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トレイニング実践者のマナー

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[ 月刊ボディビルディング 1973年11月号 ]
掲載日:2017.10.28
グランプリ・トレイニング・センター
会長 滝沢新一

ウェイト・トレイニングにおけるマナーの重要性

 9月号でウェイト・トレイニングにおける安全管理についての基本的な事柄を述べたが,本稿では練習者のマナーについて考えてみたい。
 このマナーということについて,練習者の間では案外なおざりにされているようであるが,ウェイト・トレイニングの練習においては,いろいろの点で他のスポーツよりもマナーは重要な意味をもっている。
 マナーが悪い場合,他の練習者の迷惑になることはもちろん,ときにはそれが大きな事故のもとにもなり,ひいては他のスポーツ練習者や一般の人から誤解されることにもつながる。練習者各自がトレイニング・マナーについて正しい自覚をもって日常の練習をすすめていただきたい。
 現在多くの人々がそれぞれちがった環境の中でトレイニングを行なっている。たとえば,自宅で1人で練習している人,会社や学校でクラブ活動として行なっている人,あるいは近くの人たちが集まって同好会形式で行なったりしているが,ほとんどの人はトレイニング・センターなど大勢の人の集まりの中で,それぞれ自分の目的に合わせたトレイニングをしているのが普通である。
 そして,このような集団の中で,とくにウェイトを使っての練習では,当然,練習者どうしのマナー,あるいはエチケット・節度というものがなくてはならない。それにもかかわらず,他のスポーツでは見られないようなマナーの悪さが当然のごとく行われているのをよく見ることがある。とくに,剣道などのように精神的要素が重要な役割をもっているスポーツと比べると,その差は一層歴然としている。そこで明らかに他の練習者の迷惑になると思われる例を2・3あげてみよう。

<1>経験者に多い自分本位の練習

 ウェイト・トレイニングの練習そのものが自主的な運動であるためか,練習者の中には他の練習者を無視した自分本位の練習に走っているものをよく見かける。たとえば,器具などを自分1人で独占し,ゆずり合いの精神など全く持っていないような人,そのような人に限って器具の取扱いも乱暴で他人の迷惑などまるで眼中にない。
 また,他のスポーツでは考えられないような服装で,しかもうすよごれた不潔なものを平然と着用している者もいる。そして,このようなマナーの悪い者の多くは,初心者の目標となるような人や経験者に案外と多い。他の模範となるべき人がまず率先してこのような練習態度を改めるべきである。

<2>体位の誇大表示をやめよう

 最近は以前ほどではなくなったが時々明らかに誇大と思われる体位を表示しているのを雑誌やコンテストのプログラムで見ることがある。これは一見誰にも迷惑をかけていないようであるが,初心者や一般の人たちに誤解を与えると同時に,ウェイト・トレイニングの不信を招く原因ともなる。いやしくもウェイト・トレイニングで心身をつくりあげている人が,このような自分自身の質を低下させるようなことをしてはならない。
 とくに,コンテストに出場するような人の体位は,将来コンテストなどに出場することを目標にしている練習者にとっては,きわめて興味のあることだけに,正しい体位の表示をしなくてはならない。
 この点について,去る7月1日に豊島公会堂で行われたJFBBミスター・ジャパン・コンテストでは,プログラムに出場選手の体位を記載しないで,決勝に進出した選手全員に対して,控室で他の選手の目の前で役員によって正確に測定して発表した。このような方法で表示された体位は,コンテスト出場を目的としている練習者や,一般の人にとって納得のいくものとして信頼されると思う。(別表参照)
 また,最近プロとしてウェイト・トレイニングを行なっている者や,コンテストなどで上位に入賞した選手がテレビや週刊誌にとりあげられることが多くなってきた。これからもこういうことはますます多くなってくると思うが,このような場合に,正しくとりあげられればウェイト・トレイニングの普及発展に非常に大きな効果をもたらすが,中にはとかく興味本位なとりあげられ方をしているものがある。
 もちろんこれは雑誌社の方針で,より読者の興味をひくような記事にするためもあるが,取材に応ずる選手も常に節度ある言動を心がけて欲しいものである。とくに,取材の対象になるのは,大低の場合,トレイニングをしている人の頂点に立つ有名選手が多いので,前述の体位とか食事法等については大きな影響を及ぼすので,充分注意していただきたい。

<社会人としての生活を第ーに>

 トレイニングを運動不足やストレスの解消というような軽い気持で行なっている人に対して,筋肉を肥大させたり,パワーをつけることのみがウェイト・トレイニングであるかのように,あれは根性がないからいつまでたっても良い体にならないとか,やる気がないからダメだとか決めつけている者があるが,このようなこともマナーとはいくらかニュアンスは違うが,本人自身がウェイト・トレイニングの本質を理解していないからであって,このような考えでは真のウェイト・トレイニング実践者とはいえないだろう。
 以前聞いたことであるが,アメリカではコンテストが数多く行われ,年々そのレベルが高くなってきた。そして見事タイトルを勝ちとることはたいへん名誉なことであると同時に,並大低の努力では栄冠を手中にすることは不可能になってきた。そこで,当然コンテストを目指す栄誉心の強い若い練習者にとっては,タイトルをとるために自分の生活のほとんどすべてを犠牲にして,過酷なトレイニングに没頭しているものが多いそうだ。
 私に話してくれたその人は,その姿を見て,感心するよりも先に,彼らの将来にふと懸念を抱かずにはいられなかったそうだ。現に,その熱がさめたとき,たとえ念願のタイトルを手中に収めた場合でさえも,わが身をふり返って後悔しているものがあるという。
「自分には他にしなければならなかったことがあったのではないか」と,そのようなトレイニングを続けたために犠牲になったあらゆることの重大さにはじめて気がつき,ガク然とするのである。それが原因でトレイニングから遠ざかり,好ましくない方向へ進んだものもあるということである。
 最近,日本の練習者の中にもコンテストのためにのみトレイニングを続けているという,これに似たケースが見られるが,将来,これで生活をしていくというプロ的な人は別として,アマチュアで選手生活を続けていくのならば,一般社会人としての生活を踏まえた上でトレイニングをすべきで,トレイニングをするために,大事な仕事や人間関係をおろそかにしてしまってはならない。
 ウェイト・トレイニングはたんなるスポーツの基礎運動や筋肉づくりのための運動ではなく,その基本は,立派な身体と健全な精神をつくりあげることであるから,筋肉づくりのために大事な精神生活をないがしろにするようなことがあってはならない。
 現在,一流ビルダーといわれているような人や,トレイニングによって立派な体をつくった人たちは,その逞しい体のみが取柄だなどといわれないように,人間性も磨きあげ,立派な社会人として活躍して欲しいものである。それが,ひいてはウェイト・トレイニングの普及につながるとともに,あとに続く者への先輩としての広い意味のマナーなのではないだろうか。
'73ミスター・オールジャパン・コンテスト決勝進出者の実測サイズ(JFBB資料提供)

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[ 月刊ボディビルディング 1973年11月号 ]

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