フィジーク・オンライン

☆ビルダー旅行記☆後編 ボディビルの本場アメリ力を行く

この記事をシェアする

0
[ 月刊ボディビルディング 1973年2月号 ]
掲載日:2017.10.17
姫路ボディビル・センター会長 西川 稔

ビル・パールの経営するパサディナ・ヘルス・クラブ

 ロスに6日間滞在し,われらが大先輩多和昭之進氏のジムを見学したり,トレーニング法の勉強などして大いに有意義に過ごした。しかし,わざわざボディビルの本場へ来たビルダー野郎としては,ここでのんびりしているわけにはいかない。西部放浪ドライブと一流ビルダーが経営するジム見学をしなければならないからだ。
 8月20日,ロスを出発したアメリカ西部放浪ドライブは,まずカリフォルニアからはじまって,ネバダ,ユタ,ワイオミング,コロラド,カンサス,オクラホマ,ニューメキシコ,アリゾナと続き,デスバレーを通って,1カ月のドライブ旅行は,ようやく最後の目的地パサディナに到着した。
 この1カ月にわたった放浪ドライブでは,弥次喜多道中よろしく,いろいろ面白い話もあるが,これはまた次の機会に譲るとして,ここでは早速,'61 '67ミスター・ユニバース,ビル・パールの経営するパサディナ・へルス・クラブを紹介することにしよう。
 このジムは一昨年に行ったときも何回か訪門し,練習もしているのですぐわかる。
〔パサディナ・ヘルス・クラブの裏口でボスのビル・パールと記念撮影〕

〔パサディナ・ヘルス・クラブの裏口でボスのビル・パールと記念撮影〕

 クラブの横のパーキングに車をとめ早速ビル・パールに面会をと急いだ。あいにくこの日は女性の練習日で,彼はいつ出勤するのかわからないが,裏のトレーニング・ルームで男性が何人か練習しているので,そちらにいってくれとの返事。
 女性の練習日は,シャワーやバス・ルーム,リラックス・ルーム,ロッカー等,すべて男性厳禁。もちろん私も裏の2つの部屋以外は見学できない。しかし,さっきも述べたように,一昨年,最初の旅行のとき何回か練習に来てよく知っているので,読者の皆さんに紹介するのに不自由はない。
 このジムは,1階に3つ,2階に1つ,合計4つのトレーニング・ルームをもっている。他に事務所,ロッカー・ルーム,リラックス・ルーム,化粧室,プール,シャワー・ルーム,サウナ・ルーム,スチーム・バス・ルーム等が完備し,一般的に設備のいいアメリカのジムにあっても,上位にランクされるほうである。
 まず入口にある赤いジュウタンの美しいトレーニング・ルーム。この部屋の鏡は,王室の窓のような額縁に入っていて,金色の模様が美しい。ここには重いダンベルやバーベルはなく,せいぜい1~2.5kg前後のピカピカの鉄アレー少々とプレートのないバーベル・シャフトが10本ばかり,それにインクライン・ベンチ3台,シット・アップ用ベンチ3台,レッグ・レイズ・マシン1台,テン・セパレート・マシン等があり,豪華ではあるが上級者の練習にはもの足りない。しかし見学者,初心者,女性にとっては威圧感がなく宣伝用には良い部屋かも知れない。
 この真上の2階は,女性用のトレーニング・ルームで,チェスト・ウェイトを中心にして,ビル・パールの考案したいろいろな器具が並べられている
 彼がとくに自慢していたのは,ヒップ・アップ・マシンで,女性のために多くの時間と労力をかけて研究したといっていた。
 また,いま説明した1階の宣伝用のトレーニング・ルームの奥の部屋は,中央にずらりと並んだ真黒のダンベルを中心に,それをとりかこんで,ビル・パール考案の上腕三頭筋,上腕二頭筋を完全なストリクト・スタイルで行う器具,椅子に坐ってやるカーフ・レイズ・マシン等がある。
 部屋の壁にはボイヤー・コー,スティーブ・リーブスの写真が飾られていた。
 さらにその奥の部屋は,コンテスト・ビルダーたちにはヨダレの出そうな器具ばかりが置いてある。部屋の壁には何の飾りもない。ラット・バー・ローイング,ベンチ・プレス用ベンチ,スクワット・ラック等は,日本のジムにあるものにくらべて何倍も太くて頑丈そうな材料を使っている。その他にも広背筋専門の器具,安全にプレス等の運動ができる器具など,実に良く研究されたものばかりである。
 これらの器具を見て感じたことは,いずれもそれを使う人自身が研究して作ったものだということである。したがって,安全と効果を第一に製作されたものばかりだ。ついでに紹介しておくがビル・パールは,ロスの港の近くのサンピドロに器具をつくる小さな工場をもっているそうだ。
 もう一つ感心したことは,これだけ広く,全部で10近くもある部屋に,チリ1つ,ホコリ1つないことである。しかし,見学しているうちにそれも当然だと思った。ビル・パール自身が暇さえあれば掃除をし,器具にはグリス・アップとワックスをかけ,ドアを磨き,鏡を磨き,ボイラー室で貸しタオルやトレパンの洗濯までする。まったく彼には頭がさがる。
 私は一昨年はじめてこのジムを訪れたときのことを思い出した。
 ミスター・ユニバースに2度も選ばれているほどだから,さぞいばっているだろうと,少々気おくれしながらドアを開けた。
 早朝だったので,中はうす暗く電灯もつけてなかった。奥の方で,小山のような大きな男が熱心に掃除をしていた。「ジムを見学したいのですが」と声をかけると,その大きな男が仕事をやめて,にっこり笑いながら私の方へやってきた。
 「日本からきました」と名刺を出すと,「私がビル・パールです」と出された手に,私も思わず手を出した。手の厚さが5cmもあり,少々硬く,そっと包みこむような暖かい手だった。うれしさと興奮のため,はっきりと顔を見ることもできなかった。ただ,あの厚い胸と,盛りあがった上腕三頭筋を見るのがせいいっばいだった。
 何回かトレーニングにいったが,早朝の掃除を1日として休むことはなかった。世界で№1の肉体をつくりあげた彼は,こんどは世界で№1のジムづくりに精出しているのである。
 また,それ以上に感心することは,コーチしている間,目の合った会員たちや私に対して,1日中何回となくウインクとほほえみをプレゼントし,とかく単調になりがちな練習になごやかさと励みを与えている。そして,会員たちの質問には,あの大きな体を軽快に運び,納得のいくまで説明を続ける。私のように言葉の通じない者にも,徹底的に理解できるまで実際にやって見せて教えてくれる。
 今回は,この偉大なミスター・ユニバースに会えないのが大変残念だったが,時間に余裕がなかったのでロスに帰ることにした。
写真はパサディナ・ヘルス・クラブ

