心そなわざれば 技なりがたし!
月刊ボディビルディング1968年7月号
掲載日:2017.12.12
"健全なる精神は健全なる身体に宿る"という言葉があるが、これは英文の諺の誤訳だという。健全な身体に健全な精神がともなってこそ、完全な人間形成が行なわれる、という意味なのだそうだ。たしかにそのとおり。心を忘れたビルダーは筋肉の奴隷にすぎない。
今月の座談会のゲストは源田実氏。この名はご存知だろう。"源田サーカス"の異名できこえた旧日本海軍の名パイロット。ホストは八田一朗氏。いまさら紹介するまでもない。われらが敬愛してやまぬ会長である。テーマは、"日本海軍パイロットの心身鍛練法をきく"。
源田 実
八田一朗
座談会
司会・玉利 斉(日本ボディビル協会理事長)
今月の座談会のゲストは源田実氏。この名はご存知だろう。"源田サーカス"の異名できこえた旧日本海軍の名パイロット。ホストは八田一朗氏。いまさら紹介するまでもない。われらが敬愛してやまぬ会長である。テーマは、"日本海軍パイロットの心身鍛練法をきく"。
源田 実
八田一朗
座談会
司会・玉利 斉(日本ボディビル協会理事長)
源田 実(げんだみのる)明治37年8月16日、広島県に生まれる。大正13年海軍兵学校(52期)、昭和12年海軍大学校卒業。英国駐在大使館付武官補佐官をへて、昭和16年の開戦時には航空艦隊参謀として真珠湾攻撃に参加。昭和17年大本営参謀、昭和20年新鋭機紫電改で編成された第343海軍航空隊司令に転じ、終戦をむかえた。海軍大佐。戰後、航空自衛隊航空給隊司令、航空幕僚長。現在、參議院議員。航空、武道関係その他諸団体の会長、理事あるいは顧問として活躍。著書に「海軍航空隊始末記」(2巻)、「指揮官」がある。
八田一朗
集めては散ずる気こそ……
司会 私たちは身体と精神の両方をつくらなければならないのだということを、戦闘機パイロットとしての体験を通して、源田先生に語っていただきたいと思います。まず、飛行機パイロットとして必要な体力とは、どのようなものでしょうか?
源田 飛行機乗りにいちばん必要な体力とは何かというと、それは"欠陥のない"体力です。傑出したところがあっても、他に欠陥があれば役に立ちません。たとえば、力はむやみに強いが目が近視だ、というのはぐあいが悪いんです。身体全体のバランスがとれていて、しかもそうとう発達しているというのが理想です。
司会 なるほど、なるほど。
源田 運動選手があんがい飛行機乗りに向かないというのは、体がへンパに発達しているからですね。
司会 重量あげ選手は重いものを持ち上げる力はある。マラソン選手は長距離に耐えられる走力がある。柔道選手は投げとばす力はある。しかしこれらは総体的な体力というものじゃございませんからね。その競技に不可欠な能力ではありますが。
源田 そうです。それから、飛行機乗りには、的確機敏な判断力と注意を瞬間的に集中する能力が必要なんです。これがパッパッとうまくいかないといけないわけです。一つのことに長い間とらわれていたのではダメですよ、飛行機乗りのばあいは。
司会 たえず変化する現実を的確に判断してつかまえなければならないわけですね。
源田 そのとおりです。
司会 その意味では、武道とか格闘競技などはどうでございましょうか?
