ビフォア・アンド・アフター
月刊ボディビルディング1969年2月号
掲載日:2017.12.03
今回のビフォア・アンド・アフターは、日本専売公社業平エ場で勤務のかたわら、ボディビルに励んでいる内田彦一氏を紹介しよう。
「ホネカワスジエモン」ーーこれが僕の幼いころのあだ名である。小学生のころ、父が体操を参観にきて、ガックリして帰ったそうである。戦中、戦後を通じて、食糧事情も悪く、まして悪酒に溺れてからは、胃腸をおかされ、思い余っていく度となく断酒を決意したが遂げられず、ついにガン研の門まてたたく始末。
そのころ、ボディビルダーの竹松氏(42年度全日本実業団優勝)より、ボディビルの指導を受けるチャンスに恵まれ、「よし、ボディビルでただれた胃袋を直して見よう」と決意したのである。以来、酒を離れ、耐えがたい筋肉の痛みを克服しながら、1年を越えるころには、かつての肉体的な不安吹っとび、快より実感を満喫できるようになっていたのである。
やがて、同志ができて、楽しい体づくりにいっそう張りが出て来た。以来6年余、僕は41才を迎えてなお、鉄のかたまりとの戦いへの斗志を燃えたぎらせている。つくづくこの道に飛び込んだことをよかったと思い感謝している。今夜も、寒風にもめげず額に汗して、すばらしい身体と不屈の精神を養うために、鉄塊にいどんでいる。
「ホネカワスジエモン」ーーこれが僕の幼いころのあだ名である。小学生のころ、父が体操を参観にきて、ガックリして帰ったそうである。戦中、戦後を通じて、食糧事情も悪く、まして悪酒に溺れてからは、胃腸をおかされ、思い余っていく度となく断酒を決意したが遂げられず、ついにガン研の門まてたたく始末。
そのころ、ボディビルダーの竹松氏(42年度全日本実業団優勝)より、ボディビルの指導を受けるチャンスに恵まれ、「よし、ボディビルでただれた胃袋を直して見よう」と決意したのである。以来、酒を離れ、耐えがたい筋肉の痛みを克服しながら、1年を越えるころには、かつての肉体的な不安吹っとび、快より実感を満喫できるようになっていたのである。
やがて、同志ができて、楽しい体づくりにいっそう張りが出て来た。以来6年余、僕は41才を迎えてなお、鉄のかたまりとの戦いへの斗志を燃えたぎらせている。つくづくこの道に飛び込んだことをよかったと思い感謝している。今夜も、寒風にもめげず額に汗して、すばらしい身体と不屈の精神を養うために、鉄塊にいどんでいる。
月刊ボディビルディング1969年2月号
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