フィジーク・オンライン

メキシコ・オリンピックに思う

この記事をシェアする

0
月刊ボディビルディング1968年11月号
掲載日:2018.02.22

オリンピック・メキシコ重量挙

 メキシコ・オリンピックは,2300mの高地で開催され,そのため各国は高地対策として高地訓練を行ない,国によっては,わざわざ高地トレーニング場を設けたそうである。それも全力を尽しより良い成績を収めるのに必要なことであろうが,近代オリンピック創始者クーベルタンが「オリンピックは参加することに意義がある」といった時代と比べれば,今のオリンピックは「オリンピックはメダル獲得に意義がある」といわれそうなぐらい激烈なメダル獲得のための〝闘いの場〟になっている。
 参加国13,参加選手285人,これが第1回アテネ大会の規模であった。素朴な素人の集まりだったそうだ。ところが第18回東京大会の時には参加国95,参加選手5558人と参加国7倍余り,参加選手20倍弱と大巾に増加,メキシコ大会では,これを更に上回る規模に発展した。
 そして4年に1度のオリンピックを目指し厳しいトレーニングを積んできた各国の精鋭が文字通り死力を尽して技を競う。各国は一般国民の体育としてのスポーツは忘れてもオリンピックには興味を示し,大国は沢山メダルを獲得しようと大選手団を派遣あわせて国威発揚せんとばかり虎視眈眈,小国は自国の存在を示そうと「参加することに意義」を見い出し,例え1人でもと参加している。
 このように大きく発展したオリンピックに限らず一般の競技会でもあるが,ドーピング行為といわれるものがある。これは一時的に良い成績を収めようとして薬物を用いたり,身体に異状があるのに薬物等により一時的にマヒさせたりして競技に出場する行為であるが,いくら好成績を望むといえども少々行き過ぎの感がある。
 さてドーピングと反対の選手に対し負担がかかるといわれるメキシコ市の高地問題は重量挙に影響があるかというと,重量挙のような瞬間的競技にはほとんど影響なく,マラソンのような持久力を要する競技に影響があるそうである。重量挙に対する影響といえば,低地から酸素の稀薄な高地に移って1週間程たてば順れるといわれるが,その間の調整に影響を与えると思
われる。
練習中の肖明祥

練習中の肖明祥

三宅選手の好敵手〝肖明祥〟

 日本の重量挙代表で金メダル確実なのは三宅選手,1962年の世界選手権優勝以来国際競技会で負けたことがない三宅選手,だがこの王者と対戦したこともなく,オリンピックにも参加してはいないが,三宅選手と勝敗の甲乙をつけがたい好敵手がいる。といえば重量挙に興味ある方は多分察しがつくと思う。その好敵手は誰か?
 その選手は「文化大革命」で皆様御存知の中華人民共和国(中共)の肖明祥(シャオ・ミン・シャン)選手である。肖選手は中共でいう貧農の出身で熱烈なる,マルクス,レーニン主義。毛沢東思想の信奉者であり,29才で独身,謙虚でおごりを全く感じさせない,暖みのある選手である。しかし競技場における試合態度は堂々としており,平常のにこやかさからは想像出来ない厳しさを感じさせる。
 トレーニングにおいては常時体重63~64kgでプレス125kg,スナッチ120kg,ジャーク160kgをマークし,ラック上からのジャークでは170kgに成功しており,スクワットは210kg以上行なう。身長約160cm弱の体は三角筋,大臀筋が良く発達し筋肉質ではあるが,それ程強そうには見えず,わが三宅選手と並べて比較したら,三宅選手より身長が高く,三宅選手と同等の実力を持っているとは思えないであろう。
 そこで両者の過去におけるべスト記録を参考に比較してみよう。
 
競技会におけるベスト・トータル
プレス スナッチ ジャーク トータル
三宅 122.5 122.5 152.5 397.5
肖 120 122.5 155 397.5
競技会における種目別ベスト記録
三宅 125 125 152.5
肖 120 124 158
 トータルは両者は全く同じであり,種目別べスト記録を合わせると三宅選手402,5kg。肖選手402kgとこれまた伯仲,プレスにおいて三宅選手がやや強く,ジャークにおいて肖選手がやや強いという以外全く実力の甲乙はつけがたい。もしこの両者がオリンピックで対戦したらどちらも世界記録を更新する見ごたえのある競技を演じること必定であろう。
 両雄が競技会で顔を合わせることに興味を持つのは,私だけでなく世界中のリフター,及びファンに沢山いることでしょう。