源田 武道は一般的にいいですよ。われわれが飛行機の操縦を習いはじめたとき、教官から教えられた武道の歌に、"集めては散ずる気こそ太刀先も、3寸にして身をかわしうれ"というのがあります。太刀先3寸で身をかわすというのは、集中と分散が転瞬のまにできるということですね。自由自在に。これが武道の極意だと私は思うんです。八方に敵を受けたばあい、1人の敵だけに集中しておったらやられてしまいますからね。攻撃かけるときには、その瞬間にパッと攻撃する。そして次の瞬間には、ほかのもの全部に注意をばらまいておる。飛行機乗りとはそういうものなんです。
八田 空中戦ともなれば、そうでしょうな。
源田 操縦そのものがすでにそうなんです。なにしろ計器類がいっぱいありますからね。高度を直すときには高度計にパッと瞬間的に目がいかなければいけないし、次の瞬間には速度計にパッといかなければいかん。それが何分の1秒かでパッパッといかなければなりません。また、どこに敵機がいるかわかりませんから、目をグルグルまわして空中いっぱいを見張らなければならない。
司会 それがほんとうの瞬間に……
源田 ええ、パッパッといかなければならない。それがうまくいかない者は、だいたい途中でエルミネートされて死んでしまうわけですよ。
司会 この世から抹殺されてしまうわけですね。学校の落第なんていう生やさしいものではないんですね。
八田 落ちたら死んでしまうんだ。だから、それには命がかかっているんだね。
源田 飛行機の操縦でいつでも必要なことは、いま起きている状態にいま対応するんじゃなくて、かならず2手、3手先を読んで……
司会 将棋と同じですね。先の先まで読まなければならない。
源田 要するにパイロットのばあい、いまやっている仕事はちょっとまえに考えたことであって、これをやりながら、頭のほうは次に何をやるかを反射的に考えています。やれ、これが終わったから次は何か、などといっていたらまにあわんですよ。世の中のことはだいたいそうだろうと思いますがね。
源田 飛行機乗りにいちばん必要な体力とは何かというと、それは"欠陥のない"体力です。傑出したところがあっても、他に欠陥があれば役に立ちません。たとえば、力はむやみに強いが目が近視だ、というのはぐあいが悪いんです。身体全体のバランスがとれていて、しかもそうとう発達しているというのが理想です。
司会 なるほど、なるほど。
源田 運動選手があんがい飛行機乗りに向かないというのは、体がへンパに発達しているからですね。
司会 重量あげ選手は重いものを持ち上げる力はある。マラソン選手は長距離に耐えられる走力がある。柔道選手は投げとばす力はある。しかしこれらは総体的な体力というものじゃございませんからね。その競技に不可欠な能力ではありますが。
源田 そうです。それから、飛行機乗りには、的確機敏な判断力と注意を瞬間的に集中する能力が必要なんです。これがパッパッとうまくいかないといけないわけです。一つのことに長い間とらわれていたのではダメですよ、飛行機乗りのばあいは。
司会 たえず変化する現実を的確に判断してつかまえなければならないわけですね。
源田 そのとおりです。
司会 その意味では、武道とか格闘競技などはどうでございましょうか?
源田 武道は一般的にいいですよ。われわれが飛行機の操縦を習いはじめたとき、教官から教えられた武道の歌に、"集めては散ずる気こそ太刀先も、3寸にして身をかわしうれ"というのがあります。太刀先3寸で身をかわすというのは、集中と分散が転瞬のまにできるということですね。自由自在に。これが武道の極意だと私は思うんです。八方に敵を受けたばあい、1人の敵だけに集中しておったらやられてしまいますからね。攻撃かけるときには、その瞬間にパッと攻撃する。そして次の瞬間には、ほかのもの全部に注意をばらまいておる。飛行機乗りとはそういうものなんです。
八田 空中戦ともなれば、そうでしょうな。
源田 操縦そのものがすでにそうなんです。なにしろ計器類がいっぱいありますからね。高度を直すときには高度計にパッと瞬間的に目がいかなければいけないし、次の瞬間には速度計にパッといかなければいかん。それが何分の1秒かでパッパッといかなければなりません。また、どこに敵機がいるかわかりませんから、目をグルグルまわして空中いっぱいを見張らなければならない。
司会 それがほんとうの瞬間に……
源田 ええ、パッパッといかなければならない。それがうまくいかない者は、だいたい途中でエルミネートされて死んでしまうわけですよ。
司会 この世から抹殺されてしまうわけですね。学校の落第なんていう生やさしいものではないんですね。
八田 落ちたら死んでしまうんだ。だから、それには命がかかっているんだね。
源田 飛行機の操縦でいつでも必要なことは、いま起きている状態にいま対応するんじゃなくて、かならず2手、3手先を読んで……
司会 将棋と同じですね。先の先まで読まなければならない。
源田 要するにパイロットのばあい、いまやっている仕事はちょっとまえに考えたことであって、これをやりながら、頭のほうは次に何をやるかを反射的に考えています。やれ、これが終わったから次は何か、などといっていたらまにあわんですよ。世の中のことはだいたいそうだろうと思いますがね。
生活即体力づくり
司会 そうしますと、こういったすぐれた判断力や集中力、そして体力を……もちろん、もともとそういう素質がまず第一に要求されるんでしょうが……パイロットはどういう方法で作っていったんでしょうか?
