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オリンピアタイトルを略奪せよ! 略奪者!!カイ・グリーン

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[ 月刊ボディビルディング 2013年9月号 ]
掲載日:2017.08.14
2011年のミスター・オリンピアでは、ジェイ・カトラーを破ったフィル・ヒースが第13代ミスター・オリンピアに輝いた。そして2012年のオリンピアでは、ジェイ・カトラーとフィル・ヒースのリマッチが予想されていたが、ジェイは怪我のために欠場。そのため、大方の予想ではフィル・ヒースが優勝することと予想された。その理由は前年に、ジェイ・カトラーを破ったフィジークがあまりにもショッキングなフィジークであった上に、11年3位のカイ・グリーンは仕上がりにムラがあるため、ヒースに対抗できるだけの存在にはなり得ないと思われたのだ。このようなことから、ヒースのワンマンショーになるのではないかと予想され、話題に欠くオリンピアになるはずであった。
しかしオリンピアがスタートすると、その予想は大きく裏切られた。カイ・グリーンがフィル・ヒースのワンマンショーのシナリオをすべて書き変え、最後までヒースを脅かし、オリンピアのタイトルを略奪しようとしたからである。

フィル・ヒース対カイ・グリーン

2012年のオリンピア(詳細は本誌2012年12月オリンピア特集号をご参照ください)はプレジャッジからファイナルまで、ヒースとグリーンの一騎討ちで終始した。これはヒースとグリーンの二人が抜きん出ていたからである。チャンピオン・ヒースの仕上がりは、現役ミスター・オリンピアとしては十分なコンディションである。しかし、カイは過去最高のコンディションでヒースに迫っていた。
プレジャッジでは、フロント・ダブル・バイセップやサイド・ポーズではヒースがややリードしているが、それはわずかな差であった。バックになると背中の大きさと広がりとカットの密度、そしてハムストリングスなど脚のディテールでカイの本領が発揮され、チャンピオンのフィル・ヒースの存在が脅かされた。プレジャッジではほぼ互角のコンディションであるが、仕上がりではカイの方がメリハリがあったということだ。
このような予想外の展開に一番驚いたのはチャンピオンのフィル・ヒースで、その不安は隠せていなかった。会場のファンはこの二人のマッチにエキサイトしつつ、勝負は24時間後のファイナルに持ち込まれた。

ファイナルでも、再びヒースとカイの二人だけの比較が何回も繰り返された。これは最近のオリンピアでは異例のことであった。結果は、ヒースがプレジャッジ時よりもコンディションをインプルーブさせ、カイの追い上げを振り切った。カイ・グリーンは終始静かなステージングであった一方、ヒースは闘志をむき出しにしたアグレッシブなポージングでカイを押しまくった。ヒースはその気迫でオリンピアのタイトル防衛に僅差で成功している。しかしながら、ファンにとってはクールなチャレンジャー、カイ・グリーンの印象の方が強かった。
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ナチュラルビルダー

カイ・グリーンは1975年7月12日、ニューヨーク州ブルックリン市生まれの37歳。現在もブルックリンに住んでいる。身長173cm、体重120㎏(コンテスト時)。ニックネームは〝プレデター(略奪者)〟である。子どものころは家庭環境の問題から、実の両親とは住むことができず、16歳まで里子を預かる家庭を転々とした生活を送っている。
12歳のとき、学校の先生からボディビルを行なうことを勧められた。その理由のひとつは、カイが小さいころからアートに興味を持っていたのだが、ボディビルは視覚的なアートであることにあった。ボディビルで自分の身体を作り上げていくこと事体が彼の興味とマッチし、アートを勉強する上での主体となっている。ボディビルを行なうことは、彼の恵まれていない家庭環境から逃避するためのものでもあったため、カイはトレーニングにフォーカスし、コンテスト活動にも興味を持ち、ティーンエイジコンテストで優勝するようになった。そしてもっと本格的にトレーニングを行なうために、ブルックリン市にある、ボディビルジムとして有名なフィフス・アベニュー・ジムに入会した。そこでカイは多くのトップナチュラルボディビルダーと出会い、彼らから多くの知識を修得し、ナチュラルビルダーとして成長していったのだ。
1990年代のボディビル界ではナチュラルボディビルダーの人気が高く、ナチュラル団体によってはスポーツ専門チャンネルなどでテレビ放映も行なわれていた。カイはこのようなナチュラル団体でよく知られたボディビルダーとなり、18歳のときにはナチュラル界で最年少プロボディビルダーの資格を得ている。プロに転向してからも、所属しているナチュラル団体主催のプロコンテストのすべてで優勝した。当時、彼はまだ22歳であった。
その後、カイはナチュラル団体から新たにNPCとIFBBの団体に方向を向けたが、あくまで薬物を使わないドラッグフリーのナチュラル部門である〝チームユニバース〟にこだわった。カイが目標としたのは、チームユニバースに優勝して、アメリカ代表に選出され、世界選手権(以前のミスター・ユニバース)で優勝してプロの資格を得ることであった。
2001年カイはチームユニバースのヘビー級&オーバーオールで優勝して、目標としていた世界選手権へ出場した。しかし、世界のナチュラルボディビルのレベルは高く、結果はヘビー級で4位であった。この結果にカイは落胆し、その後3年間をかけて世界選手権で通用するだけのフィジークの改良に励むこととなった。その間、彼はアートスクールでも勉強している。
2004年、カイは3年ぶりにチームユニバースにカムバックを果たした。この年からチームユニバースでオーバーオール優勝者にはプロの資格を得ることができるようになり、カイはこのチャンスにチャレンジした。3年間に大きくインプルーブしたフィジークで登場したカイは、ヘビー級&オーバーオールで優勝。29歳にしてついに待望のIFBBプロボディビルダーの資格を得た。ここまでボディビルをスタートしてから実に18年かかっている。
1997年チームユニバース。ヘビー級で2位に入る。

