ニーチェとボディビル
[ 月刊ボディビルディング 1973年8月号 ]
掲載日:2017.10.30
ボディビルの実践者は,みな逞しさと力にあふれた肉体の信奉者であることは間違いない。
その意味からいっても,あくまで大地に忠実に,力強く生きることを肯定したニーチェの哲学を知っておくことは,あながち無駄ではないだろう。
約一世紀前に,当時ヨーロッパで絶対の権威を誇ったキリスト教の在り方を批判し,同時に現代文明が内在する矛盾と頽廃を鋭く指摘し,自らは高邁さと孤独の中に生き,ついに運命に殉ずるごとく狂死したこの思想家は,現代の物質文明と大衆社会の安易さの中に,ともすれば自己を失ないがちなわれわれに,人間の本質的な生きかたを地の果てから呼びかけてくる。
同時に,肉体を愛するわれわれボディビルダーに,形態的な自己愛のみでなく,人間の全存在の運命愛の尊さを教えてくれる。
以下,ニーチェの著作の中から,われわれと関連の深い言葉を引用してみよう。
「私の言うことを信じるがよい。兄弟たちよ! 現世に絶望して『あの世』へ逃避しようとするのは,もともと身体の衰え,生命力そのものの疲労からきているのだ。
身体や大地に絶望するということは魂や精神の問題であるより先に,まずその根源である身体そのものの,ヴァイタリティがいかれてしまっているせいなのだ。
人間はまことに奇妙なものを創りだすものだ。『あの世』あの人間ばなれした,非人間な世界。それは天上の虚無だ。神が語るといっても,実際は腹話術師である人間が語っているのだ。
『あの世』だとか『神』だとか,そういう正体不明のものにすがるのは,いい加減にしたらどうか。いちばん具体的で,最もよく証明されているものそれは大地(現世)であり身体(生命)であり,この自我(人間)である。この自我は,矛盾し混乱したすがたを呈しているとはいえ,いっさいの物の尺度であり,創造と価値評価の実体なのである。
わたしは教えます。『もはや頭を天国につっこむな。大地に意義を創りあたえる現世の頭を昂然ともたげよ!』と。
身体と大地をさげすみ,天国とか救済の血のしずく(キリストの血)などを発明したのは,病人と死にかかっている者たち,つまり,生命力の低下しかかっている連中なのだ。彼らは,現世の悲惨から脱出したいばかりに,こういう抜け道と血の飲み物を発明したのだ。
ツアラトウストラ(ニーチェが描いた人間の希望を心に宿して力強く現世を生きる哲人の名前)は病人には寛大であり,回復途上の人たちが,天国をなつかしく思うことがあっても腹を立てることをしない。しかし願わくば,彼らがより高い身体をわがものにしてこのような迷妄から脱却するように祈るものである。
背後世界者(あの世や神の信奉者)は,けっきょく病人なのだ。身体が病んでいるために神を渇望するのである。しかも彼らは,科学的精神の持主,認識者を目のかたきにしている。真実に就くという,もろもろの徳の中でもいちばん若い徳を憎悪している。知的誠実ということ,近代の学問の柱ともいうべき理性や懐疑を罪に仕立てている時勢おくれの人種でもある。
わたしの兄弟たちよ,むしろ健康な身体の語る声を聞くがよい。それは,もっと誠実に,もっと純粋に,語っているではないか。大地の意義を!
