら食べるようにしたり。
鵜飼 天童さんが復帰されるって凄く注目度高いですよね!特に今回のお話お聞きしたのでさらに楽しみです。
玉木 復帰はどの大会ですか?
天童 ずっと東京しか頭になかった時期があって、東京を獲った後もあまり全日本のイメージがなかったんですよ。今度の復帰は全日本しかないかなって思ってます。最後の大会の時、予選落ちしてしまったんですよね。なので全日本で復帰する形になると思います。
鵜飼 そしてその大会復帰に向けたトレーニングの初回が今日なんですか?
天童 そうなんです(笑)。
鵜飼 そこまで責任重大だとは思わなかったです(笑)。
高田 脚を怪我されたとお聞きしましたが、もう良くなられましたか?
天童 ちょっと走っても大丈夫です。犬がいるので(笑)。
玉木 何頭飼われてますか?
天童 3頭です。犬と走るのが最近のリハビリなんです。
玉木 スクワットは試されました?
天童 指導する時に40㎏程の重量で見本でやってみたら大丈夫でした。以前は20㎏でも無理な時があったんですけど。
鵜飼 本日、指導させて頂く緊張感が漂ってきましたね(笑)。我々トレンジャーズ4名がそれぞれ1部位ずつ指導させて頂きます。
玉木 得意な部位はどこですか?
天童 どこだろう…背中が好きだったかな。背中と肩です。最初は一番苦手だったんですけど。
高田 では、みんなで部位分けすると…。僕、背中でお願いしても宜しいですか?
玉木 僕は肩を考えてました。
鵜飼 僕は腕をお願いします。
野村 自分は胸を指導させて頂きます。
天童 全身筋肉痛ですね…
高田 大先輩に向かって指導なんて気が退けます。恐縮ですが宜しくお願い致します!
天童 引退したつもりはないので、トレーニング再開すれば大会復帰も考えます。私はムラがあるのかなと思うんです。20代は選手だったのですが、いろいろあってそれから10年間、大会から離れてました。でも、東京を獲っていない事が気掛かりで復帰しました。試合復帰してから東京獲るまで3年かかったんですよ。2010年までは大会に出ていたのですが、後半1年はあまり調子が良くなかったんです。結果的に出なくても良かったかな?というレベルだったのですが、選手でいると調子悪くても関係なく出なくちゃ!という責任感からの衝動に駆られて。結果としては出てもしょうがなかったのかなという状態でした。それから3年経ったのですが、今年はまだ復帰には至らないので、来年以降に考えています。前回は40歳の時に復帰しましたので、では今回は50歳で復帰したら良い区切りになるかと思ってます(笑)。
一同 凄いですね!
天童 戻すのに2年くらいかかると思うんです。2005年の時は3年かかりましたので。復帰当時いちばんの目標が東京だったのですが、もう一つの目標としてアジア選手権に出場したかったんです。たまたま私がアジアと東アジアに選抜された年が、日本クラス別の結果から判断して推薦される最後の年でした。その翌年からは前年の成績からの判断で推薦が決まるようになりましたので、結局、結果があってアジアに出られたのは私が出た時が最後くらいだったんです。
その後、東アジア大会もなくなってしまったので運が良かったというか。東アジア大会は山口県で開催され、アジアは上海での開催で、その時は調整が調子良く進みました。私は絞れるタイプではなかったのですが、きちっと絞ってピークが当日来るように、初めて出来た年だったんです。それが調子良くて、東京とジャパンオープンを獲った年がピークの最後だったんです。
その後は精神的にも肉体的にももたなくて、所謂バーンアウトをしちゃいました。燃え尽き症候群みたいな。なので東京を獲った年のオフは、体重を戻したのに扱う重量が戻らなかったんです、全然力が出なくて。全てにおいてバーンアウトしちゃって、精神的にも。2010年まで引きずってしまって、じゃあもう完全に辞めようと思いました。精神的にもリセットして3年経って、その3年の内の最初の1年はトレーニングをしていたのですが、その後、初めて2年間トレーニングを休んでみました。意外と急激にカラダがだらしなくなる事もななかったので、カラダを休めて細胞も何も普通のレベルに戻してからトレーニングを再開した方が伸びると考えました。今年、午年で年女なので(笑)。
一同 笑笑。
天童 今年は走り出そうかな、と思っていましたので、今回トレンジャーズ取材のお話、タイミング良かったです(笑)。切っ掛けが重要ですよね、指導でもお客様に切っ掛けが大切といつも説明していますし。一回バーンアウトしてしまいましたし、選手としても長いし、年もとっているので、今のような状況でしたので、復帰のタイミングを探してました。
高田 天童さんが一番仕上がった時、具体的に何を変えた事が成功に繋がりましたか?今、丁度大会シーズン直前で減量している選手が多いので、みんな知りたいと思うんです。
野村 知りたいです(笑)!何を食べるんですか?
