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☆ビルダー旅行記☆前 ボディビルの本場アメリ力を行く

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[ 月刊ボディビルディング 1973年1月号 ]
掲載日:2017.10.03
〔写真は筆者。出発直前に写す〕

〔写真は筆者。出発直前に写す〕

姫路ボディビル・センター 会長 西川 稔

長年の夢,第1回目の渡米

 最近は外国の一流ビルダーの相つぐ来日や,ボディビル関係者の国際交流が盛んになり,本場のボディビルも理解されてきたが,4~5年前までのわれわれ日本人ビルダーや関係者にとっては,本場のアメリカに行って,自分自身の目で一流ビルダーの体,練習法ジム,設備等を確かめたいというのがひとつの夢であった。
 当然,私もそんな夢をもったビルダーの1人だったが,1人で初めての外国旅行は心細かったので,アメリカ旅行の予行演習のつもりで,日本に一番近い国,韓国へボディビルの視察旅行をして,出国手続き,海外での生活を経験した。
 そして,一昨年の1月15日,私の長年の夢を実現すべく,たった1人。羽田発12時30分の日航ジャンボジェット62便でロスへと飛んだ。
 ロスに着いたのはまだ薄暗い朝だった。タラップを降りると,当時,ロングビーチ・カレッジに在学中の多和昭之進氏('65ミスター日本)が出迎えに来てくれていた。
 夢にまで見た本場のボディビルを,この目で確かめるときが遂に来たと,うれしさのあまり胸がハチ切れんばかりにドキドキしたものだった。このとき私の世話をしてくれたのは,いま述べた多和氏と土門義信氏('61ミスター日本)の2人の大先輩で,まるで2人が神様のように見えた。
 2人の大先輩は親切に多くのビルダーを紹介してくれたり,有名なジムを案内してくれた。ビルダーでは,チャーリー・フランツ,ビル・パール,フランク・ゼーン,ドン・ホワース,ドン・ピータス,ビンス・ジロンダ。ジムはビル・パール・ジム(現在は弟のハロルド・パールが経営しているが以前はビル・パールが経営していた),そして現在ビル・パール自身が経営しているパサディナ・へルス・クラブ,ビンス・ジム,その他ロス,サンタモニカ,サンディエゴ等にある7~8カ所のジムである。
 また,アスレティック・クラブ(綜合トレーニング・センター)やYMCAのトレーニング場も見学した。
 帰国予定日の4日後に,ミスター南カリフォルニア・コンテストがあるとのニュースを聞き,ぜひ本場のコンテストを一度見学したいと思い,急に予定を変更して見てきた。
 一昨年のこの1カ月の旅行で,私はボディビルの本場アメリカの有名なジムの設備やその指導法,一流ビルダーの練習法などを,堪能するぐらい何回となくこの目で,この体で確かめ,満足するまで見て歩いた。

第2回の渡米 ボディビルと放浪ドライブ

 第2回目のアメリカ旅行は,いま述べた第1回目の旅行中に交わした多和氏との約束を守るのが大きな目的だった。
 最初に私が渡米した一昨年1月頃,多和氏は彼の長年の夢であるジャパン・へルス・クラブの建設を目指して,あれこれ企画を練っていた。そして,私も何回となく彼と一緒に建設用地を見て回ったり,いろいろな仕事を手伝っているうちに,ジムが完成したら必ず見学に来よう,と多和氏との間にいつしか約束ができてしまった。
 昨年2月,ついにジャパン・へルス・クラブが完成した,と多和氏から知らせがあった。ロスのエアポートで交わした堅い握手と約束を実行することこそ,多和大先輩のジム・オープンへの最大の贈りものになると信じ,再びロスを訪れることにした。
 もちろん,多和氏のジャパン・へルス・クラブを訪れるのが第1の目的だが,最初のとき,ジムの設備や一流ビルダーの練習法に集中しすぎ,他にほとんど見学する余裕がなかったので今度は,成功しているジムのムードをつかみとることを目的に加えた。そして目標のジムとして,日本に一番近いハワイのティミーズ・ジム,パサディナ・へルス・クラブ,ビンズ・ジムにしぼった。
 さらに,ボディビル以外の見聞を広めるために,私の第2の趣味であるモータリーゼーションについて見たいと考えた。都合が良いことに,これも本場はアメリカ。それと西部劇に出てくるあの雄大な自然の中で,私自身主人公になりたい。これらの目標を満たす計画を練ることにした。
 その結果,「ジャパン・へルス・クラブ訪門,一流ジム見学,西部放浪ドライブ旅行」という長ったらしい名の旅行となった。
ジャパン・ヘルスクラブの前で。右から多和氏、私、私の彼女、後ろにいるのはこのクラブの女性マッサージ師