源田 パイロットはとくにこういう運動をやれというようなことは、べつに当時はなかったんですが、海軍兵学校時代は柔道と剣道をやりましたよ。それからボートもやりました。普通のボートじゃなくて、カッターですがね。どえらく大きな。もちろん、体操は毎日やりました。海軍体操をね。
司会 海軍体操というのは有名でしたね。
源田 ええ。それからランニング。これは陸上ではやるけれど、小さな艦の上ではせまくてあまりできないんです。しかし、なんといってもきつかったのはボートだったですね。まあ、平生やる艦内の作業そのものがたとえば甲板洗うにしても、戦闘訓練にしても、すべてが体力をつくることになるわけですが。
司会 日常の起居動作がそのまま体力づくりになっていたわけですね。
源田 そうなんです。海軍兵学校では起床ラッパが鳴りはじめても起きてはいけないんです。起床ラッパのラスト・サウンド、つまり最後の音が終わると同時にパッと起きるわけです。そのまえに行動を起こしてはいけないんですよ。冬だったら、毛布を5、6枚かけているでしょう。その毛布をきれいにたたんで、積み重ねて、ピシッと一線に並べないといけないんです。
八田 いわゆる"江田島地震"というやつで、ピシッとなっていないと、パッとこわされたという話を聞いたことがありますけれど……
源田 それから顔を洗って、服をつけ便所にいって、それから、400メートルくらいはなれた体操場へかけつけて、整列を終わるまでに15分しかないんです。15分間以内にそれをパッパッとやってしまわなければなりません。おくれたらたいへんな目にあいますからね。
八田 早グソ、早メシ男の一芸といいますね。(笑)
源田 それを毎朝くりかえすわけです。だから、そういうものがおのずから心身の鍛練になっていたといえますね。
司会 なるほど。ダラダラした生活感覚などとはまったく無縁の生活だったのですね。つねに目的意識と行動があいともなっていくわけですね。
源田 ええ。そういうことで、海軍におるあいだは、必然的に体がきたえられておったわけです。それから、海軍では、何日も寝なくても大丈夫という鍛え方、いつまでも腰をおろさずにずっと立っていても平気という鍛え方、とにかく何日も同じ仕事をぶっつづけにやってもそれに耐えていけるための鍛え方、そういった体の鍛練をやりました。これらに耐えられない者は、海軍では体がよいとはいわなかったんです。だから、たんに筋肉をつくるとか、身体のコ
ンディションをつくるということより、もっと意味と応用範囲の広い体力づくりが求められたわけですね。
司会 戦争が目的ですから、それも当然といえるのでしょうが、体の鍛え方が精神力と多分に結びついていたということでしようか?
源田 多分に結びついていましたね。われわれはそういう鍛え方を受けてきたんです。だから、筋肉にしても一般の人にくらべればよかったですね。兵学校の生徒で、見たところそう大した体じゃないと思われる者でも、一般の人にくらべるとだんぜんよかったですよ。
八田 裸になるとよかったですね。行動力のあふれたいい体をしておりましたよ。
源田 水泳なんかも、のちにはだんだんプールでやるようになりましたがはじめはプールじゃなかった。海軍の水泳というのは、とにかくグループで何時間もダーッと泳いでいくという、そういう泳ぎ方です。しかも荒波の中で。
司会 プールの中で泳ぐのとはわけがちがいますね。
源田 昭和9年の1月22日でしたか。私は玄海灘に不時着したことがあるんです。エンジンがとまって。
司会 荒波の玄海灘ですか?
