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トレーニング・スケジュール ~ その作り方と考え方② ~

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月刊ボディビルディング1969年2月号
掲載日:2018.01.11
吉 田 実 (第1ボディビル・センター)

初級者のスケジュール

先月号で、「このシリーズでは、中・上級者を対象とした練習方法を中心にして稿を進める予定です」と書きましたが、中級者とか上級者とかいうのは非常に漠然とした表現で、皆様に理解し難い言葉ではないかと思います。


どの程度の人を初級者といい、どこからを中級者として区別するかはむずかしく、また、人によって意見の異なるところですが、ここでは一応、ボディビルを始めてから3カ月未満を初心者、3カ月〜1年半ぐらいまでの人を初級者、それ以上の経験者を中級者として、4年以上経験があって、しかもビルダーとしての実力がそなわっている人のみを上級者と呼ぶことにしましょう。


初級時の練習は、先月号で解説した初心時のように、運動から遠ざかっていたために眠っている各部筋肉を呼び起こして、次の本格的なトレーニングに備えた準備期間のつもりの練習とは違って、大筋肉群を中心にしたスケジュールで、全体的な大きさをつくることと、体重の増加を目指さなければなりません。


そのためには、上半身では胸と広背を、下半身では大腿部から臀部にかけての運動種目を重視して、練習プログラムを作成すると良いでしょう。


あまり目立たずに、しかも、その練習が苦しい下半身の運動種目を、初級者のスケジュールの中に多く組み入れるのは、練習者にとって面白くないことでしょうが、前にも脚の集中的トレーニング法のところで述べたように、体重を増加さすためには、筋肉量の大きい下半身を鍛えるのが最も効果的なのです。


また、スクワットなど下半身の運動は、全体的なスタミナ、底力をつけるのにも非常に有効なものでありますし下半身の練習を嫌うビルダーが多い昨今ですから、この初級者のころから下半身の練習を習慣づけるためにも、ぜひその運動種目を多く採り入れてみたいものです。


逆に、手を抜くと言っては語弊がありますが、軽視するものは、ふくらはぎ、首、前腕など末梢部の小さい筋肉と、上腕三頭筋の局部的な種目でしょう。ベンチ・プレス、バック・プレスバー・ディップスなどで上腕三頭筋は十分に鍛えられているので、フレンチ・プレスなどの上腕三頭筋の局部的な運動を省略して、そのセット数を胸、広背の練習にあてると良いでしょう。


最後に問題となるのが肩です。日本のビルダー共通の弱点であるこの箇所を軽視するわけにはまいりませんが、初級者のころには胸、広背など体の中心部の大きな筋肉を優先したい感じがいたします。

初級時代に注意すべきこと

この初級時代に誰もが犯しやすい誤りを、1つ2つ指摘しておきましょう。

その1つは、3カ月以上ボディビルを経験して一応練習に慣れてくると、先輩ビルダーの練習を真似したがることです。先輩が現在行なっている練習と同じことをすれば早く良い体になると錯覚するのか、あるいは他の人がやっている練習方法が面白く見えるのでしょうか、つい、浮気心を起こして、自分のスケジュール以外のものに手を出してしまうようです。


隣の漬物は美味しく感じ、他人の奥さんは締麗に見えるものです。こんなところで惑わされてはいけません。


何事によらず順序があります。階段を1段1段昇って行くべきところを、欲を出して、2、3段飛び越そうとすると、踏みはずして思わぬ怪我をするものです。背伸びをせずに、現在の自分が出来ること、またやらなければならないことに全力を尽くしてそれを克服し、また、次のものに進むように心掛けなければ、大きな山はなかなか征服出来るものではありません。


また、最初の2〜3カ月間はメキメキと力が強くなり、筋肉の発達のスピードも早く、実に楽しいときです。作家の三島由紀夫氏もその当時を回想して「世の中で何が面白いといっても自分の力や体が目に見えて発達したときほど面白かったことはなかった」とおっしゃっていますが、誰しもその思いは同じでしょう。
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しかし、ここで気を付けなければならないことは、あまりの面白さに、つい我を忘れて、体力以上の無理をしたり、休養をせずに毎日のようにトレーニングしやすいものですが、このようなことは絶対に避けて、オーバー・ワークにならないように十分注意しなければいけません。

初心〜初級時代の私

私がはじめてバーベルを手にしたのは「猫も杓子もボディビル」といわれたほどの、爆発的なボディビル・ブームのさ中である昭和31年の夏でした。この頃、若者の間にボディビルがどれほど熱狂的に迎え入れられたかは、当時を知る人でなければ理解出来ないことでしょうが、一言で説明するならば、後に現われた“フラ・フープ”や“ダッコちゃん”に優るとも劣らないほど強烈な流行だったのです。


私も、近所の若衆達の中に入って、見よう見真似でバーベルを持ち上げたものでしたが、今にして思えば、ボディビルとは遠くかけ離れた単なる「力競べ」をしていたに過ぎなかったようです。


本格的なボディビルをはじめたのは翌昭和32年の7月、中学3年の時からです。


私もその頃は、練習をすればする程発達するものだろうと早合点しまして1度所定のトレーニングを終わらせ、入浴後フトンに入ってから、モクモクと起き上がって、また練習したこともあります。今にしてみれば、よく体をこわさなかったものだと思いますが、ボディビル・センターに行かずに自宅で練習していましたし、良き指導書の少なかった時代ですから、私にかぎらず、無茶なトレーニングをした人はほかにも沢山いたのではないでしょうか。


その時わたしの手許にあったのは、重量が調節できない固定式の25kgのコンクリート・バーベルと、その幅が60センチもあるタ涼み用の縁台だけでした。


中学生の私にとっては、35kgのバーベルは重く、スロー・カールやフロント・プレスを正しい運動姿勢で行なうことが出来ずに、最初からチーティングを使わざるを得ず、苦労したものです。ストレート・アーム・プルオーバーはもち論のこと、ベント・アーム・プルオーバーなどは、1回も出来なかったので、始めのうちはスケジュールから除外しました。
練習開始後1年半の私

練習開始後1年半の私

それでも、熱心にトレーニングに励んだおかげで、ボディビル・センターで練習していた近所の先輩が、「実ちゃんは本当にこのバーベル1本で練習してこんな体になったのかい?」と驚くほど良く発達したものです。


食欲がない時でも、吐き気がしても豚モツのミソ煮を毎日200グラムずつ食べた栄養作戦と、規則正しい練習が効を奏したのか、練習開始時に60キロだった体重が、5カ月後に一時的ではあったが最高のときで77キロにもなりました。いくら育ち盛りの中学時代とはいえども5カ月間に17キロの体重増加は、今でも誇るに足る立派な成果であったと自負しております。
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当時私は、砲丸投げの選手でした。ボディビル開始前は12メートル50センチ程度の記録しか出せなかったのですが、ボディビル開始後7〜8カ月たった時には16メートルを越えるようになりました。その時の全国中学記録が15メートル40センチでしたから、大変な記録だったといえましょう。


これには、陸上競技部の部員はもちろんのこと自分でもびっくりしましたが、残念なことには記録が飛躍的に伸びたのがシーズン・オフだったために公式の競技会で出せなかったので、それを公認記録として後世にとどめることが出来ませんでした。


しかし、この記録を出せるようになった実力に自信を得て、陸上競技を専門的に行なうべく、当時、関東高校陸上競技界で無敵を誇っていた中大杉並高校(現在の中大付属高校)に入学したのでした。
月刊ボディビルディング1969年2月号

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