ジャパン・ヘルスクラブの前で。右から多和氏、私、私の彼女、後ろにいるのはこのクラブの女性マッサージ師

雄大な夢を描いて 楽しいプランづくり

 この旅行を成功させる大きなカギは自動車である。アメリカで生活したり旅行したりするには,車がなければ手も足も出ない。まず車の入手が先決だ。
 短期の旅行であり新しく購入するのはムダだし,予算が足りなくなる。そこでレンタカーを使うことにした。ハーツ,バジェット,エイビス,ナショナル等のレンタカー会社へ連絡した結果,一番ネットワークが広いのと,料金が計算しやすいシステムのハーツに決定した。ハーツのシステムは,料金はいくらか高くつくが,週単位で走行距離に関係がないので,私のような素人で外人にはとても計算がしやすく便利である。
 次は車種である。実用性,安全性を第1に,次に性能という順序で選ぶことにした。キャンピングカーも良いがスピードが遅いことと,レンタル料が高いので除外し,いろいろ総合して浮かびあがってきたのがフォード社のピントで,これに決定した。
 この車はステーションワゴンに近いスタイルで,2000ccの小型車。トレッドが国産車より15~20cmも広く,横風にとくに強そうな感じである。この横風に強いという性能はアメリカのドライブでは非常に大きな条件になっている。日本では想像できない大きなタツマキや砂嵐がアメリカの荒野ではよく発生する。それに日本のトレーラーの2倍ぐらいもある大型車とのすれちがい。しかもものすごいスピードでとばすので横風に強いことが一番重要になってくる。(事実,私もカンカン照りの砂漠で,小さなタツマキの中に入ってしまい,ハンドルをとられてしまったことがある)
 目的のコースを計算すると5000マイル,キロに計算すると8000キロになる道に迷ったり,急に見学したいところが出て回り道をすれば9000キロぐらいにはなるだろう。なんせグランド・キャニオン国立公園だけでもフルスピードで30分はかかる。いろいろ考えたあげく,さらに1000キロ余分に用意することにした。
 一昨年の旅行中に,グランド・キャニオンでキャンプしていた人達と話をしてみて,日本人の感覚とずいぶん違うのに驚いた。名じ場所で一週間くらいのんびりとキャンプしており,まるで住みつくという感じである。そして自分の肌で,その町,地域を感じ,そこに溶け込むという旅行をやっているそれにひきかえ,日本人の旅行といえば,ただ行って,見て,また次の場所に行くという味気ないのが多い。
 私もせっかくアメリカに行くのだから,少しでも向うの風土に溶け込んでのんびり急がず回ることにした。こんなわけで,1日の走行距離は300キロ前後に押えることに決めた。
 1日300キロの距離なら,アメリカでは2時間か,2時間半で走りきれるもし,何かトラブルがあっても,次の日に5~6時間も走れば,それほど無理をしなくても取りもどせると計算して300キロと決定した。(しかし実際には何のトラブルもなく,予定より5日ほど早くスケジュールをこなせた)
 2~3時間車を走らせ,のんびりと西部の田舎のジムを見たり,トレーニングをしたり,釣りをやったり,絵を書いたり,あるいはその地方の人達と話をしたり,そんな余裕のある旅行をしたかった。
 なんだかボディビルとは関係のない方向へ走っているようなので,急いでハンドルを切り換えよう。
 こうしてスケジュールは一昨年10月に完成し,あとは多和氏からのジム完成を待つばかりとなった。それから5ヵ月,いよいよ3月4日にオープンすると多和氏から連絡が入った。
 私のもう1つのドライブ旅行との都合を考えると6月か7月が最もいい。この時期は,アメリカではサマー・バケーションということと,アメリカの自然を旅行するのに気候的に最適なのである。
 しかし一方,ミスター兵庫コンテストが8月6日に決っているし,コンテストを会員たちにまかせて,日本を留守にすることは会長兼コーチの私にはできないことである。こんなわけで,コンテスト終了後ということになり。それならいっそ盆も日本で,と次々に遅れて,8月17日ようやく出発ということになった。
 羽田発21時30分,日航ジャンボ62便は,満員の客を乗せて真黒な東京の空へ舞いあがった。3度目の海外旅行でいくらか馴れたのと,大きな荷物を運んだ疲れで,飛行機が飛び立つとすぐぐっすりと眠ってしまった。
 ハワイ経由で12時間後には,あの美しいハイウェイの曲線と,赤や黄色のネオンが正方形に区切られたロスの町を浮き出していた。雄大な夜景に見とれているうちに,ジャンボはあの大きな機体をアメリカの大地につけた。
デラックスなジュース・バーでくつろぐ多和氏の奥さん典子さん

