フィジーク・オンライン

ペルシャの力豪 世界の力豪―4―
ロスタムザール伝

この記事をシェアする

0
月刊ボディビルディング1968年9月号
掲載日:2017.12.01
コシティのダンベル――樫の木のこん棒。2本ひと組で40~50キロの重さである。

コシティのダンベル――樫の木のこん棒。2本ひと組で40~50キロの重さである。

田鶴浜 弘
 ロスタムの生きた史実――1000年の伝統をもつペルシャ式ボディビル(コシティ)は,アングラ道場に,いまもなお,ロスタムが残した鍛練として生きている。

史上最強の格闘王

 紀元前のミロンの時代よりもずっと新しく,そして世界的に広くその名を伝えられているのは,ペルシャの力豪ロスタムだが,伝説のべイルにつつまれていて,かんじんな力豪としての記録の正体が漠然としている。
 いまのイラン(往年のペルシャ)以外でも,中央アジアから東南アジアにかけては,アフガニスタンにも,インドにも,ロスタムの伝説が語り伝えられ,奇怪なことに,彼が怪力と格闘技でその民族の開祖だとされている――こうなると,ロスタムとはいかにも国籍不明の謎の人物ということになる。
 だが,アメリカのレスリング文献には,史上最強の格闘王は〝ロスタム・ザール〟,身長9フィート(2.7m),体重650ポンド(295kg),いまを去る1200年の昔,ペルシャの誇りだった――と書いてある。
 身長9フィートなどという人間ばなれのした怪物とは少々マユツバだが,ロスタムがペルシャ人だということはまちがいない。
 いちばんくわしい有名なロスタム伝は,ペルシャの大詩人へルドゥーンが15万語に及ぶペルシャ語で,その抜群の怪力と勇武をたたえ,数奇をきわめたドラマティックなその生涯を一大叙事詩としてうたった文学作品である。
 だが,その訳文も,まだ日本で見あたらぬ。
 私は,ロスタムの史実のひとかけらでもつかみたい――そう思って,かつてイラン大使館をおとずれ,ロスタムにかんする伝説(いや,史実だ,といわれた)をあさった。
 そのおかげで,あるていどの資料を私のノートにメモすることができたのである。
 ロスタムにかんする数々の伝説について,日本イラン協会にも問い合わせたが,私のノートの範囲を出なかった。
 ペルシャはイランの前身だが,興亡3000年の歴史の最盛期は,アジア,ヨーロッパ,アラブにまたがる壮大な版図をひろげ,大ペルシャ帝国の西の植民地は,紅海を越えていまのエジプトあたりまでのび,東はアフガニスタンからインドの境まで,北方もまたコーカサス山脈からカスピ海をへて,トルコマン砂漠,パミール高原あたりまでのびたアケメネス王朝の輝ける時代である。
 この時代の民族の英雄として語り伝えられるのが,不滅の豪勇ロスタムなのだ。
 私が本稿にロスタムをとりあげた理由の一つに,現代イランに広く伝わるペルシャ式ボディビルの〝コシティ〟こそは,ロスタムにはじまった――つまり,ロスタムは,ユーゼン・サンドウより1000年以上も古い,おそらくボディビルの開祖だといっていいにちがいないからである。
 ロスタムは,神の啓示による〝コシティ〟修業のすえに,その抜群の怪力を身につけたのであった。

