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ビル・パール物語<1> 〝友と師と兄〟

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[ 月刊ボディビルディング 1973年10月号 ]
掲載日:2017.11.20
高山 勝一郎
記事画像1
 ビル・パールを「偉大なビルダー」というのは簡単である。誰も異論をはさまない。
 だが,私はさらに一歩すすめて,彼は「偉大な人間」である,と断言したい。
 たしかに並べたてれば,彼を偉大とする数々の事実があるけれども,事実を以て偉大とするだけでなく,ビルに会った時の実感から「偉大だナ」と感じられるのである。
 それは,ビルダーとしての,鉄のトレーニングの産物ではなく,教養と謙虚さと,そして何よりもその人間性の豊かさが,彼に近づくものを暖かくつつむので,会ってはじめて「この人はりっぱな人だ」と感じる,それにほかならない。
 たしかに彼は,事実としての「偉大さ」も次のように残している。
 今からすでに20年前,すなわち1953年に,ビル・パールはAAUのミスター・アメリカのタイトルと,NABBAのミスター・ユニバースのアマ・タイトルを同時に手中にした。
 それから8年を経て1961年,彼はプロのミスター・ユニバースに,そして5年後の1967年にも,そして4年後の1971年にも,彼はボディビル界最高のプロ・ミスター・ユニバースの王座についている。
 そして彼はすでに43才。
 ジムの経営と後進の指導に献身しながら,彼の人間味にはますます磨きがかかってきた。
 この人間ビル・パールにスポットをあてて,彼の生い立ちと苦闘の歴史を物語ふうに書いてみたい,という思いにかられて,出来たのがこの「ビル・パール物語」である。

マキ割りビル

「おい,ビル。お前,これだけのマキを割るのに何時間かかっているんだ。弱虫め!」
 コツンと頭にゲンコが飛んできて,ビルはまた顔をゆがめた。
 3つ年上の兄が,意地悪そうな顔で腕組みをしてそばに立っていた。
「オレはもうこれだけ片附けたんだ見てみな!」
 なるほど,兄の割ったマキはすでに山と積まれて,生々しい木の香りがビルの鼻をおそってくる。
「早く割ってしまって,お駄賃を貰うんだ」 「ウン」
 ビルの家は貧しかった。
 彼がオレゴン州のパインビルで生を受けてから,このワシントン州のヤキマにおちつく14年間に,両親は何度も住所を変えて転々とした。
 住所が変わるたびに,持っていた財産がだんだん無くなって,貧しさの度が増すようであった。
 だからパール兄弟は,小さい頃から,自分の欲しいものは自分で働いてあがなうことを自然と教えられていた。
 近所のマキ割りを手伝うのも,そのアルバイトの一つである。
 だが,ビルは生れつき非力であった
 兄の方は比較的いい体に恵まれていたが,彼にはトンと力が無くて,マキ割りの斧も重たかった。
 そんな弟に,兄の叱叱はいつも厳しかった。
「ボクは兄の足でまといなのだろうか」――幼いビルは,何となく劣等感にかられて,いつも兄の後からフラフラとついていく,というふうだった。

小雑誌

「ビル,すごいのがあったぜ。見てごらん!」
 ある日,遊び仲間のフレッドが一冊の小雑誌を片手にふりかざして,ビルの家にかけこんできた。
 フレッドとビルは,同病あいあわれむ,というのか,どちらもヒョロで非力で,そして不思議とウマが合う当時の無二の親友である。
「どうやったら,たくましい体になれるか」――これが2人の共通の課題だった。
「とうとうその方法がみつかったんだよ」フレッドは興奮していた。
「ストレンス アンド へルス? 知らない雑誌だなー」
 ビルは,当時こんなアメリカの片田舎にはめずらしいその雑誌をのぞきこんだ。
「これだ! この人の体を見ろよ」フレッドの指さした写真を見て「ウッ」とビルは息をのんだ。
「ジョン・グリメック!?」
「そうだよ,この人はウェイト・トレーニングというので,自分の体を鍛えてこうなったらしい」
 そこにあったのは,まぎれもない若き日のジョン・グリメックのポージング写真であった。
「ボクらもこのウェイト・トレーニングとやらをやって見る価値がありそうだゼ」
 フレッドはビルの顔をのぞき込んだ「でも――」ビルには,先ずトレーニング用の鉄のバーベル・セットを買い込む費用の点で,絶望的なものを感じて,情ない声を出した。
「とてもボクには駄目だ」
「ボクは決めたぜ。早速これから申し込んでくる」フレッドはビルの気持にはおかまいなしに躍るように帰っていった。
「ビル,これで何とかなるだろう。使ってくれ」
 一部始終を見ていた兄が,いつの間にかそばに立っていた。その手には,兄が今まで働いてコツコツと貯金していたその貯金通帳がにぎられている。
「兄さん!」
「いいんだ。逞しい男になれよ」
 兄はニッコリ笑っていった。
〔これはパールが17才のときに撮った写真だが,彼の体はこの頃か大きな変化を遂げたのである。〕