源田 ええ。ちょうど吹雪のときでした。下はさかまく怒濤ですよ。まあ陸が近かったからよかった。陸まで泳いでやろうと思って……
司会 1月ですか?
源田 厳寒の1月です。こんなとき着物をぬいだらいけないということは聞いておりました。どんなに濡れても、中まで水がしみとおっても、せったいにぬいではいけない。ぬいだらまいるんです。
司会 そうですか。どうせ水がとおっちまっているから、泳ぎやすくするために、ぬいだほうがよさそうなものですけれどもね。
源田 いけないんです。濡れていてもやはり体温を保つんです。それで、はじめはクロール・ストローク——ぼくが若いころ日本にはいってきたんですが——これで泳いだけれど、あの荒波の中ではなんの役にも立ちませんでした。
司会 そうですか。
源田それから抜き手にしたんですがこれもダメです。やっぱりいちばんいいのは、古流の観海流でした。平泳ぎのカエル足の。
司会 一見怒濤には向かないような気がしますがね。
源田 いやいや、あれじゃなければダメです。最少限のエネルギーで最大の距離をいけるようでなければいけません。むかしの人はやはりえらいことを考えたわいと思いましたね。厳寒の中でもそうとうの距離を泳ぎうるという体力が必要なんです。水泳の選手は泳ぐスピードは速いでしょうが、それだけではいけませんね。
司会 波のたたない箱の中で泳ぐにはいいでしょうがね。
源田 パイロットはとくにこういう運動をやれというようなことは、べつに当時はなかったんですが、海軍兵学校時代は柔道と剣道をやりましたよ。それからボートもやりました。普通のボートじゃなくて、カッターですがね。どえらく大きな。もちろん、体操は毎日やりました。海軍体操をね。
司会 海軍体操というのは有名でしたね。
源田 ええ。それからランニング。これは陸上ではやるけれど、小さな艦の上ではせまくてあまりできないんです。しかし、なんといってもきつかったのはボートだったですね。まあ、平生やる艦内の作業そのものがたとえば甲板洗うにしても、戦闘訓練にしても、すべてが体力をつくることになるわけですが。
司会 日常の起居動作がそのまま体力づくりになっていたわけですね。
源田 そうなんです。海軍兵学校では起床ラッパが鳴りはじめても起きてはいけないんです。起床ラッパのラスト・サウンド、つまり最後の音が終わると同時にパッと起きるわけです。そのまえに行動を起こしてはいけないんですよ。冬だったら、毛布を5、6枚かけているでしょう。その毛布をきれいにたたんで、積み重ねて、ピシッと一線に並べないといけないんです。
八田 いわゆる"江田島地震"というやつで、ピシッとなっていないと、パッとこわされたという話を聞いたことがありますけれど……
源田 それから顔を洗って、服をつけ便所にいって、それから、400メートルくらいはなれた体操場へかけつけて、整列を終わるまでに15分しかないんです。15分間以内にそれをパッパッとやってしまわなければなりません。おくれたらたいへんな目にあいますからね。
八田 早グソ、早メシ男の一芸といいますね。(笑)
源田 それを毎朝くりかえすわけです。だから、そういうものがおのずから心身の鍛練になっていたといえますね。
司会 なるほど。ダラダラした生活感覚などとはまったく無縁の生活だったのですね。つねに目的意識と行動があいともなっていくわけですね。
源田 ええ。そういうことで、海軍におるあいだは、必然的に体がきたえられておったわけです。それから、海軍では、何日も寝なくても大丈夫という鍛え方、いつまでも腰をおろさずにずっと立っていても平気という鍛え方、とにかく何日も同じ仕事をぶっつづけにやってもそれに耐えていけるための鍛え方、そういった体の鍛練をやりました。これらに耐えられない者は、海軍では体がよいとはいわなかったんです。だから、たんに筋肉をつくるとか、身体のコ
ンディションをつくるということより、もっと意味と応用範囲の広い体力づくりが求められたわけですね。
司会 戦争が目的ですから、それも当然といえるのでしょうが、体の鍛え方が精神力と多分に結びついていたということでしようか?