世界最古のボディビル・システム―〝コシティ〟

 ところで,〝コシティ〟について少少説明しておく必要がある。
 日本ボディビル協会長であるとともに,日本アマレス協会長でもある八田一朗氏が,世界レスリングの名門イラン・レスリングを研究し,イラン・レスリングはなぜ強い――という秘密の正体が〝コシティ〟による身体づくりという点をつきとめ,わざわざイランをおとずれ,その研究にとりくんだのは10年ほどまえのこと――私も大いに興味をそそられたものである。
 かつてペルシャ帝国がアラブにほろぼされた時代,戦勝国のアラブ人は,ペルシャ人の復讐を封じる意味から,いっさいの武術を禁止した。
 だがペルシャ人は,いつの日にか再興を期してひそかに身体の鍛練をつづけようと決意し――そのために,ペルシャ高原の山中の穴ぐらを〝コシティ〟の道場にした。
 だから,現在の〝コシティ〟道場はその世を忍ぶ穴ぐら道場の姿を残している。
 日本流にいうと約12畳敷き――八角形の広さに地下1mくらい掘り下げてある。
 まず〝腕立て伏せ〟をしながら,腰を左右にはげしくゆり動かす。
 次いで,樫の木のこん棒を左右の手にもって振りまわすのだ。
 こん棒は2本がひと組。
 ひと組の重量は40キロから50キロで,いってみれば一種のダンベル運動であり,ひと組をたばねて両手で使用する運動となると,これはバーベル運動にあたる。
 また,巨大な樫のこん棒を背後からわきの下を通して,その一端を首にわたしこむ。
 他の一端をこじあげて,テコで重量物をおしあげるやり方で,樫の棒をレスラーの腕がわりにしたネルソンで首をきたえたり――レスリング用のたいへんな荒修業もやってのける。
 最後に,太鼓や鐘の早いテンポのリズムを伴奏に,両手をひろげて立ち,コマのようにはげしいスピンで身体を回転させる。
 このスピンは,回転が速ければ速いほどいいのだし,長時間回転しつづけられるほど,優秀だとされている。
 考えてみると。この奇っ怪な〝コシティ〟というボディビルは,ウェイト・トレーニングとはげしい機能運動をコンバインしたものといっていい。
〝コシティ〟の道場

〝コシティ〟の道場

力豪ロスタム

 カスピ海に近いザボールという町がロスタムの生地だというが,こんにちの世界地図ではザボールの所在がわからない。
 いまの首都テへランの北方にそびえるエルブールズ山脈を越えたマザンダラン平野のどこかにあった町だろう。
 巨体で,たくましい筋肉で抜群の怪力者(10人力だとへルドゥーンの詩にうたわれている)だが,同時にたぐいまれな美貌にめぐまれていた。
 彼は,禁欲を神に誓って受けた啓示のおかげで,つまり,禁欲の代償に,怪力と勇武をさずけられたから,おそろしく強くなった。
 ロスタムがいかに強かったか――はほとんど格闘の強さで表現されていてあらゆる挑戦者をすべて打ちやぶり,近隣1500人もの相手を倒し,やがて相手になるものは1人もいなくなった。
 禁欲を誓って,超人的な怪力と勇武があたえられたロスタムだが,強くて美男という女にもてる条件がそなわりすぎていたばかりに,やがてあやまちを犯す――その相手は身分の高い高貴なお姫様だったが,愛のむくいにお姫様のおなかが大きくなってしまう。
 禁を破ったロスタムは,神に許しを乞うのである。
 贖罪のための神様の啓示は,苛酷な修業のノルマであった。
 広大なペルシャ周辺のあらゆる植民地はもとより,世界中の強豪と戦って5000人の相手をすべて打ち倒し,地上最強の栄冠を身につけたうえで,はじめて,故郷の土を踏むことが許される――という武者修行なのだ。
 ロスタムがザボールの町を出発するとき,身重な彼女と断腸の離別のときに,かつて自分が最高の試合でかち得た純金の腕輪をひそかにあたえ,次のような別れのことばを残すのである。
 「そなたの美しさが,私に神の誓いを忘れさせた――私はそのつぐないに,いまから長い贖罪の旅に出なくてはならないのだ――私が生命の次に大切にしているこの栄光の黄金の腕輪を残してゆこう――やがて生まれるそなたのおなかの中の子供に,私の魂がこもっている黄金の腕輪を父親がわりのお守りにしてやっておくれ」
 ロスタムは,〝ラシク〟というまっ白な毛なみの名馬にまたがって,5000人の敵という苛酷なノルマに挑戦の長い旅に出発するのである。
 それから長い長い贖罪の旅は地の果てまでもつづき,ロスタムのおどろくべき強さは,あらゆる敵を4999人ことごとく粉砕し,そして神様のノルマである5000人の相手を倒す悲願があと1人で成就の日をついに迎えた。
 これで天下晴れてなつかしいザボールの土を踏むことができる。
 ロスタムの生涯最良のその日は,彼が故郷を出発してからずいぶん長い年月をへていたのだ。
 彼がザボールを出立したとき乗って出た愛馬の〝ラシク〟はすでに亡く,〝ラシク〟からかぞえてすでに3代目の馬に代わっていた。
 少なくとも,あの日からもう30年以上の年月がすぎ去っていただろう。
 かつての日,若きロスタムの頭の,黒々とつややかだった濡れ羽色の髪の毛も,いまは銀髪と化し,日焼けした老ロスタムの怪異な威容の頭上に,まるで白い焔が燃えているかのようであった。