〔これはパールが17才のときに撮った写真だが,彼の体はこの頃か大きな変化を遂げたのである。〕

〔1952年にはすでに美しいプロポーションを見せているが,まだ完成されてはいない。〕

〔1952年にはすでに美しいプロポーションを見せているが,まだ完成されてはいない。〕

戦争とバーベル

 ヨーク・バーベル製造所――
 アメリカでも1・2を争そうボディビル器具のメーカーがニューヨークにあった。
 ビルが兄の貴重な基金を送って,バーベルを申し込んだのはここである。
 しかし,ビルの夢は,ここに至って無残にも打ちくだかれた。
 2週間ほど経って,そのお金は全額送り返されてきたのである。
「何故なのだ?」深い絶望におそわれながら,彼はヨークからの手紙を読んだ。
 その手紙にはこう書かれてあった。
「親愛なるビル・パール君,
 あなたの熱意に対し,心から敬意を表わします。しかし,現在アメリカは,第二次世界大戦の非常時にあり,政府の勧告によって,バーベル製造のための鉄の使用は中止されております。
なにとぞ事態が好転するまで,お待ちくださるようお願いいたします」
 ここにも戦争の影響が押しよせていたのである。
 富めるアメリカといえども,このとき,鉄材は倹約を強制され,ひたすら軍事目的に廻されていたのである。
 少年ビル・パールも戦争の何たるかは知っていた。
 彼は,やむなくバーベルをあきらめ近所のマキ割りや,重い物の運搬をみずから買って出て,基礎体力をつけることに熱中しはじめた。
 ビルの兄は,彼のこの変わりように驚きの眼をみはり,ジョン・グリメックの影響力に舌を巻いた。
 それから1年が過ぎ,またたくまに2年が過ぎた。
 待ちに待ったバーベルは,当初から2年半を経て,ようやくビルの手に渡ることになる。
 時にビル・パールは16才。
 この鉄の塊が,ビルの一生を左右するにいたるであろうことを,彼はまだ知らなかった。

目標

 ビルの高校生活は楽しいものになった。
 校内活動では,レスリング部に入り学校の成績も上昇するようになり,帰宅後彼はすぐバーベルに飛びつく,といった毎日であった。
 レスリングとボディビルの相乗効果が体に出はじめ,ビルは見る間に逞しく成長した。
「ビル,ボクもウェイト・トレーニングをやるよ」
 ビルの筋肉増加の効果にはめざましいものがあったので,ついに兄もボディビルを始めるようになった。
 ビルは,日に日にトレーニングの内容を高めウェイトを増加していった。
「ビル,お前どうしてそんなにバーベルに打ち込むんだ。まるで気狂いみたいだぜ」
 兄は当然の疑問をいだいた。
「兄さん,ボクの望みはね,必ずいつかあのストレンス・アンド・へルスにボクの写真が載るようになることなんだ」
「単純だナ。しかし,そりや無理だよ。ジョン・グリメックもスティーヴ・リーヴスも生れつきの天分があってああなったんだ。お前じゃ難しい」
 兄は弟の努力をまだ過少評価していた。肉親とはそんなものである。
「いや,兄さん,ボクは必ず一流のビルダーになってみせるよ」
 ビルはいったん思い込んだら,雨がふろうとやりがふろうとそれをやり遂げるタチだった。
 彼の成功には,この性質が大いに役立ってくるのである。
〔1953年,初めてコンテストで大活躍。勝ちとったトロフィーに見入るパール〕

〔1953年,初めてコンテストで大活躍。勝ちとったトロフィーに見入るパール〕

レオ・スターンとの出合い

 ロスアンジェルスのサン・ディェゴにレオ・スターンのジムがある。
 レオはこの道では先達者として,その名は全米にとどろき,彼のジムには当時の近代的な設備がそろい,多くのビルダーを集めていた。
 ある日,このジムに1人の海軍兵がおとずれて案内を乞うた。
 見るからに逞しい体をしている。
「このジムに入会させて貰えますか」
「君は?」レオはこの日焼けした青年に何となく好感をおぼえてきいた。
「ビル・パールといいます。ネービーでは十分なトレーニング設備が無いので,ここを使わせていただければ有難いのですが」
 この青年は,学校を卒業してから米海軍に入隊したビルだった。
「いいだろう。マアどれだけ続くかやってみたまえ」
「有難う」
 ビルはその日から,レオ・スターンのジムで練習を開始した。
 レオが見ていると,どうも今まで自己流でやっていたらしく,運動動作にぎこちないところがあり,また新しいトレーニング・マシーンにまごついているところがある。
「君は何かスポーツをやっているのかね」「いいえ,レスリングをちょっとカジっているだけです」
 レオは,ビルがレスリングに強くなりたくて,ボディビルをやっているのだと思い込み,その後,さしてビルに注意を払わなくなった。
 ビルは,他の練習生にまじって,ただもくもくとトレーニングした。
 時々,レオや先輩ビルターがその練習方法を矯正するぐらいで,あとは,忘れられたように,ジムの片すみで孤独なトレーニングを続けるビルの姿が毎日のように見られるだけだった。

