'68ミスター日本コンテストレポート
月刊ボディビルディング1968年11月号
掲載日:2018.02.16
日本のボディビル・ムーブメントも今年は,一つの大きな発展期を迎えたように思われる。
何事においても黎明期というものは,いかにもことさみしいことから始まるものだが,日本のボディビルも,過去に於いてやはりこの例外ではなかったといえる。
日本ボディビル協会が,去る昭和30年,川崎秀二氏(現衆議院議員)を会長に発足してから約13年。この間発足時のブームを一つの頂点として,以後10年間,ほそぼそとコンテストのみを続けてきた第1期。
次いで第2期というのが,新会長八田一朗氏(現参議院議員)を迎えて東京日比谷公会堂で行なわれた過去2回のミスター日本コンテストに示される昭和40年以降の動きといえよう。この第2期では,過去のボディビルの観念を根本的にくつがえした精神面の充実,すなわち健康を中心にした人間の生命力を謳い上げ,国民の体力づくり運動にまで発展させようと大きく,1歩踏み出したことである。そして,その思想統一のもとに全国を一本化するという大事業を成し遂げた。
そして,今年,初めてのミスター日本コンテストの地方大会開催である。この地方進出の意義は大きい。もともと本部協会(東京)を中心に地方協会を育成することが,とりもなおさず日本ボディビル協会の発展につながることは自明の理。だが,これはなかなか云うは易く,行うは難し,である。その第1歩を関西大会(滋賀・琵琶湖畔)で印したのである。
本題から外れ,前書きめいたものをのべたが,要は,今年のミスター日本コンテストの地方進出ということが,協会の歴史の,1ページをうめるに価するエポックメーキングな出来事であるといいたかったわけだ。
××
さて,ここ琵琶湖大博覧会の会場は,朝から秋晴れにめぐまれ,折からの日曜日とて,入場者はおよそ6万人,湖から吹く風は肌にこころよく,ほんのりとかすむ北側比叡山の勇姿は,東京の塵埃によごれたわれわれの身も心も清めてくれるようなすがすがしさを感じさせた。
予定よりも約30分遅れて,午後1時30分,大会の開会ファンファーレは青空高く鳴りひびいた。ギリシャ風の背景をしつらえられた中央ステージは,万余の大観衆で十重二十重に囲まれ,立錐の余地も余さぬありさま,
舞台には,この日を目指して精進を重ね,地方予選を勝ち抜いて全国から選ばれた精鋭がずらり52人,一堂に勢揃いした姿は,まさに圧巻。どれもこれも日焼けして,黒い黒い。
毎日放送山本善一アナの軽妙な司会で選手の一人一人が紹介される……。
選手をうしろに本日の大会々長八田一朗氏(日本ボディビル協会々長・参議院議員)の開会挨拶が始まる。
「わたしは,レスリング協会の会長もやっているが,日本のレスリングが強いのは,平素ボディビルで基礎体力の増強をはかっているからで,国民の皆さんも大いにボディビルを行ない,体力づくりにはげみ,日毎の仕事に十分生かせるよう頑張りましょう」
と,メキシコ・オリンピック前にあたり適切なお話。
次いで,本日の予選審査員として次の15氏が紹介された。
雨森徹次(山口)石田哲朗(愛知)小寺金四郎(東京)兼岩元城(静岡)金沢利翼(広島)北原今朝樹(埼玉)田面広一郎(香川)田川悟(長崎)継谷洋一(兵庫)永江孝嗣(石川)
長谷川三郎(京都)藤原勤也(宮城)堀勇(岐阜)山口寿彦(大阪)吉田馨(京都)
いよいよ予選の開始である。
予選は,ステージ上に5人並び,1人ずつ演技台に登って規定ポーズ3種(前面,側面,背面各1種),フリーポーズ2種を1分間以内に行ない,採点によって上位15名が選ばれ,決選に進出することになる。
