バーベル放談⑥
精 進
月刊ボディビルディング1969年1月号
掲載日:2018.01.17
アサヒ太郎
新春放談,と行こう。新しい年,新しいスタート。みなさん,まずボディビルを通じて,人に負けぬ体力,気力を与えられたことを感謝し,再確認し,さらにこの1年力いっぱい体をきたえあげよう。65kgの体重の人は70kgをめざそう。胸囲1mの人は110cmになろうではないか。ベンチ・プレスで70kgを上げる人は80kgを目標に,さらに90kg台に挑戦しようではないか。そして,この力と健康な心をひごろの仕事に生かし,不遇にあっても再起を忘れず,幸運のなかにもおごりをいましめ,この1年,このひと月,この1日を若者らしい意慾をこめて過ごして行こうではありませんか。
*
年頭に当り,10年1日,いまもなお精進を続けるボディビルダーの話からはじめよう。
川名英一氏,41歲(?)。日本生命保険相互会社・水戸支社の団体部長さんである。
ご存じの向きも多いと思うが,この川名さんはボディビルをはじめてもう18年になる。柔道2段,75kgというのが,この道に入った当時の体だったが,現在は105kg。100kg台のバーベルをひょいひょいとかつぎあげる怪力の主である。宮城県の出身で,仙台市に住むイギリス人マーチン先生の手ほどきを受けたのがそもそものはじまりだが,そのころ川名さんが持ちあげたバーベルの重さはプレス65kg,スナッチ60kg,ジャーク90kgだった。
これだけでも,普通の人にはたいへんな力だが,川名さんはもともと体に恵まれた人。それに持前のまじめさが手伝ってみるみる上達しプレス130kg,スナッチ120kg,ジャーク150kgまであげるようになった。このころには全日本重量あげ選手権,社会人選手権,国体と三つの大会に優勝し〝三冠王〟の名をほしいままにした。
この川名さんとはじめて口をきいたのは,たしか6,7年前の岡山国体へ向う車中だった。仲間の記者5,6人とわいわいいいながらふと通路越しの座席を見ると,堂々たる体格の偉丈夫がパナナをペロリ,ペロリ口に放りこみ,たちまちひとふさ平らげてしまった。たしか,ナニワ・ボディビルで見た人。こいつは都合がよろしい,と早速名刺を交換して話し合った。というのは,そのころ私の会社内にボディビル・クラブを作ろうとの声が持ちあがり,私が世話役を命ぜられていた。そこで,このベテランに頼んで,デモンストレーションを演じてもらい,大いに前景気をつけてもらおうとのコンタンがあったからだ。
川名さんは快諾してくれた。国体の帰りに,同郷の後輩である三宅義信選手ら当時一流の重量あげ選手も引き連れて参りましょう,と願ってもない返事である。某月某日,川名さんは約束通り三宅君らを連れて社の体育館に現われ,5,60人の社員の前で話術たくみに実演してくれた。大成功。部員を募集するとたちまち100人ぐらい集まった。
いわば,川名さんは私の社のボディビル・クラブ誕生の産婆さんである。それ以来,重量あげ大会でもちょくちょくお会いするようになった。大阪の大会では審査員をつとめられ,たしか関西大学あたりでコーチもしておられたはずだ。その川名さんと昨年,岐阜県土岐市の全日本重量あげ選手権でふたたび会った。後輩の三宅兄弟応援のためにわざわざやってきたとのことだった。この話,実はこの帰途の車中で聞いたものである。
川名さんは中学校,小学校に通う3人の子供さんがいる。会社の仕事も忙がしい。が,いまも週3回,130kg台のバーベルを相手に練習を欠かさない。ときには夜10時すぎからはじめることもある。練習時間は1時間から1時間半。会社の激務でつかれ切っているときもあるというが,バーベルをにぎると体の調子がテキメンにいいので,こればかりは止められないという。国体もたしか連続10年の出場で表彰も受けたはずだ。
