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体力づくりと指導者の役割

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[ 月刊ボディビルディング 1973年8月号 ]
掲載日:2017.10.30
グランプリ・トレイニング・センター
会長 滝沢 新一

半健康体の今日

 いままでは,一般的に〝健康〟という意味を,「病気,ケガ等で医者にかかっていなければ健康である」というように考えていたようである。
 しかし最近では,たんに病気やケガをしていないからといって,必ずしも「自分は健康である」とはいえないようになってきている。健康診断などでどこも悪いところがないにもかかわらず,なんらかの不調を感じている人も少なくない。つまり,それも完全な健康体とはいえない。
 健康であるためには,肉体面,精神面のいずれにおいても,その時代の社会環境に適応していなければならないが,最近では複雑な社会環境や,各種公害,交通の発達,日常生活の機械化による肉体労働の減少など,いろいろの影響で肉体的にも精神的にも抵抗力が弱くなって,各種の病気の原因になっている。また,豊富な食料と運動不足のために,小学校の低学年の児童に肥満児が多くなっているのも見逃がせない。このように,知らず知らずのうちに不健康な人間が多くなっているというのが現状である。
 人間の身体で最も理想的なのは,一生を通じて健康で強い体力を維持していくことである。ところが現在では,先にあげたように,人間が自ら自身の健康を損うような環境をつくり,さらにこれからもますますこの傾向は強まり,いちだんと健康を犯される方向に進んでいくことであろう。
 そしてまた,見せかけの健康にだまされ,真の健康ではないのに,自分は正常であると思い込み,周囲の人もその異常に気付かないでいることが多いこれらの人々は,常に健康ということに関して,もっと真剣にとりくみ,自分自身の健康を良く知ることが大切である。それとともに,このような環境に負けない健康と体力づくりに積極的に取組む努力が必要になってきたのである。

体力づくりとしてのスポーツへの参加

 いままでの一般的なスポーツ活動はたいてい学校体育(運動クラブ等)で行われていた。そして,学校を卒業して一歩社会に出たあとは,ごく一部の人を除き,スポーツ活動を中止してしまうというケースが多かった。また,続けたくても,自分の希望にあったスポーツ施設が少ないということもその理由の一つであろう。
 そのために,スポーツは学校で行うもの,選手だけが競技を目的として続けていくものと考えられていた。そして一般の人々は,スポーツは自分でするよりも,ファンとして見たり応援したりするだけのものになってしまったようだ。
 しかし,最近の傾向として,先にあげたような環境の中で,健康を維持しより強い体力を養うためのスポーツの必要性が認められてきた。このように巾広い年齢層の人々が,競技性を追求するのではなく,健康と体力づくりを目的として,いろいろなスポーツを実践しようと考えるようになってきたことは,たんなる体力づくりブームなどというものではなく,これからますます変化する環境などに対して,体力づくりは欠かすことのできないものであると強く認識したからである。
 そして,体力づくりの普及は,一般社会人を対象として,公害問題の多い大都市はもちろん,各地方都市においてもその必要性がPRされ,公共施設や大企業の健康産業への進出,あるいは職場,個人経営というように,各地にスイミング・クラブ,アスレティック・クラブ,総合トレーニング・センター等の施設が次々と建設され,全国的な規模に広がってきた。
 それに伴ない,こんどは体力づくりの指導者の不足が大きな問題となってきた。このため,体協をはじめ,各大学,民間のトレーニング・センターでも,社会体育指導者の養成に積極的に取り組みはじめた。
 このように,体力づくりのためのスポーツが盛んになり,健康な人はより健康に体力をつけ,また,虚弱な人は少しでも体力をつけようと,積極的に体力づくりに取組む姿が全国各地に見られるようになってきたことはまことに喜ばしいことである。
 このような体力づくりのためのスポーツを行う場合,各自の個性,目的,生活環境等に最もマッチした運動を選ぶことが重要で,ただ興味本位の運動や,誤った運動をしたのでは,逆に体をこわしたり,精神的健康まで損ねることにもなりかねない。この点は指導者ともよく相談し,充分注意しなければならない点である。
 そこで,体力づくりに取組む場合,ただ漫然とトレーニングするのではなく,各自がその目的とすることをはっきり決め,それに向って精進し,ある程度変化がみられた時点で,自分が現在行なっていることは,最初の目的と違ってはいないかどうか再確認する必要がある。正しい目標に向って進んでいれば問題はないが,知らず知らずのうちにまちがったトレーニングをしている場合がよくある。つねに体調,体の変化等に気をくばり,指導者ともよく相談して,あやまちのないようにしなければならない。
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ウェイト・トレーニングによる体カづくりと指導者の役割