それぞれ鍛えあげた肉体を,練習し抜いたポーズで,この一瞬に最大限に発表せんものと,緊張の時間が続く……。
会場は,一瞬シーンと静かになったり,時々起るタメ息の中に,関係者か知人かのカケ声がやたらに大きくひびく。
バックミュージックとして東京からわざわざ招かれた松岡明美さんの弾くハープのメロディが会場の緊張をわずかになごませ,選手の力演にリズムを与える。
審査員の採点の動きが,会場に奇妙な調和を感じさせる……。
やがて……予選が終った,
観客席にざわめきが起り,集計係のデスクの回りがにわかに活潑になる。
採点の集計が終れば,予選通過・決勝進出者の発表となるのだ。
この間に,恒例の日本ボディビル協会の功労者の表彰が行なわれ,八田会長からそれぞれ功労賞及び記念品が手渡された。
功労賞受賞者左の通り。
特別功労賞
谷口勝久(大阪)若木竹丸(東京)
功労賞
高橋幸男(東京)佐藤芳哉(東京)石田国雄(神奈川)安藤実積(愛知)浅見正二(茨城)池田良作(埼玉)迎明文(大阪)小林隆(滋賀)長谷川三郎(京都)吉田馨(京都)堀勇(岐阜)兼定清明(岐阜)北原今朝樹(埼玉)大島遙(佐賀)
午前中澄み渡っていた青空が,いつの間にか,うっすらと雲をひき,西の空にはどんよりとした雨もよいの雲が厚くたれ込んで,湖から吹く風もなんとなく肌寒さを感じさせてきた。
予選通過者の発表が始まった。
「ゼッケン×番! ○○○○君!」
次々と決選に残った選手の名前が呼ばれ,1人ずつ舞台の上に上ってくる
晴れの舞台で決選に残った選手は,左記の15名である。(○内はゼッケン番号)
⑬末光健一(東京)⑮後藤武雄(東京)㉑宮畑 豊(大阪)㉒木本五郎(大阪)㉜海野久男(静岡)㉝徳弘敏(大阪)㉞杉田茂(大阪)㊴飯富幸夫(東京)㊵小沢幸夫(東京)㊾重村 洵(大阪)○53中尾尚志(京都)○56伊原 宏(京都)○58吉村太一(大阪)○59吉田 実(東京)○60東 勝(三重)
戦前からの優勝の予想は,東に東京の吉田実選手,西に大阪の吉村太一選手――どちらが勝っても文句のないところ。この2人のデッドヒートがいかに展開されるか,またどんなダークホースが現われるか,観衆は片唾を飲んで待構える……。
決勝審査員9名が発表された。
八田一朗協会々長,大橋和孝京都協会顧問(參議院議員),田鶴浜弘協会副会長,谷口勝久協会副会長,松山巌協会副会長,バートン・E・マーチン協会技術顧問,平松俊男協会技術顧問,佐野誠之大阪協会副会長,小野藤二京都協会々長。
いよいよ決勝審査は開始された。
決勝はフリーポーズを1分間以内に行い,採点は細分化され,筋肉50,均整30,ポーズ20の合計100点で行われる。
原稿の制限があるので決勝の一つ一つをご紹介できないのが残念だが,決勝の半ば,遂に雨が降り始め,雨の中に本年度のミスター日本が生まれたのです。
特に優勝した吉田実選手と,惜しくも2位に甘んじた吉村太一選手のデッドヒートは見ものだった。
片や国際級のスケールとバルクを誇る吉田選手が,オーソドックスなポーズで筋肉の量感をうったえれば,吉村選手は,すばらしいディフィニッションを完壁なポーズで披歴,スケールで吉田君,ポーズで吉村君と,甲乙つけ難い迫力が伯仲,採点の発表の終るまで観衆は,どちらが選ばれるか,一喜一憂の面持ちだった。
丁度,この2人が食うか食われるかの激戦の最中,雨は一段とはげしく,競い合う選手も,顔から体から水しずくを,したたらせ,いわば水中の激突とでもいえる悪コンディションになった。
結局,東京の吉田実選手が,僅かの差で大阪の吉村選手を抑え,1968年度のミスター日本の栄冠を獲得した。