奥さんがなかなかえらく,貴方のお好きなようにおやり下さいと温かい目で見ておられるという。おかげで,川名さんはカゼを引かない。病気も何ひとつしたことがない。「健全な精神は,健全な身体に宿る」と信じて,一片の疑問も持たず,きょうも,あすもバーべルに向う日課である。会社内の信望もたいへんなようだ。今年も,川名さんはバーベルをにぎるだろう。ひょっとすると元旦早々,庭に下りて練習しているかも知れない。おそらく60,70までやり続けるだろう。精進,精進,まさに努力の連続である。しかし川名さんにとって,この努力は楽しみでもあるのだ。りっぱな社会人,りっぱなボディビルダー。みなさんも,この川名さんのアトを継いでもらいたいものだ。
*
東京都下の小金井市で食料品店を経営する加淵清太郎さんも,ボディビルで健康を取戻し,若者をしのぐ体力をほこる一人。昨年暮れのボディビル誌でもすでに紹介ずみのご仁だが,おツムの方さえ忘れれば40台の若さである。加淵さんは今年57歳になるはずだが……。
ボディビルをやっておられるみなさんのなかには,たいてい胃弱,腺病質といったハンディキャップを克服するためにこの道に入った方が多い。しかし,ひと月,3カ月は何とか練習して人並みになろうと思うが,半年も過ぎるとそろそろイヤ気,というよりも努力心を無くして中途半端で投出す人がいる。こんななかで初志を貫徹するのは加淵さんのように真の健康価値を知っている人たちだ。前にのべた川名さんなどは,その意味で例外といえるだろう。
加淵さんは医者に胃カイヨウを宣告されたときは,フロで自分の背中を洗う力も無かったという。ガリガリにやせ,こんな毎日を送るよりは死んだ方がいい,とさえ思われた時期もあったそうだ。だからこそ見よう見まねで今日のすばらしい体力を獲得されたのだろう。これも精進のタマモノである。
*
おなじ精進といっても,別の世界の話だが,こんな例もある。
私の若い同僚の友人に,ある大学の剣道部のキャプテンをつとめていた人がいる。剣道が何より好きといううえに,人一倍のケイコ熱心も手伝って学生界では名うての剣士で聞えた。この人は,ケイコのほかに連日シナイの素振りを何百回と繰返し,1日も欠かすことがなかった。このためウデの筋肉はたくましくしまり,上腕囲の太さはちょっと異常と思えるほど大きかった。なにしろ学生服を着ても,ウデが太くてソデを通すことができない始末。止むを得ず,学生服のソデだけ切り開いて別のキレ地を足すというほどだった。あの軽いシナイを振るだけでも,ものすごい腕っぷしができあがるのである。バーベルできたえたら超人的なウデができあがるのも当然といえる。これも精進,あれも精進である。
こんな話もある。
*
私が青年時代,英語を習った先生に磯貝という日本有数の剣道範士がいた。当時,すでに70歳を越えておられたと記憶するが,終戦後の混乱期だったので,昔おぼえた英語の塾を開いて生活のカテとされていた。先生は若いころ,アメリカの鉄道王といわれたハリマンという人に剣道の強さを見込まれアメリカに遊学した。もちろん,あちらでは大学に入って勉強されたのだが,このとき先生といっしょにある柔道マンも同行した。
名前はちょっとど忘れしたが,後年勇名をはせた柔道家である。この柔道範士は渡米早々,アメリカの警官相手に大格闘を演じ,190cm近い相手を道路にたたきつけてしまったという武勇伝を持っている。その柔道家とある日,冗談話で剣道の試合をしようということになった。「柔道では強いキミだが,剣道はボクの本職,赤ん坊を相手にするようなもんだ」
「いや,たとえ剣道でもボクは自信がある。ひとつ,やろうじゃないか」
先生は「よーし,ひとつこらしめてやろう」とシナイの先端に,ひそかにぬれた新聞紙を丸めてつめこんだ。
イザ,勝負!
