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☆中国の偉大な指導者☆ 毛沢東とボディビル

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[ 月刊ボディビルディング 1973年5月号 ]
掲載日:2017.10.20
 中国革命の偉大なる指導者として,八億の民衆から太陽と仰がれている毛沢東主席が,いまから五十数年前,まだ共産主義者になる以前,若冠27・8歳の頃〝体育の研究〟という論文を発表していることは甚だ興味深い。
 この〝体育の研究〟を読んで感じることは,彼自身が熱心な体育の実践者であるとともに,その方法論についてもなかなかに研究していることがうかがわれる。
 さらに感じさせられるのは,たんに体育の実践者と理論家としてのそれでなく,人間の本質に対する深い洞察と社会の拡がりと,時代の流れにおいて体育をとらえていることである。
 今日,わが国で盛んに提唱されている社会体育の理論を,偉大な思想家,革命家としての直感によって,すでに五十数年前に,その核心を正確に衝いていることは驚嘆に価する。
 そして,さらに面白いことは,われわれボディビル愛好者が,近代ボディビルの始祖と目しているドイツのユーゼン・サンドーについても言及していることである。すなわち,
 「東西の有名な体育家,アメリカのルーズベルト,ドイツの孫棠,日本の嘉納は,みな身体が非常に弱かったが強壮な身体の持主となった人々である」といっている。
 ルーズベルト大統領とは,周知のごとく日露戦争時代のアメリカの大統領で,熱心な体育スポーツの実践者であり普及者だった。嘉納といっているのは,旧来の柔道に新しい意義と体育的内容を盛り込んだ,講道館柔道の創設者,嘉納治五郎氏のことを指す。
 ドイツの孫棠というのが,まさしくユーゼン・サンドーのことと推察される。日本語の訳者である山村治郎氏は「ゾンタークのことか?」と書かれているが,当時,サンドーの鉄亜鈴術として世界的に風靡していた事実からみても,漢字のあて字の語呂から判断してもサンドーにまず間違いあるまい。
 ボディビル界が,今後コンテストとパワーリフティングのみを愛好する人たちによる,いわば競技団体的性格に終止するならばいざ知らず,時代の要請である社会体育の一翼を担おうとするならば,少なくともジムの経営者やコーチたちにぜひ毛沢東の「体育の研究」の一読を促したい。
 さすがに,後年マルクシズム理論を「実践論」「矛盾論」として独得に表現し,中国数千年の歴史に新しい1ページを開いた人物だけに,彼の体育論は珠玉のように底光りのある句に満ちている。
 その中の2・3を紹介してみよう。
 「体育はひとつの道で,徳育,知育と組み合わされて全きものとなる。しかし,徳といい,知といっても,身体に帰するのであって,身体がなければ徳も知も存在しない。しかし,案外これに気づいたひとは少ないのではなかろうか。あるひとは知識のみを重んじあるひとは道徳のみを重んじている。いったい,知識はとうとぶべきもので人間が動物と違う理由はここにある。しかし知識を乗せているものは何か,
 道徳もまたとうとぶべきものである道徳は,社会秩序の基礎で,自他の関係を平らかにする。しかし道徳を宿しているものはなにか。身体こそ知識を乗せ,道徳を宿している。車のように知識を乗せ,家屋のように道徳を宿しているのである」
 「人間の不幸とは,ただ身体を失うことであって,このほかに心配しなければならないものがあろうか。身体を丈夫にする方法を見つけるならば,その他のこともおのずからよくなってくる。身体を丈夫にするには,体育にまさるものはない,体育こそ,われわれの生活で第一の地位を占めるもので,身体が強壮であってこそ,はじめて学問も道徳も修得することができ,遠大な効果をおさめ得る」
 「人間は動物である。したがって人間にとって動は非常に重要なことである。人間は理性の動物だから,その動にも道がなければならない。ではなぜこの動は大切なのか。
 動とは生活を営むことだという。しかし,これは浅薄な言葉である。動とは国を守ることだともいう。これは大言壮語の類にはいる。これらはみな動の本義ではない。力とは,おのれの身体を強め,心を楽しませることに他ならない。……動のうち,人類に属するもので,規律あるものを体育という」
 「体育は筋骨を強くするばかりでなく,知識をふやすことにも役立つ。近ごろ〝精神を文明にし,身体と気力を野蛮にする〟というひともあるが,この言葉は正しい。精神を文明にしようと思うならば,まず身体,気力を野蛮にすることから始めるべきで,身体,気力が野蛮になれば,精神の文明も,おのずからこれにしたがってくるだろう」
 「体育は知識をふやすだけでなく,感情を調整することもできる。感情の人間における作用はきわめて大きい。昔の人は理性によって感情をおさえ,昔の挨拶では〝ご主人はいつもお目ざめですか〟といったものである。
 また,理性によって心を制するというが,理性は心から生まれるものであり,心は身体の中に存在する。よく見ることだが,ひよわな人は往々感情に左右されやすく,感情をおさえることができない。
 五感が不完全で,身体に欠陥のある人は,しばしば感情が一方に片寄り,理性をもってしてもおさえることができない。したがって,身体健全なものは感情も正常であるというのは不変の真理である」
 「運動するにあたって,注意することが3つある。第1は続けること。第2は全力を注ぐこと。第3は荒々しさと素朴さである。なお注意すべきことはたくさんあるが,要点はこの3つである」
中国の偉大な指導者、毛沢東主席

中国の偉大な指導者、毛沢東主席

 以上の語録を読んで感じられるのは人間の心を信じ,肉体を信じ,その行動を信じ,未来を信ずる水々しい若さと,希望に満ちた若き日の毛沢東の人間性である。
 それは,数々の彫刻に示される古代ギリシャ人の理想になんと似ていることだろう。
 三島由紀夫氏が「古代ギリシャのあの素晴らしい文明は,へラクレスやアポロに象徴されるあの逞しく美しい肉体が,雄々しく羽ばたいて作りあげたものだ」という意味のことを書いていたのを何かで読んだ記憶があるが,毛沢東においても同様のことがいえるだろう。
 人間と祖国に対する燃えるような愛を,知性を磨き,徳性を養い,肉体を鍛えることによって,現実への第一歩として踏み出していったのだ。
 中国の現在の姿は,毛沢東の五十数年の苦闘の歴史によって生み出されてきたといっても過言ではあるまい。大長征を始め,抗日戦,さらに国共の内戦等,幾多の困難と矛盾と坐折のあげくに,ついに貫き通した彼の夢は,若き日に素朴に肉体を鍛えることから始まったことを認識してもらいたい。
 偉大な人間の言葉と行動は,イデオロギーや体制の違いを乗りこえて,われわれの内面に深く迫ってくる。
(JBBA相談役 玉利 斉)
[ 月刊ボディビルディング 1973年5月号 ]

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