オリンピック男

 今迄のオリンピック重量挙競技では2回連続優勝した選手が数名いたが3回連続優勝はいない。2回連続優勝者のうちアメリカのバンタム級選手チャック・ビンチがいる。
 ビンチ選手は1956年の第16回メルボルン大会ではトータル342,5kgで優勝。1960年の第17回ローマ大会ではトータル345kgで優勝しているが,2回連続優勝者の全んどは世界選手権大会でも数度に亘り優勝している。しかしビンチ選手は世界選手権大会には只の一度も優勝していない。
 1955年世界選手権大会2位,1957年不参加,1958年2位,1959年不参加,1961年4位。ところがどうした訳かオリンピックになると無類の勝負強さを発揮しメルボルン大会では本命とみられていたV.ストゴフ(ソ連)と激しい優勝争いを演じ最後のジャークで振り切り優勝をとげ,ローマ大会では当時日本の新鋭として重量挙初の金メダルの期待を一身に背負って,優勝は充分考えられると思われていた三宅選手と激しい優勝争いを演じこれ又三宅選手に涙を呑ませた。
 身長150cm弱,体の割に腕が太く,重量挙選手としてはスマートな下半身,顔立ちの良いパッチリした大きな目,競技台の上で十字をきって試技を行なう姿はここ数年来国際競技会では見られなくなったが,国内では時折競技会に出場しているようである。まことに特異な選手であった。

記録はどこ迄伸びる?

 1948年第14回ロンドン大会1952年第15回へルシンキ大会におけるバンタムフェザー両級の優勝記録は現在の日本の高校記録に及ばなくなった。1956年第16回メルボルン大会のへビー級をのぞく全階級の記録は現在の日本記録に及ばなくなった。
 しかしオリンピックで樹立された記録は常にその当時において素晴しい記録であり不滅の記録と思われるものが多かった。しかし「記録は破るためにある」という言葉通り次々と記録は更新されていく。このような記録向上をみるにつけ,一体限界はどの位の記録であろう,と興味を持つのはスポーツを行なう者総てが思うことではないだろうか。
 ビルダーならさし当って均整のとれたバルクアップした体の限界に興味を持つ。仮りに腕囲り60cmのビルダーが将来現われるか,という腕囲の限界を思った時,そして重量挙選手が頭上に250kgのバーベルを上げられるかと思った時,両方共とてつもないもののように思える。しかし考えてみると両方共20~30年もたてば現われると容易に思える。ひょっとすると10~20年内にもとも思える。
 10数年前のアメリカで最も腕囲の大きいビルダーの腕は50cm前後であった。しかし現在は55cmを越えるビルダーも現れており,A・シュワルツネガー(オーストリア)などは年令的にも若く彼によっても57~58cmの腕に近い将来発せられるのではないかと思う。重量挙で250kgを頭上にあげることはとてつもない重量に思る。しかしこれも20~30年後には必ず征服されるであろう。
 10数年前のへビー級ジャーク記録は180kg前後,その当時は200kgが夢の記録のように思えたであろう。現在はその夢の記録をはるかに越える220kgが征服されている。たった10数年の間に40kgも記録は更新され,210~220kgの実力を持つ選手は現在数名いる。恐らく彼等の競争心によりここ数年には230kgは確実に更新され,少なくとも20~30年後には新しい強力な巨人が現われ250kgの下で喜ぶ姿がみられることと思う。
 このように先のことを思うにしてもやはり,いつか限界にぶつかるのではないか,と思う反面,限界なんてあり得ないとも思い結局私は思う。人類はその誕生以来から思えば,意識的にスポーツを始めたのはほんの昨日のようなものだ。だから限界は遠い未来にある。しかし個人としては限界がある。まことに分かったような,分からないようないい方ですが皆さんはどう思いますか?。
(福田 弘)
チャック・ビンチ

チャック・ビンチ

月刊ボディビルディング1968年11月号

Recommend