源田 多分に結びついていましたね。われわれはそういう鍛え方を受けてきたんです。だから、筋肉にしても一般の人にくらべればよかったですね。兵学校の生徒で、見たところそう大した体じゃないと思われる者でも、一般の人にくらべるとだんぜんよかったですよ。
八田 裸になるとよかったですね。行動力のあふれたいい体をしておりましたよ。
源田 水泳なんかも、のちにはだんだんプールでやるようになりましたがはじめはプールじゃなかった。海軍の水泳というのは、とにかくグループで何時間もダーッと泳いでいくという、そういう泳ぎ方です。しかも荒波の中で。
司会 プールの中で泳ぐのとはわけがちがいますね。
源田 昭和9年の1月22日でしたか。私は玄海灘に不時着したことがあるんです。エンジンがとまって。
司会 荒波の玄海灘ですか?
源田 ええ。ちょうど吹雪のときでした。下はさかまく怒濤ですよ。まあ陸が近かったからよかった。陸まで泳いでやろうと思って……
司会 1月ですか?
源田 厳寒の1月です。こんなとき着物をぬいだらいけないということは聞いておりました。どんなに濡れても、中まで水がしみとおっても、せったいにぬいではいけない。ぬいだらまいるんです。
司会 そうですか。どうせ水がとおっちまっているから、泳ぎやすくするために、ぬいだほうがよさそうなものですけれどもね。
源田 いけないんです。濡れていてもやはり体温を保つんです。それで、はじめはクロール・ストローク——ぼくが若いころ日本にはいってきたんですが——これで泳いだけれど、あの荒波の中ではなんの役にも立ちませんでした。
司会 そうですか。
源田それから抜き手にしたんですがこれもダメです。やっぱりいちばんいいのは、古流の観海流でした。平泳ぎのカエル足の。
司会 一見怒濤には向かないような気がしますがね。
源田 いやいや、あれじゃなければダメです。最少限のエネルギーで最大の距離をいけるようでなければいけません。むかしの人はやはりえらいことを考えたわいと思いましたね。厳寒の中でもそうとうの距離を泳ぎうるという体力が必要なんです。水泳の選手は泳ぐスピードは速いでしょうが、それだけではいけませんね。
司会 波のたたない箱の中で泳ぐにはいいでしょうがね。
「人間の精神と肉体をもっともよい状態に保ついちばんよい方法は、生死の境い目を求めて歩くことだ、と私は考えます」と源田氏.
八田式"寝る訓練"
源田 海軍の中でも相撲部員とか柔道部員などはいい体をしておりましたよ。いまの海上自衛隊でも相撲をさかんにやっておるから、なかなかいい体をしておりますね。しかしそれだけではいけないんで。やはり、いまいったような耐久力、異常な事態にも対応できる体力が必要です。
司会 環境に応じていく体力と気力ですね。ところで八田先生。先生のレスリングの鍛え方も、十分に恵まれた環境の中できたえるんじゃないと聞いておりましたが……
八田 ええ。最悪の状態の中で最高の力が出るように、ふだんから訓練しなければならんというわけです。だから、源田先生の意見と同じことですね。日本の競技がふるわないのは温室の中でやるからです。最悪の状態で最高の成績が出せるようにしなければなりません。だから、いま寝る訓練というのをやっております。夜中にひきずり起こして、すぐ寝かす。すぐ寝られるようでなければダメだというんです。
司会 どんな環境の中でも眠れるようにする訓練ですね。
八田 ええ。冬の夜中にたたき起こして、冷水で顔を洗わせる。たいてい目がさめますよ。そして、そのあとすぐ寝かす。便所へ行くにもなるべく音を立てて歩けというんです。戸のあけたての音もわざと大きくさせて、みんなをたたき起こしてしまう。そしてそれから眠らせる。そういうことをやってるんですがね。
司会 レスリングの合宿のばあいですね。
八田 よその選手といっしょに合宿していると困るんです。うるさくて眠れんと苦情をいってくる。私は、寝る訓練をやってるんだからダメだ、とつっぱねます。近代五種という競技があるんですが、この近代五種の連中が泣きごとをいうから、私は怒るんです。近代五種というのは斥侯の競技なんです。
源田 戦闘状態を仮定して?
