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ボディビル風雲録2

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月刊ボディビルディング1969年2月号
掲載日:2018.01.17
田鶴浜 弘

爆発したプロレス・ブームの底にあるもの

 昭和29年の2月だった。シャープ兄弟の来日で,すさまじいプロレス旋風が巻き起こった。
 力道山のカラ手が,いや,日本人が終戦後10年――はじめて公然と,毛唐をブン投げ,ハリ倒して見せる痛快さ――あらゆる日本人が興奮を覚えさせられたのだ。
 少なくとも。プロレス熱気の及ぶところには,感動が,電気のようにつたわる。
 2日目の夜,N・T・Vのプロレス実況中継で,解説者にかり出された私は,むらがる人波の国技館に乗り込む前に,近所のソバ屋に飛び込んだ。
 腹ごしらえるするためよりも,前夜の初試合がどんな反響を与えたか――という巷の声が聞きたかったからである。
 ここも果たして,ゴッタ返す店内――前夜の反響が私の予期以上に前人気を盛りあげていて,まさに殺気立ったざわめきがあふれていた。
 〝日本人の腕っ節は筋金入りだよネ世界チャンピオンという馬なみのデッカイ毛唐と立派に五分にやれらァ。
 〝あれを見たら。胸がスカッとしたじゃないか――〟
 〝一ペんで気に入ったから,今晩はフッとんでやってきたンだ〟
 〝あたりめえさ――もう,日本人はアメ公なんぞに負けやぁしねェ〟
 初見参のプロレスを,彼等は多分前夜街頭テレビででも,たった一ぺん見ただけにちがいない。
 たしかに終戦以来,白人に対するコンプレックスに馴れ,ふ抜けになった野郎共に,実に久々で,忘れていた白人に負けない力と勇気を思い出させた――何かしら明るいはずみのあるようなフンイキがそこにただよっていた。
 だが,誰かが,
 〝――日本人が小粒なのが,やっぱり残念だナ〟
 そういったのが,今一つ強く私の印象に残った。
 このときのプロレス・ブーム爆発ぶりの一端を今少々書き加えておく。
 当時の日本テレビは,開局以来僅か半年だから受像機を備えた家庭が少ないので,主要な盛り場などに,街頭テレビ受像機を設備して普及につとめていたのが,プロレス・ブームのいい突破口になる。
 人間台風――のような力道山の暴れっぷりが,電波にのって現れると,テレビ受像機の前は,街頭テレビの広場であろうと,テレビを備えたお店であろうと,たちまち人間の洪水。
 あんまり人々が,ひしめきすぎて,ブッ壊されたウインドウや,お店までが,ザラだった。
 かくて,プロレス中継は,N・T・V始まって以来の大当たり番組――プロレスのお蔭をこうむったのはN・T・Vだけではない。
 例のダフ屋だ。
 プレミアムは,たちまちうなぎのぼり――お目見え以来たった3晩目というシャープ兄弟戦の3日目には,早くもリング・サイド券の闇値が,何と1万円を軽く越えるという信じ難いほど――おそらく,日本の興行界始まって以来という記録的な爆発人気になった。
 次いで,8月のニューマン,シュナーベルを迎かえた2度目の興行では,T・V中継がはじまると,街を往く人影が半減し,東京都内のタクシーまで,ほとんど姿を消してしまう。
 誰も彼も,争ってテレビの前にすわり込むという奇妙な現象。
 こうなると,抜け目のない喫茶店がうまいことを考え出した。
 店頭に,プロレス席の予約申し受けます――という貼紙が出ているので,切符を買い損ねた奴が買いにいった。
 〝――300円の指定席があります〟といわれる。
 余り安いので,ビックリして飛びつくと,店のマダムは,少しも騒がず,おもむろに店の奥のテレビ受像機前のテーブルを指差しながら婉然と,こういった。
 〝このお席を取っておきますわネ〟



 たしかに,プロレスは面白かったがこのプロレス・ブームのとてつもないボルテージの高さは,単にそれだけの魅力ではなかった。
 大げさな言い方をすると,それは白人コンプレックスを肉体的に,フッとばす民族的快感が,裏づけになっていたことに社会的な根の深さがあった。
 そして,同時に,日本人を,肉体思想に目覚めさせる一つの転機に,つながっていたと思う。
 勿論,私自身,みんなと一緒に,プロレス・ブームの波に,欣然と溺れこむのであった。敗戦日本の四等国民――という自嘲を端的に,わかりやすくフッ飛ばし,志気振興には,もって
こいだと思ったのだ。
 つい先だって,北満で窮乏の厳冬に生死ギリギリの境地で,知能もスピリットもしょせんは肉体の所産以外の何でも無い――ということを身をもって自覚している私には,民族のエネルギーと肉体思想は不可分なのだ。
 八重州通りの大阪商船ビル(今は無い4階の,2坪のせまい事務所を本拠に,プロレス・ブームを突破口にした月刊誌〝Fight〟(ファイト)を創刊したのが昭和37年正月であった。
 〝Fight〟は,一応レスリング専門雑誌と銘打ったが,主宰する私の胸中は,忘れられている日本人の勇気と闘魂を呼び起こす為に声高く叫ぼう――というのである。