天童 私は「これしか食べない」とかはなくて、鶏肉、豚肉でもマグロでも偏りなく食べます。炭水化物をしっかりコントロールした事がなかったので、大会3週間前までに炭水化物を断ちました。2週間糖質カットでトレーニングをやりこんで、それもアバウトに2週間と決めて。2週間程でエネルギーが切れる事を予想していたので、計画を立てました。トレーニングはいつも午前中にしていたのですが、ある日胸のトレーニングをしていて、起床時から疲労を感じていたのでベンチプレスは避け、チェストプレスのマシンを使用していた時に1セット目の途中でエネルギーが切れてしまって。いつもなら8回出来る重さが全然ビクともしなくなって、眠くなってしまって。2セット目に入った段階で枯渇してしまったんですね、エネルギーが。この時、完全に糖質が切れていると実感しました。その日はトレーニングを中止してタンニングだけにして帰宅後すぐに寝ました。その日の午後から米を大量に食べてみました。完全にエネルギーが切れてたので、いくら食べても体重が戻りませんでした。そのまま大会当日まで米を沢山食べたのはその年が初めてでした。それまでは米の食べ方が中途半端だったので、大会翌日の方が良い状態だったりしました。
高田 炭水化物を抜いた時は野菜などは摂られていたのですか?
天童 野菜も食べませんでした。タンパク質のみで。タンパク質の量は比較的いつも多いです、体重×2gは食べるようにしています。
鵜飼 脂肪は摂りました?
天童 完全に枯渇した後に摂りました。
鵜飼 その前は完全にタンパク質だけだったんですね。
天童 はい、初めてやってみたんですよ。でもトレーニングはギリギリまで出来るし、このままやりこめば!って感じで初めて試してみたんです。もともとお米ってそんなに好きでも嫌いでもなくて、食べなくても大丈夫なんです。減量中に「お米お米」って思う事がなかったのですが、調整の意味であえて食べてみました。白米を摂りすぎると胸焼けするんですよ。だからあまり好まないし、子供の頃から、おかずを全部食べて最後にお米だけを食べる順番でした。
野村 調整中、一日のうちでお米食べるタイミングはいつですか?
天童 時間差で食べていました。先に米を食べて、その間にタンパク質を摂って、また米を食べて…みたいな感じで、分けて食べてました。
玉木 炭水化物、タンパク質の摂り方が分別になると、一日の食事って何回になりますか?
天童 5回くらいでした。2~3時間おきに。復帰するまでは仕事的に休憩時間にしか食事摂れませんでした。長年細かく分けて食事していたのでそれが習慣になっていて、ある時プロテインしか仕事の合間に摂れない時があって、お弁当を夕方にまわしたら具合悪くなってしまったんです。一気に血糖値が上がっちゃって。自分でもその時は、こんなに弱かったっけ?って思いましたが、よく考えたらそれまで細かく食べてたから夕方にまとめて食べた事がカラダにとって負担だったようです。食事量は多い方だと思いますが、一度にまとめて摂ると体調を崩してしまうので、小分けにする方が調子良いです。
鵜飼 ビルダー向きな食べ方ですよね。
玉木 普通、吸収のために5大栄養素を一緒に摂ったりするじゃないですか。そこがちょっと違うって言うか、天童さん風ですよね。僕も同じように考えたことがあるんです。タンパク質、炭水化物、って。まとめて摂るのを細かく分けるように。
天童 あの時、米だけ食べたら逆にどんどんお腹が空いてきたんですよ。エネルギーとしてどんどん使われてしまったようで。タンパク質だけ食べていた方がお腹が空かないでいられました。
玉木 糖質摂取で代謝が上がって…という事ですか?
天童 そうです、凄くお腹空いちゃうんですよね、米だけ食べていると。
高田 プロテインは大会直前まで飲まれますか?
天童 若い頃は散々飲んでたんですよ、体重1㎏に対して3gくらい摂ってました。それがたたって、復帰してからはプロテインが飲めなくなっちゃいました(笑)。
玉木 デリケートですね(笑)。
天童 20代の頃ってホントにトレーニング馬鹿だったんで。寝ても覚めてもトレーニングだし。アメリカに行けばサプリメントをいっぱい買ってくるし。食事も、例えば肉なんかは焼肉行ったら肉だけを12人前食べたり。ご飯は一切食べないで12人前(笑)。
鵜飼 凄い(笑)。
高田 これから復帰するにあたってプロテインが摂れないとタンパク質の摂取に困りますね(笑)。
天童 そうなんですよね。食事で摂っていかないとならないので。アミノ酸は大丈夫なので、うまく使って。
玉木 今はどういった食事をされていますか?
天童 今は普通です。何でも食べる。一回、内臓も普通レベルにしないといけないから。
玉木 炭水化物とタンパク質を一緒に食べるんですか?
天童 そうそう(笑)。お米もね、あんまり量はいらないんですけど、食べる訓練をして。玄米と白米を混合させながら食べるようにしたり。
鵜飼 天童さんが復帰されるって凄く注目度高いですよね!特に今回のお話お聞きしたのでさらに楽しみです。
玉木 復帰はどの大会ですか?