5000人目の残酷物語

 なつかしのザボールの町を目前にして,彼はうっかり最後の1人のことを忘れていた。30余年の歳月の歩みに人変わり,ありし日の知るべもなく,かつての日のアイドルも,まったくのエトランゼーであった。
 地上最強の老勇士であるロスタムを迎えたザボールの町は,そのころ若い〝ソボラブ〟という近隣にならぶものなき勇名をとどろかす力士の天下であった。
 ソボラブは,かつての日のロスタムが,この町を白い愛馬〝ラシク〟にうちまたがって,武者修行の旅に出発したころの姿とそっくりである。
 筋肉たくましく,巨大な身体には,力が満ちあふれ,目が大きく,瞳がすみとおり,美しいヒゲをたくわえた美貌の偉丈夫であった。
 その〝ソボラブ〟が,帰ってきた先輩の老勇士〝ロスタム〟を迎える眼光は,いったいどうしたというのだろう――一洙の敵意を宿しているではないか。
 ロスタムの長い年月にわたる輝かしい武者修行をたたえるかわりに,戦いをいどんで,こういった。
 「太陽が唯一無二であるように,チャンピオンも同じ空の下,2人いるわけにはいかない」
 ロスタムは,すぐに若いソボラブの挑戦に応じて,こう答えた。
 「若いの――いい心がけだ。お前のいうとおり,チャンピオンは地上無二でなくてはならん――とすると,生命を藷けようではないか――お前がもし勝ったら,おれを殺せ。そのかわり,おれが勝ったら,お前の生命をもらうぞ」
 「よしっ,生命を賭けよう。男に二言はない」
 ソボラプはマユをあげて答えた。
 戦いはすさまじい決闘になったが,若いソポラブの体力が,老いたロスタムよりわずかにすぐれていたように見える。
 若者は老人の首をわきの下にしめあげて,ほとんど勝負が決まったかと見えた一瞬,老人は捨て身にのけぞり,若者の腰をかかえあげると,奇跡が起きた。
 勝ち誇った若者の身体は,老人の首をしめあげたまま,まっさかさま,脳天から地面にたたきつけられ,失神してしまう。
 おそらく,こんにちのバック・ドロップだろう。
 老ロスタムの豊富な経験が,死地に追いつめられながら,捨て身の逆転勝ちのチャンスを生かしたのだ。
 立ち上がった老ロスタムの右手にはそのときギラリ短剣が光った。
 「この試合の約束なのだっ」
 老ロスタムは叫ぶが早いか,右手がサット空を切った次の瞬間,若者の心臓のあたりからケシの花のような鮮血がほとばしり,短剣はソボラブの胸をつらぬいて地面に突き立てられた。
 老ロスタムは,ソボラブの死体の前で神に祈ってから,ソボラブの着物でていねいに遺体をおおってやった。
 そのとき,ソボラブの着物の間から黄金の1個の腕輪がころげおちる。
 それをひと目見た老ロスタムはぼうぜんとそこに立ちすくんで,つぶやいた。
 「――そうだったのか。道理でこの若者は強かった」
 老ロスタムはかえすヤイバに,その場で自刃して果てたという。
月刊ボディビルディング1968年9月号

Recommend