晴れの舞台で数々の賞状,トロフィーなどを受ける吉田選手の目には,雨のせいか,キラリと光るものさえ浮んでいたようだった。
午前中の好天気とはうって変って,午後には大雨に見舞れ,選手も役員も大あわてのミスター日本琵琶湖大会だったが,まずまずとどこおりなく終了した。観衆も雨の中を最後まで熱心な声援を惜しまずおくって頂いたことは,感謝にたえない。
ただ,惜しまれるのは,半年前から練習に練習を重ねて,今日の日に披露する予定だった大阪の中田信子女史がひきいる女生徒達の「女性のためのトレーニング」が雨のため中止になったことだった。せひ何かの機会に拝見したいと思う。
なお,若冠23才地元の声援を一身に背負って出場した中尾尚志君が,見事3位入賞を果したことは喜ばしい。伸び伸びとしたその肢体は将来が楽しみである。
15位迄の入賞順位は左記の通り。
① 59 吉田 実(東京)
② 58 吉村太一(大阪)
③ 53 中尾尚志(京都)
④ 49 重村 洵(大阪)
⑤ 60 東 勝(三重)
⑥ 60 後藤武雄(東京)
⑦ 34 杉田 茂(大阪)
⑧ 33 徳弘 敏(大阪)
⑨ 21 宮畑 豊(大阪)
⑩ 39 飯富幸夫(東京)
⑪ 40 海野久男(静岡)
⑫ 40 小沢幸夫(東京)
⑬ 13 末光健一(東京)
⑭ 56 伊原 宏(京都)
⑮ 22 木本五郎(大阪)
何事においても黎明期というものは,いかにもことさみしいことから始まるものだが,日本のボディビルも,過去に於いてやはりこの例外ではなかったといえる。
日本ボディビル協会が,去る昭和30年,川崎秀二氏(現衆議院議員)を会長に発足してから約13年。この間発足時のブームを一つの頂点として,以後10年間,ほそぼそとコンテストのみを続けてきた第1期。
次いで第2期というのが,新会長八田一朗氏(現参議院議員)を迎えて東京日比谷公会堂で行なわれた過去2回のミスター日本コンテストに示される昭和40年以降の動きといえよう。この第2期では,過去のボディビルの観念を根本的にくつがえした精神面の充実,すなわち健康を中心にした人間の生命力を謳い上げ,国民の体力づくり運動にまで発展させようと大きく,1歩踏み出したことである。そして,その思想統一のもとに全国を一本化するという大事業を成し遂げた。
そして,今年,初めてのミスター日本コンテストの地方大会開催である。この地方進出の意義は大きい。もともと本部協会(東京)を中心に地方協会を育成することが,とりもなおさず日本ボディビル協会の発展につながることは自明の理。だが,これはなかなか云うは易く,行うは難し,である。その第1歩を関西大会(滋賀・琵琶湖畔)で印したのである。
本題から外れ,前書きめいたものをのべたが,要は,今年のミスター日本コンテストの地方進出ということが,協会の歴史の,1ページをうめるに価するエポックメーキングな出来事であるといいたかったわけだ。
××
さて,ここ琵琶湖大博覧会の会場は,朝から秋晴れにめぐまれ,折からの日曜日とて,入場者はおよそ6万人,湖から吹く風は肌にこころよく,ほんのりとかすむ北側比叡山の勇姿は,東京の塵埃によごれたわれわれの身も心も清めてくれるようなすがすがしさを感じさせた。
予定よりも約30分遅れて,午後1時30分,大会の開会ファンファーレは青空高く鳴りひびいた。ギリシャ風の背景をしつらえられた中央ステージは,万余の大観衆で十重二十重に囲まれ,立錐の余地も余さぬありさま,
舞台には,この日を目指して精進を重ね,地方予選を勝ち抜いて全国から選ばれた精鋭がずらり52人,一堂に勢揃いした姿は,まさに圧巻。どれもこれも日焼けして,黒い黒い。
毎日放送山本善一アナの軽妙な司会で選手の一人一人が紹介される……。