デラックスなジュース・バーでくつろぐ多和氏の奥さん典子さん

まさにボディビルの殿堂 ジャパン・ヘルス・クラブ

 ターミナルに出て100人ぐらいの人の中に多和氏の姿をさがしたが見あたらない。どうしたんだろう。なんだか少し心配になってきた。しかし,昨年の経験もあるし,電話すればすぐ来てくれるだろう,などと考えていたとき私の方を見て真黒に日焼した2人の日本人が手を振っている。よく見ると,多和氏の友人で,この前来たときに紹介されていろいろお世話になった吉武さんと北村さんだった。現在は2人ともジャパン・へルス・クラブの会員である。多和氏の代理でわざわざ出迎えに来てくれたのだそうだ。
 多和氏の愛車コメットで,エアポートからサンディエゴ,フリーウェイを5分くらい走り,レドンドビーチ大通りをくだり,東へ少しいったところに目指すジャパン・へルス・クラブはあった。
 一昨年,多和氏と何回か見に行って2人で夢を語り合った,あの草の生い茂った空地が,今はこんな立派な近代的ジムに変わっていた。
 これからジャパン・へルス・クラブの全貌を詳しく説明することにするが何分,私にはそれを適格に伝えるだけの表現能力がないので,判然としないところがあるかも知れないが,どうかそれはご了承いただきたい。
 ジャパン・へルス・クラブの建っているレドンドビーチ大通りは,西へ行けばロスの国際空港へのフリーウェイに通じており,エルカミノ・カレッジもある。反対に東に行けば,リトル東京へ通ずる。このように交通の便はよく,しかも住宅街の中心にあるので,近くにはギャフィー,メンバー・シップ制のスーパー,セエフ,エイ,アルファ・ベーター等の大資本のスーパーがずらりと並んでいる。
 こんな人の集まりやすい場所に,タテ1m,ヨコ2mの紺地に赤で〝スパ〟(スパとは温泉のこと)と大きく書かれ,その下に白くジャパン・へルス・クラブと書かれた5m近いポールが立っている。この奥をちょっと入ったところにジムがある。
 ジムはベージュ色の1階建で,かなり大きく,壁は総ガラスというモダンなものである。ジムにも黒字でジム名赤字でスパと書いた大きな看板が出ていた。建物の外見を見ただけで,立派なジムの多いアメリカにあっても,近代的設備と立派なバスルームの整った超一流のジムだということがすぐわかる。
 駐車場は,アメリカ特有の前輪ストッパーの付いたアスファルト舗装の楽に20台は収容できる立派なものである
 駐車場の横の入口の前に立って,ドイツ風の,いかにも多和氏のジムにふさわしいこげ茶色のブ厚いドアを開けると,右側が事務所になっている。
 ちょうど事務所に多和氏のべターハーフである典子さんが私達を迎えてくれた。1年半のご無沙汰だったが,相変わらず美人で元気そうだった。典子さんについてはまた後に紹介することにしよう。
 多和氏はトレーニングシャツで,コーチの最中だったが,ちょっと手を休め,笑顔で迎えてくれたのち私達をメンバーの1人1人に紹介してくれた。多和氏はまたコーチに戻り,大変忙しそうなので,見学しながら仕事の終わるのを待つことにした。練習時間は午前10時から午後10時までで,まだ2時間ばかりあるので,その間にジムの中を奥さんに案内してもらった。
 事務所の広さは約2坪。カウンターはアメリカスタイルでL字形になっていて,中には机や椅子,本棚,キャビネットが整然と置かれている。後ろは飾り棚になっており,そこにはなかなか立派な人形,扇,俳画などが飾られていた。
 インテリアは全部同じで,白地の壁にこげ茶の木部,緑のジュウタンで統一してある。
 事務所の前の部屋はリラックス・ルーム。10坪ほどの広々としたスペースで,こげ茶の木の部分が多く極めてソフトである。そして,5脚の王様のすわるような,ふかふかして体がすいこまれそうな感じの椅子がある。おまけに,リクライニングで,位置の調節ができる足のせ台までついている。
 壁には,日本の風景写真が2~3枚飾ってある。その1枚は城の白い壁と黒い瓦,それに雪が積もり,その雪が溶けかかっている写真である。こげ茶の壁にこれらの写真は実にバランスが良い。ふと私にふるさとを感じさせるこれらの写真は,どんな国の人にも,この部屋に入ったとき,やすらぎと郷愁を与えることだろう。
 その隣は約2坪の化粧室。鏡が3台並び,後ろにはドライヤーが2台と,サービス用化粧品がずらりと並んでいた。この部屋だけは白一色である。
 その奥は約4坪の畳を敷いた純日本間。戸には和紙を張り,壁の白と柱のこげ茶だけで何の飾りもない部屋だったが,他の部屋との錯覚かどうか,実に神秘的で優雅に見えた。この部屋は実はマッサージ・ルームなのである。安心して体をまかせられる,といった感じがした。
 いま紹介した事務所,リラックス・ルーム,化粧室,マッサージ・ルームが中心にあり,その右側が近代的なジムになっている。広さは約30坪。
 天井は白,床は緑,正面の総ガラスにはタテ4m,ヨコ10mの白いカーテン。右側は壁面全部の鏡と器具。明るく健康的な練習のやりやすそうなジムだ。