ツアラトウストラはこう語った」
なんとニーチェのこの言葉は,肉体に対する賛美と現世を肯定する言葉に満ちていることだろうか。
ヨーロッパの精神世界を十世紀にわたって支配してきたキリスト教に,訣別するのみでなく,あえて挑戦したことは,当時の社会状況からみて,生活と生命を賭す勇気を必要としたことだろう。
しかし,ニーチェの著作をよく読んでみると,形骸化し俗世の権威になりさがったキリスト教には徹底的に反抗したが,キリスト自身の愛と勇気ある行動の生涯には深い共感をもっていたことが理解される。
俗世の権威に頼らず,大衆におもねず,しかも神にもちかよらず,唯一人自らの肉体と運命を信じ,ひたすらに現世を逞しく歩んだこの思想界の巨人が与えた影響は限りなく大きい。
現代社会は,かつてのごとく神が人々の心に生きてはいない。今日,新たな神を求めるとすれば,社会主義的な生き方か,自己を乗り越え高めていく生き方の二つに分たれる。
つまり,「マルクスを選ぶか,ニーチェを選ぶかだ」とは,現代フランスの実存主義の哲学者ガヅリエル・マルセルの言葉だ。
そういえば,ニーチェは実存哲学の先駆とも見なされている。
実存主義的傾向をもつ現代作家はへミングウェイやアンドレ・マルロー,サルトル等に代表される。これらの作家たちは決して人生や事件を傍観者として記述するのではなく,まず行動と情熱をもって現実の渦中に身を投じ,それから書く。いかにもニーチェの系譜らしい知識人たちである。
彼らは革命に参加したり,古代遣跡の探検に危険を冒したりまた,スペインの内乱に義勇軍として参加したりさらに,対独レジスタンスにもまっ先にペンを銃に変えて戦う。
つまり,大地の意義に一度しか生きられぬ肉体を激しく燃焼させて行動するヴァイタリティーの持ち主たちだ。だが,肉体の肯定者ではあっても,肉体を鏡に写して一人自己満足に耽けるナルシシズムでは決してない。あくまでも行動の世界に果敢に挑んでいく行動人であることは知ってもらいたい。
「君たちは円柱の徳を志すべきだ。それは高く昇るにしたがって,ますます美しく,やさしく,しかも内はいよいよ強くいよいよ重きに堪えていく」
ともすれば現代の大衆社会は,自己を鍛え高めることをせず,いたずらに衆を頼んで量の中にのみ自己を埋没し人間の尊厳に対しては,自分自身を個として責任をもたない風潮に,ニーチェは無言の示唆を与えるものだろう。
(玉利 斉)
その意味からいっても,あくまで大地に忠実に,力強く生きることを肯定したニーチェの哲学を知っておくことは,あながち無駄ではないだろう。
約一世紀前に,当時ヨーロッパで絶対の権威を誇ったキリスト教の在り方を批判し,同時に現代文明が内在する矛盾と頽廃を鋭く指摘し,自らは高邁さと孤独の中に生き,ついに運命に殉ずるごとく狂死したこの思想家は,現代の物質文明と大衆社会の安易さの中に,ともすれば自己を失ないがちなわれわれに,人間の本質的な生きかたを地の果てから呼びかけてくる。
同時に,肉体を愛するわれわれボディビルダーに,形態的な自己愛のみでなく,人間の全存在の運命愛の尊さを教えてくれる。
以下,ニーチェの著作の中から,われわれと関連の深い言葉を引用してみよう。
「私の言うことを信じるがよい。兄弟たちよ! 現世に絶望して『あの世』へ逃避しようとするのは,もともと身体の衰え,生命力そのものの疲労からきているのだ。
身体や大地に絶望するということは魂や精神の問題であるより先に,まずその根源である身体そのものの,ヴァイタリティがいかれてしまっているせいなのだ。
人間はまことに奇妙なものを創りだすものだ。『あの世』あの人間ばなれした,非人間な世界。それは天上の虚無だ。神が語るといっても,実際は腹話術師である人間が語っているのだ。
『あの世』だとか『神』だとか,そういう正体不明のものにすがるのは,いい加減にしたらどうか。いちばん具体的で,最もよく証明されているものそれは大地(現世)であり身体(生命)であり,この自我(人間)である。この自我は,矛盾し混乱したすがたを呈しているとはいえ,いっさいの物の尺度であり,創造と価値評価の実体なのである。