選手をうしろに本日の大会々長八田一朗氏(日本ボディビル協会々長・参議院議員)の開会挨拶が始まる。
「わたしは,レスリング協会の会長もやっているが,日本のレスリングが強いのは,平素ボディビルで基礎体力の増強をはかっているからで,国民の皆さんも大いにボディビルを行ない,体力づくりにはげみ,日毎の仕事に十分生かせるよう頑張りましょう」
と,メキシコ・オリンピック前にあたり適切なお話。
次いで,本日の予選審査員として次の15氏が紹介された。
雨森徹次(山口)石田哲朗(愛知)小寺金四郎(東京)兼岩元城(静岡)金沢利翼(広島)北原今朝樹(埼玉)田面広一郎(香川)田川悟(長崎)継谷洋一(兵庫)永江孝嗣(石川)
長谷川三郎(京都)藤原勤也(宮城)堀勇(岐阜)山口寿彦(大阪)吉田馨(京都)
いよいよ予選の開始である。
予選は,ステージ上に5人並び,1人ずつ演技台に登って規定ポーズ3種(前面,側面,背面各1種),フリーポーズ2種を1分間以内に行ない,採点によって上位15名が選ばれ,決選に進出することになる。
それぞれ鍛えあげた肉体を,練習し抜いたポーズで,この一瞬に最大限に発表せんものと,緊張の時間が続く……。
会場は,一瞬シーンと静かになったり,時々起るタメ息の中に,関係者か知人かのカケ声がやたらに大きくひびく。
バックミュージックとして東京からわざわざ招かれた松岡明美さんの弾くハープのメロディが会場の緊張をわずかになごませ,選手の力演にリズムを与える。
審査員の採点の動きが,会場に奇妙な調和を感じさせる……。
やがて……予選が終った,
観客席にざわめきが起り,集計係のデスクの回りがにわかに活潑になる。
採点の集計が終れば,予選通過・決勝進出者の発表となるのだ。
この間に,恒例の日本ボディビル協会の功労者の表彰が行なわれ,八田会長からそれぞれ功労賞及び記念品が手渡された。
功労賞受賞者左の通り。
特別功労賞
谷口勝久(大阪)若木竹丸(東京)
功労賞
高橋幸男(東京)佐藤芳哉(東京)石田国雄(神奈川)安藤実積(愛知)浅見正二(茨城)池田良作(埼玉)迎明文(大阪)小林隆(滋賀)長谷川三郎(京都)吉田馨(京都)堀勇(岐阜)兼定清明(岐阜)北原今朝樹(埼玉)大島遙(佐賀)
午前中澄み渡っていた青空が,いつの間にか,うっすらと雲をひき,西の空にはどんよりとした雨もよいの雲が厚くたれ込んで,湖から吹く風もなんとなく肌寒さを感じさせてきた。
予選通過者の発表が始まった。
「ゼッケン×番! ○○○○君!」
次々と決選に残った選手の名前が呼ばれ,1人ずつ舞台の上に上ってくる
晴れの舞台で決選に残った選手は,左記の15名である。(○内はゼッケン番号)
⑬末光健一(東京)⑮後藤武雄(東京)㉑宮畑 豊(大阪)㉒木本五郎(大阪)㉜海野久男(静岡)㉝徳弘敏(大阪)㉞杉田茂(大阪)㊴飯富幸夫(東京)㊵小沢幸夫(東京)㊾重村 洵(大阪)○53中尾尚志(京都)○56伊原 宏(京都)○58吉村太一(大阪)○59吉田 実(東京)○60東 勝(三重)
戦前からの優勝の予想は,東に東京の吉田実選手,西に大阪の吉村太一選手――どちらが勝っても文句のないところ。この2人のデッドヒートがいかに展開されるか,またどんなダークホースが現われるか,観衆は片唾を飲んで待構える……。
決勝審査員9名が発表された。
八田一朗協会々長,大橋和孝京都協会顧問(參議院議員),田鶴浜弘協会副会長,谷口勝久協会副会長,松山巌協会副会長,バートン・E・マーチン協会技術顧問,平松俊男協会技術顧問,佐野誠之大阪協会副会長,小野藤二京都協会々長。
いよいよ決勝審査は開始された。