 私が訪れたとき,日系人4人とアメリカ人2人が練習をしていたが,せっせと猛練習をやっていたわりにはみんな汗を流していない。聞いてみると全館エア・コンディションで,1年中もっとも運動しやすい温度に調節してあるのだそうだ。日本のジム独得の汗のにおいも全然ない。さすがアメリカのジムだ。
 鏡の前のダンベル・ラックは長さが約10メートル。ステンレス製でピカピカ光っている。ダンベルは真黒で,2.5キロから30キロまでセットされているその前にはベンチ2台,ロクボク,レッグ・カール・マシン,ハック・スクワット・アンド・カーフ・レイズ・マシンが置いてある。これらの器具には他に腕とか脚の運動のできるリスト・ローラーなどの付属品がついている。
 その後ろは広くあけてある。これは明日,女性がグループで行う美容体操のためにとってあるとのことだ。ついでに紹介しておくが,このジムは月・水・金が女性,火・木・土・日が男性の練習日になっている。女性の練習日には多和氏のほか,奥さんの典子さん(日体大出身)もコーチしている。
 後ろ側にテン・セパレート・マシンを中心に,回りにベルト・バイブレーター2台,バーレル・ローラー2台,エレクトロ・サイクル1台,サイクリング・マシン3台,ウォーキング・マシン3台が並んでいる。
 その奥へ進むとイレルーム兼ジュース・バーで,広さは10坪ぐらい。正面がレザーの真黒のカウンターで,その横には冷蔵庫とウォーター・クーラーが備えつけられている。後ろの壁は白で,日本の掛軸や日本人形が飾られ,その前に体を休めるためのこげ茶のゴージャスなソファーが,テレビを囲んで並べられている。
 この部屋では,ジュースで栄養をつけ,テレビ,ソファー,インテリアで頭の中の疲れまでもきれいに取り除かれる感じがした。
 ジュースは,人参・オレンジ・グレープフルーツ・トマト・野菜・ココナツ・パイン等,とくにスポーツマンに必要なものはほとんど用意されている
 事務所へひき返す途中の左手には約3坪のロッカー・ルームがある。真白の部屋にグレーのスチール製の立派なロッカーである。これは日本のジムのものとは少々違ってコイン・ロッカーである。5セント入れないと使用できない。ビル・パールのジムもこの種のロッカーであった。
 このロッカー・ルームで大中小3枚1組のタオルを25セントで借りる。これはもちろん練習用,入浴用のタオルである。
 その前の部屋がボイラー・ルーム。多和氏の説明によると,建設費の半分近くをここにかけたという。サウナ,スチーム,日本風呂,エア・コンディションを完備した当ジムのこと,当然だなと感じた。
 ボイラー・ルームの向うには,いろいろなバス・ルームが続く。竹や石燈籠,玉じゃり等で飾られた水流式マッサージ風呂,泡式のバイブラー風呂,とくに美容を目的としたレモン風呂,ミルク風呂もある。その他,洗い場には手桶,洗い椅子,へチマ,軽石等がそろえてあり,アメリカで充分に日本の風呂の味を満喫できる。
 日本式の風呂の隣がそれぞれ2坪ぐらいのサウナバス,スチームバスになっている。サウナバスの方は,板張りで各人が寝ころがってリラックスしながら入浴できるようになっている。
 スチームバスは,四方の壁,天井,床すべてタイル張りで,いかにもアメリカらしい洗練されたバスだ。
 そのスチームバスの前は,サッシで骨組みされた総ガラスのシャワー・ルーム。これもアメリカらしくすっきりした立派なものである。
 その奥にはレスト・ルームがある。アメリカのそれは日本のようににおいがないが,とくにこのジムのものはきれいに掃除されていた。その他,サンライト・ルームなどもあり,日本のビルダーや,ジム・オーナーにとってはのどから手が出そうな,なんとも立派なうらやましい設備である。
 会費(年会費)は,個人180ドル。夫婦370ドル,家族360ドル,法人は800ドルで,他のジムに比べていくらか安い。ついでにアメリカのへルス・クラブの会費は,平均1カ月15ドルから20ドルぐらいである。そして,会費は1年間前払いか,半年前払いである
 以上が多和氏のジャパン・へルス・クラブの全容であるが,このジムを見て感じたことは,筋肉はもちろん,皮膚,神経などの疲労まで取り除き,本当の健康管理と若返りを求めたへルス・クラブとはこういうものだということがわかった。
 今回の私のアメリカ旅行の一番の目的であるジムのムードについて,まず最初に多和氏のジムを観察してみた。昔の多和氏の性質を知っている人は当然と思うかも知れないが,アメリカという場所にあって,日本人同志,道ですれちがって口をききたくても,互いに何かが壁になって,口もきけないでついバラバラになりがちな外国で,リラックス・ルームやテレビ・ルーム,あるいはそこに飾ってある純日本風の品々,さらに多和氏の人柄がマッチして,ボディビルに関心のない人も遊びに行け,日系人の集まりやすい雰囲気にしたことは大へん意義のあることだと感じた。
 そんな中にあって,アメリカ人の会員も多和氏の明るくほがらかな性格とテキパキとした行動で,何の異和感もなく自然と日本人に溶け込んでいる感じでなんともいい雰囲気だ。
デラックスな器具の並んだジムの一部

