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バーベル放談④
ある自信

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月刊ボディビルディング1968年9月号
掲載日:2017.12.03
アサヒ太郎
 「何事にも自信をもて」――これは私自身に対する自戒のことばであるがみなさんにもそう申し上げたい。
 たとえ,ハリガネのようにやせこけた体でも,3年後,5年後には鋼鉄のようにたくましい体になってみせると決心し,かならずなれるんだ,との自信をもてば,実現するものだ。

「かならず勝つ」と思え

 ある自信について,お話ししよう。
 私の知人に,大阪で合気道の師範をしている青年がいる。青年といってももう36,7になるはずだが,合気道10余年の修業を通じて,精神的にも肉体的にもたいへんな自信をもっている。
 数年前,この〝ミスター合気道〟はスイス人の合気道愛好家の招待でヨーロッパを一周した。たんなる観光旅行ではなく,〝武者修行〟が目的の旅である。この数カ月の旅で,彼はありとあらゆる種類の武道家と試合をした。レスラー,ボクサー……あるときは岩のように巨大なドイツ人と戦い,あるときは元チャンピオンの肩書きをもつフランス男と一戦をまじえた。
 ホテルでひとりべッドに休むとき,あすの決闘を思って眠られぬ夜もあったというが,そのたびに合気の精神を心に念じ。勝ちぬいてきたという。
 試合の模様をたずねると,元チャンピオンはボクシングのスタイルで,鋭いワン・ツー・ストレートをくり出して頭,ボディを襲ってきた。レスラーは丸太のように太い腕を構えて,戦いをいどんできたという。
 〝ミスター合気道〟の体は,上背が170cm,体重85kgていど。胸幅広く,がっしりとした体格は,日本人としては抜群の存在だが,外人から見ればむしろチビのほう。それが未知のあらくれ男を相手に1歩もひかずに戦いつづけてきたというのだ。
 勝負のケリは,もちろん合気道得意の関節ワザでついた。相手が腕をのばせば,その腕をとらえて関節を決め,組めば手首をがっちりつかまえて逆取りの早ワザを決める,といった試合ぶりで,またたくまにねじ伏せたという。
 もっとも,帰国してまもなく会った彼の頭はめっきり白髪がふえていた。あの黒々とした髪がいつのまにこんなに白くなったのか,とびっくりしたがやはりはげしい緊張が原因のようだった。それにしても,「かならず勝つ」と自信をもって武者修行行脚をつづけた態度はまことにりっぱ,といまでも思っている。

矢でも鉄砲でも……

 ところで,この〝ミスター合気道〟が,神のように尊敬する合気道の元祖植芝盛平翁は,これまたとてつもない自信の持ち主である。
 現在,90に近い高齢だが,座敷にどっかと構えてすわりこむと,押せども突けども,微動だにしないふしぎな怪力を発揮する。
 壮年のころ,植芝翁は数十人のヤクザが日本刀をふるって乱闘するなかにとびこみ,つぎつぎ素手で倒しながらその場のさわぎをおさめたという。日本刀をふりかざす相手を,もののみごとにやっつけた,という話は,大阪四天寺に勤める居合術の師範から実話として私も聞いた。
 この真剣勝負は,剣道3段を相手に植芝翁が実演してみせたものだそうだが,相手が刀を頭上にふりかざして打ちおろす一瞬の間をつかみ,ダッとふところにとびこんで,利き腕をひしぐといった要領だったという。生命を失うことはあるまい,としても,まかりまちがえば,腕の1本も斬りおとされる危険な格闘。その自信のほどがしのばれる。が,これはまだまだなまやさしい部類。
 あるとき,翁は海軍の将兵を前に,鉄砲でねらう何人もの兵隊を向こうにまわして,取って押さえてみせる,と約束,その実演を迫った。しかし,これにはさすがの指揮官も二の足をふみ「あまりに危険すぎる」との理由で取りやめにしたという。
 矢でも,鉄砲でも持ってこい,とはこのこと。それにしても,おそるべき自信である。この自信は山中に寝起きしての十数年の激烈きわまる修業から生まれたものだ。ボディビル修業も,この精神でいけば,ものすごい体格の持ち主が生まれるだろう。

