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2013 年地方優勝者プロファイル①
福島選手権優勝
丹治正悟

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[ 月刊ボディビルディング 2014年8月号 ]
掲載日:2017.09.13
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たんじ・しょうご/ 1977 年6月18 日生まれ/ 37 歳/福島県福島市出身/血液型: A型/職業: 木こり(林業)/身長:178cm、体重オン80kg、オフ92kg /トレーニング歴:15 年/家族構成: 祖母、両親、妻、娘、息子/趣味: ラジコン、仕事/フィットネスジムDNA 所属/初タイトル:2007 年福島県大会
―――トレーニングを始めた年月とそのきっかけを教えてください。
丹治 中学、高校と柔道をやっていましたので、ウェイトトレーニングを補助運動としてやっていました。本格的にジムに通いだしたのは、1998年からです。小学生の時の先生がボディビルダーで、その先生がジムをオープンさせたのを知り入会しました。ミスター日本の鈴木雅選手は同じ小学校の後輩で、彼が大学生の時はこの先生のジムに通っていました。

―――始めた頃のトレーニングはどのようなものでしたか?
丹治 トレーニングを始めた頃は3分割で週2回大筋群を行い、肩と腕はやりたい時にやっていました。ジムに入会して間もなくジムでバイトをさせてもらいましたので、常に月刊ボディビルディングを読んでいました。まだその頃はボディビルダーではなかったですが、すでにボディビルトレーニングは取り入れていました。体型は70㎏でゲソゲソでした。

―――トレーニングを始めた頃の食事は何に重点を置いていましたか?
丹治 当時は好きな格闘家の真似をして、低炭水化物・高タンパク質な食事でした。常に減量をしているような食生活で、力もあまり伸びませんでした。ササミとノンオイルのツナ缶みたいな感じで、頭が固かったですね。

―――初期のトレーニング方法をいつ頃、どのように変えましたか?
丹治 いろいろ試しながらトレーニングしていましたが、このままじゃ筋肉が付かないと思っていました。自分の身長に合わせたトレーニングに変え、"できない""やりずらい"トレーニングは止めて、パンプ感があり、重量の伸びる種目に変えました。ジムに入会して2年経った頃にはボディビルトレーニングで5分割でした。トレーニングを変えたきっかけは、福島県大会にゲストに来てくれた方々からのアドバイスです。いろいろと質問していました。

―――初めて出た大会は?
丹治 2004年の福島県大会です。炭水化物の量を4日でサイクルさせる、低炭水化物ダイエットで、90㎏から76㎏まで減量しました。

―――昨年優勝した大会へのトレーニング法は、過去と変わっていますか?
丹治 2 0 0 8 年に結婚をして、4 年間トレーニングをしていませんでした。2011年に東日本大震災があり、この年はボディビル大会は開催されないだろうと思っていたところ、復興のさなか、選手、役員、各ジムの方々のがんばりにより開催されました。その姿を見て私も復帰を決めました。しかし、2011年、昨年と復帰後のトレーニングは過去と同じ内容でやっていましたが思うようにいかず、過去の身体に近づくのが精一杯でした。

―――昨年のオフとオンの食事はどのようなものですか?
丹治 仕事で朝が早く、朝・昼は弁当、夜はサプリメントなので、1年を通して食べているものは変わりません。食事を摂り、サプリメントを摂り、それでもおなかが減っている時は、ジャンクフードも食べます。

―――サプリメントはいつ頃からどんなものを摂っていますか?
丹治 本格的にトレーニングを開始した時からジムでバイトをしていたので、プロティン、グルタミン、クレアチンは摂っていました。今も変わりはないですが、最近はサプリメントも進化していますので、もっと勉強しなくては駄目ですね。

―――現在のトレーニング法を教えてください。
丹治 脚、胸、背中、肩、腕の5分割で、1週間に1度同じ部位をトレーニングしています。重点を置いている部位は、弱点の脚と腕です。手足が長いので筋量をつけるのは大変です。胸、背中、肩のトレーニングは好きです。全体的にもっと大きくなりたいです。

―――最後に今後の目標をお聞かせください。
丹治 福島県のボディビルを盛り上げながら、様々なことにチャレンジし、楽しく、激しくトレーニングをして、成長して行きたいです。

―――ありがとうございました。
ベンチプレスをする丹治選手

ベンチプレスをする丹治選手

ジムの会員さんたちと

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[ 月刊ボディビルディング 2014年8月号 ]

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