ボディビル登場

 月刊ファイトも5号を重ね,5月の風が快いある晴れた日の午後だった。
 八重州通りに,まだ焼け跡が点在して見えるのを,私は編集室の窓から見下ろしながら,〝ファイトとは,逞ましい肉体の所産に他ならない〟などとそんな事をボンヤリ考えていたとき,その私の心境にピッタリする訪問者があらわれるのだが,その来訪ぶりの第一印象は,少しばかり風変りであった。
 〝オースッ〟とか,何とか,おそろしくデカイ声と一緒に,早稲田大学の制服を着たひどく威勢のいい奴が,ヌーッと這入ってきたのである。
 眼光するどい大男であった。
 雑誌の性質上,ここには,大体格闘競技関係者――つまり世間に勇名を知られた腕力者の来訪は珍らしくないから,強そうな奴には馴れっこである。
 それなのにこの学生は,若いに似合わず威圧感を持ち合せているのが,ひどく印象的で,ボルテージの高い非凡な奴だ――という直感がした。
 すると彼はギリシャ思想への思慕を情熱的に語り,ボディビルへの燃える抱負をおそろしくデカイ声で弁じたてながら,いきなり上着をかなぐり捨てて素っ裸になり,すばらしい筋肉を誇示するではないか。
 そして大胸筋や,二頭膊筋を緊張させ,マッスル・コントロールをやってのけ,いささかどぎもを抜かされた。
 はじめは,偉い奴だか,気違いだかトッサに判断がつかないが,よく聞いているうちに,こいつの思想が,私の思念にピッタリくるものがあるのが段々判ってくる。
 然も,この学生は,私がやり度い――と模索している日本民族の体格改良ムーブメントの,その実践部門に現実に取っ組んでいるらしいのだ。
 こいつは大した野郎だ――と思ったから,私はこういった。
 〝――なる程ネ,四等国民のコンプレックスを吹っとばし,もう一度一等国民にもどるためには,日本人をまず毛唐に負けない身体にすることから始めたい――と僕もそう思ってたンだヨ,多分君の考えも同じじゃァないかナ〟
 すると彼は,自信を以て昂然と答えた。〝その通りです――それに付け加えて,いわして下さい――健康な筋肉がすべての文化も思想も生んだのです〟
 こいつは俺のいい度いことをいやぁがったじゃないか――そう思うと,私の脳裡に感動が走ると同時に,思わず口走った。
 〝君,それは早稲田ボディビル・クラブだけじゃアいかンネ――もっと,広くボディビル協会にまで,もって行く可きだ――遠慮も逡巡もすることもないじゃァないか――天下に広く呼びかけて,国民的ムーブメントを起こそうじゃァないか――天下の公器としてわがファイト誌が全力をあげて提唱しようじゃァ無いか――如何だネ〟
 これでは,全く主客転とうである――その時は,いい年をして少なからず興奮して大見栄を切った私の方が,いささか狂人じみて見えたかも知れない。
 それに,間も無く驚異的な大飛躍を遂げたファイト誌も,まだそのときは,僅かに26ページ建てで,気の利いたプログラムよりも貧弱なもので,発行部数も,やっと1万部前後にすぎなかったのだから,いささか私も勇ましかったようだ。
 これが,今日の日本ボディビル協会理事長玉利斉君と,私との初出会いの場面であった。(つづく)
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レベル上がる重量あげフライ級

 メキシコ・オリンピック大会における国際ウェイトリフティング連盟総会では,次の大会からはフライ級(52kgまで)とスーパー・へビー級(110kg以上)を設置することに決定したといわれる。
 これは,わが国のフライ級選手諸君にとっては朗報にちがいない。そしてまた,日本にとってはこれまでのバンタム級からミドル級までの4階級のほかに,もう一つメダル獲得の可能性をもたらすクラスがふえたことにもなり,よろこばしい限りである。
 しかし,そうはいうものの,最近の青少年の体位が向上している関係で,だんだんフライ級に属する小柄な選手が少なくなってきているのも事実。はたしてどんな選手がこのフライ級を背負って立ってくれるだろうか。
 このように考えてみると,前途はけっして明るいとばかりはいえないが,それでもこのフライ級は,欧米の国々よりもずっとわが国のほうが有利なことはいうまでもない。ひとつ,読者の中からわれと思わん者がいれば,いまからでも遅くはないから,がんばってみては……
 ところで,かりに,このフライ級が次回の世界選手権大会から設けられるとすれば,この1~2年のうちに,おそらく記録面で大きな飛躍が期待できるのではなかろうか。
 では,どのくらいまで合計記録は伸びるだろうか。その目安の一つとして,現在の合計世界記録を体重で割った数値,つまり,体重の何倍出せるかということを調べてみると,バンタム級からライト級まではだいたい次のようになる。
バンタム級 6,555
フェザー級 6,602
ライト級 6,518
 むろん,ミドル級以上は,これよりもずっと数値が下がってくるので省略させてもらうこととして,上にあげた3クラスではすべて6.5以上の数値が出されている。したがってこれをそのまま用いて計算してみると,フライ級の体重52kgで出せる当面の予想記録は,だいたい337.5kg以上ということになる。
 おそらく,現在の世界の記録は,325kg前後だと思うが,いずれこのクラスが世界のヒノキ舞台に登場するようにでもなれば,前述した予想記録には早晩到達することであろう。そして,これはP―102.5kg,S―102.5kg,J―132.5kg,T―337.5kgということで,簡単に達成できるはずである。(M.K生)

体内の水分の働き

 食事中に水を飲むことは,胃液を薄くして消化を妨げる,と一般に信じられてきた。だが,その道の権威者たちは,胃液が薄くなるのは一時的な現象であって,水はすぐ胃中から出ていき,体中の大切な諸器官の機能を発揮させる,という。
 血液の90%以上が水分であり,水は栄養分を内臓諸器官に運び,吸収を助け,活力の要因となる。それと同時に,体内の老廃物を体外に排出するのに役立つ。
 肺や皮膚から蒸発する水分は,体温を調節するおもな要素の一つである。通常,水の蒸発によって体温が約25%消失する。体温を上げる運動を行なうと水分は汗となって失われるが,その量は,目に見える汗よりも,呼気による蒸発のばあいのほうが大きい。
月刊ボディビルディング1969年2月号

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