体重調節の魔術師 ブルース・ランドル
月刊ボディビルディング1969年3月号
掲載日:2018.05.09
445ポンドから223ポンドへ
① 体重 415ポンド(約188kg)
② 体重 380ポンド(約172kg)
③ 体重 325ポンド(約147kg)
④ 体重 280ポンド(約127kg)
① ウェイトリフターとしての最盛期時代で、120ポンドのダンベルを軽々と使用して、オルターニット・ダンベル・プレスを行なった。このときの腹囲は64インチあった。
② 巨大な背部。あまりに大きすぎ、ドアの出入りも楽ではなさそう。下腿囲23インチとは型やぶりの太さである。
③ この写真が撮られたときに、ブルースは500~600ポンドのウェイトを使ってグッド・モーニング・エクササイズを開始しようとしていた。
④ 長身大柄なので、280ポンドの体重を感じさせない。むしろスマートにさえ見える。
② 巨大な背部。あまりに大きすぎ、ドアの出入りも楽ではなさそう。下腿囲23インチとは型やぶりの太さである。
③ この写真が撮られたときに、ブルースは500~600ポンドのウェイトを使ってグッド・モーニング・エクササイズを開始しようとしていた。
④ 長身大柄なので、280ポンドの体重を感じさせない。むしろスマートにさえ見える。
⑤ 体重 235ポンド(約107kg)
⑥ 体重 223ポンド(約101kg)
⑦ 体重 205ポンド(約93kg)
⑤ これは減量中の写真で、その幅広い背部はとくに印象的である。大腿囲28インチ、下腿囲19インチ。
⑥ ブルースの体重調節の能力はまさに人間わざとは思えない。183ポンドに激減した体重の回復に努め、223ポンドでミスター・ユニバースのタイトルを獲得した。これは優勝決定直後に写したもの。
⑦ この数週間まえのブルースの体は、両側の巨漢たちとどっこいどっこいだったのだが……。
⑥ ブルースの体重調節の能力はまさに人間わざとは思えない。183ポンドに激減した体重の回復に努め、223ポンドでミスター・ユニバースのタイトルを獲得した。これは優勝決定直後に写したもの。
⑦ この数週間まえのブルースの体は、両側の巨漢たちとどっこいどっこいだったのだが……。
数年まえミスター・ユニバースになったブルース・ランドルは、意のままに自分の体重を増減できるボディビル史上比類のない不思議な人物である。
かつて彼は、体重415ポンド、首囲24インチ、胸囲66インチ、腹囲62 1/2インチ、上腕囲24インチ、大腿囲36インチ、下腿囲23インチという異常な肥満体の持ち主だった。
海兵隊に入隊した当時の彼は、体重203ポンド(約92kg)で、フットボール・チームの正選手になるには少し軽すぎた。そこで、彼はウェイトを使って猛トレーニングを始める決心をした。春の選手資格テストが行なわれる何カ月もまえに、彼はすでに203ポンドから215ポンドにふえ、それからまもなく250ポンドの体重になったが、選手としては体重オーバーということで、こんどは逆に230ポンドに減らす計画を立て、これに成功した。
除隊した後の彼の理想は、当時世界最強の男として一世を風摩していたポール・アンダーソンのような力持ちになることであった。体重の増加は、もちろん猛練習だけが要因ではない。炭水化物の摂取に努めたことが、彼の場合大いに役立っている。当時375ポンド(約170kg)の巨漢で、底知れぬ腕力をもっていたブルースは、すばらしい力技のレコードを誇っている。340ポンドのチーティング・カール、771ポンドのデッド・リフト、680ポンドのスクワット、2100ポンドのハーフ・スクワット、胸上で2秒間とめて485ポンドのべンチ・プレスを彼は行なった。
次にとりかかったのは、生活の大きな負担となっていたものすごい食欲をみたすための食費を減らすことであった。食事の量を徐々に減らすと同時に、重いウェイトを軽いものに切りかえ、セット数と回数を増した。1955年8月のことである。
1週間後には17ポンド、11週目には106ポンドの減量に成功した。2日間で23時間も練習したことがある。32週目には415ポンドから183ポンドの痩身となった。この軽い体重で1956年度ミスター・アメリカのコンテストに参加したが、軽量すぎて入賞を逸した。
その後、短時日の間に、カミソリの刃を思わせるカットをもち、均整のとれた体に回復し、NABBAのミスター・ユニバースの栄冠を獲得したのだが、そのときの体位は、身長6フィート2インチ、体重223ポンド、首囲19インチ、胸囲55インチ、上腕囲18 1/2インチ、腹囲31インチ、大腿囲27インチ、下腿囲18 1/2インチであった。
かつて彼は、体重415ポンド、首囲24インチ、胸囲66インチ、腹囲62 1/2インチ、上腕囲24インチ、大腿囲36インチ、下腿囲23インチという異常な肥満体の持ち主だった。
海兵隊に入隊した当時の彼は、体重203ポンド(約92kg)で、フットボール・チームの正選手になるには少し軽すぎた。そこで、彼はウェイトを使って猛トレーニングを始める決心をした。春の選手資格テストが行なわれる何カ月もまえに、彼はすでに203ポンドから215ポンドにふえ、それからまもなく250ポンドの体重になったが、選手としては体重オーバーということで、こんどは逆に230ポンドに減らす計画を立て、これに成功した。
除隊した後の彼の理想は、当時世界最強の男として一世を風摩していたポール・アンダーソンのような力持ちになることであった。体重の増加は、もちろん猛練習だけが要因ではない。炭水化物の摂取に努めたことが、彼の場合大いに役立っている。当時375ポンド(約170kg)の巨漢で、底知れぬ腕力をもっていたブルースは、すばらしい力技のレコードを誇っている。340ポンドのチーティング・カール、771ポンドのデッド・リフト、680ポンドのスクワット、2100ポンドのハーフ・スクワット、胸上で2秒間とめて485ポンドのべンチ・プレスを彼は行なった。
次にとりかかったのは、生活の大きな負担となっていたものすごい食欲をみたすための食費を減らすことであった。食事の量を徐々に減らすと同時に、重いウェイトを軽いものに切りかえ、セット数と回数を増した。1955年8月のことである。
1週間後には17ポンド、11週目には106ポンドの減量に成功した。2日間で23時間も練習したことがある。32週目には415ポンドから183ポンドの痩身となった。この軽い体重で1956年度ミスター・アメリカのコンテストに参加したが、軽量すぎて入賞を逸した。
その後、短時日の間に、カミソリの刃を思わせるカットをもち、均整のとれた体に回復し、NABBAのミスター・ユニバースの栄冠を獲得したのだが、そのときの体位は、身長6フィート2インチ、体重223ポンド、首囲19インチ、胸囲55インチ、上腕囲18 1/2インチ、腹囲31インチ、大腿囲27インチ、下腿囲18 1/2インチであった。
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