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IFBB公認 JFBB'73オールジャパン パワーリフティング・チャンピオンシップス

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[ 月刊ボディビルディング 1973年7月号 ]
掲載日:2017.10.24

<光る因幡選手の健斗>

 5月20日、日曜日。第1回JFBB主催のパワーリフト・コンテストが開かれた。場所は東京神田のYMCA体育館。この日はJBBAのコンテストも大阪であるとか。果してどのくらいの参加者が得られるものかと案じたが、これはまったく杞憂に過ぎなかった。遠く広島からの参加もあり、50名を越す選手によって延々7時間にわたる熱戦を繰りひろげたのだ。大阪のコンテストにもよい選手が集まったのであろう。

 記録的には、どのクラスも一様に高い水準の成績が得られる、というわけにはいかなかった。筆者の目にはこれらの参加選手の中で、とくにバンタム級の因幡英昭選手と、フェザー級の今野功選手の2人の健斗が印象的であった。

<相対的挙上記録からみた優秀選手たち>

 各出場選手の挙上記録、つまり絶対挙上記録をもとにしての分析はあとに回すとして、ここでは体重からみた合計記録の比率を論じてみる。つまり、前記の絶対挙上記録というのが、もちあげられる最高記録であるのに対し、体重1kgについてもちあげ得るkg数を相対的挙上記録と呼んでもよかろう。

 この相対的挙上記録は、体重が重くなるにつれて皮下脂肪の占める量が多くなるので、当然軽量級よりも重量級の方が弱い。ちなみに、1972年11月にアメリカのAAU(全米アマチュア体育連盟))後援して開催した「AAUパワーリフティング選手権大会」の各クラス優勝者の相対的挙上記録を概算した数字をつぎに掲げてみよう。
記事画像1
 この表からもわかるように、クラスが重くなるにつれて前述したとおり、相対的挙上記録は下っていく。それでもミドル・へビー級までは9.00kg以上の記録、すなわち体重の9倍以上の重量を合計でもちあげていることがわかる。

 そこで、JFBBコンテストの合計成績を相対的挙上記録の形に直して上表と照合してみると、9.06kgでバンタム級を制覇した因幡英昭選手だけが辛うじて9倍以上のラインにひっかかって、面目をほどこしたことになる。次いでフェザー級の今野功選手が8.66kgで優勝を飾っているが、世界への道はまだ遠いようだ。

 筆者の予想だが、この合計記録を対象とした体重1kg当りの記録は、やがて近いうちに軽・中量級では10倍、つまり体重1kg当り10kgという記録に突入するものと思われる。
記事画像2

<世界の記録も射程距離>

 それではここらで絶対挙上記録に話をもどすことにしよう。AAUの世界選手権大会の成績をもとにして対照してみると、個々の挙上種目ではかなりいい線にいっている選手が数人あることに気づく。

 まず、バンタム級の因幡選手だが、彼のスクワット192.5kgはアメリカのジョン・レディングの195kgに僅か2.5kgの差しかない。いうまでもなく、このレディングの記録は、このクラスでは最高のものであった。次に、ライト級の福田弘選手。彼のベンチ・プレス160kgはアメリカのジョン・ウエルヒの350ポンド(159kg)というこのクラスの最高をやや抜いて優位に立っている。同じベンチ・プレスでミドル級の出川昇選手は、このクラス最強だったアメリカのロナルド・へイル選手の168kgを優に越す180kgに成功しているのだ。

 以上からみる限りでは、これらの選手の出した記録は一応、世界的な視野に立っても決して恥ずかしくないものと考えてよかろう。

 しかし、合計記録に目を転ずるとき、前記大会との間にはまだかなりの差がある。要するに他の2種目において大きく水をあけられていることになる。これからはもっと世界の記録に目を向けて、3種目揃って強い選手に育っていただきたいと思う。

 ここに将来に向っての1つの指標を出すならば、だいたい次のようになろう。バンタム級からライト・へビー級までくらいはベンチ・プレスで体重の2.3〜2.5倍、スクワットで3.3〜3.6倍、デッド・リフトで3.9~4.2倍、といったところを目標にすべきではないか。

<ルールの差が……>

 ところで、本稿で引用したAAUのコンテストの結果だが、これはIFBBのルールで行われたものではないはずである。とくにベンチ・プレスでは、いったん胸の上にベーベルを下ろして胸に触れさせた姿勢でレフリーの挙上の合図が与えられるのだ。これに対してIFBBのルールを使っているJFBBでは、いったん両腕を伸ばした形でバーベルをささえ、自分のタイミングでもって胸にバーベルを下ろしてふたたび押しあげればよい。

 この2つの挙上方法では、その選手の熟練度にもよるが少なくとも5kg以上は後者の方が余計に挙上し得るものと推測される。したがって、上手な選手の場合には10kgも重いバーベルをもちあげられることもあろう。

 このような意味から、AAUのコンテスト結果とそのまま対照するというのは、いささか不都合な点も出てくるのだが、それはそれとしてJFBBの水準を推測する資料にはなろう。
記事画像3

<老雄も健在>

 さて、この大会は和気あいあいのうちに終了したのだが出場者の中にはかつての名ビルダー、名リフターなどの顔もみられ、若手のリフターは大いに啓蒙されるところがあったと思う。

 30才以上の選手としては、後藤武雄選手、関二三男選手、福田弘選手の3人が活躍したのが目立った。後藤選手はすでに40才。いまなおトレーニングに打ち込んでいる真面目な姿は大いに賞讃されてよい。また関、福田両選手の一騎打ちは、競技前から注目されていただけあって、観る人をして手に汗を握らしてくれた。

 この次のコンテストにもぜひ勇躍参加されて若い人たちに範をたれてもらいたいものである。
(窪田 登)
[ 月刊ボディビルディング 1973年7月号 ]

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