筋骨隆々の体に馴れぬ面,胴,小手をつけ柔道範士はスキをねらった。先生は,その様子を見て吹き出しそうになった。スキだらけである。柔道衣を着れば,何人ものアメリカ人の大男を自由自在に投げ飛ばす相手も,モチ屋はモチ屋のたとえで畑違いの剣道ばかりはまったくカタなし。先生は正眼に構えて機会をねらった。相手は打込もうにも,寸分のスキも見当らない。えーいっ! 裂帛の気合いとともに,先生のシナイが飛び,柔道家の頭上めがけてしたたかに打込まれた。そのとたん〝うーん〟とうなり声をあげて柔道家は気絶してしまった。相手の面をあざやかにとらえた一撃で脳震倒を起してしまったのである。ちなみに,先生の体は150余cmの小柄である。精進を重ねたウデ前がいかにすさまじいかを物語るエピソードである。
精進というよりも,人間の執念で作りあげた技がいかにすごいものであるかという話をもう一つ。
前の号でも紹介した柔道家の木村政彦7段が体験した格闘技である。ブラジル遠征中,木村さんはアマゾン河の上流にある町でブラジル人の武道家と死を賭けた壮烈な試合を演じ引分けたが,ここに発生した土着の武技にカッポエラ(?)という格闘技がある。これは,その昔白人奴れい商の手によってアフリカから運ばれてきた黒人たちが,白人の乱暴に自衛手段としてアミ出した素手の護身術である。
日本の空手,拳法に柔道を加えたようなすさまじい闘技だそうだが,この技に熟達した男はいずれも70kg前後の身軽な連中ばかりだという。ところが,この小柄な男たちが100kgを越える大男たちを相手取って,練習している様子を見ると,まるで子供を相手にするようにめちゃくちゃにやっつけてしまうのだそうだ。そのため,いかに巨体をほこる男たちでも,この格闘技の選手を見るとたちまちまっ青な顔になって逃げまどうという。
銃やムチで,さんざんにおどかし,傷つける白人どもに対抗して,黒人たちが必死に考案した格闘技術がいかにはげしく,殺人的なものであるかを,さすがの木村さんも身にしみて感じたという。それから見れば,日本の柔道など甘っちょろくてとも相手になれたものではないそうだ。死んだプロレスラーの力道山にこそ敗れたが,柔道衣をまとって以来いまだかって敗れたことのない猛将,木村さんにしてこの印象であるから,人間の執念,精進がどんなにすごいものであるかを思い知る。
何事も精進,何事も「成せば成る」の一語に尽きるようだ。
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年頭に当り,10年1日,いまもなお精進を続けるボディビルダーの話からはじめよう。
川名英一氏,41歲(?)。日本生命保険相互会社・水戸支社の団体部長さんである。
ご存じの向きも多いと思うが,この川名さんはボディビルをはじめてもう18年になる。柔道2段,75kgというのが,この道に入った当時の体だったが,現在は105kg。100kg台のバーベルをひょいひょいとかつぎあげる怪力の主である。宮城県の出身で,仙台市に住むイギリス人マーチン先生の手ほどきを受けたのがそもそものはじまりだが,そのころ川名さんが持ちあげたバーベルの重さはプレス65kg,スナッチ60kg,ジャーク90kgだった。
これだけでも,普通の人にはたいへんな力だが,川名さんはもともと体に恵まれた人。それに持前のまじめさが手伝ってみるみる上達しプレス130kg,スナッチ120kg,ジャーク150kgまであげるようになった。このころには全日本重量あげ選手権,社会人選手権,国体と三つの大会に優勝し〝三冠王〟の名をほしいままにした。
この川名さんとはじめて口をきいたのは,たしか6,7年前の岡山国体へ向う車中だった。仲間の記者5,6人とわいわいいいながらふと通路越しの座席を見ると,堂々たる体格の偉丈夫がパナナをペロリ,ペロリ口に放りこみ,たちまちひとふさ平らげてしまった。たしか,ナニワ・ボディビルで見た人。こいつは都合がよろしい,と早速名刺を交換して話し合った。というのは,そのころ私の会社内にボディビル・クラブを作ろうとの声が持ちあがり,私が世話役を命ぜられていた。そこで,このベテランに頼んで,デモンストレーションを演じてもらい,大いに前景気をつけてもらおうとのコンタンがあったからだ。