八田 ええ。斥侯ですよ。馬、ピストル、フェンシング、それから走るのと泳ぐの。だから、ちょうどレンジャー部隊と似たようなものでしょう。后候に出てそれだけのことやらなければならん。いつどこででも眠らなければならんですからね。それを、射撃は前の晩に眠れないと撃てないというけれども、そんなこといったら戦争に負けるぞ、というんです。
司会 どんな状況にも応じられる体力をつくるということですね。
司会 環境に応じていく体力と気力ですね。ところで八田先生。先生のレスリングの鍛え方も、十分に恵まれた環境の中できたえるんじゃないと聞いておりましたが……
八田 ええ。最悪の状態の中で最高の力が出るように、ふだんから訓練しなければならんというわけです。だから、源田先生の意見と同じことですね。日本の競技がふるわないのは温室の中でやるからです。最悪の状態で最高の成績が出せるようにしなければなりません。だから、いま寝る訓練というのをやっております。夜中にひきずり起こして、すぐ寝かす。すぐ寝られるようでなければダメだというんです。
司会 どんな環境の中でも眠れるようにする訓練ですね。
八田 ええ。冬の夜中にたたき起こして、冷水で顔を洗わせる。たいてい目がさめますよ。そして、そのあとすぐ寝かす。便所へ行くにもなるべく音を立てて歩けというんです。戸のあけたての音もわざと大きくさせて、みんなをたたき起こしてしまう。そしてそれから眠らせる。そういうことをやってるんですがね。
司会 レスリングの合宿のばあいですね。
八田 よその選手といっしょに合宿していると困るんです。うるさくて眠れんと苦情をいってくる。私は、寝る訓練をやってるんだからダメだ、とつっぱねます。近代五種という競技があるんですが、この近代五種の連中が泣きごとをいうから、私は怒るんです。近代五種というのは斥侯の競技なんです。
源田 戦闘状態を仮定して?
八田 ええ。斥侯ですよ。馬、ピストル、フェンシング、それから走るのと泳ぐの。だから、ちょうどレンジャー部隊と似たようなものでしょう。后候に出てそれだけのことやらなければならん。いつどこででも眠らなければならんですからね。それを、射撃は前の晩に眠れないと撃てないというけれども、そんなこといったら戦争に負けるぞ、というんです。
司会 どんな状況にも応じられる体力をつくるということですね。
練習を試合と思え
司会 われわれボディビルのほうでもよくいわれることなんですが、体をつくることだけに、コンディションをつくることだけに熱心で、それだけで終わってしまったのではいけませんね。社会に出て逆境にぶつかったときに、それに反発していく力がついてこないんです。体は、それをもとにしてどんな状況でも突き進んでいくという心がまえがあってこそ、生きてくると思います。さっき源田先生がおっしゃった精神力のともなった体力でなければいけないということは、われわれほんとうに参考になります。
源田 体のコンディションは空中戦でも大いに影響します。しかし、コンディションが悪かったから撃ち落とされたといったって、はじまらんですよ。(笑)
八田 生きるか死ぬかのギリギリの場にのぞんでの心がまえですね。それだけに、ほんとうのものをつかめる。そのかわり、ひとつまちがったら、失敗だったではすまんわけです。
源田 そうです。だから、生死の境い目を求めて歩くということは、人間の精神と肉体をもっともよい状態に保ついちばんよい方法である、と私は考えるんです。私は若いとき、飛行機でアクロバットをやってずいぶん叱られました。
司会 いわゆる"源田サーカス"ですね。
源田 ええ。これは許可がないと。やってはいけないことになっていたんです。たとえばロール(横転)をやって5メーター高度が下がったとしても、高いところなら平気ですが、地上5メーターでこれをやったら命はありません。しかし、やりそこなったら命がないというところでやれば、ほんとうの技術が身につくわけです。
司会 命がかかっておりますから、いいかげんなことはこれっぽっちも許されませんね。
