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小金井ボディビルセンター発足

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月刊ボディビルディング1969年2月号
掲載日:2018.01.09
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武蔵小金井に新設された小金井ボディビル・センター
ボディビル界の元気オヤジで有名な曽根将博さんが、中野ボディビル・センターから独立して、武蔵野の面影の残る中央線武蔵小金井駅の近くにボディビル・センターを新設した。


バッティング・センターとタイアップして、同じ地所の一角に軽量鉄骨プレハブで作られたジムは、50坪近い広々としたスペースだ。器具は日本ボディビル協会公認の日本秤錘の各種マシーンが整然とならべられている。


中でも目立つのはランニング・マシンである。ウェイト・トレーニング一辺倒の人が多いボディビル界の中で、曽根さんはランニングとの併用を強調する総合的トレーニング論者だけに、なるほどとうなづけるしだいだ。


トソ気分の抜けない1月5日に行なわれた発会式では、祝いを述べにきた多くの人たちは曽根さんを一目見たときアッと驚いた。58才の年齢にも負けず、黒々と伸びていた毛髪が青坊主のクリクリになっていたからである。


「私はボディビルジムを作ることを念願としていた。それは若い人たちを始めすべての人たちとともにボディビルで汗を流して力強く明るく夢を持った人生を送りたいからだ。その目的の第1歩をふみ出すにあたって、雑念を払って専心するため入道(坊主)となったわけです」


と挨拶する曽根さんは、頭はもちろん顔も手足もつやつやと輝き、喜びにあふれていた。


八田一朗会長もかけつけ、小金井ボディビル・センターの今後の発展を大いに期待したい、と祝辞を述べていたが、地元小金井市長も挨拶し、「小金井市は体力づくりのモデルの市になっているので、今後はボディビル・センターの協力を仰いで、市民の体力づくりを積極的に推進して行きたい」と述べていた。また玉利理事長も「15年前に出会ったころの曽根さんは44才で青白くやせ、リューマチになやんでいたのに、ボディビルに取り組んで以来不撓不屈の努力で3年後には血色のよい健康と若さにあふれた肉体を獲得したのには敬服した。曽根さんの指導する小金井ボディビル・センターの発展を心より願うしだいです」とお祝いの言葉を述べていた。ともあれ、中高年のトレーニングを身をもって体験し、立派に成功させた曽根さんの「ボディビル小金井号」は、多くの人のはげましのもとに進水したのである。なお1キロほどの近くには、同じく中高年のボディビルの実践者として有名な加淵清太郎さんのジムもあるが、当日は加淵さんもお祝いにかけつけ、両雄仲よくはげまし合うという微笑ましい風景も見られた。
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神主さんのお祓いのあと、礼拝する曽根会長。
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「小金井ボディビル・センターの発展を期して乾盃」と音頭をとる八田会長。
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曽根さんの“ボディビル標語”がかかげられている。
月刊ボディビルディング1969年2月号

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