写真はパサディナ・ヘルス・クラブ

中央は温水プールとシャワー

中央は温水プールとシャワー

ビル・パール考案の広背筋を鍛えるマシン

ビル・パール考案の広背筋を鍛えるマシン

武道場のようなビンス・ジム

 それから3日後,ロスのダウンタウンからハリウッド・フリー・ウェイを20~30分走り,ベンチュラー通りを通り,少しいったところにあるビンス・ジムを訪れた。
 ウェスタン映画に出てくるような家が並んだ通りにあり,一昨年多和先輩につれて行ってもらった時とまったく変わっていなかった。
 エンジ色の壁に,大きく白いペンキで〝ビンス・ジム〟と書いてある。近代的な外見とは対象的に,ジムの内部は汗の匂いがこびりついた,武者ぶるいしそうな,ちょうど日本の武道の道場といったムードである。伝統がそう感じさせるのか,ジムというより神聖な肉体鍛練場といったほうが適切である。
 アメリカの大部分のジムは,内部を派手なペンキでゴテゴテ塗ってしまって,まるでレジャー・センターのようなムードのものが普通であるが,このジムは別で,器具1つ見ても,いかにも良く使いこんだという感じの独創的なものばかりである。
 他のジムにあるような量産化された器具に体を合わせるのではなく,練習者の体に合わせて製作したという。研究のあとがよくうかがえる。
 たとえばインクライン・ベンチ。これは部屋の中央の柱についているが,上部には長方形の穴があり,下の方は細くなっている。これだけの工夫で何種類もの運動ができるのだが,何回か練習しているうちに,実によく研究したものだと感心した。その他,鎖で吊られたチニング・バー,レッグ・プレス・マシンを改造した上腕三頭筋を鍛える器具,シッシー・スクワット台,チェスト・ウェイト利用の腕を鍛える器具等,どれもビンス自身が研究し実験し,自信をもって改良したものにちがいない。
 彼のボディビルに対する自信のほどは,ジムの入口に立てばすぐわかる。入口のカウンターには,自分の練習法や,ビンス・ジム独特の栄養食品の説明等をPRしたパンフレットが何種類も,ところせましと並べられている。
 彼は「私のジムで,私のスケジュールで,私の栄養食品を私のいうとおりに使用すれば,2~3カ月でデフィニションがつき必ず立派なビルダーになれる」と,自信満々である。そして。私がバルク・タイプのためか,とくにデフィニションについては力を入れて説明してくれた。
 私はこのジムを訪れるまでは,彼はもう相当な年輩なので,トレパンだけ着て口先だけで指導しているものと思っていた。しかし,彼の2倍近くもありそうな会員の質問に,あの白髪をなびかせ,ボクシング・シューズをはいてスタスタと早足で歩くビンスの姿は,まるでカモシカのようだ。
 ちょうどスタンディング・プレスの説明をしていたのだが,そこにあった200ポンド(約90kg)近いバーベルを軽々と持ちあげ,しかも,口で説明を続けながらのスタンディング・プレスには驚かされた。
 50才を越えたビンスが,あれだけの力と若さをもっているのだから,世界の一流ビルダーがこのジムに集まってくるのも当然かも知れない。ラリー・スコット,ドン・ハワース,レジ・パーク等,世界の超一流ビルダーがアドバイスを受けているという。私も暇があれば,ぜひこのジムでみっちり修業をしたいと思った。
 先に述べたビル・パールのジム,そしてこのビンス・ジム,アメリカで最も権威があり有名なこの2人の指導者とジムには,なにか共通点があるような気がした。
 いつも笑顔でやさしい態度の中にも長い年月をかけた研究と実績,その中からつかみとった実力と自信があふれている。そして全力でそれらを教える態度。それらが見る者をして尊敬の念を抱かせずにはおかないのであろう。かつてのミスター・ユニバース,ミスター・カリフォルニアは,立派な指導者であると同時に,立派な人間であることを身をもって私に教えてくれた。1日中ニコニコしていられるのも,1日中トレパンで頑張っていられるのも,1日も休まず掃除できるのも,1日中熱心に会員たちを見守ることのできるのも,ボディビルで鍛えられた精神と肉体が,さらに人間をも完成させたにちがいない。