決勝はフリーポーズを1分間以内に行い,採点は細分化され,筋肉50,均整30,ポーズ20の合計100点で行われる。
原稿の制限があるので決勝の一つ一つをご紹介できないのが残念だが,決勝の半ば,遂に雨が降り始め,雨の中に本年度のミスター日本が生まれたのです。
特に優勝した吉田実選手と,惜しくも2位に甘んじた吉村太一選手のデッドヒートは見ものだった。
片や国際級のスケールとバルクを誇る吉田選手が,オーソドックスなポーズで筋肉の量感をうったえれば,吉村選手は,すばらしいディフィニッションを完壁なポーズで披歴,スケールで吉田君,ポーズで吉村君と,甲乙つけ難い迫力が伯仲,採点の発表の終るまで観衆は,どちらが選ばれるか,一喜一憂の面持ちだった。
丁度,この2人が食うか食われるかの激戦の最中,雨は一段とはげしく,競い合う選手も,顔から体から水しずくを,したたらせ,いわば水中の激突とでもいえる悪コンディションになった。
結局,東京の吉田実選手が,僅かの差で大阪の吉村選手を抑え,1968年度のミスター日本の栄冠を獲得した。
晴れの舞台で数々の賞状,トロフィーなどを受ける吉田選手の目には,雨のせいか,キラリと光るものさえ浮んでいたようだった。
午前中の好天気とはうって変って,午後には大雨に見舞れ,選手も役員も大あわてのミスター日本琵琶湖大会だったが,まずまずとどこおりなく終了した。観衆も雨の中を最後まで熱心な声援を惜しまずおくって頂いたことは,感謝にたえない。
ただ,惜しまれるのは,半年前から練習に練習を重ねて,今日の日に披露する予定だった大阪の中田信子女史がひきいる女生徒達の「女性のためのトレーニング」が雨のため中止になったことだった。せひ何かの機会に拝見したいと思う。
なお,若冠23才地元の声援を一身に背負って出場した中尾尚志君が,見事3位入賞を果したことは喜ばしい。伸び伸びとしたその肢体は将来が楽しみである。
15位迄の入賞順位は左記の通り。
① 59 吉田 実(東京)
② 58 吉村太一(大阪)
③ 53 中尾尚志(京都)
④ 49 重村 洵(大阪)
⑤ 60 東 勝(三重)
⑥ 60 後藤武雄(東京)
⑦ 34 杉田 茂(大阪)
⑧ 33 徳弘 敏(大阪)
⑨ 21 宮畑 豊(大阪)
⑩ 39 飯富幸夫(東京)
⑪ 40 海野久男(静岡)
⑫ 40 小沢幸夫(東京)
⑬ 13 末光健一(東京)
⑭ 56 伊原 宏(京都)
⑮ 22 木本五郎(大阪)
(協会常務理事・浅野 亮)
総評
今年の大会程色々な意味で波乱に富んだ大会はなかった。運営面の責任者として思いがけない事態に数々直面しながらもまずは大会を成し遂げることが出来たのは本部協会の役員諸兄の支持は勿論のこと京都,大阪,滋賀の各協会の強力な支援と毎日新聞社のバックアップ,更には滋賀県,大津市,琵琶湖博覧会協会の協力があったなればこそと思っている。
今回の大会をよい経験として他日に生かすことを誓いたい。
運営面からいこう。今回は日本ボディビル協会が始めて東京以外の土地で行うミスター日本コンテストであったので役員の手不足等が心配されたが京都,大阪,滋賀の役員達が本部協会の役員達と一体になって有機的な活動を展開して呉れたので殆んど支障をきたさないで運営出来た。しかし博覧会の会場でしかも屋外というむづかしい条件であったので例年の日比谷公会堂で行う大会の様な演出効果が出せなかったことは止むを得なかった。
残念だったのは開幕時の晴天が決勝審査の頃大雨に見舞れたことだった。