わたしは教えます。『もはや頭を天国につっこむな。大地に意義を創りあたえる現世の頭を昂然ともたげよ!』と。
身体と大地をさげすみ,天国とか救済の血のしずく(キリストの血)などを発明したのは,病人と死にかかっている者たち,つまり,生命力の低下しかかっている連中なのだ。彼らは,現世の悲惨から脱出したいばかりに,こういう抜け道と血の飲み物を発明したのだ。
ツアラトウストラ(ニーチェが描いた人間の希望を心に宿して力強く現世を生きる哲人の名前)は病人には寛大であり,回復途上の人たちが,天国をなつかしく思うことがあっても腹を立てることをしない。しかし願わくば,彼らがより高い身体をわがものにしてこのような迷妄から脱却するように祈るものである。
背後世界者(あの世や神の信奉者)は,けっきょく病人なのだ。身体が病んでいるために神を渇望するのである。しかも彼らは,科学的精神の持主,認識者を目のかたきにしている。真実に就くという,もろもろの徳の中でもいちばん若い徳を憎悪している。知的誠実ということ,近代の学問の柱ともいうべき理性や懐疑を罪に仕立てている時勢おくれの人種でもある。
わたしの兄弟たちよ,むしろ健康な身体の語る声を聞くがよい。それは,もっと誠実に,もっと純粋に,語っているではないか。大地の意義を!
ツアラトウストラはこう語った」
なんとニーチェのこの言葉は,肉体に対する賛美と現世を肯定する言葉に満ちていることだろうか。
ヨーロッパの精神世界を十世紀にわたって支配してきたキリスト教に,訣別するのみでなく,あえて挑戦したことは,当時の社会状況からみて,生活と生命を賭す勇気を必要としたことだろう。
しかし,ニーチェの著作をよく読んでみると,形骸化し俗世の権威になりさがったキリスト教には徹底的に反抗したが,キリスト自身の愛と勇気ある行動の生涯には深い共感をもっていたことが理解される。
俗世の権威に頼らず,大衆におもねず,しかも神にもちかよらず,唯一人自らの肉体と運命を信じ,ひたすらに現世を逞しく歩んだこの思想界の巨人が与えた影響は限りなく大きい。
現代社会は,かつてのごとく神が人々の心に生きてはいない。今日,新たな神を求めるとすれば,社会主義的な生き方か,自己を乗り越え高めていく生き方の二つに分たれる。
つまり,「マルクスを選ぶか,ニーチェを選ぶかだ」とは,現代フランスの実存主義の哲学者ガヅリエル・マルセルの言葉だ。
そういえば,ニーチェは実存哲学の先駆とも見なされている。
実存主義的傾向をもつ現代作家はへミングウェイやアンドレ・マルロー,サルトル等に代表される。これらの作家たちは決して人生や事件を傍観者として記述するのではなく,まず行動と情熱をもって現実の渦中に身を投じ,それから書く。いかにもニーチェの系譜らしい知識人たちである。
彼らは革命に参加したり,古代遣跡の探検に危険を冒したりまた,スペインの内乱に義勇軍として参加したりさらに,対独レジスタンスにもまっ先にペンを銃に変えて戦う。
つまり,大地の意義に一度しか生きられぬ肉体を激しく燃焼させて行動するヴァイタリティーの持ち主たちだ。だが,肉体の肯定者ではあっても,肉体を鏡に写して一人自己満足に耽けるナルシシズムでは決してない。あくまでも行動の世界に果敢に挑んでいく行動人であることは知ってもらいたい。
「君たちは円柱の徳を志すべきだ。それは高く昇るにしたがって,ますます美しく,やさしく,しかも内はいよいよ強くいよいよ重きに堪えていく」
ともすれば現代の大衆社会は,自己を鍛え高めることをせず,いたずらに衆を頼んで量の中にのみ自己を埋没し人間の尊厳に対しては,自分自身を個として責任をもたない風潮に,ニーチェは無言の示唆を与えるものだろう。
(玉利 斉)
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