ティミー・レオングのジム

 アメリカ大陸での目的を一応達し,サンフランシスコを経てホノルルへ。ここではティミー・レオングが経営するティミーズ・ジムを見学するのが目的である。
 きれいな公園や港の見える通りを行くとユニオン通りに出る。西欧風の石ダタミの通りで,少し入りこんだ広場のようなところに2階建のティミーズ・ジムがあった。
 階段をのぼると,つき当りの壁にはこのジムを訪問した有名なビルダーやレスラー,映画スターの写真が何十枚も張られている。この中に,金沢氏と武本氏の2人の日本チャンピオンの写真もある。
 このとき,美しい女性が私の方へ近づいてきた。私は早速「日本から来ました」と武本氏の紹介状を見せようとする前に,「ミスター・タケモト,カナザワを知っていますか」とニコニコしながらいう。
 それからは武本氏や金沢氏についていろいろ話がはずんだ。そして,日本の大先輩たちの立派な人格と行動が大平洋のはてまで知れわたっており,日本人ビルダーとして大変うれしかった。そのせいもあって,10年来の友人のようにとくに親切にしてくれた。
 ただ残念だったのは,ここのボスであるティミー・レオングが,ペンシルバニアのクラレンス・ロス('45ミスター・アメリカ)のところへ遊びに行っていて留守だったことだ。コーチや会員の人たちに紹介され,ジムの器具や指導法等について説明してもらった。
 建物の中央にはサウナとシャワー・ルームがあり,右手が男性用,左手が女性用のトレーニング・ルームになっている。
 床は赤いジュウタンを敷きつめ,黒いダンベル,ステンレスに青色のレザーを張った器具,ベージュ色の壁にはいろいろの絵や飾りがあり,実に陽気な明るさの中に,伝統というものをちょっぴりのぞかせている。
 このジムで練習している会員たちを見ると,常夏のハワイというせいもあって,日やけした顔,原色のシャツに白い半ズボン兼海水パンツといった,リラックス・スタイルでのびのび練習している。
 インストラクター(コーチ)や会員たちは,ボスが留守だったので残念そうな顔をした私に同情してくれ,一日中,何から何まで大変な気のつかいようだった。
 たとえば,冷蔵庫にちょっとさわると,その中身を見せてくれたり,値段から食べ方まで説明してくれた。
 事務所にシャツのサンプルがあったので,ぜひ日本へ買って帰りたいと思い,2~3着売ってほしいと頼んだところ,どうしても金を受けとってくれない。わざわざ日本から見えたお客さんから金を受けとったりしたら,あとでボスからしかられるといってきかない。それどころかボスが留守だったことを何回も何回もあやまられて,こちらが恐縮してしまった。このようなことからも,あいにく留守で会えなかったボスのティミー・レオング氏の人がらは充分に知ることができる。
 それと同時に,以前このジムを訪れた先輩たちが,立派な行動をされ,日本人に対する良い認識を彼らに与えておいたからではないだろうか。まったく感謝のほかはない。
 こうして,僅か1日の訪問なのに,インストラクターや会員たちの心あたたまる好意で,帰国するときは,まるで昔お世話になった先生のジムを何十年ぶりかで訪問し,仲間たちと再会したような錯覚におちいってしまった。
 いよいよ帰国の時間になって,どうしても先生には会うことができず残念でしかたなかったが,帰国してからまた手紙でも書けばすぐに返事をくれるだろうと,勝手に想像しながら,ティミーズ・ジムの仲間たちに送られ,ホノルルのエアポートへ車を走らせた。
記事画像5
記事画像6
〔写真はハワイのティミーズ・ジムの内部〕