友だち

 著名なビルダーで,写真で知っていても,さて実際に会ってみると,想ったよりもさらに2倍も3倍も大きくて圧倒されてしまう。そういうことがよくあるものである。
 レオ・スターンのジムで,ビルがケイス・ステファンに会った時がそうである。
「あなたの事は前から知っていました。でもこんなにデカいとは――」
 ケイスはニヤリと笑って,この無名のビルを見おろしながら,
「ナニ,訳もないことさ。トレーニングも大切だろうが,オレみたいに食って寝ることをもっと重視することだよ」と教えてくれたものである。
 事実彼はよく寝た。ジムに来ていても,トレーニングするより,フロアで寝こんでいることの方が多いのであるから,やや型やぶりである。
 ビルはこう考えた。
「よし,ウサギと亀の話ではないがケイスが寝ている間に,彼に追いつけるようがんばろう」
 ここがビルのえらいところかも知れない。彼の練習は度を増した。
 こういう彼に尊敬の念を抱いたのはジムの先輩格のヒュー・コブという黒人の練習生だった。
「ビル君,よかったらボクと一諸にやらないか。君のトレーニング・パートナーをつとめるよ」
「そいつは有難い。ぜひお願いします」こうして2人は,お互いにパートナーとなり,励まし合い,教えあい,それからの何年かを一緒にトレーニングすることになったのである。
 ビルの体は,やがてレオの注目する域に達し,レオ・スターンは彼をコンテスト・ビルダーとして育てることを真剣に考えるようになった。
記事画像5

温情

 ビルが,ネービー(米海軍)から得ていた収入は決して十分なものではなかった。たいてい,トレーニングと食事のためにアッという間に消えていくのが常である。
 ある日,いつもと違って,すぐバーベルに飛びつくのでもなく,悄然とジムのベンチに腰かけているビルに,レオ・スターンは不審に思って声をかけた。
「ビル,どうしたんだ。顔色が悪いようだが何かあったのかい」
「実は――」ビルは顔をあげたが,なかなか先をいわない。
「何かあるんだったら遠慮なく相談してくれ,ビル」
 しばらくしてビルはポツンといった「母が急病なのです。ヤキマにすぐ帰りたいんですが,お金が――」
「お金?そんなことだったら,いつでもすぐ相談するんだよ。ホラ,これを持ってすぐ帰ってあげなさい。もし余ったら,お母さんのお薬代にでも使うんだ。さあ,急いで」
「でも――」
 遠慮するビルをうながして,レオは彼を車に乗せたのであった。
 ビルは久しぶりに故郷に帰り,母親の看病をした。
 お金のことは母にはだまっておいた
 レオの人間味ゆたかな配慮が,今さらのようにうれしかった。
「私も彼のような立派な人間になろう。そして,何かの形で恩返しをしなければ一」
 彼はこの時かたく心に誓ったのである。(つづく)
栄養豆辞典


☆ー日に何度も食事をしよう☆
 「やせたい」という人からよく質問を受けるが,朝食抜きはあまり効果がない。われわれの身体は,活動するとしないとにかかわらず,つねに変化をしている。朝食を抜くと夜7時から翌日12時まで,ほぼ16時間何も補給しないことになる。そして7時間後に再び夕食ということになる。このような不規則な波ができてはならない。発育のめざましい赤ん坊や子供のように,空腹になるごとに食事を少量ずつ食べるのが最上だ。
 中国では主な食事と間食を入れて,4~5回の食事が珍らしくない。上流社会では7~8回になることもあり,長夜の宴という言葉も事実だといわれている。


☆便通を考慮して食べよう!☆
 消化のよい料理が必らずしも最良の料理とはかぎらない。消化のよいものばかり食べていると,①胃腸の活動が弱くなって慢性の胃腸病をおこしやすい。②消化吸収力が弱って,未消化のまま排出されやすい。③便秘にかかりやすくなる。等の弊害が出てくる。したがって料理する人は消化と排泄の両方に注意して,調和をとる必要がある。たとえば,白米は便秘しやすいので,便通性によいタクアンや漬物を添えたり,赤飯にあずき,もちに大根,肉に野菜,煮魚にあんずというように,固いものと柔かいものの組み合わせを忘れずにおこなうとよい。
(野沢)
[ 月刊ボディビルディング 1973年10月号 ]

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