 数多くあるスポーツの中でも,ウェイト・トレーニングは,効果的に応用すれば,年齢,体力に関係なくきわめて合理的な総合体力づくりの要素を持っている。そして,これからの体力づくりの中心的な運動として採用されることはまちがいない。
 しかしその反面,ウェイト・トレーニングは地味な練習を続けていかなければ効果があらわれないものだけに,初心者や自宅で1人で練習しているものにとっては,単純で面白味がないとか,目立った効果がすぐあらわれないといったような理由で,途中でやめてしまうことも多い。
 なかには自己流の誤った練習をしたために身体に障害を起こし,ウェイト・トレーニングは危険な運動だとか,若い人だけが行うものだと考え違いをしたり,あるいは,ボディビルのコンテストに出場するような人の体格や練習を見て,一般のスポーツとは全く異質のものだ,などと思いこんでしまうようである。
 したがって,現在トレーニングを実行している初心者,あるいは,これからはじめたいと考えている人,そしてウェイト・トレーニング全体にとっても,指導者はあらゆる面で最も重要な役割をもっているといっても過言ではない。
 現在のウェイト・トレーニングは,以前とは比べものにならないくらい,トレーニング器具,施設,方法等が研究されてきている。それにもかかわらず,果して各個人個人に適したトレーニングと指導が適切に行われているかという点については疑問である。
 ボディビル出身の大多数の指導者はどうしても自分がかつて実践してきた方法,すなわち,筋肉の肥大発達を目的とした方法で指導するという傾向がある。また,新しく入会してくる若い人,中高年の人,あるいは肥満体の人などから,それぞれ違った目的や希望を聞きながらも,実際に指導する際には,ほとんど同じような内容の指導をしている場合さえあるようである。
 トレーニング・センターなどではあらゆる年代の人たちが練習をしているわけだが,その中でとくに注意しなければならないのは中高年層の指導である。
 中高年者はその社会的立場からみても,精神的なストレス等により,その日その日のコンディションが,若い人に比べて大幅に異なるので,指導者は練習者のその日の体調をよみとり,適切な指導をしなくてはならない。
 中高年者のトレーニングは,年とともに衰えていく諸器管の代謝,機能等を高めて,更年期からの体力を強くすることが,その目的の大部分と思われる。したがって,若い人と同じような練習を指示したり,意味のない運動でムリをしたのでは,かえってとりかえしのつかない障害を起すことにもなりかねない。
 このような意味から,中高年者のトレーニングに際して,指導者は常に練習者の年齢,健康状態,体力等を考慮して,ときには気分転換のためのトレーニングをさせるなど,マン・ツー・マンで指導にあたることが最も望ましい。そのためにも,指導者は日ごろから練習者とのコミュニケーションを大切にしなければならないのはいうまでもないことである。

 以上,ウェイト・トレーニングの練習,指導などについて,日ごろ感じていることの一部を述べたのであるが指導者と練習者にとって最も大切なことは,両者の人間関係であることを,いま一度強調しておきたい。
 練習者にとっては,この世でただ一つのかけがえのない体を任せるのであるから,そこには指導者に対する強い信頼がなくてはならないし,指導者にとっては,練習者の大切な体と,とりもどすことのできない時間を預るのであるから,当然,ムダな練習や,誤った指導等で練習者の信頼と期待を裏切るようなことがあってはならない。
 練習の効果は,良い指導者による適切な指導と,練習者の絶ゆまざる努力とが両輪となって,はじめて目ざましく現われるのである。(つづく)
☆たまには童心にかえってみませんか☆

 福岡ボディビル・センターでは,毎年5月はピクニック,7月は海水浴,秋には一泊旅行をして,会員の親睦をはかっています。
 さて,ことしは5月27日,大型バス1台を借切って大牟田市郊外の三井グリーンランドにいってきました広い芝生を思い切って走ったり,ソフトボール,騎馬戦,のり馬,ドッチボールなどに興じ,その日ばかりはバーベルを忘れて童心にかえりました。
(福岡ボディビル・センター会長 太田 実)
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[ 月刊ボディビルディング 1973年8月号 ]

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