再度のアメリカ旅行で感じたこと

 ティミーズ・ジム見学を最後に,私の旅行は終わったのだが,2回のアメリカ旅行で見た向うのボディビルの実態というようなものを少し書いてみよう。

<気さくなアメリカ人気質>

 まず,パサディナのビル・パールのジムでのことである。
 私のとなりでラテラル・レイズをやっていたアメリカ人,運動中にダンべルを床にドスンと落としたが,それを拾おうともせずゴロンと横になってしまった態度の悪い練習生がいた。
 その練習生,しばらくして目をさまし,私に向って「中国人か日本人か」という。「日本から来た」と答えると「私はミッチェル・カーター」「私はミノル・ニシカワ」と言葉を交わしているうちに,自分の家族の自慢話からついには私をロッカー・ルームにつれて行って,洋服のポケットからワイフや子供,両親の写真をとり出して早口でしゃべりまくる。
 最後にはコーヒーまでさそわれてしまった。なんだかうれしいような迷惑のようなへンな感じがした。この人は電気の技師で健康管理のために,夫婦でこのジムに通っているとのことだったが,まったくアメリカ人は陽気というか気さくというか,日本人には見られないあけっぴろげなところがある。

<アメリカの地方コンテスト>

 ミスター・南カルフォルニア・コンテストを見学したときのことである。サンディエゴからサンタモニカまでに住む約40人のビルダーが,ロスのハイスクールの講堂に集まった。
 このコンテストは,日本にたとえれば,兵庫県の中の播州地区のコンテストのようなものである。
 しかし,さすが本場だけあって,選手のレベルも高くなかなか盛大であった。会場にはビル・パールやフランク・ゼーンも来ていた。ビル・パールは功労賞受賞のため,フランク・ゼーンは自分の書いたボディビルの参考書のPRに来ていたのだった。
 コンテストのムードは,日本のコンテストに比べると少々静かであった。ただ,自分の友人などが舞台に出るとありったけの声を出して応援する。それが大観衆の中で,たった1人であってもまったくテレることなく熱心に応援する姿はほほえましい。
 私が写真をとるために一番前の方へいくと,5才くらいの子供が床に寝ころんで観戦しており,その横に2人の姉さんとお母さんが坐っていた。突然この4人はパパ! パパ! と大声で応援を始めた。パパと呼ばれた選手はチラッと子供の方に目をやったのち,はずかしそうにポーズを始めた。
 30分くらいのち,残念にも決勝に残れなかったパパは家族のところへ戻ってきた。このとき,4人の家族は大きなゼスチャーでパパをほめたたえていた。私もこれを見て思わず「ベリーグッド!」といってしまった。ほんとに日本では見ることのできない美しい光景だった。