川名さんは快諾してくれた。国体の帰りに,同郷の後輩である三宅義信選手ら当時一流の重量あげ選手も引き連れて参りましょう,と願ってもない返事である。某月某日,川名さんは約束通り三宅君らを連れて社の体育館に現われ,5,60人の社員の前で話術たくみに実演してくれた。大成功。部員を募集するとたちまち100人ぐらい集まった。
いわば,川名さんは私の社のボディビル・クラブ誕生の産婆さんである。それ以来,重量あげ大会でもちょくちょくお会いするようになった。大阪の大会では審査員をつとめられ,たしか関西大学あたりでコーチもしておられたはずだ。その川名さんと昨年,岐阜県土岐市の全日本重量あげ選手権でふたたび会った。後輩の三宅兄弟応援のためにわざわざやってきたとのことだった。この話,実はこの帰途の車中で聞いたものである。
川名さんは中学校,小学校に通う3人の子供さんがいる。会社の仕事も忙がしい。が,いまも週3回,130kg台のバーベルを相手に練習を欠かさない。ときには夜10時すぎからはじめることもある。練習時間は1時間から1時間半。会社の激務でつかれ切っているときもあるというが,バーベルをにぎると体の調子がテキメンにいいので,こればかりは止められないという。国体もたしか連続10年の出場で表彰も受けたはずだ。
奥さんがなかなかえらく,貴方のお好きなようにおやり下さいと温かい目で見ておられるという。おかげで,川名さんはカゼを引かない。病気も何ひとつしたことがない。「健全な精神は,健全な身体に宿る」と信じて,一片の疑問も持たず,きょうも,あすもバーべルに向う日課である。会社内の信望もたいへんなようだ。今年も,川名さんはバーベルをにぎるだろう。ひょっとすると元旦早々,庭に下りて練習しているかも知れない。おそらく60,70までやり続けるだろう。精進,精進,まさに努力の連続である。しかし川名さんにとって,この努力は楽しみでもあるのだ。りっぱな社会人,りっぱなボディビルダー。みなさんも,この川名さんのアトを継いでもらいたいものだ。
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東京都下の小金井市で食料品店を経営する加淵清太郎さんも,ボディビルで健康を取戻し,若者をしのぐ体力をほこる一人。昨年暮れのボディビル誌でもすでに紹介ずみのご仁だが,おツムの方さえ忘れれば40台の若さである。加淵さんは今年57歳になるはずだが……。
ボディビルをやっておられるみなさんのなかには,たいてい胃弱,腺病質といったハンディキャップを克服するためにこの道に入った方が多い。しかし,ひと月,3カ月は何とか練習して人並みになろうと思うが,半年も過ぎるとそろそろイヤ気,というよりも努力心を無くして中途半端で投出す人がいる。こんななかで初志を貫徹するのは加淵さんのように真の健康価値を知っている人たちだ。前にのべた川名さんなどは,その意味で例外といえるだろう。
加淵さんは医者に胃カイヨウを宣告されたときは,フロで自分の背中を洗う力も無かったという。ガリガリにやせ,こんな毎日を送るよりは死んだ方がいい,とさえ思われた時期もあったそうだ。だからこそ見よう見まねで今日のすばらしい体力を獲得されたのだろう。これも精進のタマモノである。
*
おなじ精進といっても,別の世界の話だが,こんな例もある。
私の若い同僚の友人に,ある大学の剣道部のキャプテンをつとめていた人がいる。剣道が何より好きといううえに,人一倍のケイコ熱心も手伝って学生界では名うての剣士で聞えた。この人は,ケイコのほかに連日シナイの素振りを何百回と繰返し,1日も欠かすことがなかった。このためウデの筋肉はたくましくしまり,上腕囲の太さはちょっと異常と思えるほど大きかった。なにしろ学生服を着ても,ウデが太くてソデを通すことができない始末。止むを得ず,学生服のソデだけ切り開いて別のキレ地を足すというほどだった。あの軽いシナイを振るだけでも,ものすごい腕っぷしができあがるのである。バーベルできたえたら超人的なウデができあがるのも当然といえる。これも精進,あれも精進である。