屋外ということはボディビルの関係者だけでなく一般大衆に啓蒙する為には大きな効果があるだろうが,1年1回ボディビル界を挙げての行事としてのミスター日本コンテストには再考せねばならないことを痛感させられた。遠く北海道や九州から泊りがけで多くの期待をもって参加される選手や役員の為にも,天候の為大会の盛り上りが左右されるということは今後は避けねばならないだろう。
選手達の内容はどうだったろうか。
まず選手の参加する範囲が昨年より更に全国的に拡がったことは喜ばしい。しかし決勝に進出した15名の選手も県別に分けて見ると東京5名,大阪6名京都2名,三重1名,静岡1名と殆んど東京,大阪に集中しているのは両大都会に於いてのボディビルの発展ぶりを示していることだが,ボディビルの全国的な普及ということから見るといささか淋しい気もする。もっともっと全国各地から続々と強豪選手が続出することを望みたい。何故なら,ずば抜けたレベルの選手が出る裏には必ず厚い練習者層が存在するからだ。
さて今年の覇者吉田実選手に目を向けよう。まず決勝審査に於ては圧倒的な点を集めての勝利だったことを紹介しておこう。吉田選手については東京大会以来多くの人からさまざまな意見が加えられているので今更語る必要もないが,ただ2つの点を強く要望したい。
それは始めて日本に生れた大型のミスター日本であるだけに今以上の大型にふさわしい筋肉の量とディフィニッションを獲得してもらいたいということである。そうしてこそ国際コンテストに出場して外国の一流ビルダーと戦っても1歩ひかぬ戦いをを示して呉れるのではないだろうか。
ポーズは東京大会時に比べれば格段の進歩を示していたがまだまだ向上の余地は大いにあるだろう。
2位の吉村選手はともかく表現力がすぐれ見る人に印象づけるのが巧い選手だ。現在の彼がもっている筋肉以上に表現出来るということは大変な力を内在しているといってもよいだろう。もう一回りのバルクと足と外斜腹筋,それに首のあたりの筋肉が発達してくると段違いの逞しい雰囲気が生れるのではないだろうか。将来の楽しみな選手だけに大いに精進を期待しよう。
中尾選手はベテラン達にまじってよく健闘して3位に喰い込んだ。リラックスした状態の時はさほどの体に感じないが,ポーズをとった時は体全体を見事に浮き出させ,美しい線を出すのが巧い選手だ。脂肪のつきにくいタイプだと思うが今の体質のまま2回りのバルクがついた時はミスター日本を獲得出来る選手だろう。
4位の重村選手もキビキビしたボーズとよくまとまった体で上位に喰い込んだが3位以内に入賞する為にはやはりバルクがもっとほしいところである。
4位の東選手。5位の後藤選手には何もいうことはない。両選手ともべテランとして毎年出場ししかも好成績をおさめているということは,若い選手達の模範となるべきビルダーといってよいだろう。
なお今年のコンテストを見て感じたことは選手達のポーズがマナーと共に一段とリファインされ,むやみやたらな筋肉のみの強調がなくなり,より人間らしい高さを追ったポーズが多かったことである。このことはボディビルの発展の為に喜ぶべき現象といってよいだろう。
今年の大会程色々な意味で波乱に富んだ大会はなかった。運営面の責任者として思いがけない事態に数々直面しながらもまずは大会を成し遂げることが出来たのは本部協会の役員諸兄の支持は勿論のこと京都,大阪,滋賀の各協会の強力な支援と毎日新聞社のバックアップ,更には滋賀県,大津市,琵琶湖博覧会協会の協力があったなればこそと思っている。
今回の大会をよい経験として他日に生かすことを誓いたい。
運営面からいこう。今回は日本ボディビル協会が始めて東京以外の土地で行うミスター日本コンテストであったので役員の手不足等が心配されたが京都,大阪,滋賀の役員達が本部協会の役員達と一体になって有機的な活動を展開して呉れたので殆んど支障をきたさないで運営出来た。しかし博覧会の会場でしかも屋外というむづかしい条件であったので例年の日比谷公会堂で行う大会の様な演出効果が出せなかったことは止むを得なかった。