「ワシはー生負けたことがない」

 これに似た話は,柔道の名人といわれた故三船久蔵10段にもかずかずある
 三船さんは晩年,テレビでよく「ワシは一生負けた経験がない」と豪語していたが,たしかに中学校の生徒時代から,ケンカしても,試合しても,敗れたことはなかったらしい。160余cm,目方も60kgを越えたことがないという小柄な体だが,よほどの天性に恵まれていたとみえ,柔道はおどろくほど強かった。そのうらばなしを2,3拾うと――
 「ある冬の日,京都四条大宮の町角で起きた出来事だった」と,現在その四条大宮近くで接骨医院をいとなむ柔道7段氏が私に語った。
 三船さんは人力車である知人宅に向かう途中だった。ところが,四条大宮で人力車を降り,約束のカネを払おうとしたところ,車夫は「もう少しイロをつけてもらいたい」と開きなおった。いわゆる酒代をはずんでくれ,ということなのだ。三船さんは,もちろん断わった。
 「はじめの約束どおりに金を払う」
 「なにっ!イロをつけねえっていうのか?」
 「だめだ」
 「それならそれで,こちらのいい分を通してみせるぜ」
 いささか想像をたくましくして,講談風に描写してみれば,ざっとこんなやりとりがあったようだ。
 車夫はいきなり周辺にたむろしている仲間5,6人を呼んでなぐりかかってきた。当時,京都市内で商売をする車夫仲間にはこんなワルもかなりいたという。講談に出てくる悪者のカゴかきに似ている。
 ケンカを吹っかけてきたのも,三船さんが人一倍の小ツブで,たいして腕力もあるとは思えない体つきだったからだ。
 このとき,三船さんは少しもおどろかず,さっとゲタをぬぎすて,いつものケイコと同じように軽く身がまえコブシをふるってなぐりかかる相手を背負い投げ,体落し,はね腰といった柔道の基本どおりの投げワザでつぎつぎ投げとばして,全員を退治したという。
 この事件で、三船さんの強さをたたえる町の声はいちだんと高まったようだ。もちろん,公徳面からいえば,柔道界の名士ともあろう人が,こんなケンカまがいの乱闘を演じたのは,ほめられるものではない。しかし一面,何人ものギャングどもにとりかこまれても少しもさわがず,あっというまにたたきのめしたその態度は,やはり何十年もの猛ゲイコにつちかわれた自信といったものをうかがわせ,感心させられる。
 自信は,自分に打ち勝つ忍耐心と,はげしい練習から生まれ出てくるという一証左である。

ほんとうの強さ

 これも柔道界にちなむ話だが,私の知人にやはり大阪府警本部で柔道師範をつとめている7段の人がいる。
 ある日,彼の住む公団アパートに2人組の強盗が出た。近所の人の叫び声でとび出した彼は,この2人組をみつけ,屋上に追いつめた。
 賊の1人は〝窮鼠ネコをかむ〟のたとえで,短刀を突きつけて刃向かってきた。彼はとっさに逮捕術の要領で手刀を決め,兇器をたたきおとしてエリ首をつかんだ。そして,はげしい足払いをくらわせてねじ伏せると,別の1人も投げワザでなんどもコンクリートの床にたたきつけた。
 けっきょく,彼は賊の1人をつかまえ,他の1人をのがしてしまった。
 この事件が翌日の夕刊に出た数日後私は本人をつかまえ,からかい半分に冗談をとばした。
 「警察本部の柔道の先生ともあろうものが,たかがチンピラ強盗2人を取りおさえんとは情ないねぇ」
 苦笑して私の皮肉を聞いていた彼はこんなふうに実情をもらした。
 「そんな殺生なこといわんといてな。わしゃ,これでも専門家や。本気になって投げとばしたら,相手はコンクリートに頭をぶつけて死んでしまいよる。過剰防衛じゃなかろうかいわれてへんな疑いをかけられてもかなわんから,投げちゃ受け,投げちゃ受けをくりかえしていたので,片手でつかんでいた片割れが逃げよりましたんや。話はちゃんと聞いてくれにゃこまりまんな」
 なるほど,と私は思った。専門家というものはたいへんな自信家でもある。強盗を投げとばしては片手で受けとめやんわり倒している。これが3段4段ていどだったらどうだろう? おそらく満身の力をこめて賊をたたきのめし,殺してしまっていたかもしれない。自信の違いはこんなところに現われるんだなあと,私はあらためて思い知らされた。
 彼はこのあとこうつづけた。
 「わしゃ,本気になってやっつけたことがある。ある日,所轄の警察にいるとき,市民から〝やくざ者どうしが血まみれになって,えらいケンカをしている〟との届け出があった。わしゃオットリ刀でとび出し,現場につくと肩にふれるヤツ,手にさわるヤツを無我夢中で投げつけ,たたきのめした。気がつくと,7人ほどおったが,いつのまにか大地の上に長々とのびとった。わしゃ,そのひとりひとりをたたき起こし,「逃げたら承知せんぞ」と一カツして警察につれて帰ったが,途中でひょいとうしろを見たら,殺し屋スタイルのヤクザどもが首をうなだれ,ひょろひょろ,ぞろぞろついてきよる。その様子を見たらおかしうて,おかしうて……。わしゃ,本気になったらそのくらいのウデは発揮しまっせ」
 これがほんとうの強さというものではなかろうか。