1997年チームユニバース。ヘビー級で2位に入る。

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優勝者はロバート・ワシントン(右端)
ロドニー・デービス(左から2人目)やスキップ・ラ・コア等も出場し、非常にレベルが高かった。

フィル・ヒースのライバル

カイはプロの資格はナチュラルの団体に所属しているときにすでに得ているが、IFBBプロの世界はナチュラルとはレベルが違っている。2005年にニューヨーク・プロ、2006年アイアンマン・プロなどに出場したが成績はまったくふるわなかった。ようやく頭角をあらわしたのはプロ転向後6戦目である2007年コロラド・プロ(優勝)。その後、2008年にニューヨーク・プロで優勝し、そして2009年アーノルド・クラシックでも優勝と毎年メジャーなコンテストを制し、ボディビル界でカイ・グリーンの名が知れ渡るようになった。
カイはオリンピアのクオリファイは07年から得ていたが、オリンピアレベルのフィジークになるまで待ち、ようやく09年のオリンピアへ初チャレンジした。オリンピアでは08年にフィル・ヒースが初出場で3位に入賞して、センセーショナルとなっていたが、09年にフィル・ヒースと初めてオリンピアで対戦することになったカイはヒース(5位)を超え、いきなり4位に入賞を果たした。彼の風貌やアクロバティックなポージングなどは、特異なキャラクターであり、トップオリンピアコンテンダーとして注目される。
カイは翌2010年も再びアーノルド・クラシックでフィル・ヒース(2位)を抑えて優勝。フィル・ヒースにとって、カイ・グリーンは超えることができない存在となった。またカイはサイズでも当時のミスター・オリンピア、ジェイ・カトラーと互角に戦えることから、10年のオリンピアではジェイ・カトラー対カイ・グリーンのバトルが大きな話題となった。

しかしながら、2010年のオリンピアではその期待を大きく裏切ることとなった。カイの仕上がりは甘く、オリンピアのタイトルにはほど遠いコンディションで7位と大きく外してボディビル界と彼のファンを落胆させた。もちろん本人が一番落胆していただろう。ちなみにこの年、フィル・ヒースは2位に躍進している。

2011年、カイはオリンピアでの雪辱を果たすため、地元で開催されたニューヨーク・プロで優勝。オリンピアでも3位にカムバックし、何とか面目を保っている。

しかし、この年フィル・ヒースがジェイ・カトラーを破り、ミスター・オリンピアに優勝した。ヒースのライバルであったカイがもたついている間にオリンピアを手にしたのだ。ヒースの大きくインプルーブしたフィジークは、今後の〝ヒース時代〟の幕開けを強く印象づけることとなったのだ。
初優勝の2007年コロラドプロ。まだ線は細い