こんな話もある。
*
私が青年時代,英語を習った先生に磯貝という日本有数の剣道範士がいた。当時,すでに70歳を越えておられたと記憶するが,終戦後の混乱期だったので,昔おぼえた英語の塾を開いて生活のカテとされていた。先生は若いころ,アメリカの鉄道王といわれたハリマンという人に剣道の強さを見込まれアメリカに遊学した。もちろん,あちらでは大学に入って勉強されたのだが,このとき先生といっしょにある柔道マンも同行した。
名前はちょっとど忘れしたが,後年勇名をはせた柔道家である。この柔道範士は渡米早々,アメリカの警官相手に大格闘を演じ,190cm近い相手を道路にたたきつけてしまったという武勇伝を持っている。その柔道家とある日,冗談話で剣道の試合をしようということになった。「柔道では強いキミだが,剣道はボクの本職,赤ん坊を相手にするようなもんだ」
「いや,たとえ剣道でもボクは自信がある。ひとつ,やろうじゃないか」
先生は「よーし,ひとつこらしめてやろう」とシナイの先端に,ひそかにぬれた新聞紙を丸めてつめこんだ。
イザ,勝負!
筋骨隆々の体に馴れぬ面,胴,小手をつけ柔道範士はスキをねらった。先生は,その様子を見て吹き出しそうになった。スキだらけである。柔道衣を着れば,何人ものアメリカ人の大男を自由自在に投げ飛ばす相手も,モチ屋はモチ屋のたとえで畑違いの剣道ばかりはまったくカタなし。先生は正眼に構えて機会をねらった。相手は打込もうにも,寸分のスキも見当らない。えーいっ! 裂帛の気合いとともに,先生のシナイが飛び,柔道家の頭上めがけてしたたかに打込まれた。そのとたん〝うーん〟とうなり声をあげて柔道家は気絶してしまった。相手の面をあざやかにとらえた一撃で脳震倒を起してしまったのである。ちなみに,先生の体は150余cmの小柄である。精進を重ねたウデ前がいかにすさまじいかを物語るエピソードである。
精進というよりも,人間の執念で作りあげた技がいかにすごいものであるかという話をもう一つ。
前の号でも紹介した柔道家の木村政彦7段が体験した格闘技である。ブラジル遠征中,木村さんはアマゾン河の上流にある町でブラジル人の武道家と死を賭けた壮烈な試合を演じ引分けたが,ここに発生した土着の武技にカッポエラ(?)という格闘技がある。これは,その昔白人奴れい商の手によってアフリカから運ばれてきた黒人たちが,白人の乱暴に自衛手段としてアミ出した素手の護身術である。
日本の空手,拳法に柔道を加えたようなすさまじい闘技だそうだが,この技に熟達した男はいずれも70kg前後の身軽な連中ばかりだという。ところが,この小柄な男たちが100kgを越える大男たちを相手取って,練習している様子を見ると,まるで子供を相手にするようにめちゃくちゃにやっつけてしまうのだそうだ。そのため,いかに巨体をほこる男たちでも,この格闘技の選手を見るとたちまちまっ青な顔になって逃げまどうという。
銃やムチで,さんざんにおどかし,傷つける白人どもに対抗して,黒人たちが必死に考案した格闘技術がいかにはげしく,殺人的なものであるかを,さすがの木村さんも身にしみて感じたという。それから見れば,日本の柔道など甘っちょろくてとも相手になれたものではないそうだ。死んだプロレスラーの力道山にこそ敗れたが,柔道衣をまとって以来いまだかって敗れたことのない猛将,木村さんにしてこの印象であるから,人間の執念,精進がどんなにすごいものであるかを思い知る。
何事も精進,何事も「成せば成る」の一語に尽きるようだ。
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