デラックスな器具の並んだジムの一部

多和昭之進氏と奥さん

 さっきから多和氏,多和氏と再三にわたって出てきたが,読者の中には多和氏を知らない人もいると思うので,私の知っている範囲で紹介することにしよう。
 多和氏は大阪府の出身で,天王寺高校時代は水泳選手として活躍した。関西選手権,近畿高校の100メートル自由形の記録保持者でもあった。
 慶応大学在学中にボディビルを始め2年半という短期間でミスター日本3位に入賞。昭和40年にはミスター日本のタイトルをとり,日本ボディビル界の第2次ブームの原動力となった。広い層のファンをもち,トレーニングにポージングに革命を起こしたとさえいわれている。いまでも,あの全力で集中して行う練習中の多和氏の顔のすさまじさ,コンテストで見せる流れるようなポージング,それにきれいなプロポーション,太い腕を思い出す人も多いことでしよう。
 人なつこい顔と大きな体に,やさしい声,その声に似たやさしい心。そんな中にまた,自分にはきびしく,人には寛大で,くよくよしない雄大な心の持主である。
 このような多和氏に,さらにボディビルで鍛えた不屈の精神がそうさせたのか,4年前,たった1人,ロングビーチ・カレッジに入学。昨年卒業するまでの3年間,きびしい外国での学生生活を終え,最後の目標である,ボディビルの本場でのジム経営というビルダーの夢を実現させた。よくぞやってくれました! 元ミスター日本,われらの多和大先輩。
 最後に,多和氏の奥さんであり,また,このクラブのよき協力者でもある典子さんについて紹介しよう。
 彼女は山梨県出身で本年27才。日体大卒業後,埼玉県で体育の先生をしていた。多和氏とのなれそめは聞き洩らしたが,細からず太からず,日本人ばなれの美人で,気さくでやさしくて,多和氏が一目ボレするのも無理はない。
あまりほめすぎると,まるでウソに聞えるので,欠点を一つだけ,少しオテンバである。しかし,こんなオテンバが,多和氏の雄大な考えと,行動力の良き理解者としてプラスになっているように見えた。
 2人の住いは,ジムから約5分のガーディナ市にある。ヤシの木が3本そびえ立つ緑の芝生の奥にあるオレンジ色のドアの家で,「のりちゃん」「しょうちゃん」と呼び合う,ムズムズするほど熱い,甘い家庭である。
 ロス到着後6日間,この甘い2人にお世話になった私たち(こんどの旅行は私1人で行ったのではなく,実は彼女を同行したことを白状しておく)は次の目的である放浪旅行への準備を進めた。そして,8月21日,アメリカ西部開拓者とは反対の方向に向って出発した。(つづく)
[ 月刊ボディビルディング 1973年1月号 ]

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