初優勝の2007年コロラドプロ。まだ線は細い

2006年アイアンマンプロ。元ダンサーなだけあり、フリーポーズは多いに湧かせた

2006年アイアンマンプロ。元ダンサーなだけあり、フリーポーズは多いに湧かせた

プロデビューの2005年ニューヨークプロ

プロデビューの2005年ニューヨークプロ

2010年のアーノルドクラシック。前年のオリンピアに続いてヒースを下している

2010年のアーノルドクラシック。前年のオリンピアに続いてヒースを下している

信号は〝グリーン〟に変わった

2012年カイは1年間のオフをとり、オリンピア一本にフォーカスした。冒頭でも触れたように、これまでカイのコンディションはオリンピアごとにムラがあり、そして、フィル・ヒースのフィジークがずば抜けていたことから、ヒースに対抗できるかどうかは疑問が持たれていた。カイがヒースよりも勝れていたのは過去の話で、両者の立場は逆転しているからである。
そこでカイはこの状況を打破するために、元プロボディビルダーのジョージ・フェラーからコーチを受けることにした。オリンピア後にアイルランドで行なわれたセミナーでジョージ・フェラー・コーチはこのように説明している。「カイはこれまでオフシーズンは20㎏以上も体重を増加し、140㎏ぐらいになっていた。これは『オフに体重を増加させることは筋量を増やすためには良い』という一般的な考え方である。しかし、私はオフに体重を増加させることは勧めず、せいぜい5㎏ぐらいにとどめさせた。
ただ、カイにとっては、彼の長いボディビルのキャリアでは、オフに体重を増加させることでサイズアップしてきたことから、オフでもサイズを小さく保つことには大きな疑問があったようだ。カイ自身『サイズが小さすぎる』という不安も感じたようだ。昔から多くのボディビルダーは『オフに入ると体重を増やし、ヘビーウェイトでトレーニングすることで筋量を増やせる』と考えていたが、カイもこの考え方に従っていた。しかも、現に彼はこの考えを持っている状態でトップボディビルダーとして成功をおさめているのだ。
そこで私は『オフに体重を大きく増加させても、クオリティの高い筋肉を増加させられることは少ない。そして、コンテスト前に多くの体重を落とさなければならないため、長期間ダイエットに苦しむことになる。その結果、オフに増加した筋肉以上に筋肉を失うことになる』と伝えた。そこで昨年は、オフでも5㎏ぐらいしか増加させなかったのだ。その結果カイはほとんどダイエットをする必要がなくなり、そのぶんトレーニングにフォーカスできたため、逆にクオリティの高い筋肉を増やすことができ、そしてその筋肉を失うことがなかったのだ」
赤だった信号が〝グリーン〟に変わるベストなシェイプとなり、過去最高の仕上がりとサイズを保ったコンディションで、オリンピアの観客に大きなサプライズを与えたカイ。彼自身もオフに体重を増加しすぎないことは、トレーニングでも動作の可動域が広がり、筋肉に対しての刺激を高められると認めている。ちなみに、フェラーコーチは「オフに腹筋が見えていないのであれば、ボディビルダーとは言えない」とも言う。
ニュートリションについてだが、カイのタンパク質の摂取量は体重1㎏に対して4g以上は食べていない。タンパク質はサプリメントよりも、できるだけ食物から摂るようにしている。また、トレーニングでもオフを取るように、食事でも1週間ぐらいまったくタンパク質を摂らないで過ごすこともあり、トレーニング同様に食事でも身体をマンネリさせないように、すべてサイクルさせている。
トレーニングに関しては、カイは180㎏ のスクワットを20回行なう。180㎏のスクワットは2〜3回できたら凄く力が強いと思われるが、カイにとってはヘビーなウェイトではないそうだ。「超ヘビーなウェイトは筋肉に対して刺激を与えているのではなく、単に関節をトレーニングしているにすぎない。トレーニングで重要なことはパンプアップが得られること。レップ数は脚で15回以上、上体は8〜12回でパンプアップが十分に得られる。これがカイのトレーニングの基本になっている」とフェラーコーチは語っている。
昨年のオリンピア。ヒース有利の前評判の中、すばらしいコンディションで臨んで来たカイ・グリーン。

昨年のオリンピア。ヒース有利の前評判の中、すばらしいコンディションで臨んで来たカイ・グリーン。

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オフに体重を増やし過ぎず、トレーニングに集中できたおかげだと言う。今年はさらに磨きをかけて、オリンピアのタイトルを取りにくるだろう。

カウントダウン

カイ・グリーンは長髪のヘアスタイルと、いつもフードをかぶったスエットシャツ姿がトレードマークになっている。夏でも全身をカバーし、身体を露出しない。そのため、コンテストのステージに立つまで彼のコンディションを把握することは難しい。
彼は子どものころからアートに興味を持っており、今では自分のマスキュラーな自画像などを大きなキャンバスに描いて、個展なども行なっている。そのため、カイはプロボディビルダーであり、アーテイストでもあるという、二つの道でプロフェッショナルの顔を持つマルチタレントでもある。
今年のオリンピアは〝世紀のリマッチ〟となる。ヒース対グリーンのバトルはすでにカウントダウンに入った。プレジャッジは9月27日、ファイナルは28日である。カイのニックメームが〝プレデター〟であることを忘れてはならない。
参考資料
www.officialkaigreene.com
www.kai-greene.com
YouTube
カイ・グリーンのプロフィール
1975 年7 月12 日生まれ(38 歳)/アメリカ・フロリダ州出身/アメリカ・ニューヨーク在住/身長:173㎝/体重112㎏(オン)、135㎏(オフ)/プロデビュー:2005 年ニューヨークプロ14 位/ http://www.officialkaigreene.com/

主なコンテスト歴
2012 IFBB Sheru Classic 2nd
2012 IFBB Olympia 2nd
2011 IFBB Sheru Classic 3rd
2011 IFBB Olympia 3rd
2011 IFBB New York Pro 1st
2010 IFBB Olympia 7th
2010 IFBB Australia Pro Grand Prix X 1st
2010 Arnold Classic 1st
2009 IFBB Olympia 4th
2009 IFBB Australia Pro Grand Prix IX 1st
2009 IFBB Arnold Classic 1st
2008 IFBB New York Mens Pro 1st
2008 IFBB Arnold Classic 3rd
2007 IFBB Colorado Pro 1st
1999 NPC Team Universe Championships 1st
1999 IFBB World Amateur Championships 6th
1997 NPC Team Universe Championships 2nd
文/山口澄朗
[ 月刊ボディビルディング 2013年9月号 ]

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