生兵法はケガのもと

 ただ,戒めておきたいことがある。自信というのはナマっちょろいものではない。逆の例だが,私の学生時代,柔道3段の学生が銀座でヤクザとケンカして絞めおとしたことがあった。ところが,相手は2枚刃のカミソリをもっていたため,絞めおとす最中に,そのカミソリで学生の片耳をそりおとした。ケンカには勝ったが,片耳を失ってしまったのである。
 これは自信といえるものではない。まえに述べた7段のように,相手がどんな兇器をもっていても,身の安全を十二分にはかって相手をたたき伏せるウデマエがあってこそ,自信という裏づけが感じられる。〝ナマ兵法,ケガのモト〟とはよくいったものだ。
 たとえ,ボディビルですばらしい腕力をほこるようになっても,めったにケンカをしてはいけません。宮本武蔵伊藤一刀斎のような抜群のワザの持ち主になれば,話は別だが……。しかしどう考えても,自信というものがケンカなどで発揮されるのはおかしい。自信をもてばもつほど,人間はひかえめになり,奥ゆかしくなるものだ。
 これもあまり感心できない話だが,「人間,できるだけけんそんせよ」との例で,ケンカ話をもう一つ。
 あるダンプカーの運転手。日ごろ大きな車に乗っているのでまことにゴウマンな気持になり,ちょっとシャクにさわるとすぐほかの乗用車にイヤガラセをしたり,イタズラをくりかえしていた。
 ある夏のことだが,例によってうしろからくる乗用車の追い越しを妨害し,ジグザグ運転でさんざんじゃまをした。ある交差点で左折すると,そのままそしらぬ顔で車を走らせたが,ふ
と見ると,さきほどまでうしろについていた乗用車が,猛烈なスピードでわきを追いぬき,自分のダンプカーの前でぴたり停まった。
 運転手君,頭にきた。こんちくしょう,生意気なことをしやがる。肩をいからせて運転台から降りると,「なんじゃい。何か文句があるかっ」。相手を見るとチビ助で,たいしてケンカの強そうなヤツでもない。ますますいい気になって「やるかっ」とどなった。が,その相手がわるかった。プロ・ボクシングの元世界フライ級チャンピオン,海老原博幸君。
 小柄とはいえ,そのサウスポー・スタイルからくり出される左のストレートは,〝カミソリ・パンチ〟の異名をもつ1発である――とはユメにも知らず,運転手君,日ごろのウデっぷしの強さをほこって,ばちんと1発その横ツラをはりとばした。と,本人は少なくともそう信じた。
 その一瞬,相手の体が沈んだとみるや,ものすごいパンチが左,右からとびこんできた。
 運転手君,びっくり仰天,そしてたちまちグロッギー。海老原君はこの日,たまたまジムの仲間と海水浴にでかける途中だった。このため後続の車で追いかけてきたボクサーのタマゴた
ちも,たちまち海老原君に加勢したため,運転手君は助手君もろとも格好の練習相手にされ,サンドバッグのように打ちのめされてしまった。
 運転手君の背後からは同じ仲間のダンプカーがぞくぞくつづいていたので,この現場の様子を見ると,つぎつぎかけつけてきたが,小ツブの海老原君に「きさまらも,やるかっ」と身がまえられて,「ちがう,ちがう。とめにきましたんや」と仲裁にけんめい。さきほどまで道路の暴君のようにほこらしげだった運転手,助手の両君は,ついにオイオイ泣き出して,「許してください」と土下座してあやまった。
 海老原君のとった行為は,もちろんおとなげない。警察にまかせるべきことだった。しかし,これも半面,ダンプカー運転手の妙な慢心が自分自身をピンチに追いこんでしまった例である。人間ろくに修業もしないで,妙な自信をもつと,ロクなことはない,というお話です。

自信は仕事に生かせ

 バーベルできたえあげれば,たしかに人一倍のたくましい体になり,自信が生まれる。しかし,この自信は仕事に生かし,物事の実行に利用されるべきものだ。ちょっとのことでハラを立て,すぐに力コブの盛りあがったウデをふるいまわして,周辺の人を痛めつけるようでは,真の自信家とはいえない。
 あなたが,かりに胸囲120cm,腕の太さ40余cmの美丈夫になって,そのたくましさを発揮するときは,〝義を見てせざるは勇なきなり〟の文句どおり,かよわい女性や子供,善良な市民がツマラヌやつにめいわくを受けたり,イヤガラセをされているときぐらいである。もちろん,そんなときでも万全の準備をして相手をやっつける必要がある。けっしてオノレの強さをほこるための争いなどは起こすべきではない。
 自信は,つねに体のうちに秘めておくものなのだ。
月刊ボディビルディング1968年9月号

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