<底辺の広い本場アメリカ>

 ドライブ旅行中は,しばらくボディビルのことは忘れるようにしていたのだが,ちょうど通りかかった自動車レース場の前で,すごく立派なレーシング・カーを見た。車の下にもぐって,大きな腹を出して整備している人に,「あまり立派なので写真をとりたいのですが……」と声をかけると,気軽にOKしてくれた。
 彼は車の下から出てきて,「ハリウッドから来たのか? 私の名はアーマード。サウスダコタのリード市でへルス・クラブに通っている」と自己紹介してくれた。
 何か突然へルス・クラブの話が出てきてへンだなと思ったが,その原因は私がビンス・ジムのシャツを着ていたからだった。
 アメリカのレーシング・クラブにはたいていウェイト・トレーニングの器具が置いてあるし,また,ジムに通っている人も多いそうだ。たしかに何時間もフルスピードで走り続けるには,抜群の体力と気力が必要だし,これらを養うのにウェイト・トレーニングが最も合理的だからであろう。
 コロラド州デンバーの南東300キロのところにあるラーマという田舎町のことである。
 モーテルの留守番をしているおばあさんが,私が事務所に入るなり,ユーの着ているシャツのボスはワイダーだろう,という。良く考えて見るとワイダーはIFBBの会長、ビンスはIFBBきっての有名なコーチである。
 なぜそんなことを知っているのか,とたずねると,昔,いまは亡き夫もボディビルが好きで,コンテストに出たことがある。だから,立派な体の若者を見ると,つい話がしたくなるんだ,と話してくれた。
 テキサスのダマス市のスーパーで買い物をしようとすると,マスターが「なんて立派な体だ。ボディビルをやっているんだろう」と声をかけてくれた。
 ハワイのホテルでのことである。エレベーターの中で,1人の老人が,ほんとにいい体だ。とくに肩がいい。とほめてくれた。すると,エレベーターの中にいた他の人たちも,ベリーグーッドの連発で,ついにはプール・サイドまでついてきて,ボディビルや世間話に花が咲き。私にとってまったく楽しいハワイでの1日だった。

<本場にも特別な練習法はない>

 私は再度のアメリカ旅行で,日本のビルダーたちにバルク・アップ,カット・アップの革命的な練習法を土産にしたいと,とくに目を光らせてジムを見学したり,多くの有名コーチに質問したりしたが,残念ながらそれを発見することはできなかった。いや,それよりも,そんな特別な方法はなかったといった方がいい。
 ボディビルの運動は,本場アメリカでも日本と変わりなく,ただ,それらの運動の積み重ねと,充分な栄養と休養,さらに精神的なものがバランスよく保たれ,努力を続けたときに始めて成功するものであり,これをやれば絶対だ,なんという安易なものがあるはずがない。
 ビル・パール,ビンス・ジロンダ,フランク・ゼーン,チャーリー・フランツ,ドン・ピーター,ドン・ハワース等,有名なアメリカの指導者も,私たち日本の指導者と同じ種目・方法で指導している。
 アメリカの一流ビルダーたちが,いま君たちがやっている方法が一番いいんだ。ただそれを根気よく継続することだ,と教えてくれたような気持で,私はすくわれたような,はずかしいような,それでいて土産のない残念さも入りまじって複雑な気持になってしまった。
 しかし,ボディビルのレベルに関しては,人種のせいか,栄養のせいか,あるいは伝統のせいか,確かにまだ差はあるが,ビルダーの心に関しては,なに一つとして差はない。
 ボディビルを通じ,世界の一流ビルダーから,趣味でやっている人たちまで,心の通じ合う人が大平洋の向うにもいっぱいいる。はじめて会っても,十年来の親友のようにうちとけることのできるビルダー野郎が,世界中にいるのだ。
 スポーツは人種や思想を超越し,人間の心と心をむすびつけてくれる。言葉は通じなくても,なんの不自由もなくお互いに理解できる。
 「俺はボディビルを心から愛する者の1人なんだ!」とホノルルから東京へ向けて飛んでいるジャンボ機の中で胸を張っていた。(おわり)
[ 月刊ボディビルディング 1973年2月号 ]

Recommend