残念だったのは開幕時の晴天が決勝審査の頃大雨に見舞れたことだった。
屋外ということはボディビルの関係者だけでなく一般大衆に啓蒙する為には大きな効果があるだろうが,1年1回ボディビル界を挙げての行事としてのミスター日本コンテストには再考せねばならないことを痛感させられた。遠く北海道や九州から泊りがけで多くの期待をもって参加される選手や役員の為にも,天候の為大会の盛り上りが左右されるということは今後は避けねばならないだろう。
選手達の内容はどうだったろうか。
まず選手の参加する範囲が昨年より更に全国的に拡がったことは喜ばしい。しかし決勝に進出した15名の選手も県別に分けて見ると東京5名,大阪6名京都2名,三重1名,静岡1名と殆んど東京,大阪に集中しているのは両大都会に於いてのボディビルの発展ぶりを示していることだが,ボディビルの全国的な普及ということから見るといささか淋しい気もする。もっともっと全国各地から続々と強豪選手が続出することを望みたい。何故なら,ずば抜けたレベルの選手が出る裏には必ず厚い練習者層が存在するからだ。
さて今年の覇者吉田実選手に目を向けよう。まず決勝審査に於ては圧倒的な点を集めての勝利だったことを紹介しておこう。吉田選手については東京大会以来多くの人からさまざまな意見が加えられているので今更語る必要もないが,ただ2つの点を強く要望したい。
それは始めて日本に生れた大型のミスター日本であるだけに今以上の大型にふさわしい筋肉の量とディフィニッションを獲得してもらいたいということである。そうしてこそ国際コンテストに出場して外国の一流ビルダーと戦っても1歩ひかぬ戦いをを示して呉れるのではないだろうか。
ポーズは東京大会時に比べれば格段の進歩を示していたがまだまだ向上の余地は大いにあるだろう。
2位の吉村選手はともかく表現力がすぐれ見る人に印象づけるのが巧い選手だ。現在の彼がもっている筋肉以上に表現出来るということは大変な力を内在しているといってもよいだろう。もう一回りのバルクと足と外斜腹筋,それに首のあたりの筋肉が発達してくると段違いの逞しい雰囲気が生れるのではないだろうか。将来の楽しみな選手だけに大いに精進を期待しよう。
中尾選手はベテラン達にまじってよく健闘して3位に喰い込んだ。リラックスした状態の時はさほどの体に感じないが,ポーズをとった時は体全体を見事に浮き出させ,美しい線を出すのが巧い選手だ。脂肪のつきにくいタイプだと思うが今の体質のまま2回りのバルクがついた時はミスター日本を獲得出来る選手だろう。
4位の重村選手もキビキビしたボーズとよくまとまった体で上位に喰い込んだが3位以内に入賞する為にはやはりバルクがもっとほしいところである。
4位の東選手。5位の後藤選手には何もいうことはない。両選手ともべテランとして毎年出場ししかも好成績をおさめているということは,若い選手達の模範となるべきビルダーといってよいだろう。
なお今年のコンテストを見て感じたことは選手達のポーズがマナーと共に一段とリファインされ,むやみやたらな筋肉のみの強調がなくなり,より人間らしい高さを追ったポーズが多かったことである。このことはボディビルの発展の為に喜ぶべき現象といってよいだろう。
(協会理事長・玉利 斉)
月刊ボディビルディング1968年11月号
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