天童 ずっと東京しか頭になかった時期があって、東京を獲った後もあまり全日本のイメージがなかったんですよ。今度の復帰は全日本しかないかなって思ってます。最後の大会の時、予選落ちしてしまったんですよね。なので全日本で復帰する形になると思います。
鵜飼 そしてその大会復帰に向けたトレーニングの初回が今日なんですか?
天童 そうなんです(笑)。
鵜飼 そこまで責任重大だとは思わなかったです(笑)。
高田 脚を怪我されたとお聞きしましたが、もう良くなられましたか?
天童 ちょっと走っても大丈夫です。犬がいるので(笑)。
玉木 何頭飼われてますか?
天童 3頭です。犬と走るのが最近のリハビリなんです。
玉木 スクワットは試されました?
天童 指導する時に40㎏程の重量で見本でやってみたら大丈夫でした。以前は20㎏でも無理な時があったんですけど。
鵜飼 本日、指導させて頂く緊張感が漂ってきましたね(笑)。我々トレンジャーズ4名がそれぞれ1部位ずつ指導させて頂きます。
玉木 得意な部位はどこですか?
天童 どこだろう…背中が好きだったかな。背中と肩です。最初は一番苦手だったんですけど。
高田 では、みんなで部位分けすると…。僕、背中でお願いしても宜しいですか?
玉木 僕は肩を考えてました。
鵜飼 僕は腕をお願いします。
野村 自分は胸を指導させて頂きます。
天童 全身筋肉痛ですね…
高田 大先輩に向かって指導なんて気が退けます。恐縮ですが宜しくお願い致します!
高田 背中・ラットプルダウン
初動で肘を曲げず、まず肩甲骨のみを寄せる事を重視しました
初動で肘を曲げず、まず肩甲骨のみを寄せる事を重視しました
鵜飼 上腕三頭筋・ライイングエクステンション
「久々という事もありますので、ストレッチポジションではヒジをダイレクトに支点とせず、やや三頭筋寄りで負荷を受けていただきました」
「久々という事もありますので、ストレッチポジションではヒジをダイレクトに支点とせず、やや三頭筋寄りで負荷を受けていただきました」
野村 胸・インクラインダンベルプレス
「肘を曲げて行く時に極端に脇を開きすぎず、どちらかというと肩関節の屈曲、伸展を意識してプレスを行います。フィニッシュでは肘を完全に伸ばして胸の筋肉を絞りこみ、収縮を意識するのがポイントです」
「肘を曲げて行く時に極端に脇を開きすぎず、どちらかというと肩関節の屈曲、伸展を意識してプレスを行います。フィニッシュでは肘を完全に伸ばして胸の筋肉を絞りこみ、収縮を意識するのがポイントです」
玉木 肩・ダンベルショルダープレス
「肩の筋肉は小さいので、いかに扱う重さを100%乗せられるかです。肩で押し上げて収縮させるまで意識する事が大切です。肘が内に入らないようにするのもポイントです!」
「肩の筋肉は小さいので、いかに扱う重さを100%乗せられるかです。肩で押し上げて収縮させるまで意識する事が大切です。肘が内に入らないようにするのもポイントです!」
2年間のブランクを感じさせないカラダと素晴らしいフォームを見せて頂きました。長い年月をかけて積み重ねられた筋肉は簡単には衰えないという事を再認識させて下さった天童さんに感謝致します。復帰戦、応援させて頂ます!
インタビューby トレンジャーズ(高田一也・鵜飼守・玉木洋平・野村昇平・渡辺一宏)
インタビューby トレンジャーズ(高田一也・鵜飼守・玉木洋平・野村昇平・渡辺一宏)
リーダー高田一也/身長177㎝、体重50㎏の痩せ痩せバンドマンからボディビルによる肉体改造に成功し、パーソナルトレーナーとして活躍。現在は新宿御苑にてパーソナルトレーニングジム「トレジス」を経営。
鵜飼守/サラリーマン、ナレーターを経てボディビルダーヘ。ボディビル大会優勝を目指し、日夜仕事とトレーニングに励む。ボディビルにより人生を切り拓いたトレジスチーフトレーナー
玉木洋平/サラリーマンとして海外赴任しながら自らの理論で肉体改造に成功し、ボディビル大会にて数々の好成績を残す。現在パーソナルトレーナーとしての指導に加え、予防医療に着眼した整体師としても活動中
野村昇平/相撲からボディビルへ転向し、トレーニングの素晴らしさを実感。現在も大学で相撲を指導しつつ、パーソナルトレーナーとして活躍する
マネージャー渡辺一宏/アナウンサーとして20 年のキャリアをもち、自らもトレーニングを欠かさないトレジス受付、マネージャーを務める天才型まとめ役
[ 月刊ボディビルディング 2014年6月号 ]
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