源田 つねに死というものを目の前において、やりそこなったら死ぬんだというつもりでやらないと、ほんとうのものはできあがらないと思うんですよ。武道の修養はだいたいそうですね。
司会 いまの武道は、あまりにもスポーツ的になって、生死がかからないから、競技的な面での発達はあるけれども、ほんとうの生死をきわめていくというきびしさはない、ということをよく武道関係の方はいっていますね。
源田 演習を実戦と同じ気持でやる人は、戦争を演習と同じ気持で戦えるんです。演習と実戦を別ものと考える人は実戦ではダメです。
八田 日本の陸上競技が弱いといわれるのもそれですよ。たとえば幅とびですが、あれは向かい風になったらとばないんですから。いつでも追い風でとんでいるんです。だからオリンピックなんかで、ちょっとでも向かい風になるとそれでもうダメになる。いつも向かい風で練習しておれば、追い風のばあいよけいとべると思うんだが……
司会 心理的な圧力に負けてしまうわけですね。
八田 そうです。練習を試合と思ってやっておれば、試合を練習と思ってできるわけですね。
源田 そうです。たんに体をきたえるんではなくて、そこに精神的なものがはいらなければ、ハード・トレーニングの意味がありませんね。
司会 ではこのへんで。どうもありがとうございました。
源田 体のコンディションは空中戦でも大いに影響します。しかし、コンディションが悪かったから撃ち落とされたといったって、はじまらんですよ。(笑)
八田 生きるか死ぬかのギリギリの場にのぞんでの心がまえですね。それだけに、ほんとうのものをつかめる。そのかわり、ひとつまちがったら、失敗だったではすまんわけです。
源田 そうです。だから、生死の境い目を求めて歩くということは、人間の精神と肉体をもっともよい状態に保ついちばんよい方法である、と私は考えるんです。私は若いとき、飛行機でアクロバットをやってずいぶん叱られました。
司会 いわゆる"源田サーカス"ですね。
源田 ええ。これは許可がないと。やってはいけないことになっていたんです。たとえばロール(横転)をやって5メーター高度が下がったとしても、高いところなら平気ですが、地上5メーターでこれをやったら命はありません。しかし、やりそこなったら命がないというところでやれば、ほんとうの技術が身につくわけです。
司会 命がかかっておりますから、いいかげんなことはこれっぽっちも許されませんね。
源田 つねに死というものを目の前において、やりそこなったら死ぬんだというつもりでやらないと、ほんとうのものはできあがらないと思うんですよ。武道の修養はだいたいそうですね。
司会 いまの武道は、あまりにもスポーツ的になって、生死がかからないから、競技的な面での発達はあるけれども、ほんとうの生死をきわめていくというきびしさはない、ということをよく武道関係の方はいっていますね。
源田 演習を実戦と同じ気持でやる人は、戦争を演習と同じ気持で戦えるんです。演習と実戦を別ものと考える人は実戦ではダメです。
八田 日本の陸上競技が弱いといわれるのもそれですよ。たとえば幅とびですが、あれは向かい風になったらとばないんですから。いつでも追い風でとんでいるんです。だからオリンピックなんかで、ちょっとでも向かい風になるとそれでもうダメになる。いつも向かい風で練習しておれば、追い風のばあいよけいとべると思うんだが……
司会 心理的な圧力に負けてしまうわけですね。
八田 そうです。練習を試合と思ってやっておれば、試合を練習と思ってできるわけですね。
源田 そうです。たんに体をきたえるんではなくて、そこに精神的なものがはいらなければ、ハード・トレーニングの意味がありませんね。
司会 ではこのへんで。どうもありがとうございました。
大本営参謀時代の源田実氏
月刊ボディビルディング1968年7月号
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